2016年07月30日

揖斐川鉄橋と湧水

垂水鉄道から揖斐川を見る.jpg
樽見鉄道車内から鉄橋を見る

午前8時40分大垣発の樽見鉄道のディーゼルカーが鉄橋にさしかかる。
水の風景を見ようと大垣までやってきた。

この日は、のちほど岐阜まで行くつもりで「青春18きっぷ」。
大垣の水辺をめぐった。

駐車場清水.jpg
駐車場の地面の下から湧水が

2駅目の「横屋」で下車。
揖斐川の左岸側で、ここは瑞穂市だ。

集落の3面張り水路に、駐車場の地下から湧いている水が注ぎこんでいる。
水も何げに澄んでいる。
川の中は小魚がいっぱい。ウオーターランドなのか?

この後もこうした、水が湧き出す三面張り見ることしばしば。

渋い.jpg
渋い

2年前も大垣を訪れ、そのときは「北方がま広場」と町の西側にある金生山をめぐり、湧き水と古生代のサンゴ礁化石を見た(2014年9月7日・「水都と古代の海」=上、下 参照)。このたびは、市の東の方の湧水を見ようとした。

揖斐川の橋.jpg
揖斐川の橋

こうした際、湧水だけ見るのでは面白くなくて、背景にある水のめぐり、水の供給源である揖斐川を見ねばならないだろう。そう考えて、まずいったん鉄路で揖斐川鉄橋を渡ったのち、進路を西にとって川を見ようとしたのだった。

したところ徒歩10分で揖斐川についた。
「おお揖斐川だ」
このように川をみて歓声を上げる人ありて雲の峰。
しかし、前もってストリートビューを見ているから、川の光景もこうなるであろうことは知っていたのだった。

夏草橋.jpg
旧揖斐川橋梁(左岸側から)

だけど、事前学習には良いこともあって、JRの鉄橋に並行して架っているいる細幅を歩いて渡れるか調べていた際に、その橋が重要文化財に指定されていることを初知りしたのだった。


プレート.jpg
橋のプレート(右岸側)

このトラス橋、旧揖斐川橋梁は1886(明治19)年に建設された初代の鉄道橋で、単線の橋だった。
いまは歩行者用の橋になっている。

筆者のホーム河川、滋賀南部の野洲川でも、古い鉄橋跡がJR鉄橋の横に見られるが、こうやって初代の鉄橋がそのままの形で残っているのはここだけという。

揖斐川橋梁.jpg
SLになった気分

鉄橋の幅は325メートル。これの幅自体は、野洲川とそう変わらないんだが、水が流れている部分が、野洲川よりかなり大きい。

揖斐川の鉄橋を渡る垂水鉄道.jpg
鉄橋を渡る樽見鉄道の車両

揖斐川の長さは121キロで、流域面積は1840平方キロ。
筆者が川の基準としているのが、野洲川(65キロ、387平方キロ)なので、流域面積でみると5倍近い。流域面積387平方キロメートルを「1野洲川」として考えると、「4.7野洲川」といったところか。

この大きな川が、大垣の平野に多量の水をもたらしているのだろう。

できれば中州に降りて砂や石を見たかったが、堤防と中州の間が水路で阻まれており果たせず。

マンポ.jpg
鉄路の下に掘られたマンポ

しかし、川の石がどんな石なのかは、古い家の石垣を見たらわかるのだった。

川石垣.jpg
川の石を利用した石垣

大きな丸い石を積み上げた石垣が、あちこちにあった。花崗岩だろうか?
石垣には、このタイプと、西側の金生山に産する石灰岩を使ったグレー石垣、さらには岐阜の木曽川あたりに出るチャート石垣と、おもに3つの種類があった。

コーナー石垣.jpg
コーナーを面取りした石垣

さあ、揖斐川を渡り道を歩いて、水路を見るがどこにも魚がいる。

丸い水草.jpg
丸い水草と、ジャンボタニシ卵(壁面のピンク)

樽見鉄道線の下をくぐった付近の小溝の中に、円形の水草があってトチカガミかなと思ったが、直径が1〜2センチと小さい。こんなに小さいやつもあるのかと思って調べたら、「アマゾンフロッグピット」として熱帯魚業界で売られてる外来生物によく似ていた。こいつが今後、越冬して各地で増えていくこともあるのだろうか。

土手の紫色の花.jpg
加賀野八幡神社近くの土手、ダキバアレチハナガサ(抱葉荒地花笠)の花

加賀野神社.jpg
加賀野八幡神社全景

そんなこんなで、田園の中に見えてきた加賀野八幡神社。
室町期の城館跡だったといい堀で囲まれている。
取り囲む道路の部分も掘や土塁だったんじゃないだろうか。

加賀野神社湧水.jpg
加賀野八幡神社湧水

境内の南側から湧水。
水汲み場には先客がいて、雪平鍋を使ってポリタンクに水を詰めていた。
筆者は500ミリリットル容器を用意した。2本持ってきたつもりが1本しかない。

名水をくんだ.jpg
水をくむ

水をくむと、小学生が夏休みの課題として名水についてのアンケートを行っていた。
味はどう、どこから来ましたか、どれくらい利用していますか。と聞かれた。
見ず知らずのおじさんに物おじせず質問して、頼もしい。地元の水への愛着をはぐくんでほしいものだ。

ところでこの湧水から流れ出る水路には、ハリヨがいるらしき看板があったけど、目を凝らしてもそれを見つけることはできなかった。
メダカはいた。

メダカは付近の水路のどこにでも見られた。

メダカの群れ.jpg
メダカの群れ

畑のちょっとした水路の角のところなんかで、よく見るとメダカがたくさんいる。

これがメダカの学校。さかんに、何かに群がっているが、よくみるとそれは小さなカエルの死骸だった…。

ドジョウやメダカ.jpg
ドジョウも何匹かいる(中央付近)

排水管に集まるメダカ.jpg
排水管付近のメダカ群れ

大鯉.jpg
土煙を上げて川底をあさる大きなコイ

とまあ、ここらではメダカは栄えていて極相といった感じだった。
メダカ以外にも、カワムツみたいな細い感じの魚、黒くて太い鮒っぽい稚魚の群れ、ドジョウ、コイ、といった、平地の魚がひとそろい見られたのだった。

こうした用水路に魚が満ちあふれている様子を見るのも楽しい。

と、時刻がもう10時過ぎになっており、歩を速めた。

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印象的な淵

三城公園湧水.jpg
三城公園の湧水

南下すること約20分、三城公園の湧水。
水汲み場のベンチでくつろいでいるおじさんから、この水はうまいでしょう、冷たいでしょう、など水自慢をひとしきり聞いているうちに時間がたつ。

ここからはさらに急ぎ足となったのは言うまでもない。
できれば、同公園の南方にある白髭神社まで行きたかった。

白髭神社といえば、滋賀県では、湖西の琵琶湖にたつ鳥居の、あの神社が有名だが、それの連想もあった。
白髭神社というからには、龍神、水の神。
名水ガイドによれば、池の底から水が湧いているという。

急いでやっと、「鶴見町」バス停前にたどり着くとバス時刻まであと8分。
そこから神社までの距離を見ると200メートルもないくらい。行けるか、と思って走ったら、2分くらいで着いた。

白髭神社境内.jpg
池がある境内の一角

小さな神社の境内の一角に、屋根がしてあってその奥が池のようだった。

湧水池.jpg
池の中から水が湧いている

池に近づくと、小さな魚が2匹くらい、水草の下に隠れた。
ハリヨの看板があったので、それはもしかするとハリヨだったかもしれないが確認できない。
じーっと見続けていたら出てくるかもしれないが、そのような時間がないのが残念。

この池は枯れた状態が続いていたのだが、近年、工場からの揚水が減って来るとともに、湧水が復活したのだという。

滋賀県の瀬田でも、三洋電機の工場が撤退したあと、地元の民家で湧き水が復活したと聞く。
ざっくりした言い方だが産業の時代から、環境の時代への移り変わりを物語るのか。

水の湧き具合は、けっこうもりもりと、水面が湧きたっている感じで量がありそうだった。

奥のほうの池.jpg
奥のほうの池

奥のほうにも小さな池があり、澄んだ水が張ったようすに趣があった。こういう感じを池づくりの参考にしたい。

2、3分観察したのち、走ってバス停に戻ったら、バス待ちの高齢女性数人がベンチに座ったりしており、まだ来ていなかった。

そこには小さな神社があったが池はなかった。

カワエース.jpg
カワエース

しかし井戸水ポンプが据えてあり、蛇口をひねると豊富な水量だった。400Wのポンプなので、深いところから汲みだしているのかもしれない。

大垣市の自噴井は深さ150メートルとか、深いところに打ち込んでいるものが多い。
しかもそれだけの深さから汲みだした水なのに、まろやかな軟水でカナケを含まない。

大垣の平野では地盤が琵琶湖のように沈降しており、揖斐川が運んできた砂が、沈んでは上に積もりと、どんどん堆積しているのではないだろうか。

調べてみるとそれだけではなくて、濃尾平野は海に面しているから、海進期には粘土が堆積し、海退期には砂や礫が積もり、というかたちで地層が互層となっており、粘土層によって被圧された地下水となっているようだ。内陸部の滋賀県の平野とはまた違った地層のなりたちだ。

濃尾平野はほぼ平らのため、水路の流れもまた緩く、それがためにメダカも繁栄できるようだった。
どれくらい平らなのかというと、国土地理院の地図を見ると、大垣の市街地は河口から40キロくらい離れているように見えるが、海抜が5メートルくらいしかない。

滋賀県南部の野洲川デルタが、河口から10キロもいけば、琵琶湖の湖面より15メートル高い海抜100メートルに達するのとは大きく違う。

川は大垣より南方に行くと、川水の逃れ場がなくて、どんどん川幅が広がるしかない。
輪中の地域となっていくのだが、また別の機会に見学したい。

井戸水龍神.jpg
井戸水龍神

こんな撮影などをしているうちに、1時間に1本の大垣駅行きバスが来た。
地域の路線バスのバス停の場所や時刻が気軽に調べられるようになったのも、ネット時代の恩恵といえるだろう。

駅北口の湧水.jpg
大垣駅北口の湧水モニュメント。壁面の大理石にはフズリナ、ウミユリ化石

このあと岐阜に行くが、この日は有名な長良川花火の日だと知らされた。
おお揖斐川だ、などと言っていたが、実はきょうは長良川の日なのだった。ネットでの事前学習成果を鼻にかけている割に、地元の人ならだれでも知っているイベントを知らず狼狽。

しかしこの日、夕方までに家に戻らなくてはいけなかったので、1時50分の電車で帰った。







posted by 進 敏朗 at 16:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 水辺を見る(滋賀以東) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月16日

鵜沼のチャート

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木曽川の犬山橋を渡る名鉄電車

岐阜県の木曽川河原に広がるチャートを、いつか見に行きたいと思っていた。この2月の水辺活動オフシーズンに、岐阜県方面に周遊した。

高山本線の鵜沼駅で下車。そこは名鉄線のターミナルとJRがドッキングする鉄道スポットで初めて訪れた。

むかし時刻表をみると特急「北アルプス」号が、名鉄の駅を出発して鵜沼から国鉄に合流するという走りが不思議だった。鉄道図鑑を買ってもらうと、国鉄の気動車特急に似せたデザインだが赤い線の形が少し違うことに、つよい印象を受けた。

それで今回、訪れたらぜひ電車が橋を渡っている写真を撮りたいと思っていたが、行ってみると、自動車との併用橋だった犬山橋は、自動車と歩行者の新しい橋が2000年にできて今は鉄道専用の橋となっていた。

さあここから川を右岸沿いに徒歩でさかのぼっていくと、チャートの露頭が河原に見られるという。

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木曽川

木曽川は、瀬田川よりもだいぶ規模が大きいみたいで、流れている部分の川幅で200メートルくらいはありそうだった。

川の透明度はほとんどない。大河というものはこうなのか。もしかして、上流には多治見とか有名な製陶業のまちがあるし、地層が粘土っぽいのかも、と勝手な想像を浮かべる。

川中から長くて四角い形をした岩が頭を出している。縞模様があってあれもチャートのようだ。チャートの岩脈は、向こう岸の山からつながっているみたい。

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チャートの露頭

おしゃれな住宅地が川面から20メートルぐらい高い段丘の上に造成中で、遊歩道が工事中になっていたりして、どこから下りるかまごついたが、河原に下りるとまず、高さ1メートルほど頭を出したチャートがあった。

チャートの褶曲.jpg
褶曲

裏に回るとこんな感じで褶曲が見られる。
チャート自体は、ち密で固い石なんだけど、これが飴のようにぐにゃりと曲げられてしまうから地底の圧力はすごいものだと思う。

チャート2.jpg

もっとチャートを見ようと河原を歩いた。河原には、あずき色をした岩脈が広がる原があった。

その赤茶けた色の、しわを刻んだ平面を見ていると、国立民族学博物館で見たアフリカ彫刻家の作品「レッド・ブロック」が脳裏によみがえった。

レッド・ブロック、それは赤い色をした同種類の空き缶をつぶしてつくられた、巨大なタペストリーのような作品で、空き缶の一つ一つはごみのような小汚い感じだったが集合すると何ともすごい量感で迫ってきた。とにかく存在感が圧倒的だった。

チャート表面の質感.jpg
表面の質感

古生代の深い海底に積もったプランクトン、有孔虫の殻を素材にしてでできたというチャート。
あずき色をした石は、滋賀県の愛知川や、犬上川でもときおり見られる。この岩脈の色や質感はそれらの川で見られるものと同じだった。

赤チャート石垣.jpg
近所で見られた赤チャートの石垣

これらは、2億年以上も前に南太平洋の海底に降り積もったものだそうで、海洋のプレートの動きで北上し、大陸にぶつかり、陸上に隆起して日本列島の素材となった。

褶曲2.jpg
褶曲

もちろん、降り積もった時は一様に平らな層だったのだろうけど、それから陸地に隆起していく過程でもまれたりして、このように激しい褶曲が生まれたのだろう。

色が異なる縞.jpg
色が異なる縞も

チャートの縞模様には、赤のほか白や、黒い部分もあるんだけど、この黒い部分は、古生代末に生物が大量絶滅した際の痕跡といわれていた。赤い色は、酸化した鉄が混じっているものとされる。それに対し、黒い部分には酸素がないかほとんどない状態だったといわれる。しかし、最近の調査では、この鵜沼のチャート層は中生代以降のものであるという。なぜそんなことが分かるのかというと、このチャートを溶かすと、中にある、まるで宇宙ステーションのような形をした有孔虫の殻が取り出せて、その種類から時代が分かるんだという。

それでも、この鵜沼のチャート層は厚さ100メートルにもおよび、5000万年もの間、継続して堆積が続いていたんだという。大変な時間の継続が見られるのだった。

白線.jpg
白いライン

しばし河原のチャートが原に遊ぶ。

チャートと苔.jpg
チャートと苔

専門知識もないため、眺めがすごいなあと、苔が割れ目にたまったりした様子が古代都市のミニチュアみたいに見えたりして、いろいろな見方をして楽しんだのだった。

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岩と石

付近に落ちている石は、上流から運ばれてきたらしい白っぽい色をした丸く削られた石と、付近のチャートがはがれてできた赤や黄色などの石がみられた。黄色っぽいものは「珪質粘土岩」というらしいが、ガラス質なのになぜ、粘土岩なのか。それはチャートと何が違うのか。分からないことは多かった。

だいたい一人で眺めているから、分からないことだらけなのである。

鵜沼の岩山.jpg
犬山橋付近の山を遠望

1億年以上前の日本には、南太平洋から、太平洋底の地層がぶつかっては地上に隆起していたのだった。

チャートの岩は深海起源。この現場から西の大垣や滋賀県に行けば、金生山とか伊吹山の石灰岩地帯があるが、それらはおなじ熱帯の太平洋起源だが、サンゴ礁の浅い海だった部分。石灰岩となるサンゴ礁の成分は、貝殻などと同様の炭酸カルシウムだが、チャートの成分は、ガラスと同じケイ酸ということで、成分が違うのだった。深海の圧力と環境では、炭酸カルシウムは水中に溶けてしまうので残らず、チャートのガラス質だけが残るので、成分的に純度の高いチャートの岩ができるんだという。

こうやって2億年前とか、そんな気の遠くなるような昔の海の底が、川の流れに削られて露出していて、すごいなあと思って帰った。













posted by 進 敏朗 at 22:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 水辺を見る(滋賀以東) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月04日

祓川

祓川河口の橋.jpg
河口の橋

立春のこの日、三重県明和町の海岸で貝拾いを挙行し、そのあと、近くを流れる祓川を見た。
なんでも祓川は古代、櫛田川の本流だったそうだ。
しかし、平安時代の1082年に洪水があって、流路が変わってしまったんだという。

滋賀県南部の野洲川も、もとはいまの草津、守山市境を流れる境川が本流であったという。古代の栗太、野洲両郡の郡境はそこだった。松阪市と明和町の境界も、広い櫛田川でなくてこの祓川で画されており、歴史の古さを感じさせる。

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河口付近の流れ

それだけに訪れる前は、滋賀県南部における境川のような、幅3メートルくらいかもうちょっと大きいくらいの細流を想像していたところが、想像を超す立派な川で、透明な水が豊富に流れていた。

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河口付近の干潟

河口にはヨシ帯の干潟があって、まさに潮が満ちようとしているところだった。泥の地面にはカニが掘った穴がほうぼうに見られる。

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堤防と内堤防

干潟から上がって、上流に、車で移動した。歩いたら気持ちよさそうだが横着に済ます。1キロ上流では、川の堤防の外側に堤防があって、堤防の内側に田んぼがある。それほど高さのないこの堤防は古くからのものだろうか。

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河童も警告

深いところで2メートルくらいある川底がはっきり見え、けっこう流速がある。伊勢平野のこのあたりはほとんど平らなので、もっと流れが緩くて淀んだ川を想像していたがぜんぜん違っていた。それもそのはずで、あとで櫛田川との分流点に行くと、水門から豊富に水が分けられていた。


なんでもこの川は日本の重要湿地500にリストアップされているらしい。三重県では、主要な各河川の河口の干潟のほかは、この祓川が登録されている。理由は、タナゴ類や、イシガイが見られるからという。

滋賀県では、琵琶湖がこの重要湿地にあがっているほか、琵琶湖淀川水系も名があがっているから、滋賀県のほぼ全体の水辺が重要湿地になってしまっている。そうなると、ちょっと範囲が広すぎる気もする。

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織殿神社のジョウビタキ

祓川の右岸には斎宮跡がある。

調べてみると、斎宮とは、天皇にかわって伊勢神宮のおつとめをした女性(斎王)の拠点だという。
それは天武天皇の670年に始まり、14世紀の南北朝のはじめまで続いて、天皇が代替わりするたびに、新しい人が派遣されていたそうだ。
平安時代の「延喜式」によると、京都から5泊もして、斎宮に到着している。
国道1号線を滋賀南部から鈴鹿峠に向かう途中、土山に「頓宮」というものがあり何だろうかと思っていたが、それがこの斎王が途中で宿泊するところだったのだった。そこが京都から3泊目の宿だった。
いまでは車で2時間といったところだがたいへんな旅だったようだ。

流域には斎宮以外にも、由緒ありそうな小さな神社も点在している。

祓川川岸.jpg
川岸

織殿神社の裏にある集落を抜けるとほどなく河辺林があり川に出た。

小鳥がチチチと鳴いている。

その眺めは、平地の川というものはこうあってほしいと思わせるものだった。
河童が出そうな趣あり。
藪近くにはメダカがいそうな小溝もある。

祓川向こう岸.jpg
向こう岸を見る

祓川生垣門.jpg
大きな生垣の門だ

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鳥がよく見られたところ

もう少し上流に、近鉄線をわたっていくと、川の右岸側は微高地となっていた。祓川の東側を流れる笹笛川は祓川と交わっているのだろうかと思ってみたが、微高地があって両者の流域は分かれているようだった。

しかし帰ってから地図をみるとその両者をつなぐ上流に谷のような地形があって、水がどうも行き来しているみたい。

祓川梅.jpg
梅も咲く

「初めて見た川の感じが思ったより素晴らしくて、良かった」と、家族に伝えたが、こうした喜びが分かってもらえたかは不明だ。

posted by 進 敏朗 at 23:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 水辺を見る(滋賀以東) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月05日

島ヶ原村

伊賀盆地.jpg
伊賀盆地が見えてきた

滋賀県南部から甲賀方面、忍者の里竜法師を通過、県道49号線の細道で県境を通過すると「伊賀コリドールルート」という道があって、まるで忍者のような山の抜け道、約1時間20分で、島ヶ原は正月堂に到着した。遠く感じたけど、車の走行距離を見ると51キロで意外なくらい近かった。

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正月堂前の池。ホテイアオイの花が咲いていた

33年に1度の本尊十一面観音の開帳があって、多くの観光客や地元の保育園児、小学生でにぎわっていた。

正月堂のある観菩提寺は8世紀の751(天平勝宝3)年に創建されたという。743年に成立した墾田永年私財法のもと、奈良・東大寺が一帯で墾田開拓に精を出しており、このお寺は東大寺の印度渡僧実忠によって建立されたという。

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にぎわう正月堂(右)と楼門

十一面観音は高さ2メートル強あって、頭が大きく怖げな顔だちだった。6本の手には、ハスの花、数珠、長い棒のような物が握られていて、左手の一つからは5色の糸が伸びて、堂の外の柱につながっていた。これは光線が出ている表現だと思われる。案内役のおじさんが小学生に「その柱に触れると、テストで百点が取れる」と言っていた。児童のひとりが「そういえば明日テストやな」と言って笑いを誘っていた。

観音ビーム.jpg
観音から発しているビーム? 五色の糸と柱

本日はこの秘仏開帳にともなって同寺集会所で開かれている芸術祭を見るのが目的だった。
そこでは、地元の若者グループによる作品ほか、京都の若手作家が地元の老女性に取材した映像作品などがあった。

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芸術祭会場の様子

また芸術作品だけでなく、66年前の秘仏開帳時、というから戦後間もない時期に、村の青年団が催した演芸会の写真や、昭和10年代の青年団会報のほか、現在は途絶えてしまった養蚕の記録などが展示されていた。青年団の劇の面々の写真は楽しそうな表情を浮かべており、これだけの若者でにぎわっていたことに隔世の感があった。
芸術祭を主催した若手画家は、東日本大震災があって、生まれ育った村のコミュニティーの将来が気になり地元で活動を開始したという。展示作品には「場所がないなら 自分でつくれ」という詩も。

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家の前に並ぶメダカ容器の列

寺の近郷では昔ながらの製法を守る醤油醸造店がにぎわっていた。しかし、商店や電器店などは軒並み閉まっていた。郷里の海辺の街道町を思い起こした。

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正月堂の裏手にある観音山入り口「道引地蔵」

島ヶ原村は2004年に合併して「伊賀市」の一部となった。
手元にある「日本地図帳」(旺文社・1998年刊行)収録の市町村別人口・面積によると島ヶ原村の人口は2880人。駅前に町があって、街道の宿場であるとともに、木津川を行きかう舟運の拠点にもなっていたという。

芸術祭を見たあと、木津川に向かった。

木津川の橋.jpg
木津川の橋

伊賀盆地を流れた木津川は、京都との府県境に達して山の間を割って進む。島ヶ原の村はその渓谷沿いにあって交通の要衝。面積が22平方キロメートルと狭かったのに、滋賀、京都、奈良の3府県に接していることを知り驚いた。

川と村.jpg
渓流沿いにたつ島ヶ原の中心部

川沿いのゆるやかな傾斜に沿って並ぶ家並みをみると、この景観が長い時間をかけてかたちづくられたことが感じられる。

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釣り場情報

「商工会」の前に、川の地図があって、川の中の岩や瀬ひとつひとつに、名前が付けられている。「心中岩」とか、ちょっとおそろしい名前も。現在は架っている国道163号線の橋が、まだ建設されていない時期につくられた地図のようだ。

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川中の「すべすべ岩」から

川の中の岩は、滋賀県南部で見られるのと同じ花崗岩でできており、川の流れによって丸く削られていた。
ハエがたくさん泳いでいる。野洲川よりも透明度が低い。粘土っぽい土質のせいだろうか。眺めてると、地元のおじさんから声を掛けられた。

ハエの群れ.jpg
ハエの群れ

80歳くらいとみられるおじさんは、子供のころ、この目の前の川で泳いだり、河原で相撲をとったりしていたという。昔は水がもっときれいで、河原は雑草が少なく砂っぽかったという。地元の子は、ちょっと下流の、流れがやや急な瀬のほうで泳ぐが、奥地のほうの水に慣れていない子は、橋より上流の、川幅が広く浅くて流れが緩い場所で泳いでいたという。

「三世代住む大きな家が建っているけど、もうそういう時代ではないな。若い人は村を出て戻ってこん」と、川べりの立派な家々に視線を向けた。
磨崖仏に行く道を聞いて、おじさんに謝し去る。

川と木.jpg
銀杏や紅葉と渓流

川の右岸沿いに約1キロ西進して川に下りてみると、ここで昼ご飯(おにぎり)を食べればよかったと思わせる場所だった。

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阿弥陀仏

河原と同じ花崗岩を穿ってつくられた磨崖仏は、川に面していて、小さなお堂の中にまつられていた。南北朝時代の作とみられており静かにたたずんでいる。

掃除道具たち.jpg
並ぶ掃除道具

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木津川と小山川の合流点、国道の橋

奈良時代に始まり、南北朝時代ごろにかけ仏教文化が栄え、江戸時代には宿場が整備され今の原型ができた村は、立派な家々が立ったが、21世紀に入り若い人がいなくなり、正月堂は壇家もないために秘仏開帳は33年後、開けるだろうかと若手画家氏は話す。美しい村は引き継がれていくだろうか。


posted by 進 敏朗 at 16:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 水辺を見る(滋賀以東) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月30日

中池見湿地

新緑の近江盆地を新快速が走り、近江塩津乗り換えで9時50分に敦賀に到着。

中池見湿地.jpg
中池見湿地

福井県敦賀市の中池見湿地を見に行く。駅から北東方向に徒歩約25分で到着。ラムサール条約登録湿地が、駅から歩いて行ける距離にある。きょうは休園日で、ゲートの横の獣よけ扉を開けて入った。

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水路のメダカ

水路はメダカ天国で、4センチ以上の、キングサイズのものが多い。極相林ならぬメダカ極相池の趣。
ここにいるメダカは、滋賀にいるやつとは系統群が違うのだろうか。

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タニシも大型に

水路に魚を捕るモンドリが仕掛けてある。これは、水草を食害するザリガニを捕獲するためのものであるらしい。水路に小さいやつが2、3匹見えた。

3年前にも釣りの帰りに同湿地を訪れたが、時間の都合で、奥にある池までは見なかった。今回、池まで歩いた。新緑の山に囲まれて、どこを撮っても絵になりそうだ。

湿地の池.jpg
池に近づく

メダカの群れがつくる波紋や、飛び立つアオサギ、カルガモなど。水面にガボッと派手な音と波紋が立つ。ナマズがそこかしこにいることがわかった。水は、山のほうからごくゆっくりと流れがあって、湿地東側の流出口へと流れている。山から水が湧き出していて、浅い水が枯れないのだろう。これだけの広さにわたってメダカが繁殖地ているところは、なかなか見られない気がする。


ナマズが悠々と泳いでいる


中池見湿地は、数万年にわたる泥炭が沈殿しており、広さはまわりの山を含めると約0.8平方キロメートル。滋賀県を4000分の1くらいに縮小した、ぐるりを山で取り囲まれた、真ん中に池のある平らな地形。形が似ているだけでなく、土地が沈降し続けているがために、池が土砂でうまってしまわず、長年にわたり存続し続けている点も似ている。

田んぼが切り開かれたのは江戸時代で、その時には、溝が掘られて水抜きがなされた。浅い池が残り、メダカやナマズも、これによって生息しやすい環境になったかもしれない。が現在、田んぼの水路に行っても、コンクリの段差でメダカやナマズなんかは見られない。ほ場整備がされる前の、昔の小川はこのようなものだったのだろう。

イトトンボ.jpg
イトトンボもいるぞ

見て回っているうちに、あっという間に午前中の時間が過ぎてしまった。茅葺き農家の裏から登山道に入り天筒山を目指した(続く)

ミツガシワ.jpg
ミツガシワ

ピンク色の土.jpg
土が肌色をしている
ラベル:メダカ ナマズ
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