2026年02月04日

立春紀行(下)

池めぐり

立春のこの日、三重県南部の花窟神社前にて日の出を拝み、そのあとさらに南下した。

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訪れた一帯の地図

熊野市から南に進み、御浜町との境となっている川がある。
その付近の海近くに、池がいくつかある地帯がある。
これは、水辺のいい景観が広がっているのではないかと、以前から地図を見ていろいろ思っていた。実際はどんな所なのか。

みかん園

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ゆるやかな起伏のある土地に広がるみかん園

平坦な沼沢地を想像していたが、そこはみかん園の広がるなだらかな丘陵地だった。
やはり地図を見ただけではわからない。
御浜町はみかんの一大産地だった。
地図の中に見られる最大の池「志原池」(地図に表記がない)を訪れた。
長さが1キロ近くありそうな大きな池だ。
水路を通じて、北東の「大前池」とつながっている二連の池。

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池のほとり

池は少雨の影響か、水位が低下していた。
水際は泥や砂ではなくて礫の浜となっている。
水鳥もたくさんいる。

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南東方向を見る

左に折れた「Y」字は、霞ケ浦にも形が似ている。
または2本の角を出したナメクジかウミウシとでも形容できそうな形。
その左側の角の先のあたりに下り、南東方向を眺める(上の写真)。
奥のほうはさらに右側に池が広がっているのだが見通せない。
注目したい点は、地上の部分とけっこう高低差があって、陸地が隆起し、池の部分は陥没しているのではないかと思わせた。
おととしの春おとずれた浜名湖や佐鳴湖周辺の地形とも似ているような気がした。

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はや梅が咲く

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志原川左岸のヨシ帯

ヨシ帯の先に、志原川と志原池出口との合流地点があり、そこまで行きたかったが遠くて、イバラのトゲ等に心折れ断念。

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旧道の橋

河口がつながっていない川

さらに下流の旧道の橋に至る。
コンクリートの骨材も粗い石でできている。

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旧道の橋の下部。潮の逆流を防ぐ門という

橋の下部には、樋門があって、海からの潮流が逆流してくるのを防ぐための門だという。手動式のようだ。
ここから海までは近い。河口はどうなっているのか。

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積みあがった砂利。中央右の地平線上の人物とくらべるとスケールがわかる

志原川は延長10キロにも満たない二級河川のはずだが、その割に河口付近の川幅は広い。
浚渫されているのか両岸に土砂が積まれているが、その上を歩く人が点のように見え、とんでもないスケールだ。


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丸石が続く浜

砂利というか、丸い小石が無限に続くかのよう。
シュルレアリスムの画家タンギーの絵「個の増殖」を想像。
石が敷き詰められた神社の境内のようでもある。
この多量の石はどこから供給されるのか。

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海の寸前で途切れた川

サア河口だ、と思ったら、川は海まであと数メートルというところで途切れ、海に注がないまま終わっていた。
樋門のところでは流れ落ちる水が確認できたので、この粗い丸石の底に水が吸い込まれていくのだろう。
粗い丸石の河口の風景は、泥干潟のハゼ釣りポイントなどを想像していた私には想像を絶する粗い風景だった。
いま潮が引いているのかもしれないが、海と川尻との間に積みあがった丸石は高さ2メートルくらいあり、容易には水が貫けない雰囲気。

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ここまで流れてきたが

あらためて冒頭の地図を見ると、確かに川と海はつながっていない。
しかしこのままだと、大雨が降った時には排水できず、川や池の水位が上昇し、内水氾濫を起こしてしまうのではと思ったが、いまが水位が低いだけで川の水位が上がっても大丈夫なようになっているのか。
海につながったらつながったで、暴風雨の際には海水が池に逆流するというから、それよりはふだんは川がつながらないようにしてあるのかもしれない。
水はけはよさそうなので、地下から水が海に抜けていくだろう。
巨額をかけて水門を整備するかわりに、自然の作用による水の調節が図られているということか。

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鉄橋を渡る紀勢本線の列車

池めぐりなど

穏やかな天気に恵まれ、青い空が広がりどこを撮っても絵になる。
志原池の南側にもある蓑の池、壺の池も訪れた。

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みかん園広がる蓑の池。周囲が隆起し、池は陥没した土地のようだ

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「池大神」(蓑の池)の入り口

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神秘的な壺の池

壺の池は竜の伝承もある神秘的な感じの池であった。
どの池も自然堤防で海で仕切られる一方、周囲の土地は海抜10〜20メートルの台地となっていて、隆起した土地のようだった。
それは台地の土の中に、海岸で見られるのと同じ丸石が多数、ごろごろしていることからも確かめられる。
いっぽうで池になった部分は相対的に陥没している。
それがために、池畔には容易に近づくことができず、崖下の水面は神秘的な感じであった。

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みかん無人販売所

みかんの無人販売所が国道沿いなどに点在。
陽光を浴びて甘そうだ。

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もうエンドウが育っとる

畑ではエンドウ豆も高さ1メートル以上に伸びて花も咲き、土地の温暖さを物語る。

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春の日差しを受ける津波避難所

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海辺の林

また、このあたりには海岸沿いに幅100メートルほどの林があり、とてもいい感じだった。
わが故郷鳥取県にも海岸沿いに松林があるが、こちらの林はマツ以外にも多様な樹木がある。
林を通って海に出た際の感じがすばらしく、開放感があった。

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海辺の林を抜けた海岸の光景

熊野古道の松本峠から海の眺望を得る

さてここからは番外編であるが、目的の地を訪れた後、時間がまだあったので、熊野市に戻り、鬼ケ城の山の上から七里御浜の景色を見た。

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鬼ケ城の山や松本峠、熊野市の市街地

高い場所から七里御浜を眺めようという趣旨である。
標高153メートルということで、それなら1時間ほどで行って戻ってこれるかという行程であった。
熊野市街の東側から入り、熊野古道の「松本峠」から南に進むルート。

松本峠の入り口P2040258.jpg
市街地の一角に古道の入り口

市街地の一角に入り口の案内があった。

古道の入り口P2040259.jpg
路地奥に石段が始まる

その路地を進むとすぐに石段が始まっている。

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高台の町

熊野市の旧市街地は「木本(きのもと)」という町。
高台にまで家並みが連なっているのが印象的。車が入れない場所も多く、古い町の雰囲気。

熊野古道P2040264.jpg
石畳の道

石畳の道が続いていく。熊野古道は初めてだったので、石畳が敷かれてさすがだなあと思った。

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松本峠

松本峠に達し左折する。

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東屋

そこから歩くこと数分にして、東屋が出現。眺望ポイントのようだ。


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七里御浜の眺め

南側に広がる七里御浜を眺めた。
弓のような海岸が続いている。
浜近くまで突き出た画面右の山の先端が、早朝に訪れた花窟神社だ。
空がややかすんできたが、雄大な眺望が楽しめた。

漁村の光景 P2040275.jpg
漁村の風景

反対側にも眺望が開け、こちらはのどかな漁村の風景が広がる。
漁港から坂道に沿って集落が丘の中腹へと続く。

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松本峠の説明版

さて帰り際、松本峠のところに説明版があり、見ると到達した東屋は、まだ道の途中でその先にさらに展望台があったことを知る。
知らずに引き返してしまい残念だったが、見たい眺望は見れたのでこれはこれで良かった。

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急坂を下りる

帰りは、登り始めの路地のほうには下りず、家々の間の階段を下りて行った。
海べり急傾斜の町に春の日が差す。

こうして早朝の花窟神社での日の出観察に始まり、池地帯の地形河口探訪、熊野古道、みかんと、春の訪れの早い南紀の多彩な土地や産物を明るい日差しのもと満喫した1日となった。

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立春紀行(上)

立春の日の出を眺めに

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夜が明け始めた(午前6時20分ごろ)

立春は、この日を境に日差しが明るくなり、春が来るとされる節目の日だ。
これを記念しようと未明から出発して三重県南部を目指す。
とにかく立春、温暖な場所に行きたかった。

高速道路の深夜割引時間帯である午前4時までにインターに入り、マイナス4度などと表示された新名神で県境を越え、南に下がって約2時間。海沿いの「花窟(はなのいわや)神社」前に着いた。

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月がくっきりと

ここで日の出を待ち構える。
到着時には東の空が白み始めており、南西の方角には月がくっきりと出ている。

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まだ暗いご神体の岩

花窟神社は海べりにそびえる高さ45メートルの巨岩がご神体。
浜と岩との間に国道42号線が走るが、かつては岩からすぐに浜が広がっていたものと思われる。
まだ暗い闇に包まれている。
この岩が朝日を受けて輝く瞬間はどんなものだろうか。

水平線から昇る太陽と岩

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日が出る寸前の空

日の出(6時49分)まで約30分。
浜の堤防と波打ち際の中間あたりに立って観察していると、朝焼けの赤が濃くなり、溶岩のような輝きが見えた。

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日の出だ

岩のほうを振り返ると、中央に見える岩肌が照り出され、岩の窪みに陰が差す。
劇的に光るという感じではなかったが、真っ暗だった岩が照らし出されて白くなった。

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朝日を浴びる巨岩

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日が昇った

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朝焼けの浜

ドラマチックな朝焼けの光景だ。
立春をこのように迎えることができて満足度高し。

張りたての縄が上空に

続いて神社を参拝する。

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まだ薄暗い境内

樹木に囲まれて境内はまだ薄暗い。
すでに清掃作業の人がいる。
そして慣れた感じで手早く参拝を済ます地元の人も。

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くぼみの多い岩

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花が供えられている

花窟は最古の神社ともされる。
伊勢神宮など、神社の境内には石が敷かれているが、花窟神社では目の前に広がる広大な浜に天然の敷石が広がる。
岩、海、浜、日の出。シンプルな構成に力強さを感じる。

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巨岩から張られた縄

巨岩を見上げると、上空に縄が渡されている。
縄からは、平たい形をかたどった三つの旗のようなものがぶら下がっている。
私はその形から「送電線と鉄塔」を思い浮かべたがそれは違っていた。
これが、「太陽」「月」「地上」の三神をあらわす「旗縄」なのだという。
大自然への崇敬を感じさせる。
アースウインドアンドファイヤーなのか。

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縄についての説明

縄についての説明があった。
それによると、この縄はつい2日前、2月2日の例大祭で張られたもの。
その際には、170メートルある縄をまずは海岸まで綱引きのように大勢の人で引っ張ったうえで、境内に戻し結わえ付けるのだという。
縄は7本の細い縄をゆわえており、この7本の縄がそれぞれ風や海といった自然を象徴する神という。

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境内から出ると海から差す光がまぶしい(午前7時半ごろ)

縄がどちらの方向に張られているのかがわからず、清掃の男性に縄を巻き付けている柱の場所を尋ねると、
「道路のほうにありますよ」
とのことだったので、境内から外に出ると、海からの直射日光がまぶしい。
ちょうど真正面から光が差し込んでくる。
やはりこの朝日の昇る方角からも、ここが特別な場所だという感じを高めているのだろう。

角っこに石柱があり、ぐるぐると縄が巻き付けられていた。
その巻き方は左回りに7回半、そのあと右回りにと巻き付けられ、神話にちなんでいるという。
立春に備えて張られた縄であるので、まさにこの日の朝に見ることができてよかった。

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石柱に巻き付けられた縄

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縄が張られた全景

日の出から1時間もすると、ドラマチックさは消え平穏な朝の光景となった。
天候に恵まれ、日の出の光景が見られ満足な気分だ。
まだ午前8時。日帰りながらたっぷり時間がある。この後、一帯の地形を探索することにした。
(「下」に続く)

posted by 進 敏朗 at 12:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 水辺を見る(滋賀以東) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年03月09日

渓谷の補陀落

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伊賀上野駅

伊賀鉄道に乗車体験

三重県の伊賀地方、伊賀上野を訪れた。
伊賀上野駅までは自宅から車で1時間あまりで来て、駅前の市営駐車場(1日500円)に停めて伊賀鉄道に乗る。

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伊賀上野駅1番線の伊賀鉄道

改札を通り抜け1番乗り場を目指すと電車が止まっている。
JR関西本線と接続しているが専用の改札はない。
これに乗り三つ目の駅「上野市」を目指す。

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車内の様子

ロングシートとクロスシートが組み合わさっているがクロスシートの方は向きを変えられない。
ガタンゴトンと進んで旅情緒。数分間の旅である。

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伊賀盆地を流れる服部川(奥が下流方向


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上野市駅前の広場

駅に着いた。「忍者市駅」と改名されいている。
鉄道は城と城下町との間を横切り、駅前広場からは小高い山のお城を望める。
駅前の広場はゆったりと広くて豊かさを感じる。
電線も地中化されて景観もいい。
平成初め頃までは商店にも活気があったのではと思わせるような雰囲気。

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武家屋敷

目的地は武家屋敷で開かれていたアート展だった。
昨年12月にふき替えられたというかやぶき屋根が散髪したてのようにシャープだった。

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室内に展示された作品

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床の間の絵画

平成の初め頃までは家の人が住んでいたという武家屋敷は築200年との説明。
伊賀地方を拠点にする気鋭画家らの絵画や立体作品は見事で満足した。

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不思議な天井画(これは展示作品ではない)

盆地の水の出口を見る

さてここまでは、乗り鉄アート旅であったが、正午には伊賀上野駅に戻り、車に乗った。

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伊賀盆地の北側の山並み。向こうは滋賀県だ

平らな盆地の向こうに、高さが一様な山並みが連なっている。

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洪水から市街地を守る水門

まるで中国の城の楼門のような重厚な水門だ。
門より手前側が遊水地で、洪水の際はゲートを下げて遮断する仕組みとなっている。
トンネルの向こうには伊賀鉄道の踏切が見える。

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土手から見た城

土手から南側を眺めると城山が見える。
城山の向こうに城下町がある。
城下町は城山よりは低いが台地の上にあり、周囲の田んぼは低い土地となっている。
川が氾濫すれば水浸しになるのだろう。

盆地出口の渓谷

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岩倉峡

盆地の西端に「岩倉」という集落があり、ここで服部川は木津川と合流。
そこから先はさらに水量を増し、保津峡のような渓谷の景色となった。
これが岩倉峡という。

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川の合流地点の岩

しばらく進むと川の合流地点となり広い場所があった。
駐車場から河原に下りることができた。

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水流で削られた岩

花崗岩が水の流れで丸く削られ、甌穴(おうけつ)などができている。

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印象的な岩

川中に突き出た印象的な形の岩がある。
川の流れが増えたら、川中島のような景色になるのではないか。

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渓谷の景色

渓谷の景色は、流れは激しすぎず悠然として、ところどころで滝状に落ち込んで水音を発し趣があった。
ただ、水の透明度は低い。分厚い粘土層である古琵琶湖層が分布する伊賀盆地を流れてくるせいか。
上の写真のようなアングルで写すとわからないが、透明度はせいぜい2メートルくらい。
生活排水の影響もどれだけあるかはわからないが、もっと水が澄んでいればと惜しい気持ちに。

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澄んだ水の流れ込み

上流の補陀洛寺跡

ふと流れ込みを見ると、水が澄んでいる。
北側の山麓から流れ込んでくる水で、こちらは透明度が高かった。
この川筋の数キロ上流に「補陀落寺跡」というものがあり、気になったので行ってみることにした。

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鉄橋を渡る関西本線の列車

「宮谷川」をさかのぼること約500メートルで「湯蓋」集落に出る。
関西本線の鉄橋を列車が通過。

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那智川

昭和三十年竣工の橋にはなぜか「那智川」とある。
補陀洛寺跡はここから7、8キロ上流の山峡にある模様。

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丸々とした防火用水の金魚たち

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坂道を振り返る。伊賀盆地が山林の向こうに

滋賀県の信楽を結ぶ新たな峠道「伊賀コリドールルート」を登り、坂の途中に車を停める。
「天吹山の霊泉」「補陀落滝」とあったが、あまり見映えがせず省略。

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地蔵や五輪塔

滝の近くに、地蔵や五輪塔をまつる小堂があった。
昭和28年の山津波で流されたものを集めたという。

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補陀洛寺跡への道

さて、補陀洛寺跡はどこかとまごついていたが、先ほどの小堂から300メートル進むと、おかっぱ頭の後頭部をみせる人物が右手で「80m」と指し示す不気味な看板があった。

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石垣の跡

林道を入ると右側に、山の斜面をテラス状に切り開いた2段の平たい場所と、石垣の跡が見える。
ここに寺があったようだが、そんなに大きな規模ではない。

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寺の説明看板

そこに説明看板がある。
ここに説明がある高倉神社とはこの地点から約2キロ川の下流にある神社。
補陀落寺跡は説明によれば、熊野信仰が強まった鎌倉時代には存在し、16世紀末まではあったようだ。その間300〜400年間くらいか。
街道からの道案内の石標がたてられていたというから、そこそこ参詣者が訪れていたのか。
補陀落といえば紀伊半島の那智の滝から川を下って、海の彼方にあるという補陀落に赴く「補陀落渡海」を思い浮かべるが、この伊賀地方の補陀洛寺では、先ほど見た合流地地点の岩が、何か補陀落をイメージさせたのかもしれないと勝手に思ったりした。

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水上池

補陀洛寺跡から先の急坂を上りきると「水上池」があった。
シカに遭遇。山の上にも、仙境のような水辺が広がっていた。
乗り鉄アート旅から始まって、午後の時間は一転して山中の補陀落巡りとなった。


posted by 進 敏朗 at 22:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 水辺を見る(滋賀以東) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年03月01日

田中川干潟周辺

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田中川

三重県の田中川を訪れた。
先日訪れた鼓が浦の近くで5キロほど南。
近鉄の千里駅近くにコインパーキングがあり、南に歩くと田中川の橋に出る。

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広い干潟

田中川河口の右岸側には、広い干潟が広がっている。
潮が引いている時間帯。水が蛇行して河口へと流れている。
のびのびとした水の挙動を見やる。

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泥の上

泥の上には、小さな巻貝ウミニナがびっしりと付いていた。

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海岸

海岸に出ると、そこでは砂浜から水が染み出し、海に向かって流れができている。
満潮時に砂の中にたまった水が流れ出ているのだ。

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砂の文様

大地に降った雨が陸地を削って川をつくる。
水のふるまいを見てのびのびとした気持ちに。

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浜の大型植物

浜では、何やら見慣れない大きな植物がいくつも生えている。
リュウゼツランのようなまっすぐな葉で、とってつけたように花が出ている。

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大ぶりな花

花からは香りはしない。
こんな植物が唐突に海浜に生えていてびっくりだった。
後で調べたがユッカのようだった。
「青年の木」として売られている観葉植物だが、海浜にこんなに育つとは強靭な生命力をもっているようだ。

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ユッカ浜

原産地はメキシコはじめ、米国中央部の乾燥地あたりだという。
海浜の風景に、まるで荒野のような風情をかもしだす。こうして海浜の風景もかわってくのか。

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養魚池

干潟の陸地側には、養魚池があり、水が抜かれて多数の魚が跳ねているのが見えた。
双眼鏡を使い、これを撮影してみることにした。

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カメラのレンズに双眼鏡を密着させて撮影

だが、魚は動き回っているためうまく撮れない。
コイのようだった。もともと湿地であった場所を活用した養魚池と思われるが、今後は太陽光発電パネルを並べメガソーラーでもできるのだろうか。

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農地につくられたソーラー発電

養魚池よりも農地よりも、今はソーラー発電という時代になってきたようだ。

posted by 進 敏朗 at 21:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 水辺を見る(滋賀以東) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年01月12日

東京池雑感

石仏群PXL_20250112_033008454.jpg
目黒・大圓寺の池と石仏群

崖下や窪地にいい池ちらほら

上野の国立科学博物館へ「貝類展」を見に行った。
その前日、目黒付近で美術展を回る。
目黒駅から「行人坂」の坂道を下る途中、寺があり、崖面の下に池があった。
池は水をたたえコイ泳ぐ。
大圓寺のHPをみると、江戸時代初めに出羽の湯殿山から行者を招来し開いた寺で、「修験行人派」の僧が行き交ったから行人坂というのだそうだ。
武蔵野台地の崖面には水が出ている場所があると聞く。確かめてはいないがこの水もそうなのかも。

目黒川PXL_20250112_033517521.jpg
目黒川

約20メートルの高低差がある行人坂を西へ下りきったところに目黒川がある。
目黒川の流域面積は45平方キロメートル、長さ8キロ。
目黒川の河口部に品川があって、品川とは目黒川の別名だそうだ。
水は黄土色に濁って汚い。
東京は昨年12月、ほとんど雨が降らなかったというので、水が少なく汚濁が強まっているのかも。

参拝の行列PXL_20250112_2326.jpg
蛇窪神社へ向かう参拝者の行列(午前9時前)

翌朝、品川区の「蛇窪神社」に、参拝しようと思ったら9時の参拝開始を待つ行列が道端に伸びていた。
「少ない。ラッキー」という親子連れの会話も。昨日は8時間待ちにもなったと、テレビニュースの動画を発見。
にぎわっているだろうとは思っていたがここまでとは思わず、人の多さに東京を体感。

蛇石像PXL_20250113_005559935.PORTRAIT.jpg
蛇の石像(頭部)

農業の水乞いと深い関係のある蛇の伝承。
境内には地下からくみ上げた池が透明な水をたたえる。
神社は平地で、池のあたりは窪地なのかも。

蛇窪神社のコイPXL_20250113_005715829.PORTRAIT.ORIGINAL.jpg
ニシキゴイ泳ぐ池

池の中には丸々としたニシキゴイが悠然と泳いでいた。
東京にも随所に、いい池があるのだな。

半円形をした貝P1130636.JPG
「貝類展」に展示されていた不思議な形の二枚貝。身が平たい?

貝類展−ナメクジ化は「進化の王道」?

さて、待望の科学博物館の貝類展であったが、わりとコンパクトな展示の中にいくつかの初知りもあった。
世界にさまざまいるナメクジが、ナメクジになった後に分化したのではなく、別々の陸生貝からいわば並行的に殻なし化を成し遂げたということが分かってきたというのが興味深かった。
一見、ナメクジは殻がなく丸裸なので、カタツムリよりも生存は厳しいのでは、などと見えがちだが、殻がないことで機敏になり、狭いすき間に隠れることができ、殻をつくらなくていい分餌も少なくてすむなど、カタツムリにはない長所、合理性をいろいろ獲得したのだ。
殻のあるオウムガイよりも、丸裸なイカタコのほうが繁栄しているようなものかも。
殻をなくす「ナメクジ化」は進化の王道であったのだ。
自宅の小規模菜園はナメクジに悩まされているが、陸上を生き延びるよう洗練された生物であるナメクジを、なめてはいけないと思いを強くした。

posted by 進 敏朗 at 19:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 水辺を見る(滋賀以東) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする