2019年12月19日

チバニアン

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地磁気逆転地層への入り口(午前11時50分ごろ)

チバニアンを訪れた。
千葉県を訪れるのは初めて。
よく、ニュース等で滋賀県民にとって「滋賀県」と聞き間違えしやすい千葉県。
どんな所なのだろう。

格安日帰りのぞみチケットで、朝6時半に京都発。早朝の便限定だ。
2時間強で品川着、そこからバスで、東京アクアラインを渡って千葉県に乗り込んだ。

東京湾を渡る.jpg
東京湾の向こうに、千葉の陸地が見えてきた

バスは座れて快適。
東京湾を渡る様子は、琵琶湖大橋で湖をまたぐのにも似た雰囲気。
海上には海苔養殖の棚、その向こうには工業地帯の煙突が見える。

1時間ほどで袖ケ浦駅着。
そこから内房線で3駅、10時過ぎには、市原市の中心駅五井に着いた。

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小湊鐡道のディーゼルカー

五井駅では、JR線の向こう側に小湊鐡道のディーゼルカーが停車。
肌色と朱色のツートンカラーは、むかし郷里の山陰本線でも見かけたような。
車両や、駅の空間全体が昭和の動態保存。跨線橋の弁当コーナーがあり、安くておいしそうだ。
ほんらいはこの、小湊鐡道で行こうと思っていたが、10月の台風被害で目的地駅へは運休が続いたままで、また日帰りで時間に制約もあったため、レンタカーを予約していた。

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車庫に並ぶカラフル汽車たち

小湊鐡道は乗らずに撮影だけしてホームを出る。
軽自動車を借り、市役所前を通り、国道297号を南下。
五井には上総の国分寺があったそうな。古代から開けていた土地。
房総半島の大河川、養老川に沿って、ラーメン店が点在する道沿いを南下していくうち、田園と丘陵の風景となり小1時間。
チバニアンの臨時駐車場に着いた。

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ビジターセンター(木曜日で休館)

チバニアンとは、地磁気の向きが逆転した77万年前から約12万年前までの地質年代をさす名称で、世界共通の名称として正式に決まろうとしている。その由来となっている地層がこの養老川上流にあるという。

筆者が訪れた4日前の12月15日、現場の駐車場の一角にビジターセンターがオープンし、台風の倒木等で立ち入ることができなかった現場の地層の公開も再開された。

だがこの日は木曜日で休館。
しかも悪いことに、前日までの天気予報は曇りだったにもかかわらず雨となっていた。

10年以上も前、京都で出会った大学出たての芸術家の卵が「空間の変容」をテーマにグループで制作活動を続けていた。つい最近、その彼が参加するグループが、千葉の美術館で「わからない」ことをテーマに企画展を開いていることを知った。
それで展覧会を見たい、ついでにチバニアンにも行くことにした。

なぜなら展覧会のテーマが、チバニアンを見た時のわけのわからなさから着想したのだという。
だからビジターセンターで解説を見ずに、わからないままの目で現場に行くほうが都合が良かった。
ビジターセンター休館、しかも雨とあって筆者以外に人がいない。

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地磁気逆転層の説明看板

さて、駐車場から、畑の中を仮設の道が伸びている。
砲弾のようなヤーコン?が転がる。滋賀県ではあまりなじみがない野菜。
仮設道を進むと、養老川に向かう舗装道路に出る。
川は、駐車場よりもだいぶ低いところを流れていて、高低差は50メートルくらいはあるんじゃないか。

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坂の下に養老川が見えてきた

歩くこと10分足らずで、養老川の河床に出た。

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趣のある谷

両岸はU字型に掘り込まれ、川自体は平たく浅く、さらさらと水が流れる。岩肌にガスがかかり絵のような興趣たっぷり。

上の写真で、赤いコーンが立っているところまで進むと、岩壁が姿を現した。
穴が無数に打ち付けられて、まるで抽象的な磨崖仏。

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チバニアンなのか?

駐車場で無料配布されていたチラシ掲載の写真と見比べる。
すると、岩壁の上近くを、やや右肩上がりに線が走っていることに気づく。
それが77万年前の御嶽山噴火の火山灰層。

偶然そのころ地磁気が弱まって逆転したので、火山灰の線が、地磁気逆転の時期を示す目印となっているのだ。

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火山灰層が細いラインに

そのようなわけで、火山灰層の区切りによって、地磁気が逆転した年代がはっきり可視化できるというこの岩壁。
じっさいに地磁気の向きは何がどうなっているのか?

もう1回チラシを見ると、地磁気逆転層は火山灰よりも下で、上には中間層、その上方は現在と同じ地磁気の向きとある。
その説明を見て、いやいや、地磁気逆転層は上のほうじゃないの? と思ったが、下が地磁気逆転層という。
いやおかしいでしょう、だって77万年前以降の「チバニアン」時代の地層はとうぜん、火山灰層より上で、下はそれより古い「カラブリアン」層なのだから。
と思ったがこれも、筆者の思い違いにすぎなかった。後で調べて気づいた。
なぜなら、「チバニアン」は、77万年前の地磁気逆転を画期としてつけられた名称で、チバニアンの期間自体は、現在と同じ地磁気の向きだったから。

なるほどそういうことか。
ということはつまり、これがチバニアンかあ、と思って眺めるこの岩壁(千葉セクション)は、大部分がカラブリアン時代の地層を見ていることになるのだった。
地磁気の逆転、確かめられるかと思って方位磁石を持ってきたが、なぜかコーンで仕切られ立ち入り禁止となっていて、これでは空振りやん(カラブリアン)。
などとダジャレも出て苦笑。

方位磁石を近づけると火山灰層を機に逆転したりして、それが分かるという、肝心の部分が試せない。
これでは、現場近くには来たが肝心なところを見ずに帰るという、徒然草に出てくる仁和寺の法師状態。
何事にも先達はあらまほしきことなり。

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チバニアン下流の手掘りトンネル

そこで岩盤よりも下流に行くと、上の写真のような手掘りトンネルがあって支流の水が流れ出ている。

先ほどの地磁気逆転層の説明看板をよく見ると、この支流一帯はちょうどチバニアンの岩盤の裏側にあたり地磁気逆転層が良好に見られるという。
しかし、このウオータースライダーのような岩肌をのぼるには少なくとも長靴が必要だろう。というわけで遡行は断念。

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方位磁石も一応ためしてみる

方位磁石を岩に近づけたりしてみたが、針が動いたような、そうでないような。。。
楽しみにして来たのだが、、先達がほしい。

というか、チバニアン認定をめぐる研究者間の対立が早く解決され、誰でも岩盤で方位磁石をかざせるようになってほしいものだ。

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柔らかい岩

ここで視線を下におろし河原の岩を観察。
岩は、たいへんもろくて、爪でひっかいても線が引けるくらい。

まあこれだけ、柔らかかったら、削られるのも早そうだから、この養老川のU字型の谷が深くなっているのも無理はない。
滋賀県でいえば、粘土がちな古琵琶湖層を流れる杣川沿いに似た感じ。

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生物跡のような模様

石を見てみると、何やら生物が這った跡らしきものや貝殻が。
やはり海底の泥が固まってできた岩のようだ。

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観音堀りの永昌寺トンネル

近くには明治時代の手掘りのトンネルもあった。
こういう形を観音堀りというそうだ。坑内の照明が後光のようにも。
房総半島は、柔らかな岩でできているみたいだ。
アップダウンの田園山林が展開された地なのだが、雨のため風景観察はせず。

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運行再開が待たれる月崎駅

月崎駅前のショップで、小湊鐡道グッズを買う。
こんど来るときには乗ってみたい小湊鐡道。

食堂で甘目の親子丼を食べたのち、関西よりも10分くらい早い夕暮れの中、千葉市の美術館に行き展覧会を見た。
たしかに「はっきり」一瞬、認識のゆらぎが生じた「わからない」光景。

チバニアン体験を通じたしかに、展覧会も印象深く。

チバニアン(の地層)では、ただの岩盤がちがうものに見えた体験を味わった。
日常にはいろいろと、わからないことが潜んでいるんだなと、千葉に来て思った。

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〈おまけ〉展覧会場外の柱に貼られた、来場者シールの「地層」


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2019年12月10日

北勢パークアンドライド周遊(下)

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西桑名駅の看板

朝から、鈴鹿峠を越え、三重県の北勢地方を走る三岐鉄道北勢線の駅に駐車、同線に乗り、終着の都市・桑名に着いた。
そこは木曽三川河口の城下町で、広大な水辺が広がっていた。

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遠見遮断の角にハマグリ名産店

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マンホールにハマグリ君たち

「七里の渡し」跡から、船をおりた旅人の気分で京方面へ歩くと、仏壇店、刃物店、ふとん店などがならび、寺院も数多く、往時の繁栄がしのばれた。
街道が3回も鍵型に曲がる印象的な辻に名産ハマグリしぐれ煮の本店があり、ここが町の重要な地点であることが知れた。

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DSC_9703 手すり-.jpg
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金属手すりいろいろ

乗り鉄旅の目的地として桑名に降り立ったが、歩いてみると結構楽しい。
そうするうちに正午を過ぎたので駅まで戻った。
ビル等に金属の手すりが目立ち、歩きがてら佇まいを観察。

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昭和を感じさせる駅前ビル入り口

駅に隣接して昭和を感じさせる商業ビルがあり、2階の飲食店街のうどん屋に入った。

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昼食の中華そば

そこは多様な麺類を出す店で、中華そばをたのんだ。
コシのある麺が意外にも結構おいしかった。600円とリーズナブル。

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レール幅の広い近鉄電車(近鉄富田駅)

桑名から近鉄で4駅、近鉄富田へ。
近鉄のレールは広くて、新幹線と同じ1435ミリ。
乗ってみると、先ほどの三岐鉄道北勢線(レール幅762ミリ)よりも、断然安定感がある。
枕木がコンクリ化されているのか、継ぎ目のガタゴトも感じない。横揺れもあまりない。
大手私鉄のメーン路線は平滑だった。

近鉄富田で下車。ここで三岐鉄道三岐線に乗り換え、丹生川まで乗る。

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地下道をくぐり、3番乗り場が三岐線
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沿線案内看板

三岐線乗り場は、近鉄線ホームの一角にあった。
近鉄から下りて、そのままホームに向かったが、切符を買うにはいったん改札を出なくてはならない。

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三岐線の車両

切符を買って戻ってきたら、電車は入線していて高校生の集団がいた。
1時間あたり2本くらいの便があってけっこう頻繁に走っている。
黄、オレンジ、銀色の配色がリズミカルな三岐線の車両。

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硬券の切符

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車内

3両編成の電車は6駅目の保々で車両交換となり、以降は2両編成の電車で進む。
三岐線のレール幅は1067ミリで北勢線とも異なり、JRの在来線と同じ。
きょうは1日で3種類のゲージ(762ミリ、1067ミリ、1435ミリ)を体験した記念すべき日に。

三岐線の車両、西武鉄道のお下がりで、同じく西武のお下がりが活躍する近江鉄道に乗っているかのような錯覚を起こす。

なぜこの農村地帯に2本もローカル私鉄が走っているのか。
それは、先に軽便鉄道の北勢線が開業し、そののちに貨物鉄道の三岐線が敷設されたという。
藤原岳が全山石灰岩でできているので、これを貨物鉄道で運びたいが、軽便鉄道では無理だったので、新たに鉄路を敷く必要が生じたからだという。ウィキペディアで学んだ。
員弁川をはさんで両岸に線路が並走しているのは、以前から不思議に思っていたが、鉄道ファンにとってはぜいたくな光景だ。

近鉄富田駅を出発した3両編成の電車は、6駅目の保々で車両交換を行い、同駅からは2両編成に。
8駅目の梅戸井から川筋がかわり、員弁川の右岸沿いに出る。
北勢線と三岐線は地図で見ると「ハ」の字型になっていて、北上して終点に近づくほど両線が近接している。
丹生川駅の対岸には麻生田駅があり、地図上では2キロも離れていない。

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丹生川駅に着いた

10駅目の丹生川で下車。
出発時は車両を埋めていた高校生もほとんどいなくなった。
電車は藤原岳の麓に吸い込まれるように消えていった。

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貨物車両もある丹生川駅

いまではJR各駅から消滅した貨物の引き込み線があって、タンク車が止まっている。

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島式ホーム

ホームは駅舎と離れていてレールをまたいで渡る島式ホームだ。

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花壇がお出迎え

駅には地元のご夫婦が花を育てており、中も外も、よく見たらホームも、花いっぱい。
窓の中にも温室があるっぽい。レトロなフラワーガーデンとしての趣が生じていた。

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「まんぼ」の案内看板

さてここから寄り道して、「片樋まんぼ」を見に行く。
まんぼ、それは北勢地域にある、農業用水のための地下水路だ。
扇状地が発達する同地域では江戸時代の新田開発で田んぼの水が不足することがあり、地下水路を掘って水を確保したのだという。
丹生川から東方向に10分あまり歩くと、上の写真のような目立つ看板があった。
車のドライバーを意識しての大きさのようだった。

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まんぼへの入り口

集落の一角にそれはあった。

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地下に下りていく

地下に下りると、人一人が通れるくらいのトンネルがある。
電灯をつけることができ、スイッチを入れて撮影。

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地下水路。水は流れていない

地下水路の壁は、砂や礫でできていて、まさに扇状地の土質だ。
これを人力で約1キロ掘ったのだというから、たいへんな苦労だったろう。
しかも、たびたび落盤、使い物になったのは明和末期の供用開始から数年後、安永4(1775)年のことだったという。

ところで、水が流れていないので、もう使われていないのかなと思っていたら、近年の農地改良工事の影響で水量が減り、渇水期の11月〜3月は水が流れないと説明板にあった。

先月、見学した三重用水など、農業水利の問題は一定の解決を見たのだろう。
それでも江戸時代の地下トンネルが、いまでも現役だから、240年以上にもわたって使われていてすごいことだ。

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青川

歩をすすめて、大きな支流である青川と員弁川との合流点付近に出る。
青川の石はほとんどが白っぽい石灰岩。
それで水が青く見える、なんてこともあるのかも、と勝手な想像を浮かべる。

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員弁川からの藤原岳の眺め

員弁川から藤原岳を眺める。
右岸には高速道路が建設中で橋脚並ぶ。いずれは、同地を走る鉄道がなしえなかった三重と岐阜とを結ぶ「三岐道路」開業となるだろう。
そうなるとだいぶ地域の風情もかわってしまうような気もするが、それも時代の流れか。

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川の対岸を走る三岐鉄道北勢線

員弁川の対岸を見やると、小高い場所に、黄色い3両編成の北勢線が、ゆっくりと走って来た。
ゆっくりなので、田園にガタゴト音が響いてから、カメラをリュックから取り出し、構えて、鉄橋を渡るところを撮ることができた。
目指す麻生田駅はこの写真から左方向にある。

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駅の手前。背後の林の段丘の上に駅がある

駅は小高い河岸段丘の上にあり、坂道をのぼっていくことになる。
林が開けた場所があれば、電車と集落のいい絵になりそうだ。

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坂をのぼっていくと、向こうは線路

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登り切ったら駅出現(午後3時ごろ)

坂を登ると、そこには麻生駅があって、植込みや雑木がまじった陰に電車が顔を出した。
絵になる電車。今度は撮り鉄旅がしたくなった。

駐車場に戻ったのは、停めてから約5時間半後の午後3時すぎ。
鈴鹿山脈の向こう側、三重県に出て、晴れ渡る空のもと乗り鉄旅を楽しんだ半日だった。

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北勢パークアンドライド周遊(上)

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カーブの向こうから電車が現れた(午前9時47分ごろ)

名神の八日市インターから八風街道を行き、滋賀・三重県境の石槫(いしぐれ)トンネルを抜け、三重県の北勢地方に出る。午前9時すぎ通過したトンネル手前の気温は5度。紅葉はさすがにシーズンをが終わっていたが朝日を浴びた鈴鹿山系がきれいだった。

9時40分ごろ、三岐鉄道北勢線の始発からふた駅目、麻生田(おうだ)駅に着。
無料の駐車場に停める。

今回の目的は北勢線に乗ることだった。
調べたら同線では各駅に無料駐車場が設けられていた。
これを利用してのパークアンドライド行を思いついたのだった。

こういう場合、始発駅の阿下喜(あげき)から乗るのがきれいだと思うけど、駅横の踏切に風情を感じて麻生田から乗ってみることにした。
ホーム横の踏切の情景も良いから、同駅に電車が到来する様子を見たくもあった。

何年か前までは近鉄の支線だったためか、ローカル線ながら自動改札機。
終点の西桑名まで490円。

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ちいさな車両

停車と同時にがーっと開扉。
北勢線は軽便鉄道で、車両は、筆者がふだん見知ったJRのよりもだいぶ小さい。扉に頭がつかえそうだ。
停車はごく短く、わずか10秒で発車。こうした工夫で所要時間の短縮をはかっているようだった。

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林間をゆく

軽便鉄道なのでスピードは出ない。
車両は割と新しいが、がたがた揺れて、モーター音もうなり、がんばって走っている感。
カーブのところでは止るんじゃないかというくらい注意深く徐行する。
でも、景色を見るには最適だ。

見晴らしのいい高台の上を走っていて、田んぼ越しに藤原岳等の眺めが良い。
また、ゆっくり走るから、民家の庭の造作などの観察も興味深い。
車窓の風景は、伝統家屋の集落から、ハウスメーカーの住宅になり、工場も現れ、と次第に市街地に近づいていく。

西桑名に着くまでの11駅で、客が乗り込み、平日の午前中ながら1両に10人以上の乗客がいて、立っている人もいた。

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終点の西桑名に着いた

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西桑名駅の改札と電車

約40分の電車の旅。
軽便鉄道は、電車に乗っている感がひときわ強く感じられ、すっかり満足。
などと余韻に浸っていたら「カメラ忘れてますよ」、と対面の乗客男性から声を掛けられる。リュックに入れず座席に置いたままにしていた。またこうした不注意による失態をおかし危ないところだった。

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駅を出たところ

駅を出ると、バスターミナルがあり、上の写真では右奥のほうに進むとすぐそこにJRと近鉄の桑名駅がある。
桑名に降り立ったのは初めて。
人通りも割とある。

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船が止まっている濠

とりあえず桑名城址を目指す。
歩くことおよそ15分。
城の濠の静かな水に、船舶が止まっている。
うーん、海べり・河口の町だ。

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いろいろな橋

欄干に波模様などのデザインや、朱色の橋、コンクリート橋など、いろんな趣向の橋が濠ぞいに掛かっている。
濠の中ではボラの子の群れが波紋を立てる。

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魚をくわえるカワウ

とそこに降り立った黒い大きな鳥。カワウだった。
以前、鈴鹿市の白子港でも見かけたが。このあたりのカワウは、知多半島に一大コロニーがあるというが。そこから来ているのか。
カワウ、水中に潜って、魚を追い回す様子が橋の上から観察できる。
見ていると水中を右や左、あるいは円を描くように泳ぎ回って、浮上したと思ったらくちばしの先に魚をくわえている。


ボラみたいなやつはスピードもそれほどではないと見えて、なすすべもなく食われまくっていた。
泳ぐのが早い琵琶湖の鮎さえ、食われまくられて被害が出ているからカワウ恐るべしだ。

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桑名城址の説明板

濠で取り囲まれた桑名城の案内があった。
東海道「七里の渡し」の渡し場がすぐ脇にあり、海上交通を見張るかのような場所に立っている。
現在は公園となっていて、無料で入場。

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濠と松、紅葉

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集められた落ち葉と猫

遅い紅葉がまだ残っていて、松の緑とコントラストを成している。
落ち葉も集められて冬支度のようだった。

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ハシビロガモのつがい

カモが飛来していた。ここのカモは、餌付けでもされているのか、近づいても逃げない。
くちばしがへらのように幅広いハシビロガモのつがいが見られた。

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ボラもいて

大きなボラも、コイといっしょに泳いでいた。福井県の小浜漁港で見たボラは、10メートル以内に近寄ろうとすると逃げたのに、このボラは逃げない。

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長良川河口堰

城跡を出て、「七里の渡し」跡に向かう途中、広い河原に出ると、見えてきたのは長良川河口堰だった。
そこは近代土木工学の世界だった。

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七里の渡し跡。奥の建物は蟠龍櫓

江戸時代の東海道の海上ルート区間の船着き場「七里の渡し」跡は、揖斐川の堤防に囲まれていて、往時の姿を想像するのは難しかった。

でも、水がある分だけ、完全に陸地化している琵琶湖の「矢橋の帰帆」の船着き場跡よりは、当時の姿に近いのかもしれない。
海抜がほとんどない大河川の河口付近だけに、江戸時代のような堤防なしの陸地のままでは、巨大台風が毎年のように襲う21世紀のこんににち、安全面で問題が大ありだろう。
江戸時代は、その辺の水害は大丈夫だったんだろうか? 

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櫓の誘い

渡し場の隣では、蟠龍櫓(ばんりゅうやぐら)の扉が開いて、来訪者を招いているようだ。
コンクリート製の水門管理施設だ。
もともと江戸時代に櫓が立っていて、船で行きかう旅人のランドマークだったという。
その眺望はいかに…と登ってみたが、ガラス越しには長良川河口堰が見えていた。(つづく)

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2019年11月15日

北勢周行

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秋の鈴鹿山脈(鞍掛峠付近・午前10時半ごろ)

朝、冷え込み紅葉が進んだ。
八日市の投網店に修理に網を出す。
その後、鈴鹿山系を越えて、北勢を周遊。
国道306号線の鞍掛峠付近は、5月末とは打って変わっての秋景色。平日にもかかわらず登山客の車が多数、トンネル出口の駐車場にあった。

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犬上川上流の河原

滋賀県の湖東を流れる犬上川。
かつて、100万年前に鈴鹿山脈が隆起する以前は、いまとは逆の方向に流れて三重県側から海に注いでいたという。
鞍掛峠をはさんで東側にも深い谷があって、地図を見ていると、かつては一筋の谷川でつながっていたんじゃないかということをほうふつとさせる。

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犬上川上流のチャート(堆積岩)の露頭

犬上川の上流で見られるのがこの、赤い色をして白筋もまじる堆積岩、チャートの露頭だ。
これは、いまから1億6000万年前ともいわれる古生代に、放散虫というガラス質の殻をもつ小さな生物が深い海底に堆積してできたといわれる。赤いのは鉄分だそうだ。

今でこそ深い山の中なのだが、古生代には太平洋の底だったことを物語っているという。
いっぽう、6月にものぼった御池岳や、藤原岳、霊仙山といった鈴鹿山脈の山々は石灰岩でできており、こちらは古生代の浅い海(サンゴ礁)だったという。

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黄金大橋。員弁川両岸の河岸段丘面を渡している

さあ、坂を下りて北勢の地に出た。
川よりだいぶ高くかかる黄金大橋の上流に行く。

もし犬上川が三重県側に流れていたとすれば、この谷筋を通っていたはずで、チャートの石が石灰岩地帯を下流へ通過し、このへんでも見つかるだろう。

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鞍掛峠の東側、員弁川水系の河原

ということで、鞍掛峠を下り、急坂を下って「黄金大橋」に出、そこから河原に出てさかのぼると、鞍掛峠の東側に谷を掘る川に出た。鈴鹿山系から出た白っぽい石灰岩が目立つ。


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河原に転がる赤いチャート

その中にはチャートも転がっていた。
しかし、よく考えると、この石の層が鞍掛峠の東側にもあるかもしれないので、これだけでは、犬上川が東流した証拠になるのだろうか。
もうちょっとよく考えないといけない。

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中里ダムの人工的な水風景

車でさらに10分、中里ダムに出た。
駐車場からすぐにダムサイトに出ることができる。
えんえんとダムの直線が続く。
何か抽象的な風景だ。
この中里ダムは、員弁(いなべ)川水系上流の水を集め、農業用水「三重用水」を発して南下、幾筋かの川からも取水して、四日市のほうまで流す巨大利水プロジェクト。


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中里ダムによってできた「鈴養湖」。向こうは岐阜県だ

このダム、ほぼ岐阜県境の分水嶺付近にあって、流れ込む川というものが見当たらない。
なのにどうしてこんなに水が、と地図を見て思っていたが、岐阜県の牧田川からも取水しているというのだ。
員弁川のダムだからといって、員弁川だけの水にたよっているわけではないことに衝撃を受けた。

「鈴養湖」とは、鈴鹿山麓の農地を養うという意味だろうか。ダム湖なのに山に囲まれた感が少なく、空が広がっている風景は独特だ。。

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ダムの下流方向

堰堤の下もなだらかで、階段で下に降りることもできる。
三重県最北部の員弁川上流部は、段丘が発達して、アップダウンが多い地形。

先日、かこさとしの科学絵本「かわ」を見て、川を上流から下流まで眺めたいという気持ちになった。
この員弁川は、上流部から下流にかけてずっと適度なアップダウンがあって見晴らしがよく、ダムや変電所などの施設もあるから、川の勉強には丁度よさそうだ。

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白滝。岩盤に筋が入っている

員弁川の谷の左岸、養老山地の西麓には滝もある。
川原地区から、同川支流・田切川をわたった山のふもと。
山の東麓にはあの有名な養老の滝があるが、あちらのほうを「雄滝」と呼び、山の反対側にあるこちらの滝は「雌滝」、または裏滝というのだそうだ。細い滝がまっすぐ落ちている。

よく見ると、滝の中腹に層状の固そうな岩盤があり、これはチャート層のようだった。
というわけで、鈴鹿山脈をはさんで三重県側にも、チャート層が存在するから、さきほどの河原でチャートが見られたからと言って、犬上川が東流していた証拠とは言えないのではないかということになってくる。

もっと滋賀県特有の湖東流紋岩などを探すべきだった、と後になって反省。

鈴鹿山脈の石灰岩地帯を取り囲むようにチャート層が存在しているのか。
深い大洋に囲まれた浅いサンゴ礁があった様子を想像してみる。

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白滝のとなりのお寺に、南北朝時代の宝篋印塔も


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午後の木漏れ日

辺鄙な山里、と見えて、奈良時代に開かれたという古刹も。
川原越えといって、養老山地を横切って東麓に出る道の入り口も付近にあり、古代から人の行き来があった場所のよう。

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送電線と丘陵地

いたるところに河岸段丘があり、山林と田んぼ、川、低い山を組み合わせた景色が、少し進んだだけでいろんなバリエーションを見せる。
この地形に着目して、大規模な自転車の大会が開かれているらしい看板も目にした。
芸術祭で有名な新潟県の妻有地方の景色にも、高低差や規模は違うが似ている気がする。アートイベントにも向いているのではないだろうか。

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藤原岳

鈴鹿山系の山並みが見渡せる場所を探し回るが、高台はだいたい山林に囲まれていて、見晴らしのいい場所を探すのに手間取る。
とある集落の坂道の途中から、藤原岳(1144メートル)を臨む。

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阿下喜駅に保存されている車両

そして三岐鉄道北勢線の終着駅、阿下喜(あげき)駅に向かい、ナローゲージの車両を見た。
線路幅が762_しかなく、たしかにレールや車両の幅が狭い。

員弁川沿いには、東岸と西岸に、それぞれ鉄道が走っている。
大きな都市があるわけでもないのにと思っていたが、訪れてみると、かつての北勢町の中心部、阿下喜地区は、そこそこの規模がある町だった。
員弁川が流路を迂回する広い高台の上にあって、洪水や土砂崩れの心配もなく見晴らしも良い一等地にあることがわかる。
阿下喜駅は高台から降りた川のたもとにある。


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近代化が進んだ駅構内

時刻表をみるとあと数分で電車が出発するらしい。
ここはひとつ、「眼鏡橋」に先回りして、写真を撮ってやろう。
軽便鉄道は速度が遅いのをいいことに、にわか撮り鉄となる。

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明智川にかかる眼鏡橋

ところが意外に道路は、信号があったりとか足止めを余儀なくされ、眼鏡橋に着いたと思ったら、もう踏切が鳴っていた。
動画も撮ろうとしたが、そうすると静止画が撮れない。いや同時に撮れたはずだが、などと慌てて、結局渡るところが撮れなかった。

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コスモス畑を黄色い電車がゆく

田園風景をゆく鮮やかなイエローの電車は絵になる。
ゆっくり走っているので、撮りやすいのもいい。
行ってしまったと思ったら、ほどなく反対側から、阿下喜行きが近づいてきた。

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眼鏡橋を通過する電車

ここは有名な撮影スポットらしく、路上駐車や私有地の立ち入りを禁ずる看板があった。
撮影にあたっては、いいアングルで撮れるポイントとか時間帯等を、よく調べてから行く必要があると痛感した。

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藤原岳をバックに

後半は撮り鉄一色になって、前半の地質学はどこかに行ってしまった。
きょうの周行をまとめるとどういうことになるか。

人工的なダム湖に、滝や藤原岳、段丘がつくりだす自然景観、軽便鉄道、地形に呼応した集落や、古い寺院や神社といった人の暮らしが息づいて、三重県北端は、絵になる風景がいっぱいだ。
もしこの地域一帯で芸術祭を開いたら、景色もいいし、交通手段にはローカル鉄道もあって、なかなか楽しいのではないか。
そんなことを思った。








posted by 進 敏朗 at 00:33| Comment(0) | 水辺を見る(滋賀以東) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年06月09日

御池岳のドリーネ

国道307号、鞍掛トンネル三重県側出口(午前9時ごろ)

鈴鹿山脈の最高峰、御池岳(1247メートル)に登る計画を立て、計3人の登山隊で
実行する。

御池岳の山頂部にはドリーネと呼ばれる窪地があって、池になっているという。
筆者は山を登るのが苦手だが、ドリーネが見たいという思いを抱いていた。
ついにそれを果たすべく犬上川の源流部を抜け、駐車場に降りた。

トンネルを出てすぐの駐車場は午前9時前で、あと3台分くらいのスペースがあった。
東海地方や関西、北陸方面のナンバー並ぶ。

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晴れ渡った山並み(5月30日)

鞍掛峠は3年前から、土砂崩落で通行止めが続いていたが、この5月末に開通となった。
駐車場や登山口等の下見のため10日前に訪れた際は、上の写真のように晴れ渡ってまるで山が輝いているようだった。

しかし、決行日はあいにくの曇天、途中からは雨が降り始める悪天候。
近畿地方はまだ梅雨入りしていないという気象庁発表に一縷の望みをかけたがかなわなかった。

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鞍掛峠付近からの三重県側の眺め

まあ天候はどうにもならない。雨への備えを絶対に怠らぬようにと、山行に熟練した友人Sから口酸っぱく言われていた。

さて、駐車場の海抜は625メートルで、山頂までの高低差は600メートルちょっと。
筆者のようなふだん運動不足気味の登山に慣れない人間にはきついが、いきなり標高600メートルを超えた地点から登り始められるのはボーナスポイントだった。

まず登山口から東方向に、トンネルができる以前の鞍掛峠(791メートル)まで、斜面をジグザグに登る。
けっこうな坂道で、もうここで萎えそうになる。

峠の交差点で、下山してくる祖父祖母孫の5人連れに出会い、谷沿いはヒルが出たことを知らされる。
鈴鹿の山々はヒルがよく出るということだったがそれが実証された。

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白い花

平地にはないいろいろな植物がみられる。
この白い花は、なんだろう。小さな多数の花が長さ10センチの棒状に密集している形が面白い。

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バランのようなバイケイソウ

幅広くて筋の入った葉っぱがバランのようだ、と言い合っていた幅広くて筋の入った葉っぱの草が多数。
これはバイケイソウというユリの仲間の植物で有毒のため、シカによる食害を免れ勢力を広げているという。

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サトイモ科の花

これはサトイモ科の草でテンナンショウの仲間。山頂付近で見かけた。
などといろいろな植物にも見入る。

倉掛峠からは坂はゆるやかになって、尾根沿いを南方向に進んでいく。ガスにけむる。
「こっちは三重県側?」と右側を指して尋ねる。「違う。左が三重県側」と、何度も指摘される。

筆者はなぜか北方向に歩いていると勘違いしていた。方向感覚がうとく、一人で山行すれば遭難は確実だ。

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コケ園

日差しを遮るものがない広い原に、コケがびっしりと生えている。
年がら年中、湿気に恵まれているのか。コケを観察するにはいい日だ。

もしかするとシカがもともとあった草を食べつくしてこうなったという可能性もあるか。

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イオウゴケ

赤い花のようなものがついたコケもあった。イオウゴケという。

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鈴北岳。テーブルランドに至った
何度か休憩して、鈴北岳(1182メートル)に着。
ここから御池岳の一帯は、平たくなだらかな土地が広がっている。
100万年か200万年前に鈴鹿山脈が隆起をはじめる以前、滋賀県と三重県側の境には山がなくつながっていた。
その時代の平地の名残りをこうしてみることができるのだった。

この南北2キロくらいもあるテーブルランドの各所に、ドリーネが見られるという。

ドリーネ、それは石灰岩を雨水が侵食してできる窪地。
それが地下まで侵食していくと地中に空洞を形成する場合もある。
御池岳では、ドリーネに水がたまった池がみられるという。
水辺ファンとしてはそれが見たくてここまで来た。

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水のない窪地は多数

山頂部に案内板があるかなと思っていたところ、ステンレス製のふたのない箱のようなものが地面にボルトでつけられている。
その上部に案内板が据え付けられていたと見受けられたが、どこかに吹き飛ばされている。
不案内な中、山行に熟達した友人Sの読図により進む。

鈴北岳付近から先には、直径数メートルから20メートルくらいの窪地はいたるところにあったが、どれも水がなかった。

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雨に溶かされくぼみができる石灰岩


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ドリーネ出現

テーブルランドを歩き、ついに水のあるドリーネ出現!
直径が30メートルくらいの円形で、地面に穴が開いたように窪んでいる。

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モリアオガエルの卵

水は茶色くて、透明度数十センチ。
カエルの鳴き声が盛んにして、池上の木には、泡状のモリアオガエルの卵がいくつもみられた。
こんな山頂にまでカエルが進出していることに驚く。


池の中には、茶色い色をしたカエルが頭を出していた。アカガエルだろうか。

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樹上の蛇

そして別の木では、シマヘビがじっとしている。
カエルを狙っているのか。

ドリーネの自然満喫。
標高1200メートル近く、わずかな池をめぐって、生き物の生き様が繰り広げられていたのだった。

帰って地図を調べると、この場所は真ノ池ではないかと思われた。
「元池」の案内看板も見たが、結局場所が分からず。


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御池岳山頂(午後12時40分ごろ)

山頂についたのは12時40分、登山開始から約2時間半後だった。
すっかりガスに覆われ、眺望は得られない。

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山のウインナー

この日同行したNさんが、持ってきたガスボンベと調理具、ウインナーが登場、ごちそうになる。
気温が15度もない涼しさの中、温かい食べ物はおいしかった。

暑いかなと思って水を凍らせて持ってきたが、この日の天候では不要だった。

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絶景ポイント「ボタンブチ」付近

高低差が約500メートルもある、切り立った絶壁になっている「ボタンブチ」。
筆者は高所が得意でないので、見えなくてよかったホッ、という気持ちも。でも絶景だっただろうという残念感も。

天気がよかったら、テーブルランドめぐりをし、隆起する以前の大地について思いを巡らしていたかったが、雨で古い合羽には水が浸透、ぼちょぼちょになり、申し訳ていどにボタンブチなど一巡すると、もう下山したい気分だった。

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化石。ウミユリの断面?

友人Sの「化石ではないか」との指摘に下の岩を見ると、グレーの石灰岩に、白いものがついている。
これもあとで調べたらウミユリの細長い茎のような体を割った断面の形のようだった。ここらの岩は、1億6千万年前のサンゴ礁だったという。

下山したら4時20分。下りは雨に濡れて、滑りそうになったりと大変だった。
すっかり雨に打たれ6月というのに寒くなった。帰り道、車の暖房をマックスにしたがいっこうに温かさが感じられない。他の2人の同乗者は暑いといい、どうやら防水の不十分な合羽を着ていた筆者だけがすっかり体が冷やされ、低体温症のなりかけの状態のようだった。帰宅して風呂に入り蘇生した。
まあ大丈夫だろうと思って着替えを持っていかなかったことは反省点。

天候には恵まれなかったものの、山上の池、ドリーネを見るという希望は達せられた。
しかし、見れた池は一つだけで、ほかの池も何カ所か見て、山頂のドリームランドならぬドリーネランドを体感できなかったのは残念。
ここまでの山登りになると大変だが、見残したものもいろいろあるため、機会があればまた天気が良いときに登りたい。

posted by 進 敏朗 at 12:10| Comment(0) | 水辺を見る(滋賀以東) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする