2022年01月02日

湖南と湖東 雪の境界

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琵琶湖岸から比良山系を望む

枯野を車で駆り、野洲川河口近くの湖岸から琵琶湖ごしの比良山系を眺めた。
こちら側に雪はないが、対岸の山は雪を戴き、麓まで積雪している。
雪山はきれいだな。

湖ごしに山並みが眺められるこの景観。なかなか見られない景観と思う。
雪山は特にきれいだ。
思えば、故郷の、大山が平野にそびえる様子も、きわだった特徴のある景観だった。
それを毎日見ている間は、珍しいとも何とも思わなかったが。
細かな地形の変化がどこにでも見られる日本の中で、はっきりと特徴のある景観というものが各地にあるのだなと思う。

海抜約85メートルの琵琶湖から、1200メートル級の山並みが壁のようにそびえている。
あっちは雪で、こっちは雪がない。日本海からの北西の季節風を受けた雪があそこで降り、風下の湖南地域までは雪が届かないのかも、などと想像する。
先日、大雪のあった彦根は、琵琶湖の対岸が高島の平野なので、日本海からの湿った雪雲がまともに吹き寄せるのかもしれない。

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雪に覆われた大地

ところが、わずか10キロだけ東に移動した近江八幡市は、一面が雪に覆われていた。どうなっているのだ。
このあたりは比良山系の最高峰武奈ヶ岳の南東方向。ということは、比良山系が雪雲をブロックする説は正しくなかった。
ということは、日本海からの距離の違いによるものなのか。

積雪の量が北と南では大きく違う滋賀県。
そこには、山陰と山陽のような、間を画する山のようなものがない。同じ標高の琵琶湖沿いの盆地が広がっているだけなのに、こうも景観が変化するのはいつ見ても不思議だ。

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雪の境内

彦根や米原では大雪とはニュースでやっていたが、近江八幡ではどうだったのかは特に調べずにやって来たため、思いがけない雪原を新鮮な気持ちで眺めた。適度に晴れて路面の雪が消えていたのもよかった。

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除雪された道

ただし、住む人にとっては除雪作業や雪かきは大変だったろうと思われる。
子どもの頃は、冬でも天気が良いという山陽地方や太平洋側へに憧れていたものだった。


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西(奥のほう)に行くにつれ雪がなくなっていく

帰り道、湖岸道路の岡山の切通しを越え、西に広がる田が目に入るや、手前には白い雪があるのに、向こうのほうは黒い土の冬田へと、農地がグラデーションを描いているのが見て取れた。近江盆地では雪の境目がこのように存在するのだなあと興味をひく。

思わず車を引返し、いましがた通った切通しの道を歩いて登る。自転車用に歩道の拡幅が完成間近で、いい感じ。ただし南側には歩道がなくて危ないので、道路の奥から南西方向を撮る格好に。逆光でわかりにくいが、雪原が裸の土へとシームレスに移っていく様子が眺められた。

その境目が近江八幡市と野洲市の間くらいだった。これが滋賀県における湖東地域と湖南地域との境目にもなるので、奥深いものだ。

posted by 進 敏朗 at 18:03| Comment(0) | 水辺を見る(滋賀以東) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年04月11日

ハナノキ紀行

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赤い花が咲くハナノキ

ハナノキの群落を見に岐阜県の東濃へ行く。
ハナノキはカエデの仲間で、春になると、葉が出るよりも先に赤い花が枝一面に出て、木全体が真っ赤に染まるのだそうだ。
ハナノキ、名前もいいし、花の咲きぶりも色も、いい感じだと思って、家を建てた時にハナノキの苗木を買って庭に植えた。
ところが高木なので、みるみるでかくなり枝を切るのが大変だった。花はなかなか咲かないし、植えた場所が悪かったのか数年して枯れてしまった。思えば、計画性もなく苗木を買ったことがよくなかった。
いつか自然の木を見に行こうと思い幾歳月。ついに意を決して朝から出かけた。

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空に向かって咲く

ハナノキは愛知、岐阜、長野の限られた場所にしか生えていないという。
滋賀にも湖東の北花沢、南花沢に1本ずつ、神社にそれぞれ雌株と雄株の老木があり、国の天然記念物に指定されているが、それは岐阜や愛知からだいぶ離れているので、移植されたものではないかとみられているという。
この日行ったのは岐阜県中津川市の千旦林地区。ここには、数十本の状態の良い群落が湧水湿地沿いに見られるという。
数十本が生えていて、最大級の群落というから、いかに自然に生えているハナノキが少ないかという話だ。

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坂本のハナノキ

中央自動車道中津川インターで降り、まず向かったのが坂本のハナノキ群落で、中央本線美乃坂本駅の南側に中学校があり、その東隣の場所だった。フェンスの外から観察。土地は東側が低くて、湧水が出ているかもしれない。木は見上げるほどの高さで、どれも大きくて立派だ。ウグイスも鳴いていて、いい感じに空が晴れ渡っていた。

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遊歩道

フェンスの中には遊歩道があったが、木の高さは相当高くて、花が咲いているのを見るには首を上に向けなくてはいけなさそうだ。
遊歩道の周りは、湿地の雰囲気もかんじられる。

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フェンスにからまる植物

4月はいろいろな花を見かける。はじけたポップコーンのような形をした、中が紫色の花があった。これは何だ。
花はあまり詳しくなく、あとで調べたらこれが、アケビの花のようだった。

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アケビの花

正確には白いところは「萼(がく)」で、紫色の部分が花なのだという。
見たこともない形と色の組み合わせだったので、外来の植物かとも思ったがそうではなかった。
こうやって花を見るのも楽しいな。

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田と林が入り混じる

そこから車で5分ほど行った岩屋堂地区。
田と小規模な林、ため池が入り混じって、滋賀県でいえば甲賀市の旧甲南、甲賀町あたりに似た感じがする。

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(冒頭の写真) 

新緑の季節なのにまるで紅葉のような赤い高木。
新緑の高木もあって緑、赤のコントラスト。
たしかにこれは、これまで見たことがない光景だ。

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林と田園

天気がよくて風もない。ぽかぽかとして絶好の散歩日和。
花が日差しを浴びて喜んでいるかのよう。




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ため池のスイレンとコイ

農作業中の地元の方から、見られる場所を教えていただいた。
今年の見頃は少し過ぎたかな、ということだった。
4月10日前後の今頃が見ごろかなと思って来たが、例年より咲いたのが早かったようだ。
看板はない。あぜ道の草刈りがしてあって、歩きやすくなっていた。

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ため池とハナノキ

ため池沿いにハナノキがある。
ハナノキは、やはり湿地を好むようだった。
この群落には大木だけじゃなくて若木もある。

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幹から新芽が出る

若木の幹は、表面がつるつるしているが、老木はひび割れていて、違う木なのかと思ったが花が同じだ。
一本一本、番号札がつけてあり、個体が識別できるようになっていた。
このあたりは数百万年前にあった大きな湖、東海湖の名残といい、ハナノキなど、この地域に特有の植物を、東海丘陵要素植物群というそうだ。
東海湖、いつだったか、上石津町に最後の東海湖の痕跡を見に行った(2017年3月10日「幻の東海湖」参照)。
最大時で琵琶湖の数倍の広さがあったという東海湖だが、東のほうからだんだん土地が隆起していって、最後は美濃地方の西端に追いやられて消滅した。それが100万年前のことだという。

そうしたらその次には、山を隔てて西側の伊賀地方にあった湖が北に移動していって、琵琶湖として成長し始めた。
東海湖の消滅と、琵琶湖の成長が、なぜか連続している。本州が東西から圧を受けて沈降、隆起した動きが、東から西へと伝わっていったような感じをイメージするが、実際はどうなのかはわからない。

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シデコブシ

シデコブシの花もその一つなのだそうだ。ハナノキと同じ場所に生えていた。
花の季節はもう終わりかけだった。

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ヒガンバナのような花

ヒガンバナのような形をした花もある。
きょうはいろんな花を見る日だ。


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ため池ごしに山が見える。見晴らしがよさそうな山だ。

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雪山の稜線が

はるか北のほうに雪山の稜線がのぞいている。
御嶽山? いまごろ雪があるなんて。

のどかな風景だが、このあたりに、リニアモーターカーを通す計画があると聞いた。
通ったらどのように景観が変わるのだろうか心配だ。
そう今回は、リニアで景観が変わってしまう前に見ておきたいとも思ったのだった。

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ツツジの誘い

つぎに、すぐ近くにある恵那峡を目指す。
駐車場にとめると、ツツジの花の間に道があって、花が誘っているようだ。

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この中に止まっているはずだが

さきほどのハナノキの場所でも見かけたが、アゲハチョウのようなチョウが2羽、舞っていた。
岐阜県だけに、ギフチョウかと思ってカメラを向けるが飛び去ってしまう。東濃地方では、春に地表に日が差す落城樹林のところにいるようだが、まさにそのような条件を備えた場所。
上の写真は、チョウが止まったあたりを撮影したもの。枯草の上にとまったのを確認し、数メートルの距離を置いて撮影、近づいたら再び飛んで逃げてしまった。
画像を拡大したら、チョウが確認できるんじゃないかと思ったが…ついに分からなかった。
あの羽の模様は、すごい迷彩色なんだなと納得。

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恵那峡。対岸の崖の上に苗木城が見える

木曽川やその支流が、100メートル以上も土地を削り込んで峡谷をつくっている。
滋賀県で似た光景を探すとすれば、瀬田川の立木観音あたりだろうか。
対岸の崖の上に、苗木城が見える。
岩質は花崗岩なので、大津と信楽を結ぶ大戸川の渓谷の規模を10倍にしたような感じだ。
隆起していく大地を、木曽川が削っていた結果、このような雄大な渓谷ができたという感じだろうか。

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岩屋の大祭

崖上の巨岩をくりぬいた祠で神事が行われていた。
朗々とした声で宮司さんがお祓いをしている。
戦国時代に吉田源斎という力自慢の男がすんでいたと伝えられる岩で、今では土地の人々を守る大明神として、年に1回の大祭が営まれていたのだった。神妙な様子に同行の友感激。
いつも大祭では飲食をするが、コロナのため神事を縮小したということでほどなく大祭はおわった。


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大明神への供え物

岩屋の中をのぞかせてもらった。
宮司さんから、真正面からは撮らないでほしいとお願いされ、斜めからのアングルで撮る。
花崗岩をL字型にくり抜いたんじゃないかと思ったが、どうなのか。
調査では炭化した物が見つかっており火を炊いて食事が行われていたようだ。

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恵那峡(パノラマ撮影)

この源斎岩の左側を通ると展望台があり、上の写真のようなパノラマが広がっている。
手前の木曽川は左方向が下流で、奥から流れ込んでいるのは支流の付知川だが、支流といっても滋賀県の大きな川くらいの流域面積、水量があるのだろう。

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川底が見える

下流で川がせき止められているので、ダム湖のようになっているが、見ると水が濁っておらず、エメラルドグリーンの水には川底が見える。
これは、花崗岩地帯のため川底は泥じゃなくて、白砂がじゃんじゃん供給されるからもしれない。木曽川の本流だから流量が多くて、水がすぐに入れ替わるだろう。だがこれだけ森に囲まれているから、落ち葉とかも相当、落ちるはずなのに。ダム湖なのに濁らないのは不思議だ。

ハナノキと新緑の大規模な渓谷を見て、東濃地方の自然を堪能した。







posted by 進 敏朗 at 16:50| Comment(0) | 水辺を見る(滋賀以東) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年12月19日

チバニアン

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地磁気逆転地層への入り口(午前11時50分ごろ)

チバニアンを訪れた。
千葉県を訪れるのは初めて。
よく、ニュース等で滋賀県民にとって「滋賀県」と聞き間違えしやすい千葉県。
どんな所なのだろう。

格安日帰りのぞみチケットで、朝6時半に京都発。早朝の便限定だ。
2時間強で品川着、そこからバスで、東京アクアラインを渡って千葉県に乗り込んだ。

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東京湾の向こうに、千葉の陸地が見えてきた

バスは座れて快適。
東京湾を渡る様子は、琵琶湖大橋で湖をまたぐのにも似た雰囲気。
海上には海苔養殖の棚、その向こうには工業地帯の煙突が見える。

1時間ほどで袖ケ浦駅着。
そこから内房線で3駅、10時過ぎには、市原市の中心駅五井に着いた。

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小湊鐡道のディーゼルカー

五井駅では、JR線の向こう側に小湊鐡道のディーゼルカーが停車。
肌色と朱色のツートンカラーは、むかし郷里の山陰本線でも見かけたような。
車両や、駅の空間全体が昭和の動態保存。跨線橋の弁当コーナーがあり、安くておいしそうだ。
ほんらいはこの、小湊鐡道で行こうと思っていたが、10月の台風被害で目的地駅へは運休が続いたままで、また日帰りで時間に制約もあったため、レンタカーを予約していた。

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車庫に並ぶカラフル汽車たち

小湊鐡道は乗らずに撮影だけしてホームを出る。
軽自動車を借り、市役所前を通り、国道297号を南下。
五井には上総の国分寺があったそうな。古代から開けていた土地。
房総半島の大河川、養老川に沿って、ラーメン店が点在する道沿いを南下していくうち、田園と丘陵の風景となり小1時間。
チバニアンの臨時駐車場に着いた。

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ビジターセンター(木曜日で休館)

チバニアンとは、地磁気の向きが逆転した77万年前から約12万年前までの地質年代をさす名称で、世界共通の名称として正式に決まろうとしている。その由来となっている地層がこの養老川上流にあるという。

筆者が訪れた4日前の12月15日、現場の駐車場の一角にビジターセンターがオープンし、台風の倒木等で立ち入ることができなかった現場の地層の公開も再開された。

だがこの日は木曜日で休館。
しかも悪いことに、前日までの天気予報は曇りだったにもかかわらず雨となっていた。

10年以上も前、京都で出会った大学出たての芸術家の卵が「空間の変容」をテーマにグループで制作活動を続けていた。つい最近、その彼が参加するグループが、千葉の美術館で「わからない」ことをテーマに企画展を開いていることを知った。
それで展覧会を見たい、ついでにチバニアンにも行くことにした。

なぜなら展覧会のテーマが、チバニアンを見た時のわけのわからなさから着想したのだという。
だからビジターセンターで解説を見ずに、わからないままの目で現場に行くほうが都合が良かった。
ビジターセンター休館、しかも雨とあって筆者以外に人がいない。

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地磁気逆転層の説明看板

さて、駐車場から、畑の中を仮設の道が伸びている。
砲弾のようなヤーコン?が転がる。滋賀県ではあまりなじみがない野菜。
仮設道を進むと、養老川に向かう舗装道路に出る。
川は、駐車場よりもだいぶ低いところを流れていて、高低差は50メートルくらいはあるんじゃないか。

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坂の下に養老川が見えてきた

歩くこと10分足らずで、養老川の河床に出た。

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趣のある谷

両岸はU字型に掘り込まれ、川自体は平たく浅く、さらさらと水が流れる。岩肌にガスがかかり絵のような興趣たっぷり。

上の写真で、赤いコーンが立っているところまで進むと、岩壁が姿を現した。
穴が無数に打ち付けられて、まるで抽象的な磨崖仏。

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チバニアンなのか?

駐車場で無料配布されていたチラシ掲載の写真と見比べる。
すると、岩壁の上近くを、やや右肩上がりに線が走っていることに気づく。
それが77万年前の御嶽山噴火の火山灰層。

偶然そのころ地磁気が弱まって逆転したので、火山灰の線が、地磁気逆転の時期を示す目印となっているのだ。

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火山灰層が細いラインに

そのようなわけで、火山灰層の区切りによって、地磁気が逆転した年代がはっきり可視化できるというこの岩壁。
じっさいに地磁気の向きは何がどうなっているのか?

もう1回チラシを見ると、地磁気逆転層は火山灰よりも下で、上には中間層、その上方は現在と同じ地磁気の向きとある。
その説明を見て、いやいや、地磁気逆転層は上のほうじゃないの? と思ったが、下が地磁気逆転層という。
いやおかしいでしょう、だって77万年前以降の「チバニアン」時代の地層はとうぜん、火山灰層より上で、下はそれより古い「カラブリアン」層なのだから。
と思ったがこれも、筆者の思い違いにすぎなかった。後で調べて気づいた。
なぜなら、「チバニアン」は、77万年前の地磁気逆転を画期としてつけられた名称で、チバニアンの期間自体は、現在と同じ地磁気の向きだったから。

なるほどそういうことか。
ということはつまり、これがチバニアンかあ、と思って眺めるこの岩壁(千葉セクション)は、大部分がカラブリアン時代の地層を見ていることになるのだった。
地磁気の逆転、確かめられるかと思って方位磁石を持ってきたが、なぜかコーンで仕切られ立ち入り禁止となっていて、これでは空振りやん(カラブリアン)。
などとダジャレも出て苦笑。

方位磁石を近づけると火山灰層を機に逆転したりして、それが分かるという、肝心の部分が試せない。
これでは、現場近くには来たが肝心なところを見ずに帰るという、徒然草に出てくる仁和寺の法師状態。
何事にも先達はあらまほしきことなり。

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チバニアン下流の手掘りトンネル

そこで岩盤よりも下流に行くと、上の写真のような手掘りトンネルがあって支流の水が流れ出ている。

先ほどの地磁気逆転層の説明看板をよく見ると、この支流一帯はちょうどチバニアンの岩盤の裏側にあたり地磁気逆転層が良好に見られるという。
しかし、このウオータースライダーのような岩肌をのぼるには少なくとも長靴が必要だろう。というわけで遡行は断念。

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方位磁石も一応ためしてみる

方位磁石を岩に近づけたりしてみたが、針が動いたような、そうでないような。。。
楽しみにして来たのだが、、先達がほしい。

というか、チバニアン認定をめぐる研究者間の対立が早く解決され、誰でも岩盤で方位磁石をかざせるようになってほしいものだ。

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柔らかい岩

ここで視線を下におろし河原の岩を観察。
岩は、たいへんもろくて、爪でひっかいても線が引けるくらい。

まあこれだけ、柔らかかったら、削られるのも早そうだから、この養老川のU字型の谷が深くなっているのも無理はない。
滋賀県でいえば、粘土がちな古琵琶湖層を流れる杣川沿いに似た感じ。

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生物跡のような模様

石を見てみると、何やら生物が這った跡らしきものや貝殻が。
やはり海底の泥が固まってできた岩のようだ。

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観音堀りの永昌寺トンネル

近くには明治時代の手掘りのトンネルもあった。
こういう形を観音堀りというそうだ。坑内の照明が後光のようにも。
房総半島は、柔らかな岩でできているみたいだ。
アップダウンの田園山林が展開された地なのだが、雨のため風景観察はせず。

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運行再開が待たれる月崎駅

月崎駅前のショップで、小湊鐡道グッズを買う。
こんど来るときには乗ってみたい小湊鐡道。

食堂で甘目の親子丼を食べたのち、関西よりも10分くらい早い夕暮れの中、千葉市の美術館に行き展覧会を見た。
たしかに「はっきり」一瞬、認識のゆらぎが生じた「わからない」光景。

チバニアン体験を通じたしかに、展覧会も印象深く。

チバニアン(の地層)では、ただの岩盤がちがうものに見えた体験を味わった。
日常にはいろいろと、わからないことが潜んでいるんだなと、千葉に来て思った。

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〈おまけ〉展覧会場外の柱に貼られた、来場者シールの「地層」


posted by 進 敏朗 at 23:47| Comment(0) | 水辺を見る(滋賀以東) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年12月10日

北勢パークアンドライド周遊(下)

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西桑名駅の看板

朝から、鈴鹿峠を越え、三重県の北勢地方を走る三岐鉄道北勢線の駅に駐車、同線に乗り、終着の都市・桑名に着いた。
そこは木曽三川河口の城下町で、広大な水辺が広がっていた。

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遠見遮断の角にハマグリ名産店

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マンホールにハマグリ君たち

「七里の渡し」跡から、船をおりた旅人の気分で京方面へ歩くと、仏壇店、刃物店、ふとん店などがならび、寺院も数多く、往時の繁栄がしのばれた。
街道が3回も鍵型に曲がる印象的な辻に名産ハマグリしぐれ煮の本店があり、ここが町の重要な地点であることが知れた。

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金属手すりいろいろ

乗り鉄旅の目的地として桑名に降り立ったが、歩いてみると結構楽しい。
そうするうちに正午を過ぎたので駅まで戻った。
ビル等に金属の手すりが目立ち、歩きがてら佇まいを観察。

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昭和を感じさせる駅前ビル入り口

駅に隣接して昭和を感じさせる商業ビルがあり、2階の飲食店街のうどん屋に入った。

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昼食の中華そば

そこは多様な麺類を出す店で、中華そばをたのんだ。
コシのある麺が意外にも結構おいしかった。600円とリーズナブル。

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レール幅の広い近鉄電車(近鉄富田駅)

桑名から近鉄で4駅、近鉄富田へ。
近鉄のレールは広くて、新幹線と同じ1435ミリ。
乗ってみると、先ほどの三岐鉄道北勢線(レール幅762ミリ)よりも、断然安定感がある。
枕木がコンクリ化されているのか、継ぎ目のガタゴトも感じない。横揺れもあまりない。
大手私鉄のメーン路線は平滑だった。

近鉄富田で下車。ここで三岐鉄道三岐線に乗り換え、丹生川まで乗る。

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地下道をくぐり、3番乗り場が三岐線
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沿線案内看板

三岐線乗り場は、近鉄線ホームの一角にあった。
近鉄から下りて、そのままホームに向かったが、切符を買うにはいったん改札を出なくてはならない。

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三岐線の車両

切符を買って戻ってきたら、電車は入線していて高校生の集団がいた。
1時間あたり2本くらいの便があってけっこう頻繁に走っている。
黄、オレンジ、銀色の配色がリズミカルな三岐線の車両。

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硬券の切符

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車内

3両編成の電車は6駅目の保々で車両交換となり、以降は2両編成の電車で進む。
三岐線のレール幅は1067ミリで北勢線とも異なり、JRの在来線と同じ。
きょうは1日で3種類のゲージ(762ミリ、1067ミリ、1435ミリ)を体験した記念すべき日に。

三岐線の車両、西武鉄道のお下がりで、同じく西武のお下がりが活躍する近江鉄道に乗っているかのような錯覚を起こす。

なぜこの農村地帯に2本もローカル私鉄が走っているのか。
それは、先に軽便鉄道の北勢線が開業し、そののちに貨物鉄道の三岐線が敷設されたという。
藤原岳が全山石灰岩でできているので、これを貨物鉄道で運びたいが、軽便鉄道では無理だったので、新たに鉄路を敷く必要が生じたからだという。ウィキペディアで学んだ。
員弁川をはさんで両岸に線路が並走しているのは、以前から不思議に思っていたが、鉄道ファンにとってはぜいたくな光景だ。

近鉄富田駅を出発した3両編成の電車は、6駅目の保々で車両交換を行い、同駅からは2両編成に。
8駅目の梅戸井から川筋がかわり、員弁川の右岸沿いに出る。
北勢線と三岐線は地図で見ると「ハ」の字型になっていて、北上して終点に近づくほど両線が近接している。
丹生川駅の対岸には麻生田駅があり、地図上では2キロも離れていない。

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丹生川駅に着いた

10駅目の丹生川で下車。
出発時は車両を埋めていた高校生もほとんどいなくなった。
電車は藤原岳の麓に吸い込まれるように消えていった。

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貨物車両もある丹生川駅

いまではJR各駅から消滅した貨物の引き込み線があって、タンク車が止まっている。

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島式ホーム

ホームは駅舎と離れていてレールをまたいで渡る島式ホームだ。

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花壇がお出迎え

駅には地元のご夫婦が花を育てており、中も外も、よく見たらホームも、花いっぱい。
窓の中にも温室があるっぽい。レトロなフラワーガーデンとしての趣が生じていた。

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「まんぼ」の案内看板

さてここから寄り道して、「片樋まんぼ」を見に行く。
まんぼ、それは北勢地域にある、農業用水のための地下水路だ。
扇状地が発達する同地域では江戸時代の新田開発で田んぼの水が不足することがあり、地下水路を掘って水を確保したのだという。
丹生川から東方向に10分あまり歩くと、上の写真のような目立つ看板があった。
車のドライバーを意識しての大きさのようだった。

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まんぼへの入り口

集落の一角にそれはあった。

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地下に下りていく

地下に下りると、人一人が通れるくらいのトンネルがある。
電灯をつけることができ、スイッチを入れて撮影。

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地下水路。水は流れていない

地下水路の壁は、砂や礫でできていて、まさに扇状地の土質だ。
これを人力で約1キロ掘ったのだというから、たいへんな苦労だったろう。
しかも、たびたび落盤、使い物になったのは明和末期の供用開始から数年後、安永4(1775)年のことだったという。

ところで、水が流れていないので、もう使われていないのかなと思っていたら、近年の農地改良工事の影響で水量が減り、渇水期の11月〜3月は水が流れないと説明板にあった。

先月、見学した三重用水など、農業水利の問題は一定の解決を見たのだろう。
それでも江戸時代の地下トンネルが、いまでも現役だから、240年以上にもわたって使われていてすごいことだ。

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青川

歩をすすめて、大きな支流である青川と員弁川との合流点付近に出る。
青川の石はほとんどが白っぽい石灰岩。
それで水が青く見える、なんてこともあるのかも、と勝手な想像を浮かべる。

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員弁川からの藤原岳の眺め

員弁川から藤原岳を眺める。
右岸には高速道路が建設中で橋脚並ぶ。いずれは、同地を走る鉄道がなしえなかった三重と岐阜とを結ぶ「三岐道路」開業となるだろう。
そうなるとだいぶ地域の風情もかわってしまうような気もするが、それも時代の流れか。

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川の対岸を走る三岐鉄道北勢線

員弁川の対岸を見やると、小高い場所に、黄色い3両編成の北勢線が、ゆっくりと走って来た。
ゆっくりなので、田園にガタゴト音が響いてから、カメラをリュックから取り出し、構えて、鉄橋を渡るところを撮ることができた。
目指す麻生田駅はこの写真から左方向にある。

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駅の手前。背後の林の段丘の上に駅がある

駅は小高い河岸段丘の上にあり、坂道をのぼっていくことになる。
林が開けた場所があれば、電車と集落のいい絵になりそうだ。

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坂をのぼっていくと、向こうは線路

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登り切ったら駅出現(午後3時ごろ)

坂を登ると、そこには麻生駅があって、植込みや雑木がまじった陰に電車が顔を出した。
絵になる電車。今度は撮り鉄旅がしたくなった。

駐車場に戻ったのは、停めてから約5時間半後の午後3時すぎ。
鈴鹿山脈の向こう側、三重県に出て、晴れ渡る空のもと乗り鉄旅を楽しんだ半日だった。

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北勢パークアンドライド周遊(上)

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カーブの向こうから電車が現れた(午前9時47分ごろ)

名神の八日市インターから八風街道を行き、滋賀・三重県境の石槫(いしぐれ)トンネルを抜け、三重県の北勢地方に出る。午前9時すぎ通過したトンネル手前の気温は5度。紅葉はさすがにシーズンをが終わっていたが朝日を浴びた鈴鹿山系がきれいだった。

9時40分ごろ、三岐鉄道北勢線の始発からふた駅目、麻生田(おうだ)駅に着。
無料の駐車場に停める。

今回の目的は北勢線に乗ることだった。
調べたら同線では各駅に無料駐車場が設けられていた。
これを利用してのパークアンドライド行を思いついたのだった。

こういう場合、始発駅の阿下喜(あげき)から乗るのがきれいだと思うけど、駅横の踏切に風情を感じて麻生田から乗ってみることにした。
ホーム横の踏切の情景も良いから、同駅に電車が到来する様子を見たくもあった。

何年か前までは近鉄の支線だったためか、ローカル線ながら自動改札機。
終点の西桑名まで490円。

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ちいさな車両

停車と同時にがーっと開扉。
北勢線は軽便鉄道で、車両は、筆者がふだん見知ったJRのよりもだいぶ小さい。扉に頭がつかえそうだ。
停車はごく短く、わずか10秒で発車。こうした工夫で所要時間の短縮をはかっているようだった。

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林間をゆく

軽便鉄道なのでスピードは出ない。
車両は割と新しいが、がたがた揺れて、モーター音もうなり、がんばって走っている感。
カーブのところでは止るんじゃないかというくらい注意深く徐行する。
でも、景色を見るには最適だ。

見晴らしのいい高台の上を走っていて、田んぼ越しに藤原岳等の眺めが良い。
また、ゆっくり走るから、民家の庭の造作などの観察も興味深い。
車窓の風景は、伝統家屋の集落から、ハウスメーカーの住宅になり、工場も現れ、と次第に市街地に近づいていく。

西桑名に着くまでの11駅で、客が乗り込み、平日の午前中ながら1両に10人以上の乗客がいて、立っている人もいた。

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終点の西桑名に着いた

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西桑名駅の改札と電車

約40分の電車の旅。
軽便鉄道は、電車に乗っている感がひときわ強く感じられ、すっかり満足。
などと余韻に浸っていたら「カメラ忘れてますよ」、と対面の乗客男性から声を掛けられる。リュックに入れず座席に置いたままにしていた。またこうした不注意による失態をおかし危ないところだった。

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駅を出たところ

駅を出ると、バスターミナルがあり、上の写真では右奥のほうに進むとすぐそこにJRと近鉄の桑名駅がある。
桑名に降り立ったのは初めて。
人通りも割とある。

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船が止まっている濠

とりあえず桑名城址を目指す。
歩くことおよそ15分。
城の濠の静かな水に、船舶が止まっている。
うーん、海べり・河口の町だ。

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いろいろな橋

欄干に波模様などのデザインや、朱色の橋、コンクリート橋など、いろんな趣向の橋が濠ぞいに掛かっている。
濠の中ではボラの子の群れが波紋を立てる。

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魚をくわえるカワウ

とそこに降り立った黒い大きな鳥。カワウだった。
以前、鈴鹿市の白子港でも見かけたが。このあたりのカワウは、知多半島に一大コロニーがあるというが。そこから来ているのか。
カワウ、水中に潜って、魚を追い回す様子が橋の上から観察できる。
見ていると水中を右や左、あるいは円を描くように泳ぎ回って、浮上したと思ったらくちばしの先に魚をくわえている。


ボラみたいなやつはスピードもそれほどではないと見えて、なすすべもなく食われまくっていた。
泳ぐのが早い琵琶湖の鮎さえ、食われまくられて被害が出ているからカワウ恐るべしだ。

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桑名城址の説明板

濠で取り囲まれた桑名城の案内があった。
東海道「七里の渡し」の渡し場がすぐ脇にあり、海上交通を見張るかのような場所に立っている。
現在は公園となっていて、無料で入場。

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濠と松、紅葉

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集められた落ち葉と猫

遅い紅葉がまだ残っていて、松の緑とコントラストを成している。
落ち葉も集められて冬支度のようだった。

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ハシビロガモのつがい

カモが飛来していた。ここのカモは、餌付けでもされているのか、近づいても逃げない。
くちばしがへらのように幅広いハシビロガモのつがいが見られた。

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ボラもいて

大きなボラも、コイといっしょに泳いでいた。福井県の小浜漁港で見たボラは、10メートル以内に近寄ろうとすると逃げたのに、このボラは逃げない。

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長良川河口堰

城跡を出て、「七里の渡し」跡に向かう途中、広い河原に出ると、見えてきたのは長良川河口堰だった。
そこは近代土木工学の世界だった。

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七里の渡し跡。奥の建物は蟠龍櫓

江戸時代の東海道の海上ルート区間の船着き場「七里の渡し」跡は、揖斐川の堤防に囲まれていて、往時の姿を想像するのは難しかった。

でも、水がある分だけ、完全に陸地化している琵琶湖の「矢橋の帰帆」の船着き場跡よりは、当時の姿に近いのかもしれない。
海抜がほとんどない大河川の河口付近だけに、江戸時代のような堤防なしの陸地のままでは、巨大台風が毎年のように襲う21世紀のこんににち、安全面で問題が大ありだろう。
江戸時代は、その辺の水害は大丈夫だったんだろうか? 

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櫓の誘い

渡し場の隣では、蟠龍櫓(ばんりゅうやぐら)の扉が開いて、来訪者を招いているようだ。
コンクリート製の水門管理施設だ。
もともと江戸時代に櫓が立っていて、船で行きかう旅人のランドマークだったという。
その眺望はいかに…と登ってみたが、ガラス越しには長良川河口堰が見えていた。(つづく)

posted by 進 敏朗 at 21:25| Comment(0) | 水辺を見る(滋賀以東) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする