2025年03月09日

渓谷の補陀落

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伊賀上野駅

伊賀鉄道に乗車体験

三重県の伊賀地方、伊賀上野を訪れた。
伊賀上野駅までは自宅から車で1時間あまりで来て、駅前の市営駐車場(1日500円)に停めて伊賀鉄道に乗る。

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伊賀上野駅1番線の伊賀鉄道

改札を通り抜け1番乗り場を目指すと電車が止まっている。
JR関西本線と接続駅しているが専用の改札はない。
これに乗り三つ目の駅「上野市」を目指す。

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車内の様子

ロングシートとクロスシートが組み合わさっているがクロスシーとの方は向きを変えられない。
ガタンゴトンと進んで旅情緒。数分間の旅である。

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伊賀盆地を流れる服部川(奥が下流方向


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上野市駅前の広場

駅に着いた。「忍者市駅」と改名されいている。
鉄道は城と城下町との間を横切り、駅前広場からは小高い山のお城を望める。
駅前の広場はゆったりと広くて豊かさを感じる。
電線も地中化されて景観もいい。
平成初め頃までは商店にも活気があったのではと思わせるような雰囲気。

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武家屋敷

目的地は武家屋敷で開かれていたアート展だった。
昨年12月にふき替えられたというかやぶき屋根が散髪したてのうなじのようにシャープだった。

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室内に展示された作品

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床の間の絵画

平成の初め頃までは家の人が住んでいたという武家屋敷は築200年との説明。
伊賀地方を拠点にする気鋭画家らの絵画や立体作品は見事で満足した。

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不思議な天井画(これは展示作品ではない)

盆地の水の出口を見る

さてここまでは、乗り鉄アート旅であったが、正午には伊賀上野駅に戻り、車に乗った。

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伊賀盆地の北側の山並み。向こうは滋賀県だ

平らな盆地の向こうに、高さが一様な山並みが連なっている。

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洪水から市街地を守る水門

まるで中国の城の楼門のような重厚な水門だ。
門より手前側が遊水地で、洪水の際はゲートを下げて遮断する仕組みとなっている。
トンネルの向こうには伊賀鉄道の踏切が見える。

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土手から見た城

土手から南側を眺めると城山が見える。
城山の向こうに城下町がある。
城下町は城山よりは低いが台地の上にあり、周囲の田んぼは低い土地となっている。
川が氾濫すれば水浸しになるのだろう。

盆地出口の渓谷

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岩倉峡

盆地の西端に「岩倉」という集落があり、ここで服部川は木津川と合流。
そこから先はさらに水量を増し、保津峡のような渓谷の景色となった。
これが岩倉峡という。

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川の合流地点の岩

しばらく進むと川の合流地点となり広い場所があった。
駐車場から河原に下りることができた。

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水流で削られた岩

花崗岩が水の流れで丸く削られ、甌穴(おうけつ)などができている。

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印象的な岩

川中に突き出た印象的な形の岩がある。
川の流れが増えたら、川中島のような景色になるのではないか。

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渓谷の景色

渓谷の景色は、流れは激しすぎず悠然として、ところどころで滝状に落ち込んで水音を発し趣があった。
ただ、水の透明度は低い。分厚い粘土層である古琵琶湖層が分布する伊賀盆地を流れてくるせいか。
上の写真のようなアングルで写すとわからないが、透明度はせいぜい2メートルくらい。
生活排水の影響もどれだけあるかはわからないが、もっと水が澄んでいればと惜しい気持ちに。

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澄んだ水の流れ込み

上流の補陀洛寺跡

ふと流れ込みを見ると、水が澄んでいる。
北側の山麓から流れ込んでくる水で、こちらは透明度が高かった。
この川筋の数キロ上流に「補陀落寺跡」というものがあり、気になったので行ってみることにした。

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鉄橋を渡る関西本線の列車

「宮谷川」をさかのぼること約500メートルで「湯蓋」集落に出る。
関西本線の鉄橋を列車が通過。

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那智川

昭和三十年竣工の橋にはなぜか「那智川」とある。
補陀洛寺跡はここから7、8キロ上流の山峡にある模様。

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丸々とした防火用水の金魚たち

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坂道を振り返る。伊賀盆地が山林の向こうに

滋賀県の信楽を結ぶ新たな峠道「伊賀コリドールルート」を登り、坂の途中に車を停める。
「天吹山の霊泉」「補陀落滝」とあったが、あまり見映えがせず省略。

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地蔵や五輪塔

滝の近くに、地蔵や五輪塔をまつる小堂があった。
昭和28年の山津波で流されたものを集めたという。

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補陀洛寺跡への道

さて、補陀洛寺跡はどこかとまごついていたが、先ほどの小堂から300メートル進むと、おかっぱ頭の後頭部をみせる人物が右手で「80m」と指し示す不気味な看板があった。

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石垣の跡

林道を入ると右側に、山の斜面をテラス状に切り開いた2段の平たい場所と、石垣の跡が見える。
ここに寺があったようだが、そんなに大きな規模ではない。

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寺の説明看板

そこに説明看板がある。
ここに説明がある高倉神社とはこの地点から約2キロ川の下流にある神社。
補陀落寺跡は説明によれば、熊野信仰が強まった鎌倉時代には存在し、16世紀末まではあったようだ。その間300〜400年間くらいか。
街道からの道案内の石標がたてられていたというから、そこそこ参詣者が訪れていたのか。
補陀落といえば紀伊半島の那智の滝から川を下って、海の彼方にあるという補陀落に赴く「補陀落渡海」を思い浮かべるが、この伊賀地方の補陀洛寺では、先ほど見た合流地地点の岩が、何か補陀落をイメージさせたのかもしれないと勝手に思ったりした。

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水上池

補陀洛寺跡から先の急坂を上りきると「水上池」があった。
シカに遭遇。山の上にも、仙境のような水辺が広がっていた。
乗り鉄アート旅から始まって、午後の時間は一転して山中の補陀落巡りとなった。


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2025年03月01日

田中川干潟周辺

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田中川

三重県の田中川を訪れた。
先日訪れた鼓が浜の近くで5キロほど南。
近鉄の千里駅近くにコインパーキングがあり、南に歩くと田中川の橋に出る。

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広い干潟

田中川河口の右岸側には、広い干潟が広がっている。
潮が引いている時間帯。水が蛇行して河口へと流れている。
のびのびとした水の挙動を見やる。

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泥の上

泥の上には、小さな巻貝ウミニナがびっしりと付いていた。

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海岸

海岸に出ると、そこでは砂浜から水が染み出し、海に向かって流れができている。
満潮時に砂の中にたまった水が流れ出ているのだ。

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砂の文様

大地に降った雨が陸地を削って川をつくる。
水のふるまいを見てのびのびとした気持ちに。

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浜の大型植物

浜では、何やら見慣れない大きな植物がいくつも生えている。
リュウゼツランのようなまっすぐな葉で、とってつけたように花が出ている。

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大ぶりな花

花からは香りはしない。
こんな植物が唐突に海浜に生えていてびっくりだった。
後で調べたがユッカのようだった。
「青年の木」として売られている観葉植物だが、海浜にこんなに育つとは強靭な生命力をもっているようだ。

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ユッカ浜

原産地はメキシコはじめ、米国中央部の乾燥地あたりだという。
海浜の風景に、まるで荒野のような風情をかもしだす。こうして海浜の風景もかわってくのか。

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養魚池

干潟の陸地側には、養魚池があり、水が抜かれて多数の魚が跳ねているのが見えた。
これを双眼鏡を使い、撮影してみることにした。

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カメラのレンズに双眼鏡を密着させて撮影

だが、魚は動き回っているためうまく撮れない。
コイのようだった。もともと湿地であった場所を活用した養魚池と思われるが、メガソーラーでもできるのだろうか。

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農地につくられたソーラー発電

養魚池よりも農地よりも、今はソーラー発電という時代になってきたようだ。

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2025年01月12日

東京池雑感

石仏群PXL_20250112_033008454.jpg
目黒・大圓寺の池と石仏群

崖下や窪地にいい池ちらほら

上野の国立科学博物館へ「貝類展」を見に行った。
その前日、目黒付近で美術展を回る。
目黒駅から「行人坂」の坂道を下る途中、寺があり、崖面の下に池があった。
池は水をたたえコイ泳ぐ。
大圓寺のHPをみると、江戸時代初めに出羽の湯殿山から行者を招来し開いた寺で、「修験行人派」の僧が行き交ったから行人坂というのだそうだ。
武蔵野台地の崖面には水が出ている場所があると聞く。確かめてはいないがこの水もそうなのかも。

目黒川PXL_20250112_033517521.jpg
目黒川

約20メートルの高低差がある行人坂を西へ下りきったところに目黒川がある。
目黒川の流域面積は45平方キロメートル、長さ8キロ。
目黒川の河口部に品川があって、品川とは目黒川の別名だそうだ。
水は黄土色に濁って汚い。
東京は昨年12月、ほとんど雨が降らなかったというので、水が少なく汚濁が強まっているのかも。

参拝の行列PXL_20250112_2326.jpg
蛇窪神社へ向かう参拝者の行列(午前9時前)

翌朝、品川区の「蛇窪神社」に、参拝しようと思ったら9時の参拝開始を待つ行列が道端に伸びていた。
「少ない。ラッキー」という親子連れの会話も。昨日は8時間待ちにもなったと、テレビニュースの動画を発見。
にぎわっているだろうとは思っていたがここまでとは思わず、人の多さに東京を体感。

蛇石像PXL_20250113_005559935.PORTRAIT.jpg
蛇の石像(頭部)

農業の水乞いと深い関係のある蛇の伝承。
境内には地下からくみ上げた池が透明な水をたたえる。
神社は平地で、池のあたりは窪地なのかも。

蛇窪神社のコイPXL_20250113_005715829.PORTRAIT.ORIGINAL.jpg
ニシキゴイ泳ぐ池

池の中には丸々としたニシキゴイが悠然と泳いでいた。
東京にも随所に、いい池があるのだな。

半円形をした貝P1130636.JPG
「貝類展」に展示されていた不思議な形の二枚貝。身が平たい?

貝類展−ナメクジ化は「進化の王道」?

さて、待望の科学博物館の貝類展であったが、わりとコンパクトな展示の中にいくつかの初知りもあった。
世界にさまざまいるナメクジが、ナメクジになった後に分化したのではなく、別々の陸生貝からいわば並行的に殻なし化を成し遂げたということが分かってきたというのが興味深かった。
一見、ナメクジは殻がなく丸裸なので、カタツムリよりも生存は厳しいのでは、などと見えがちだが、殻がないことで機敏になり、狭いすき間に隠れることができ、殻をつくらなくていい分餌も少なくてすむなど、カタツムリにはない長所、合理性をいろいろ獲得したのだ。
殻のあるオウムガイよりも、丸裸なイカタコのほうが繁栄しているようなものかも。
殻をなくす「ナメクジ化」は進化の王道であったのだ。
自宅の小規模菜園はナメクジに悩まされているが、陸上を生き延びるよう洗練された生物であるナメクジを、なめてはいけないと思いを強くした。

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2024年11月16日

境川

尾張と三河の国境の川

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鏡のような川

愛知県の境川沿いを歩いた。
尾張と三河の国境の川ということで境川。同名の川は滋賀にもあるし、東京都の町田にもあった。各地にあるだろう。
この日は豊田市まで美術展に行った。
その余興で、近くの川を見ようと訪れたのだった。

境川が気になったのは、源流部の標高が100メートルくらいという低さだった。
川というものは山の奥に源流部があるものと思い込みがあるが、この境川はゴルフ場になっている。
源流部が見える川というのはどのようなものだろうと思って歩くことにした。

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田んぼの向こうの集落は高台になっている

JR東海道本線の逢妻(あいづま)駅で下車。
境川の左岸で三河の刈谷市の駅。
川の下流部にあたる地域だ。
集落は高台になっていて、田んぼよりも数メートル高い。「高津波町」という町名も、水の記憶がにじみ出ているのではないだろうか。
駅からまっすぐ進み、左に折れると住宅地の先が下り坂になって田園に出る。
田んぼは、海抜ほぼゼロメートル。
田んぼの先に、高さ5メートルほどの高い堤防があり、その内側が境川だ。

堤防で区切られた支流や樋門

境川大橋を渡る。
川は2本の堤防で区切られており、東側は支流の逢妻川が、境川と合流することなく堤防で区切られている。
これと同じ構造は淀川の三川合流地点にもあった。洪水を防ぐ対策だろう。

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河口から5キロを表示するくい

境川の下流はぼわーっと広がっていき、衣浦湾につながっている。
河口から約5キロの境川大橋の地点でも、川幅は広くて橋は200メートルくらいある。
川の流域面積はそれほどでもないが川幅は広い。
これだけの幅でいわば沼沢地が広がっていたわけだから、陸上交通の妨げになったであろう。
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石づくりの樋門が見えてきた

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樋門の上を渡る支流

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切り石を固めた「たたき」

明治時代の樋門もあった。
境川は天井川で、支流が立体交差して境川に注ぐ。花崗岩が風化した真砂土の土質のようだ。天井川は滋賀県でもなじみがある。

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渡ろうとした清水橋であったが…

その上流、東海道新幹線の鉄橋の手前に「清水橋」があったが、老朽化のため2018(平成30)年から通行止めとのこと。
グーグルのストリートビューで事前学習してきたが、同橋の上から捕った画像もあったので渡れるかと思っていたらそうではなかった。
仕方なく上流まで川の右岸側を歩き、次の橋で渡る。

橋の上からはコイ、ブラックバス、オイカワかカワムツのような魚が見られた。
鳥ではカワウ、サギ、カモなど。

思ったより人を隔てる川

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川の合流地点に設けられた排水機

左岸側の本流わきの排水路沿いを歩いた。
境川が天井川のため、排水対策で脇に幅約10メートルの川が並走していたのであった。
川のはコイが多数見られた。

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コイが多かった排水路

犬と散歩しているおじさんに「コイがいますね」と声をかけてみた。
「この川の魚はこの50年食べていない」とおじさん。
なぜかと問うと、上流にパンの工場ができ、下流には養豚場があり、垂れ流しでヘドロがたまった、という。
「下流の橋のところにはわき水があった」との情報も。

そして境川について、ここが三河と尾張の国境だと教えてくれたのだが、
「川の向こうとは仲が悪い」と話す。
なぜですか、と聞くと、
尾張徳川の威をかりて、無理なことを言ってきたからなのだという。

そうなのか。江戸時代の昔の遺恨が、今でも年配の人の口をついて出てくるのか。
川とは思った以上に人を隔てるものなのだなと思った。
そこから名鉄の富士松駅に向かった。

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お富士の松(3代目という)

源流は小規模だった

美術館のあと、名鉄豊田線で「三好ケ丘」下車。
この先に、境川の源流部があるのだ。
駅の脇にすぐ、境川があった。

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源流への道

川幅はかなり細くて、数メートルになっていた。あと2キロ足らずで源流なのだ。
住宅地が切れて、低い丘陵に挟まれた田んぼの真ん中を、鉄分で茶色くなった川底の流路がまっすぐに続く。
徒歩約20分、ため池についた。ここが水源である。
昨夜、雨が降ったためか、水が池から流れ下りている。

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ついに源流か

人工的な水源だ。
こんな風に川が始まっているのか。
あまり源流感がないというか。

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水源のため池。奥はゴルフ場のようだが入れず

滋賀県では、瀬田丘陵から流れてくる長沢川とか、野洲の希望が丘あたりが源流の家棟川とかに似ている。
だが、長さが22キロもある川の源流とはとうてい思えない。

境川の下流部は海抜ゼロメートル地帯が続く低湿地だ。
この川の東にある矢作川の中流は海抜が数十メートルあって、この高低差をうまく利用して明治用水がつくられたのだが、なぜ矢作川は低地の境川流域に流れ込まないのか。不思議な感じがした。











posted by 進 敏朗 at 20:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 水辺を見る(滋賀以東) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年09月16日

西濃メダカ探訪

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なつかしい近鉄カラー車両行き違い(養老鉄道・東赤坂駅)

残暑の中、小川探訪へ

東海道線で米原で乗り換え岐阜県の大垣までに行く。
平野部の小川のメダカが見たい。そんな乗り鉄と散歩の周遊を企画した。
JR西日本から東海に乗り継ぐとき「エリア外」に出た感。

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河間に着いた

大垣駅で9時28分発の養老鉄道に乗り「東赤坂」下車。
北西約1キロ、北方町の「河間(がま)」を目指す。
河間とはわき水の池で、現在も残っているのは珍しいという。

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白ゴイ泳ぐ池の中。水位が下がり石垣露出

10年前に同所を訪れた(2014年9月7日「水都と古生代の海(上)」)。その際は周囲の湿地に水があふれメダカの群泳がみられたが、今回は周囲は草むらとなっていた。

以下の写真3枚は2014年の同じ場所である。

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池の周囲に水があふれている

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建設中の高架道路

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メダカが見られた

ハリヨの池で目を懲らしたが…

10年前には水が豊富でメダカが見られたのだったが、今回は池の水位が低かった。
次に、さらに北西方向に歩き曽根沼を目指す。

集落内の保育園のあるお寺の外周の溝でメダカ群泳。
眺めていると住職さんらしき方から声をかけられる。
「それはメダカですよ」と住職さん語りかける。しばらくメダカの話をする。
溝には境内からわき水が流れ出ている。やはり、わき水やメダカを愛好する人は一定存在するのだな。
お寺は環境を守るセンターなのかもしれない。

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趣のある果物店

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ハリヨがいるという池。確認できず

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萩の花

途中、趣あるバナナや果物の店の前を通過し、ハリヨがいるという池に着く。目を懲らしたがハリヨを確認できず。
ザリガニ捕りとみられるわなが数個仕掛けられている。池の中には水草がほとんどない。
駆除に力を入れている様子だった。
私は「下流からの侵入を防いで」と、心の中で叫んだ。

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ブラックバス

隣に大きな池があり、そこでは少年が20センチほどのブラックバスを釣り上げていた。
趣ある池だが、ブラックバスもすみやすそうだ。

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水量豊富な平野井川

池のすぐ西側には平野井川があった。
平野のわき水(井)が豊富な川のようだ。
水量が豊富で流れが緩やか、カーブの内側は避難所になりそう。
水も澄んでいて水草も豊富だ。
メダカも水がないときとか冬場にはここに逃げ込めば、消滅することなさそうだ。

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中世は城だったという華溪寺

曽根沼の南側には華渓寺があり、自噴水を提供していた。

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自噴水をいただく

深さ140メートルの掘り抜き井戸から噴出する水は量が多かった。

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バイカモ咲く

井戸の出口には小さな水路がこしらえてあって、バイカモが咲いていた。

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メダカがいる小川(拡大すると確認できます)


そして付近の水路で、メダカの群れを確認。
やっと見たい光景を見ることができた。
やはり、お寺は環境を守るセンターなのかもしれない。
大垣では、ハリヨの生息地があることが誇りとなっているが、メダカが身近に見られる場所も他ではだいぶ少ないので、メダカにも目を向けてもらえればうれしい。

用水路にバイカモ、ハリヨの池

それにしても、9月も中旬というのに暑い。
路線バスで大垣駅まで戻ろうとしたが、11時半ごろの便にわずかに間に合わない。
そこで別路線を目指し、約1キロ南の岐阜共立大まで歩く。
コンクリ水路にメダカ、小ブナの群れをみる。
正午ごろ到着。あと35分くらいの待ち合わせだったので、近くの中華料理店で昼食をとっているうちに、バスの時間が過ぎてしまう。

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駐車場から吐出される澄んだ水。水源は何だろう

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水路のバイカモ群落出現

そこで仕方なく、その地点から南西に歩き、ハリヨの池として知られる西之川の池を目指す。
午前中は曇っていたが、午後になると日差しが出、苛烈な暑さとなった。

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いろんな水生植物が見られる

西之川に近づくにつれ、アスファルトで覆われた駐車場の排水口から、わけもなく大量の澄んだ水が吐出されていたりする光景出現。
道順の関係で南から池に近づくと、地区の水路にバイカモが生えている。
相当の水量がないと、こんなバイカモは維持できない。

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わき水の池

池をのぞいたらハリヨ1匹確認。
1匹しか見ることができなかったが、ここでは生息しているようだった。
水草も豊富に生えている。
ただ、誰もいないため話しを聞くことはできず。危険な暑さだった…。

下流にはザリガニよけネットが張られている。
でもそのすぐ下流にザリガニがおり、そのネットと石垣との「きわ」に隙間もあったので、できれば隙間を完全に詰めて、さらにネットをもう1カ所下流に講じるなどして、万全を期してもらえたら…と、自らの池へのザリガニ侵入を体験した者として願った。

「領家」バス停には、座る場所がない狭い場所で、ローソンで飲み物を買ってから、ひとつ先の「中川」バス停で14時20分過ぎのバスを待つ。ベンチに座ろうとしたら灼熱状態で、道路向かいの日陰で10分ほど待った。
大垣駅北口まであとバス停4つだった。前を走る車が交差点で衝突事故を起こし立ち往生したが、休憩には役立った。

posted by 進 敏朗 at 20:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 水辺を見る(滋賀以東) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする