2019年06月09日

御池岳のドリーネ

国道307号、鞍掛トンネル三重県側出口(午前9時ごろ)

鈴鹿山脈の最高峰、御池岳(1247メートル)に登る計画を立て、計3人の登山隊で
実行する。

御池岳の山頂部にはドリーネと呼ばれる窪地があって、池になっているという。
筆者は山を登るのが苦手だが、ドリーネが見たいという思いを抱いていた。
ついにそれを果たすべく犬上川の源流部を抜け、駐車場に降りた。

トンネルを出てすぐの駐車場は午前9時前で、あと3台分くらいのスペースがあった。
東海地方や関西、北陸方面のナンバー並ぶ。

DSCN0081.JPG
晴れ渡った山並み(5月30日)

鞍掛峠は3年前から、土砂崩落で通行止めが続いていたが、この5月末に開通となった。
駐車場や登山口等の下見のため10日前に訪れた際は、上の写真のように晴れ渡ってまるで山が輝いているようだった。

しかし、決行日はあいにくの曇天、途中からは雨が降り始める悪天候。
近畿地方はまだ梅雨入りしていないという気象庁発表に一縷の望みをかけたがかなわなかった。

DSCN0134.JPG
鞍掛峠付近からの三重県側の眺め

まあ天候はどうにもならない。雨への備えを絶対に怠らぬようにと、山行に熟練した友人Sから口酸っぱく言われていた。

さて、駐車場の海抜は625メートルで、山頂までの高低差は600メートルちょっと。
筆者のようなふだん運動不足気味の登山に慣れない人間にはきついが、いきなり標高600メートルを超えた地点から登り始められるのはボーナスポイントだった。

まず登山口から東方向に、トンネルができる以前の鞍掛峠(791メートル)まで、斜面をジグザグに登る。
けっこうな坂道で、もうここで萎えそうになる。

峠の交差点で、下山してくる祖父祖母孫の5人連れに出会い、谷沿いはヒルが出たことを知らされる。
鈴鹿の山々はヒルがよく出るということだったがそれが実証された。

DSCN0130.JPG
白い花

平地にはないいろいろな植物がみられる。
この白い花は、なんだろう。小さな多数の花が長さ10センチの棒状に密集している形が面白い。

DSCN0190.JPG
バランのようなバイケイソウ

幅広くて筋の入った葉っぱがバランのようだ、と言い合っていた幅広くて筋の入った葉っぱの草が多数。
これはバイケイソウというユリの仲間の植物で有毒のため、シカによる食害を免れ勢力を広げているという。

DSCN0206.JPG
サトイモ科の花

これはサトイモ科の草でテンナンショウの仲間。山頂付近で見かけた。
などといろいろな植物にも見入る。

倉掛峠からは坂はゆるやかになって、尾根沿いを南方向に進んでいく。ガスにけむる。
「こっちは三重県側?」と右側を指して尋ねる。「違う。左が三重県側」と、何度も指摘される。

筆者はなぜか北方向に歩いていると勘違いしていた。方向感覚がうとく、一人で山行すれば遭難は確実だ。

DSCN0171.JPG
コケ園

日差しを遮るものがない広い原に、コケがびっしりと生えている。
年がら年中、湿気に恵まれているのか。コケを観察するにはいい日だ。

もしかするとシカがもともとあった草を食べつくしてこうなったという可能性もあるか。

DSCN0164.JPG
イオウゴケ

赤い花のようなものがついたコケもあった。イオウゴケという。

DSCN0159.JPG
鈴北岳。テーブルランドに至った
何度か休憩して、鈴北岳(1182メートル)に着。
ここから御池岳の一帯は、平たくなだらかな土地が広がっている。
100万年か200万年前に鈴鹿山脈が隆起をはじめる以前、滋賀県と三重県側の境には山がなくつながっていた。
その時代の平地の名残りをこうしてみることができるのだった。

この南北2キロくらいもあるテーブルランドの各所に、ドリーネが見られるという。

ドリーネ、それは石灰岩を雨水が侵食してできる窪地。
それが地下まで侵食していくと地中に空洞を形成する場合もある。
御池岳では、ドリーネに水がたまった池がみられるという。
水辺ファンとしてはそれが見たくてここまで来た。

DSCN0162.JPG
水のない窪地は多数

山頂部に案内板があるかなと思っていたところ、ステンレス製のふたのない箱のようなものが地面にボルトでつけられている。
その上部に案内板が据え付けられていたと見受けられたが、どこかに吹き飛ばされている。
不案内な中、山行に熟達した友人Sの読図により進む。

鈴北岳付近から先には、直径数メートルから20メートルくらいの窪地はいたるところにあったが、どれも水がなかった。

DSCN0204.JPG
雨に溶かされくぼみができる石灰岩


DSCN0175.JPG
ドリーネ出現

テーブルランドを歩き、ついに水のあるドリーネ出現!
直径が30メートルくらいの円形で、地面に穴が開いたように窪んでいる。

DSCN0178.JPG
モリアオガエルの卵

水は茶色くて、透明度数十センチ。
カエルの鳴き声が盛んにして、池上の木には、泡状のモリアオガエルの卵がいくつもみられた。
こんな山頂にまでカエルが進出していることに驚く。


池の中には、茶色い色をしたカエルが頭を出していた。アカガエルだろうか。

DSCN0188.JPG
樹上の蛇

そして別の木では、シマヘビがじっとしている。
カエルを狙っているのか。

ドリーネの自然満喫。
標高1200メートル近く、わずかな池をめぐって、生き物の生き様が繰り広げられていたのだった。

帰って地図を調べると、この場所は真ノ池ではないかと思われた。
「元池」の案内看板も見たが、結局場所が分からず。


DSCN0197.JPG
御池岳山頂(午後12時40分ごろ)

山頂についたのは12時40分、登山開始から約2時間半後だった。
すっかりガスに覆われ、眺望は得られない。

DSCN0200.JPG
山のウインナー

この日同行したNさんが、持ってきたガスボンベと調理具、ウインナーが登場、ごちそうになる。
気温が15度もない涼しさの中、温かい食べ物はおいしかった。

暑いかなと思って水を凍らせて持ってきたが、この日の天候では不要だった。

DSCN0216.JPG
絶景ポイント「ボタンブチ」付近

高低差が約500メートルもある、切り立った絶壁になっている「ボタンブチ」。
筆者は高所が得意でないので、見えなくてよかったホッ、という気持ちも。でも絶景だっただろうという残念感も。

天気がよかったら、テーブルランドめぐりをし、隆起する以前の大地について思いを巡らしていたかったが、雨で古い合羽には水が浸透、ぼちょぼちょになり、申し訳ていどにボタンブチなど一巡すると、もう下山したい気分だった。

DSCN0231.JPG
化石。ウミユリの断面?

友人Sの「化石ではないか」との指摘に下の岩を見ると、グレーの石灰岩に、白いものがついている。
これもあとで調べたらウミユリの細長い茎のような体を割った断面の形のようだった。ここらの岩は、1億6千万年前のサンゴ礁だったという。

下山したら4時20分。下りは雨に濡れて、滑りそうになったりと大変だった。
すっかり雨に打たれ6月というのに寒くなった。帰り道、車の暖房をマックスにしたがいっこうに温かさが感じられない。他の2人の同乗者は暑いといい、どうやら防水の不十分な合羽を着ていた筆者だけがすっかり体が冷やされ、低体温症のなりかけの状態のようだった。帰宅して風呂に入り蘇生した。
まあ大丈夫だろうと思って着替えを持っていかなかったことは反省点。

天候には恵まれなかったものの、山上の池、ドリーネを見るという希望は達せられた。
しかし、見れた池は一つだけで、ほかの池も何カ所か見て、山頂のドリームランドならぬドリーネランドを体感できなかったのは残念。
ここまでの山登りになると大変だが、見残したものもいろいろあるため、機会があればまた天気が良いときに登りたい。

posted by 進 敏朗 at 12:10| Comment(0) | 水辺を見る(滋賀以東) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年02月15日

神田川堰跡と庭園

DSC_8919.JPG
神田川の橋(午後3時ごろ)

日帰りで東京を訪れた。
新幹線のぞみの格安プランがあって、早朝出発、深夜帰宅で通常よりも2割も安くてびっくりだ。
東京の博物館や美術館、企業、個人のギャラリーで開かれている展覧会の質、量は関西の比ではなく、いつも羨望をつのらせる。
この日は国立博物館の顔真卿展、江東区の竹中工務店本店にあるギャラリーでの「木下直行全集」を見る。
最高峰といわれる書や、つくりもんについて学べて興味深かった。

午後から東西線で「早稲田」下車、の穴八幡宮を見、そのまま北上して早稲田大の前を通り、ギャラリーの場所を探していたところ神田川に突き当たった(冒頭の写真)。

DSC_8922.JPG
深く掘りこまれた神田川

まったく興趣をそそらない、深く掘りこまれた川。
もし落ちたら上がるところがない。水は深くないんだけど、落ちたら最低でも骨折は免れないだろう。打ち所が悪かったら死ぬだろう。
橋の上から川を眺めて足がすくむ。
排水をもっぱらに設計されたことは一目瞭然だった。
ゆるやかなカーブが地形を反映しているようだ。

DSC_8949.JPG
神田川の生物

こんな神田川でも、魚や生き物すんでいると説明がある。
フナ、コイ、ドジョウ。クチボソ(モツゴ)、ヨシノボリもいるぞ。
ニシキゴイ、金魚が野生の魚と同列に描かれているのは、都会を感じさせる。

DSC_8950.JPG
水質の変化

年ごとの水質の変化もあって、2000年以降は、琵琶湖の南湖並みか、それよりもきれいな水質となっているんだけど、年によっては極端に悪化することもあるようだった。
流域がほとんど都市域という川にしては、水質は悪くない。

DSC_8920.JPG
関口町

地名についての説明版もあった。
神田川上水は江戸時代に開削されたという。
井の頭の湧水池から引かれた上水は、目白の台地の南側に堰が設けられ、下流に分水していた。
堰があったから関口。納得の地名だ。

DSC_8954.JPG
江戸名所図会に掲載の大洗堰の説明

江戸時代の絵図によると、滝のような構造物で、だいぶ大がかりな堰だったみたい。

DSC_8959.JPG
堰の跡

水を分けていた堰の跡。断面が五角形のしっかりとした石柱が残っていた。
それは現在の神田川の水面よりだいぶ高い。

DSC_8964.JPG
左が堰で、右が神田川

横から見ると上の写真のようだ。
もし神田川を掘り込んでいなかったら、写真右の右岸のほうが、洪水に悩まされてしまうだろう。

DSC_8926.JPG
水神社

そんな堰があった場所だったからか、神田川の左岸、北側に水神社という名の小さな神社があった。
鳥居が近年の台風で倒れたそうで新しくなっている。

DSC_8936.JPG
石段上からの眺め

神社の石段の上には大きなイチョウの木が並んでいて川を見下ろす位置にある。
文京区の指定樹木となっていた。戦前から生えていたのだろう。

神田川のこの付近は江戸川と呼ばれていたそうで、新江戸川公園のあたりは左岸側が文京区、右岸側が新宿区で、左岸側の上流には豊島区の東端が細長く切れ込んでいて、三つの区がせめぎ合っている。
台地と川があって、大きな堰もあったから、土地の分かれ目、区界となっていることにもなんか納得がいく。


DSC_8970.JPG
肥後細川庭園の入り口

水神社に向かって左隣、西側に「肥後細川庭園」があった。
門の前で案内を見ると、入場が無料ということであった。入らない手はない。
もはやギャラリーの場所探しはそっちのけだった。

DSC_8973.JPG
水が抜かれた庭園の池

池の泥を浚渫するため、水が抜かれていた。
泥がたまっている。なあんだと思ったが、水は完全になくなることなく少し流れている。
水はどうやら、北側の台地からしみ出ているようだった。
水が抜かれたことで、かえって、池への水の供給のしくみが詳しく観察できる機会のようだ。

DSC_8996.JPG
源流と小川

標高30メートルくらいの台地の崖から、水しみだしていて、小川となっている。
こうやって水が供給されるから、きれいな水が池に絶えることはない。

その小川、流れが緩やかで、メダカとか放したらちょうどいいのではないか。
まさにこういう場所を見たかったのだった。

琵琶湖博物館エントランスの、なんちゃって清流とか、この江戸時代設計の庭園の足元にも及ばず恥ずかしい思いがする。

DSC_8998.JPG
高い場所から見る

水の流れが池底の泥上に澪筋を描いている。
右下に、青い籠が見える。庭で草刈り作業をしていた男性に尋ねると、これは、池の水を抜くに当たり捕獲した生き物を避難させているとのこと。
3年にいちどはこうして浚渫が行われるのだという。

東京の都心に、こうした自然地形を生かした庭園があることを今さらながら知って驚きを禁じ得ない。
事前に調べもせずたまたま訪れた場所での発見にすがすがしい気分となった。






posted by 進 敏朗 at 12:21| Comment(0) | 水辺を見る(滋賀以東) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年08月24日

越後のアート

DSC_8486-信濃川とアート作品.jpg

新潟県で開かれている「大地の芸術祭2018」。
3年に1度開かれる同芸術祭に9年ぶり3度目に訪れた。その当時は作品をひとつでも多く見て回ることに血道を上げていたが、「巡る」ということが自己目的化した感があった。このたびはそんな作品メーンでなく、ゆるやかに水辺なども見ようとした。
冒頭の写真の野外作品の奥には、信濃川が流れていて、右側のカーテンの下に、黒い点のように鮎釣りの人が見える。

DSCN0024 信濃川看板.jpg
十日町橋に立つ信濃川の看板

芸術祭が開かれている十日町市、津南町には信濃川が流れているが、これまでこの信濃川に近づいたことはなかった。
日本でいちばん長い信濃川。このあたりは、その中流になるが、河口までは130キロ以上、いちばん遠い源流には200キロ以上あるという果てしない長さ。

ちなみに滋賀県でいちばん長いのが野洲川の65キロ。


DSC_8469 本流.jpg
本流に近づく

十日町橋下流の「つまりっ子ひろば」から本流に近づいた。
水量が、滋賀県でみる川とぜんぜん違う。
これは、入ったらひとたまりもなさそうだ。


DSC_8520 清津峡.jpg
清津峡からの清流の眺め

渓流が柱状節理の岩山を貫く清津峡の青い水を見た。
ごうごうと流れているがこれも数多ある支流の一つでしかない。
川の規模に圧倒される体験。

こう書いていると、作品を見ずに川ばっかり見ていたように思えるが、作品もそれなりに楽しんでいた。

DSC_8546 秋山郷にて.jpg
秋山郷で見た蜂箱と石の作品

秘境といわれる秋山郷では、蜂箱と石を組み合わせた作品があった。
その土地にあるものを組み合わせることで作品ができるのだ。

雨に打たれ、野外彫刻が並んでいるような、墓標の列のような風にも見える。
よく見ると石が、1個ずつ色や質感が違うやつが選ばれている。
蜂もいて、この彫刻を守っているかのよう。

豪雨に見舞われ、そのほかの作品は断念して山峡から脱出した。
天気が違っていたらまったく違った印象だったかもしれないが、雨の中、見知らぬ土地の高い崖沿いの運転は、大げさかもしれないが恐怖を感じさせた。

DSC_8567 河原の石.jpg
河原の石

これは秋山郷とは別の川の河原だが、石の感じは滋賀県とは違っていた。
見たことない感じのグリーンの石がある。


DSC_8511 沢水を利用した池.jpg

沢水と高低差を利用した2段池

作品が展示されていた中里地区の小学校跡地の近くで、沢水と、高低差を利用した2段式の池があった。
まず上の池に水をためてから、石垣の中に通したトンネルから、下の池に水をそそいでいる。上の池にはコイが泳いでいる。
上の池には、大雪時が降り積もっても大丈夫なように、というコイへの配慮なのか、土管が置いてある。

土地の高低差と、豊富な沢の水、河原から拾ってこれる石。
場所の条件をいかしたみごとな手作り装置だ。
自分もこういうものを作りたいと見とれた。
場所を生かすことが肝要なのだ。

DSC_8542 田.jpg

中山間地なのに休耕田となることなく一番上の田まで青々と稲が育ち穂を出そうとしている。
魚沼産コシヒカリの産地で農家食堂のおばさんによると、値段が10キロで6000円と、通常の倍くらいで売れるとのこと。
だから休耕田がほとんど見られないのかも。田んぼの中には、雑草ひとつ見られない。

農家食堂では、野菜の料理が出てきたが、野菜はどこで作っているんですかと聞くと、「高地」で栽培しているという。
それは段丘上にある台地で、確かに行くと、畑や畜産の施設が広がっていた。


DSC_8548 龍ケ窪.jpg
龍ケ窪

日本名水百選の龍ケ窪(津南町)もそうした段丘上にあった。
窪、というとおり、土地が陥没してできた断層湖。

池には数々の龍神伝説が残される。
雨上がり、霧がかかって神秘の趣。

伝説にちなんだ映像の作品も。
作品のTシャツもそそられた。

名水をくむ.jpg
名水をペットボトルに汲む

翌朝、コーヒーをつくったら、うまかった。
コシヒカリ、塩にぎりにも、食感、味と納得。
いつも食べているコメも、もっとおいしく食べられるのではないか。
そんなことも思った。
思い出深い夏となった。



posted by 進 敏朗 at 00:00| Comment(0) | 水辺を見る(滋賀以東) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月04日

菅・三方湖と梅、縄文ロマン(中)

菅湖.jpg
菅湖が見えてきた(午前9時40分ごろ)

JR小浜線気山駅で下車し、宇波西神社などをたどり山の南麓を西に下りると、菅(すが)湖が見えてきた。
あたりに人家はなく静かな湖畔。梅林がある。まだ咲き初めだ。

と、道の前方から現れたおばさんが「あれはオジロ?」と尋ねてくる。
ホオジロ? と聞き間違えたが、木に止まっている鳥はオジロワシかという質問だった。

トンビでしょう.jpg
トンビでしょう

カメラを下げて歩いていた筆者を見てバードウオッチの人と思われたみたい。
鳥は素人目にもワシではなさそうだった。

三方五湖の5つの湖で、いちばん存在感が薄いんじゃないかと思われる菅湖。
面積は最も狭く、釣りで話題になることもないし、そもそも湖岸に出られる場所があまりない。
しかし、山に囲まれており風よけができるせいか鳥が多く、鳥観察には向いている。景色はいちばん美しいんじゃないか。

光島.jpg
かつて島だった光島(湖の東岸から西を見る)

菅湖に突き出る光島半島は、寛文2(1662)年の大地震があるまでは、右側に見える低地は湖の中で、島だったという。さらには地震の直後、湖の水は「西に傾き」、この島の手前の部分の水が干上がって底が見えていたと記録が残されている。

今回、歩いてきたのをいいことに、湖岸まで近寄ってみた。

菅湖の湖底模様.jpg

すると砂底には、見たこともない不思議な文様がかたちづくられていた。
貝がはった跡ではなく、水の流れでできたみたいだ。こういう文様を何と呼ぶんだろう。

訪れた時は左から右に毎秒10センチくらい水が流れていた。水位変動がほとんどない菅湖特有の現象なのだろうか。

ここ切迫(きりょう)から宇波西神社まで山越え(といっても標高60メートルくらい)をしようと途中まで行ってみたけど、竹林で眺望が開けなかったので途中で降りた。

菅湖東岸から東をみる.jpg
菅湖から東側に戻る途中。奥は矢筈山(459メートル)

さて菅湖から東に戻るんだが、あらためて田んぼが段々になっている。

段丘と石垣.jpg
田んぼに設けられた石垣

このように、崩れ防止のための石垣も。古いもののように見受けられた。東側の土地がどんどん高まっていることから生じる段丘のようだ。昔の菅湖の湖岸跡なのかも?

ここから国道27号線に出、南下し、舞若道の高架下をくぐると、山の西麓の湿地に出た。

中山湿地.jpg
中山湿地

南北に伸びる山地の東麓にある、三方を山に囲まれた湿地。滋賀県や岐阜県でも見られる地形がここでもあり、湖が土砂で完全に埋まる寸前のような雰囲気がただよっていた。

高度計でみると標高27メートルで、三方五湖よりも小高い。小ぶりだが「第6の湖」だったかもしれない。ボーリング調査では地下50メートル以上にまで堆積物がたまっているという。
太古の時代はもっと標高が低く、こっちの谷に鰣川の本流があったとも考えられている。現在は南向きに水が流れている。

飛ぶカモ.jpg
飛ぶ鴨の群れ

ここで鳥の写真を撮ろうとするが、逃げられてしまい、飛んでいく群れを撮るに終わる悲しい低技術。
フィーフィーと高い声で鳴いているのも鴨だったことがわかった。鴨はグワッグワッとしか鳴かないかと思っていたがそうではなかった。
探検マップの看板もあり。

土地の下がり.jpg
道路の左側が西。土地が一段下がっている

鳥浜バス停前.jpg
町営バス「鳥浜」バス停。「CABIN」手描きだ

浦見川開鑿による水抜きで生まれた村、生倉(いくら)を通り、旧三方湖岸の地形をみたあと、鳥浜のファミリーマート着。釣りの際にちょくちょく利用するコンビニだ。名産のうなぎ料理ではなくおにぎりで済ます。

近くに町営バスのバス停があって、ここから常神行きに乗って、梅の里まで向かった。(つづく)
ラベル:三方五湖
posted by 進 敏朗 at 23:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 水辺を見る(滋賀以東) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

菅・三方湖と梅、縄文ロマン(下)

梅まつり会場.jpg
にぎわう「梅まつり」会場

三方五湖周辺は日本海側最大の梅産地という。
この日、若狭町営バスで三方湖畔のJA直売所に向かうと「梅まつり」が開催され人がにぎわっていた。
製法や塩加減の違う10種類以上の梅干しがある。こんぶ入り梅干し等購入。
梅の花を見ながら梅製品の特売を、という趣向だけど、梅はまだ咲き初めだった。

とまあ三方五湖観光に浸ったのだったが、温暖地を好むとされる梅が、なぜ北陸の地で産地となっているのか?
会場で誰かに聞いてみたかったが接客で忙しそうで切り出せない。

入手したパンフによると、江戸時代の天保年間(1830〜44年)に発祥したという。豪農の家2軒に梅の木が植えられ、明治に入ってから生産が拡大。

咲はじめ.jpg
まだ咲き初め

梅林の多くは湖岸すれすれの低地にあった。
三方湖は淡水なので潮風は吹かない。湖で冷気がやわらげられることや、山に囲まれて風がさえぎられたりするのが、梅にとって好条件なのだろうか。

そうだとすると、浦見川の開鑿で、新田が開発されただけでなく、梅産地もまた生み出されたということか。

それにしても、まだ除雪した雪のかたまりが残っている中での「梅まつり」は珍しい光景では。

見世島.jpg
田井島。手前の田んぼは江戸時代まで湖だったという

このJAから歩いて、湖岸に突き出た低山があった。田井島といい、江戸時代に浦見川が開削されるまでは、島だったという。ここに登って湖の風景を見てみみようと思ったが、入り口が厳重に封鎖されていて入ることができなかった。

紅梅.jpg
紅梅があった

三方五湖ではこうした低山が随所にある。これらに逐一登って、眺めることができれば、違った角度から湖が見られて楽しいような気がする。

◇◇◇◇ ◇◇◇◇ ◇◇◇◇ ◇◇◇◇ 

町営バスで「縄文ロマンパーク」に戻る。「道の駅」の隣に「福井里山里海研究所」がある。そこでは、三方五湖にすむ魚や、鳥の写真展示があった。

DSCN1107.JPG
オジロワシ写真

オジロワシの写真があった。先ほど、菅湖で出会ったおばさんはこれを探していたのか。
…2月27日に北帰してしまったという。

オジロワシの見られた稜線.jpg
館の外から見た三方湖。奥の稜線にオジロワシが見られたという

鳥に詳しい館員氏に聞くと、オジロワシは昨年12月下旬に飛来、三方湖と水月湖を隔てている長尾山の稜線上に見られたという。

ホワイトボードには先週、一帯で見られた鳥40種類以上が一覧表示されていた。同館周辺で1時間ちょい、観察しただけで見られたという。
鳥観察のエキスパートになると、素人では見えない世界が見えるものだなあ。

オシドリなど.jpg
オシドリがいる(V字の真ん中)

「あそこのV字の真ん中にオシドリがいますよ」と教えてくださったので、望遠鏡でのぞくと鴨類のなかでもひときわカラフルな羽が見える。オシドリを見たのは初めて。

もっと山中のダム湖とかにいるのかなと思ったが、こんな海抜ゼロメートルのところにもいるとは知らなかった。望遠鏡の接眼レンズにコンデジを当てて撮影したのでちょっと画像が粗い。

さすが鳥浜というだけあって鳥がたくさんいる。

◇◇◇◇ ◇◇◇◇ ◇◇◇◇ ◇◇◇◇  

鳥浜といえば縄文のタイムカプセルとして名高い鳥浜貝塚がある。
1万2千年前から5000年前くらいまで人の暮らしが続いていた痕跡を示す貝塚だ。

鳥浜貝塚の出た場所.jpg
鰣川(左)と高瀬川の合流点付近。縄文人が貝塚の場所を示す

うかつにも貝塚の場所が、縄文博物館のある場所だと思っていたが、そうじゃなくて同館から200メートル南、鰣(はす)川と高瀬川の合流点付近の、あの縄文人像が立っているへんだった。

その合流点の西(上の写真の右側)に、ずっと西側から続いている低山の末端がある。

縄文人がちょくちょく登っていたとみられるこの低山に筆者も登ってみた。
南麓からは縄文人の住居跡や丸木舟が出土している。

山からの眺め.jpg
山から

標高50メートルくらいの山から下を見た。
縄文時代は三方湖は今よりも広くて、南側の平野にずっと広がっていたという。したがってこの低山は、その時代、湖の中に突き出した岬の先端だった。

尾根沿いに山道が西につながっており、陸路も確保できている。
戦国時代の城の遺構らしき堀切もあった。

山を下りて、合流点の左岸側から低山の南側を眺めてみた。縄文時代の湖岸をほうふつさせる。

縄文の入江.jpg
縄文時代の湖岸をほうふつ(奥が西、左が南)

さて、縄文人の村はどこにあったのか。先ほど、博物館でだいたいの場所はうかがった。現地に看板はなく埋め戻されているというが、適当に歩いてみる。

トンネルの向こうの梅園.jpg
トンネルの向こうに梅林が見える

舞若道のトンネルの向こうに、桃源郷ではないが、光り輝く梅林が見えてきて何か異世界への入り口感。

縄文の里.jpg
縄文の里か

トンネルの先は山のふもとで、そこはちょっとした入り江地形で斜面がゆるやか。
梅はほかの場所より開花が進んでおり3分咲きくらい。
北風が遮られて日当たりがいい。山から水も取れるだろうし、波静かで波止にもよし。住むならここなんじゃないかと思わせる。

イノシシ足跡.jpg
イノシシ足跡

足元には真新しいイノシシのひづめもあり、いっそう縄文へといざなわれるよう。

縄文人はここから丸木舟を出し、三方湖や、さらには水月湖、菅湖へと進み、海まで出ていたとみられている。

出土物ではタイとか、マグロ、時にはクジラの骨とか、海の魚・動物もある。
しかし出土する魚の大多数はフナだったといい、三方湖は淡水の環境だったんじゃないかと見られている。

不思議なことに、今では三方五湖名物となっているウナギはほとんど出てこないそうだ。当時、日本海側にはほとんどいなかったという。

湖中の岬の先端での暮らしを思い描いた。
静かな環境で食べ物に恵まれ、ずっと平和な暮らしが続いたのだろうか?

◇◇◇◇ ◇◇◇◇ ◇◇◇◇ ◇◇◇◇ 

蔵元.jpg
古い酒蔵建物

鳥浜からは三方駅が近い。帰りしな、古い蔵元の建物があり立ち寄る。店番をされていたおばあさんに尋ねると98年か99年前に京都にあった建物を移築したものという。生原酒4合瓶を購入。

16時19分の電車で三方駅から十村まで戻る。
そういえば小浜線が今年で開業100年とあらためて思い返す。
つまり先ほどの酒蔵は小浜線で運ばれてきたと思い至った。
鉄道開業とともに移築された酒蔵の威容は鳥浜に新時代の到来を告げた。などと想像してみた。


こうして三方へのワンデイトリップは終わった。
生原酒は甘口で飲みやすく、筆者は甘口好みだと確信に至った。


…さて、三方五湖は地殻変動を続け、歩いた結果何が見えてきたのか。長くなりすぎてまとめられなくなってきた。













ラベル:三方五湖
posted by 進 敏朗 at 22:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 水辺を見る(滋賀以東) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする