四日市あすなろう鉄道
ナローゲージの車両
北勢への遠足旅行、東海道を歩き、四日市あすなろう鉄道の内部(うつべ)駅に着いた。
時刻は11時すぎ。発車までの時間を利用し、20分ほど写真を撮る。
線路幅762ミリのナローゲージで営業をしているのは日本で3か所だそうだ。
そのうち2カ所が三重県の北勢地方にあり、ひとつはこの四日市あすなろう鉄道、もう一つは桑名から出ている三岐鉄道北勢線で、そちらは昨年などに乗車したので、北勢のナローゲージ鉄道はどちらも乗車となる。
上の写真の車両はモ260形で車体長15メートル。
JR在来線の車両の4分の3の長さしかない。小さな駅に小さな電車が愛らしい。
ナローゲージ沿線の住民になり、駅前に住んで「マイ鉄道」として日常の足にしたい。そんな気持ちにさせる。
内部駅には車庫もあった。内部車庫の内部が見える。
延伸しようとした線路
そして反対側に目をやれば、線路を延伸させようとした形跡も残る。
駅で配布されていたパンフによれば、内部川に橋を架けて対岸には采女駅、さらに西進してあと5駅設けられる予定だったというが、ついに川を越すことはできなかった。
電車に乗り込む
幅が狭い車内
ミニ電車のミニ旅
さて乗り込むと、幅の狭い車内には一人がけシートが並ぶ。
車体の幅が約2.1メートルで、これは大型バスの2.5メートルより40センチも狭い。
3両編成の車両の両端の車両は、席は運転台のほうを向いており、中間車両は通路をはさんでシートの向きが逆になっていた。
二つ先の追分駅まで乗車。
車両の先頭
走り出した。
内部の駅端には大きなアガベ(竜舌蘭)が植わり、ミニ電車と不思議なコントラストを醸し出す。
モーターがうなりを上げ、左右への揺れが大きい。
最高速度は、スマホのアプリで確かめると42キロ。
のちほど乗った、日永〜南日永間の下り坂で45キロを記録した。
しかし、速度以上にがんばって走っている感じが強い。
野球に例えれば、力感のないフォームから130キロの速球を繰り出すピッチャーがJRの東海道線の新快速だとしたら、力いっぱい投げているのに球速は45キロしか出てないというのがこちらの車両であろう。
ただ、乗り物に乗っている臨場感と言ったらおかしいが、モーターが力を発して一生懸命に走っている乗り物に乗っている感じは、こちらのほうが強い。
追分駅付近の踏切
崖下の湧水
降りたのは2駅先の追分。
距離にしてわずか1.4キロ。
この内部線は全線乗っても5.7キロしかなく、これは先日旅した、岐阜県のJR東海道線垂井〜大垣間(8.1キロ)の1区間分より短い。
しかし5.7キロの営業でも8駅もあって、市街地を走っているためか、高校生をはじめ多くの人に利用されていた。
崖下にある水源(路地の突き当り)
追分駅は、東海道と伊勢街道が分岐する有名な「日永の追分」の最寄り駅である。
そこでは「追分鳥居の水」と呼ばれる湧き水が出るというが、さらに調べると、その水源は、そこから西に入った崖の下だったという。
場所は追分駅から徒歩5分くらいの路地奥だった。
現場の崖の上には、要塞のようなマンションがそびえる。
路地の横には、ブルーの波板の住宅が目立つ。
しかも、波板は塗料を塗りなおした形跡もあって色鮮やかさが保たれている。
この水色は湧き水へのオマージュなのだろうか。
水量が多い
コンクリート擁壁の穴数か所から水があふれ出ている。
ホースから出ている水を持参したカップにつごうとしたら、勢いが強くてカップが吹っ飛んだ。そこで滑らない場所に置いて汲みなおす。
一人、ポリタンクに汲んでいるおじさんがいるのでたずねると、40年来通っているとのこと。盆栽にやっているのだという。「水道水とは全然違う」と言っておられた。
飲んでみるとまろやか。
この水は道路わきの溝を伝って下流に流れていたが、まさかこの水が、街道の分岐点で飲まれているのだろうか。江戸時代ならいざ知らず。
日永の追分
東に進むこと数分、東海道・伊勢街道の分岐点「日永の追分」に至る。
ひろい空をバックに、鳥居が立っていて祝祭感。これから伊勢参りですよという旅の高揚を感じさせる。
それに比べたら、滋賀県の草津の東海道・中山道の分岐点は本当にあっさりとしたただの街角だなあと思わされた。
湧水が汲み上げられている
現代の「追分鳥居の水」は、さきほどの崖下から引かれたものではなく、やはりポンプで汲み上げられているように見受けられた。
その水を汲みに人が訪れていた。水量はさきほどの崖下よりは少ない。
公園にはミカン成る
狭かった東海道
さて、ここからは東海道を北へ歩く。
日永は五十三カ所の宿場ではないが、宿場と宿場の間の宿で宿屋もあったという。
名残の一本松を見る。立派な大きい松だ。
滋賀県でもそうだが、東海道は、国道の抜け道となっており、広くない道幅を多くの車がすれ違い、しばしば立ち止まらねばならず歩きにくかった。
名残の松
最古の東海道の道標
江戸時代の前期の道標が南日永駅近くの神社の境内にあった。
明暦2年(1650)建立で、当初は先ほどの「日永の追分」に立っていたという。
木製の枕木
このようにして追分から2駅分を主に旧東海道に沿って北に進み、南日永駅に着いた。
昼の食べ物を買おうと、いったん同駅の北側にあるローソンに行こうとしたら大通りだったが、踏切が硬木で固定され、よい質感だった。
また、踏切の遮断機の長さに限界があるのか、4車線道路に、遮断機が計4本据えられているのも見慣れぬ感じ。
八王子線を含めても総延長7キロにすぎないが、市街地に路線があるので、踏切の数も多くて設備の維持も大変ではないだろうか。
道標のあった神社に戻って食べようと思ったが、案外座るところがなく、立ったまま食べた。
南日永駅
八王子線
南日永駅から再び乗車。
こんどはクリーム色と青色ツートンカラー車両がきた。
ここから隣の日永駅で、八王子線に乗り換えるのである。
日永駅のホーム
日永駅に着いた。八王子線が分岐する駅のホームは広かった。
三つの線路幅を現す展示
ホーム上にはナローゲージと、日本の在来線の線路幅である狭軌(1067ミリ)、新幹線や関西の大半の私鉄が採用する標準軌(1435ミリ)が並べられ、どれくらい幅が狭いのかがひとめで分かるようになっていた。
あまり眺める間もなく、八王子線の西日野行きが四日市方面から入線してきた。
カタカナの「ト」の字を逆向きにしたような四日市あすなろう鉄道の路線であるが、「ト」の横棒にあたる八王子線の電車は、日永ー西日野のひと駅を往復しているのかと思ったらそうではなく、全便が四日市を起点として四日市−西日野間の運転だった。
西日野駅
八王子線は約3分後、ひと駅目の西日野で終点となった。
降りてみると、特に目立つものもない郊外だった。川が隣を流れている。
線路はもともと「八王子」まで伸びていたが、川が洪水をおこして路線が破損、以後、西日野が終点となり、駅位置も川からすこし離れた東に移ったようだ。
西日野駅のとなりの川
折り返し出発までの9分の間、駅の外をめぐる。
駅を出ると川があり、対岸の高台には高校があった。学校の近くに駅を移したのか。
駅構内に掲示されていた写真
西日野駅の構内にあった「旧西日野駅」の写真を見ると、川のすぐ脇に駅舎がある。
川も現在の深く掘り込まれた姿とは違って、砂が堆積してすぐ間近に川の流れがある。
川の風情と一体化したいい駅の光景だなと思うが、この川との近さのために、洪水で再起不能となってしまったのが残念だ。
列車の行き違い
9分がたち、西日野から「四日市行」に乗車。つぎの駅日永で降りると、再び内部行きの電車が連絡しており、待ち時間なしで乗り換える。
再び南日永で降りた。午後2時くらいだった。
この駅でなぜ降りたのかというと、この南日永からJRの南四日市駅まで徒歩10分くらいで目指せそうだったからだった。
亀山駅に車を停めている関係上、JRで帰らなくてはならないが、四日市あすなろう鉄道はJR関西本線とは交わっておらず、いちばん駅間が近そうなのがこの南日永と、JR南四日市の間だった。
旧国鉄感の残る駅
南四日市駅
南日永の駅近くからは、太いまっすぐな道路が通じており、商業施設の横を通って約10分ほど東に進み、左に入るとほどなく、駅前広場があって南四日市の駅舎が見えてきた。
戦後の近代的な駅舎というか、広い窓が屋根の下までつながった軽快な雰囲気の建物で、「明るい社会」という標語のような懐かしい感じがした。
しかし中に入ると券売機もなく、建物も朽ちかけて荒廃していた。
駅前広場のだだっ広い開放感。自転車も止め放題のようで、あんまり管理がされておらず国鉄時代の風情がそのまま残っているようだった。
ちいさなホーム上の待合所
駅舎を抜けると、貨物線が何本も走る中、ホームが島のようにぽつんとあって、小さな屋根付き待合がある。ホームの長さとの対比がすごい。広い敷地の中に、おまけのようにホームが据え付けられ、味わい深い。タイの鉄道駅を思わせた。
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コンクリ通路スペースが広いJR四日市駅
このあと同駅から、亀山とは逆方向に四日市駅まで行ってみたが、これまた国鉄時代の風情が濃厚な、重厚かつ武骨なコンクリ駅舎で、滋賀を含めた京都近郊区間のJR東海道線沿線の近代化駅舎からはとうに失われてしまった雰囲気があり、旅情緒にひたった。午後2時半ごろだったが、駅前のマルシェはすでに客は去り撤収モードに入っていた。そのにぎわいの少なさもまた味わい深い。
四日市ではJRよりも近鉄沿線のほうがにぎわっているので、JRの駅前はうら寂しいものだった。関西の東海道線でも、向日町駅とか、そんな雰囲気が残っている駅もあるが、向日町は東口開発の話もあって、ほどなく姿が変わってしまうかもしれない。そう思えば、この昭和後期で時間が止まったような雰囲気は貴重なものに思える。
このようにして後半は、すっかり乗り鉄の旅のようになり、自宅から距離的にはそんなに遠くはないがあまり知らない地域を歩いたり、ユニークな鉄道や昭和時代を感じさせる駅・路線を利用したりして、半日旅を楽しんだのだった。