2025年11月23日

音羽山

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国道1号をまたぐ歩道橋からの眺め(午前10時50分ごろ)

出発時、まさかの大失態発覚

京都・滋賀の府県境にまたがる音羽山(593メートル)に登る。
筆者は滋賀在住なのでこの場合「京都・滋賀の」と書くより「滋賀・京都の」と書きたいが、「府県境(ふけんきょう)」とは言っても「県府境(けんふきょう)」とはあまり聞かれないのでさきの順で記した。

音羽山は大きい。坂も急だという。個人的な低山の目安「高低差300メートル」を超す行程を登らねばならなくて足がもつか不安だった。だが当日朝、そんな不安をも吹き飛ばす事態が発生した。

前日までには、登山の熟練者であるS氏の助言指導をもとに準備を済ませ、前の晩は遅くて4時間くらいの睡眠だったが8時に問題なく目覚めた。
ところが持ち物を確認すると、あろうことか財布が見当たらず、どこかに置き忘れたと認めざるをえない事態となっていた。
さまざま問い合わせた上、現金をとりあえず持ち、駅前の交番に届け出をして電車に乗ったが、もはや山登りの心境ではなかった。

ひとまず集合場所に向かい、京阪京津線の大谷駅にてS氏と合流。
けさのインシデントを告げ、今できることはない、見つかれば電話があるだろうと話す。
国道1号をまたぐ歩道橋を渡り、坂道が始まったところで着信音がし、タクシー会社から「財布発見」の報が届く。
問い合わせから1時間以上経過していたのでダメかもしれないと徐々に思いかけていたタイミングだっただけに、心が急に軽くなる。
「ありがとう!二度と財布は落としません」と心に誓った。
だが振り返れば数か月に1度このような失態をおかしている気がする。本当に進歩がなくて反省しきりだ。
次はこうした僥倖はないぞ、絶対に再発させてはならん、と自らに言い聞かせる。
冒頭の写真は、タクシー会社からの電話がかかる直前の、窮地の心境で撮った写真であるが、どこか重苦しさを感じさせる。

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(地図1)大谷駅(中央上)と音羽山山頂(中央下)との位置関係

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整備された東海自然歩道の階段

窮地を脱し身が軽く?

心もかろやかに登山ルートである「東海自然歩道」を行く。
空も秋晴れ、風もなく穏やかな低山日和。
出発地点の大谷駅の標高は約160メートル。そこから、朝の出来事を興奮気味に話しながら行くうちに、あっという間に360メートル地点くらいには来ていたと思う。事前に聞いていたほどの急坂には感じられず。
窮地を脱した解放感に、坂のきつさが全然気にならなかったのか。

そして標高360メートル地点くらいから、上の写真のような階段が始まる。さすが東海自然歩道というのか、幅が広く、両側に手すりもあり、余裕ですれ違いもできるよう整備されていた。
踊り場のような場所で数分間休み、そこからさらに傾斜が大きくなり細かなジグザグを描きながら登っていき、460メートルに達したところで階段が終わり、緩やかな尾根道となった。
そこでは向こう側から来た見知った面々とすれ違い、たいそう驚かせてしまった。

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山頂からの眺め(スマホで撮影)

そうして到着した音羽山の山頂。
琵琶湖(左側)と、京都の市街地(左側)が同時に見渡せる。この眺めは中々素晴らしかった。
上の写真はスマホでの撮影だ。

この日はニコンのコンデジ「COOLPIX AW100」を持参した。
コンデジは、画面タッチではなくボタンを押す操作なので手袋をはめてもでき、ポケットから取り出して片手で操作できるので、歩きながら撮るには便利である。
ただ画質はいまひとつで、山頂で立ち止まって撮るにはスマホのほうが断然きれいな絵がとれるのだった。

時刻は12時15分。かかった時間はおよそ1時間20分。
体力に自信がなく休み休みで2時間はかかるんじゃないかと覚悟していたが、案外、休まずに行くことができた。S氏の「歩幅は小さくしたほうが疲れにくい」との助言も役立った。
健脚の人が投稿しているであろう「ヤマップ」などの記録と同じような時間で来れたのでうれしかった。
この日の最高気温が大津で17度、暑くも寒くもなく無風という気象条件にも恵まれ、あまり汗もかかずにすんだ。
何より、登り始めるタイミングで「財布発見」の報が届き、「窮地から脱し身も心も軽くなった効果」が寄与したのではないか。

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山頂の札

にぎやかな山頂で、休憩、昼食、サイトシーイングなどを楽しむ。
穏やかな日差しが降り注ぎ、まるで祝福されているようだ。
午後1時を過ぎると、十数人はいた人たちはみな出発した。
われわれも下山の道を行くことに。どこから行くかと話し合ったが、午後は西側がひなたになることもあり、西斜面の山科側を下り「牛尾観音」を目指すことにする。

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(地図2)音羽山(中央)と牛尾観音(下のほう)、「山科音羽川」(青い曲線)

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瀬田方面が見える場所も(コンデジで撮影)

山頂からやや南に進むと、東側の石山瀬田方面が見晴らせた。
あちらに向かって山を下ると石山寺まで約7キロの行程となり、やや遠い。

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静寂に包まれた牛尾観音(午後2時ごろ)

静かな牛尾観音でゆったり

ずんずん道を下っていくと、木材を焼く煙のにおいがし、たどり着いた牛尾観音。
山の中腹にある古刹である。

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「金生水」をくむ

本堂の裏手に名水が湧き出しており、この日はカップを持ってこなかったので空になったペットボトルにくむ。
蛇口をひねると井戸ポンプが作動。透明感というと変だが無味のおいしい水だった。
コンデジは操作は手軽だが、明るくない場所ではシャッタースピードが遅くなるのが難点…。

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湧き水取水場付近の石碑や観音たち

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急な崖と紅葉

境内の北側は急斜面で、絶景だったが、崖面の崩壊も進んでいるようだった。
これ以上崩壊すると境内もあぶなくなるように思える。

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趣のあるコケと午後の日差し

境内では数人の男性が掃除やたき火を行っていたが、その中で最も若そうな男性がご住職であった。
聞くと護摩木を制作しているのだという。
牛尾観音の先代住職をS氏は知っており、代替わりした現在の住職に、以前ここで大峰山行に誘われた話などをし、懐かしそうにしていた。
それにしてもこの日、京都市内は紅葉見物がおそらくピークで、インバウンドや国内観光客が殺到しているであろうに、ここ牛尾観音の境内は静寂そのもの。まるで1980年代の京都にタイムスリップしたようだ。
名水もあるし、眺めもよく、ええ場所だなあと、しばしひなたぼっこを楽しむ。

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小滝と水車

音羽川や小滝が憩える川沿い道

帰り道、レールのコンクリ枕木を敷き詰めた舗装坂道を下ると、沿道に渓流が流れ、ところどころに小さな滝が見られた。
それらにはミニ水車、鹿威しなどが設置され、落下する水を視覚的・聴覚的に楽しませる工夫のようだった。
滝にはそれぞれに名前がつけられており、先の牛尾観音が古来、大事にしてきたのかもしれない。
藤原定家の歌とか、句碑も多くて、昔から知られた京都郊外の景勝地であった模様。

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音羽の滝

渓流や滝などが見事な眺めであったが、S氏によれば、この上流にごみ処理場が建設され、それ以来川底が黒ずみ、魚もいなくなってしまったとのことで、たいそう残念そうな口調であった。私は初めて訪れたので往時を知らないのだが、思っていた以上に水が豊富な流れで、かつてはさぞいい水が流れていたのではないかと想像できた。それだけに残念にも思える。

ごみ処分場は迷惑施設なので、どこに建てても歓迎されないのだが、川の源流域に建設すると下流まで影響がありそうなので、山岳地帯に建設はどうなのかとは思う。わが居住域の野洲川水系もそうなのだが。

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ふもとの集落からみた音羽山の山容

下山し乾杯、第二作戦行動

夕方が近づき、さらに麓まで下り、小山の集落に達した。
西日さす雄大な山容を写真に収める。
名神高速南側の側道っぽい道を歩き、追分駅をめざすが、そこは閑散とした駅前で、そのまま四宮駅まで西進し、コンビニでビールと肉まんを買いささやかに乾杯。本年の集大成として望んだ低山巡りをぶじ締めくくれたことを祝した。
ぎりぎり寒さがしのげて、夕闇迫る時刻の解散となった。

夕暮れ近く解散。そして私は山科駅でJRに乗り換え、京都駅で下車。この日「第2部」の作戦行動を開始。
市バス「23系統」に乗車し、洛西方面まで小一時間。タクシー会社の営業所に行き、財布を取り戻したのであった!
折り返しは、バス停で30分以上も待ち時間があったことから、折から到着した「29系統」四条烏丸行に乗り、四条御前通で下車、山陰線の丹波口駅まで徒歩で向かい、8時半ごろ、がら空きの五条通沿い1980年代風ラーメン屋で夕食。獣臭香るスープ、のび気味の麵。昔、ラーメン屋はこのような雰囲気・味だったと思い出す。それはだだっ広い五条通と市場のある丹波口の乾いた雰囲気にマッチしているように思われた。
そして山陰線で京都駅のホームに滑り込み、そのまま乗り換えた。朝からの大失態を回収し帰路についた。

posted by 進 敏朗 at 10:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 低山めぐり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年11月12日

多度山

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北勢鉄道の電車に乗る(午前7時50分ごろ、大泉駅)

眺めのいい低山、多度山へ

三重県と岐阜県にまたがる多度山(403メートル)に登ることを計画した。
北勢鉄道の大泉駅まで、鈴鹿山脈を貫くトンネルを抜け、平地へ下った。
100台以上が停められる無料駐車場がある。
ここから終点の西桑名で降る。多数の高校生が通学に利用していた。
隣接する桑名駅で、養老鉄道の電車に乗る。乗り継ぎの時間は約15分。

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大垣行の養老鉄道電車(午前8時40分ごろ、桑名駅)

桑名から4駅、「多度」で下車。

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馬をかたどった駅名看板

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駅前商店街の向こうに多度山が見える

とまあ、朝の乗り鉄を楽しんだ。
駅前通りを北上すること数分、鳥居があって登山道の入り口の看板があった。

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登山道の入り口

サアここから、山を登っていくが、その道中は切り返しの続く舗装道路であった。
多度山は高さ400メートル余りの低山だが、出発点の多度駅が海抜約10メートルくらいなので、ほぼ標高と同じ高低差を登り切らなくてはいけない。

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ハイキングコース案内図

上の写真で、水色の線でジグザクを描いているのが、「眺望満喫コース」。
こちらの東南側からのコースを選んで登った。
行程は約4キロ。
中腹あたりにつづら折りをショートカットできる区間があり、そこは山肌を踏みしめて行った。

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山頂が目前

素晴らしかった眺望

整備された道路なので歩きやすい!
木立が茂っていたが、途中の休憩所付近で眺望が得られた。

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ひろがる眺望

夏までの極度の運動不足による体力低下から、軽度な運動を再開し少し足腰が回復したが、それでも坂道はしんどかった。
息を切らしながら1時間20分ぐらいで山頂に到達。

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山頂の神社

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見晴らしの良い山頂

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三川と濃尾平野、名古屋市街(左奥)

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三川河口方面、伊勢湾を望む

多度山は養老山地の南端で、東から東南にかけての見晴らしがよかった。
大きな川が海に注ぎ込む様子は壮観だった。
ただこの日は次第に雲が空を覆い、山頂に着いた午前10時半ごろには曇りとなった。
やや霞がかかって遠くのほうははっきりと見えず。
風は弱かったが気温が上がらずひんやりと肌寒い。

眺望を楽しんだあと、早々に下り道についた。
下りは、南へとおりる「健脚コース」を選んだが、急坂で、行路のほとんどが階段。
私の脚力では登るのは困難と思われるほどの急坂だ。

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茶の木ロード

多度山は固い岩盤でできており、健脚コースは砕石が転がっている。

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ツキヨタケか

ふもと近くになり、伐採された木にツキヨタケらしきものが群生。
最下段付近では、茶の木の林が見られた。

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多度大社の奥のあたり

多度大社を参拝

健脚コース出口から東に折れてゆるやかな坂を下っていくこと約10分で、多度大社の境内に出た。
建物群が込み合っている。

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馬がいる

その左手のほうに、木造の建物があって白馬が顔をのぞかせていた。

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神馬

多度大社は「上げ馬」の神事がたいへん有名なのだそうだ。
生きた馬も拝む対象となっていた。
来年は午年だから相当な参拝者を呼びそうだ。

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上げ馬神事のスロープ

上げ馬神事は中世には行われていたというからかなり歴史ある神事だ。
そこは思ったよりも急坂だった。進んでいくほど傾斜が増すつくりで、以前はゴール地点にさらに土壁が設けられていたが、負傷した馬を殺処分したことが動物虐待との批判を受け、昨年から土壁が撤去されたという。伝統の行事と現代の価値観とをどう調和させるかが問われているのだろう。
多度大社は、山が信仰の対象になっていることがありありと感じられる、まさに山と一体化した神社だった。

11時45分に、多度駅行のコミュニティバスが到着。これに乗っていったん戻る。運賃は100円。
歩けば約20分の行程でこれは役に立った。

つぎは低地をいく

さて正午から、再び歩き始めてこんどは低地を目指した。
多度駅から東側は、海抜ゼロメートル地帯の低地で、標高10メートルの多度駅といえど低地からみればじゅうぶんな高台なのだった。

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多度川(奥が下流側)

駅から北上するとすぐに多度川の橋があり、そこから東(下流方向)へ折れる。

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断流

するとほどなくして、養老鉄道の鉄橋の手前で川の流れは河原に吸い込まれ、断流してしまっていた。
山と低地との間にある扇状地の川の様相を呈している。
モクズガニの殻らしきものが転がる。

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鉄橋を渡る養老鉄道の電車

鉄橋の下をくぐったところで電車が通過し、振り返っての1枚。
堤防沿いの道路を歩くと小学校があり、グラウンドで児童が遊んでいる。

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輪中の中

数百メートル進むと土手に突き当たり、多度川が水なし河原のまま90度南に曲がっていった。
どこから水が復活するのかを見てみたかったが、今回の目的地はそちらではなかった。

突き当たった土手は、中学の地理の授業で習った「輪中」のようだ。
土手の向こうには低い土地が広がり一面の田んぼになっている。その向こうには、へりを縁取るように木立や住宅が見え、真正面に木曽川三川公園の高さ138メートルあるタワー「ツインアーチ138」が頭をのぞかせている。

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土手の西側は高台

土手を下って振り返ると、上の写真のように小学校の校舎が見え、高台となっていることがわかる。
多度駅前の市街地や多度大社は山のふもとの高台にあり、田んぼはゼロメートル地帯。
低地、高台、山と三つのエリアから成っており、低地は農地が、高台には街が形成されている。

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輪中の堤防路

輪中の堤防は、その高台よりは数メートル低いが、裏の田んぼよりは3メートルくらい高い。その道沿いに集落が続いている。
多度山から吹き付ける風を防ぐためか、住宅は背の高い生垣で護られている。

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再生二期作か。稲穂が出た田んぼ

田んぼの中には、晩秋のこの時期にしては穂が垂れている区画もあり、いちど刈った稲を再び実らせる「再生二期作」の二期目の実りかもしれない。

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木立の向こうに池が

輪中の中にあった「琵琶池」

さて輪中を北に向かって歩くこと約40分。輪中の中に「琵琶池」が見えてきた。
これが低地めぐりの目的地。
滋賀県在住者には名前が気になる池だ。

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琵琶池

琵琶湖との関係はよくわからない。地図で見るとその形が、琵琶湖に似ていなくもない。
滋賀県に形が似ているといわれるオーストリアにも似ているかも。
長さは500メートルくらいありそうで、そこそこ大きい。

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地図でみる琵琶池

ここが多度登山につづく低地行の目的地であった。

その雰囲気は、南湖の守山あたりの内湖を思わせた。
かつての川の流路の名残かもしれない。
水鳥はおらず静かだ。

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琵琶池から多度山を望む

「琵琶池」ごしに「多度山」を眺めた絵を撮ろうと、池の東側に回り込む。
その眺めを撮ることで、今回の周行が1枚の絵として表現できるのではないか。
しかし、鉄塔や送電線が目立ってあまりいい絵にならない。

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琵琶池と多度山の位置関係

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ヨシを手前に入れて撮影

あるいはヨシを入れてみたら、とかいろいろやってみたがしっくりこない。
晴天だったら、もうちょっと印象的な雰囲気になった可能性はある。
などとやっている間に、電車の発車時刻まで30分しかないことに気付いた。
電車は40分に1本の間隔で運行され、そんな便がないわけではないがまだ昼食をとっていないのだった。
多度駅前に適当な店が見つからず桑名に戻ろうとしていた。
ここから多度駅まで約2キロを急ぎ足で戻る。

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多度駅近くの印象的な交差点

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多度駅に滑り込みセーフ!

桑名行きの13時22分発電車にぎりぎり間に合った。
行きに乗った柿色ではなくて黄緑色の電車だったが、ホームの柱が同じカラーで彩色されていた。
これが養老鉄道の本来のカラーなのか。

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閉鎖された桑名駅前の昭和ムードなビル

以前桑名を訪れたときに昼食をとった昭和ムードのビルは閉鎖されていた。
あそこの中華そばは良かった。
代わりに新駅舎の食堂で名物ハマグリなどを食べ、14時半の北勢鉄道で帰路についた。

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西桑名駅の北勢鉄道電車で帰路に

大泉駅には農産物店があり、名産こんにゃくを買う。
山からの眺望と高台、低地、池と、さまざまな地形がみられる多度山周辺は興味深い場所であった。
朝の晴天が続かなかったことが惜しまれたが、また天気の良いときに訪れてみたい。

posted by 進 敏朗 at 23:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 低山めぐり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年10月19日

逢坂山 眺望とキノコ


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逢坂山山頂の眺め

大津と山科の間にある山、逢坂山(おうさかやま)に登った。
山岳にくわしい友人S氏の助力付きである。
標高は324メートル。
長期間の運動不足からのリハビリを目指した低山歩きだったが、山頂部北方向に木が伐採され、冒頭の写真のように眺望が得られた。
大津の市街や草津の市街をはじめ、南湖や琵琶湖大橋、近江大橋、さらには沖島、その向こうの伊吹山、鈴鹿山脈までが一望だ。
空の色が明るくなるとともに、木々の間から小鳥のさえずりが始まり、多数が飛び回る姿がみられた。
思いもかけぬ眺望のよさにしばし足を止めて見とれていた。

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山頂の手前からは山科も一望

前の晩、雨が降ったせいかキノコもいろいろ見られた。
地面から出てきたもの。朽ち木に生えたもの。色や形もさまざま。
ただ、残念なことに種類がわからない。
以下は道中見かけたキノコである。

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そして大津側に下山すると、そこには巨大なキノコを思わせる石塔があった。

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巨大キノコ石塔?

大津市によれば、これは関寺の牛塔(うしとう)という、鎌倉時代のものとされる重要文化財だそうである。
高さが3メートルもあるふくよかで堂々とした形。こんな石塔があるなんて知らなかった。








posted by 進 敏朗 at 21:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 低山めぐり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年06月21日

宇佐山・崇福寺

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宇佐山山頂からの大津の眺め

西大津駅でS氏と待ち合わせ、宇佐山に登り、崇福寺まで巡る。
日頃の運動不足は甚だしく、標高335メートル、登山口からの高低差200メートル強にすぎない山のぼりに体力の限界を感じた。
宇佐山から崇福寺を経て、壺笠山に至るルートをS氏は計画してくれたが、足が上がらず午後の時間も遅くなり壺笠山は断念する。

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ため池に白砂のデルタ形成

宇佐山から山伝いに崇福寺まで行くルートでは、崖のただ中を横切るような場所があり、怖いのでキャンセルを申し出、いったん山中越えを西大津バイパス付近まで下りてからバイパスの側道を北上し、滋賀里から沢沿いの道路を上がった。
途中、「大仏」があって水くみ場があり、休憩した。

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道沿いにある「大仏」

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沢で水をくむ

大仏は鎌倉時代のものだという。高さ3メートルくらいで板状の花崗岩を彫っている。
崇福寺とは時代が違うようである。

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崇福寺跡

崇福寺は、平安京の遷都よりも120年以上も前の668年に、天智天皇が建てたという古代の寺院だ。
廃寺となって礎石が残っていた。

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切り株にサワガニが

訪れてみると崖上の尾根を切り出したような平たい区画だった。
金堂や塔はまた別の尾根にあって、そこに行くには北の方向にいったん坂を30メートルくらい下りて、また同じくらい上がっていく。

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白砂の谷

谷も深い。きれいな白砂の渓流だ。

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大きな礎石

今では杉林に覆われて眺望はないが、琵琶湖が一望できる高台。
桜やモミジの木で覆われている。この日の気温は平地で33度の表示を見たが、暑さを感じなかった。
沢の流れがあったので、沢伝いに冷気が運ばれてくるのが感じられた。

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遺跡も点在するのどかな風景

山は傾斜が急で、高さのわりに登るのが大変だった。疲労は体力不足が主原因だが、暑さに加え、この地形の急峻さも思った以上だった。
琵琶湖の真横にある急坂の山は、土地の隆起(山)と沈降(琵琶湖)が活発なことを物語っているのだろう。
滋賀里あたりは、大津市の中心部からも近いが、案外のどかな場所であった。



posted by 進 敏朗 at 22:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 低山めぐり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年04月05日

霊山

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霊山

伊賀地方の霊山へ

霊山(765.5メートル)は、伊賀盆地の北東にある山だ。
地図を見ると、盆地と山との位置関係が、京都盆地と比叡山の配置にも似ている。
かつて滋賀県境を徒歩で越えて三重県に入ったとき、盆地の中で目立つ山容で、なだらかそうな形をみて、いつか登ってみたいと思っていた。(2022年11月26日「秋の低山行(その6)甲賀伊賀分水界めぐり2」参照)

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(参考)伊賀地方の滋賀県境近くからみた霊山(2022年11月26日)

山頂からの眺めも良いという。
標高766メートルは、高低差300メートルがめどの筆者の低山めぐりを超えていると思ったが、登り口の霊山寺が標高400メートル近いというので、これはいけるのではないかと実行に移す。

霊山寺では桜まつりが盛大に開催

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地元の桜まつりにいざなう提灯。梅咲く境内

駐車場は数十台の車で埋まり、警備員もおり大人気の山かと驚いていたら地元の桜まつりが開催されていた。
残念ながら桜はまだつぼみだった。
かわりに梅が見られ、境内を彩っている。
10時半にまつりが開幕すると、本堂前のステージで演奏が始まり、地元バンドが、ビートルズの「カム・トゥギャザー」をもじって「カム・ツゲザー」と歌った。ここは柘植(つげ)の村なのでツゲザーと。おどろおどろしい曲調と日本語のほのぼのとした歌詞とが深山の境内の雰囲気と融合してシュールだった。
模擬店でポテトとウインナー盛り合わせを購入。
ほんとうはウインナー盛り合わせの付属品のお茶が欲しくて「お茶だけもらえませんか」と尋ねたがそうもいかずウインナーも購入した。
だが結果的にこれが山での空腹を助けてくれることになった。桜まつりに感謝!

おじいさんをペースメーカーに

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山の遊歩道

霊山寺から、山頂は東の方角にあり遊歩道をゆく。
遊歩道は整備されており、200メートル行くごとに「1合目」「2合目」と標識がある。
これは助けられる。
杖なしのおじいさんに、「靴ひもがほどけてますよ」と指摘される。
靴ひもを直している間、おじいさんに先に行ってもらう。おじいさんの歩く速度は遅くて追いつきそうになるが、その都度、立ち止まって息を整えたり写真を撮ったりして、おじいさんをペースメーカーとして活用させてもらった。

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六地蔵に見守られる

前半は杉林の中を進んだ。
杉林では鳥の鳴き声が聞かれない。
7合目を過ぎたあたりから足が疲労アラームを発信しているようだ。
やはり現在の体力では300メートルが限界か。
だが8合目から上では、傾斜も緩くなりゆっくりと進んだ。
いつの間にか落葉樹の林となり、チチチ、ツツピーなど鳥のさえずりが聞かれるように。
ピイーと勢いよく、シカ鳴き声も。
すると4つ角があり、左折0.5キロで山頂という。

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山頂手前の四つ角の標識

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五輪塔や建物区画

山頂付近は平たくて、五輪塔の残骸が残る広い場所などがある。
お堂がいろいろと立っていたのであろう。

眺めの良い山頂

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山頂に出る

ぽっかりと空が広くなり山頂だ。
かかった時間は1時間ほど。
想定よりだいぶ早かったので満足感。

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眺めの良い山頂

山頂は20人ほどのハイカーでにぎわっており、グループでおしゃべりに花を咲かせていた。
評判どおりの眺めの良さだ。

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西の方角

伊賀盆地が広がっている。
手前の平地は、右から左へと柘植、新堂、佐那具と経て上野に至る、関西本線などが走る「回廊地帯」か。
ひときわ高い山は、滋賀県境となっている笹ケ岳(738メートル)のようである。だとすると、あの山頂から右側に落ち込んだ鞍部となっているのが桜峠のようだ。

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上野盆地の中心部方面

視線をやや左に移すと、上野盆地の中心部が見える。
真ん中奥に三角形をした山があり、それの右奥の平たい土地が、伊賀上野の市街地と思われるが、霞んでいるのが惜しい。

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滋賀県方面(北西)の眺め

視線を右に向けると、山並みというほどでもない山林の向こうに、甲賀(滋賀県)の平地が広がっている。
なぜ滋賀県とわかるかというと、新名神の高架が平地を横切っているのが見えたからであった。
こうしてみても、伊賀(こちら)と甲賀(あちら)は行き来がしやすい地域と実感できる。

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昼食(ポテトフライとウインナー盛り合わせ)

桜まつりで買った食べ物を昼ごはんに。
ウインナー盛り合わせは、フランクフルト1本とウインナー5本の組み合わせで、これに500ミリのお茶が付いて500円。
リュックの中で揺られたためケチャップやマスタードが散乱したが、ビニール袋で包んだためかばん内の散乱は免れた。

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山頂の山岳仏教遺構

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遺跡の看板

この霊山は伝教大師による創建ということで平安初期に開かれ、江戸時代の初め頃までは建物があったという。
これだけ眺めのよい場所であるので、やはり戦乱の時代は往来を見下ろす砦として価値が高いのではないだろうか。

静かな山中の田代湖へ

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山頂から田代湖へ下りる経路

さてここから、時間もまだ正午過ぎであったことから、欲を出してさらに東側の斜面を下りて田代湖を目指すことにした。
田代湖への道も整備がされており安心して歩ける行路だった。

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ちいさな渓谷

渓谷があり水が流れているところを渡る。
小さな谷が数か所。フレッシュな水が田代湖に注いでいるようだ。

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木々の向こうに湖が

約30分後、杉木立の向こうに水面が見えてきた。

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湖畔の紅梅

南北に細長い田代湖の標高は542メートルくらい。
ここでは梅が満開で、登り口の霊山寺よりもさらに季節が戻っているようだった。

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田代湖

人けがなく、静かそのものの田代湖。
♪みーずうみーにーきみはみーをーなげーたー、と口ずさむ。
悲しくなってしまうので、
♪みーずうみーにーきみはいーしーなげーたー、と歌いなおす。
湖畔に一人。
背後には林間学校の設備が整備され、キャンプの舞台となっている。
そのため湖畔にはベンチがあって水辺へのアクセスもしやすい。
多くの少年少女でにぎわうのだろうか。しずかな湖畔のキャンプ場、ジェイソン。少年のころ見たアメリカの血まみれホラー映画を思い出してしまう。

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コイがいる

湖畔の遊歩道を南に進む。
するとワンドのようなところに、コイがいるのが見えた。
けっこうたくさんいる。

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ニシキゴイもいる

マゴイや紅白、金色などのニシキゴイが浅場でゆったりしている。
山中の景色とそぐわず意表を突かれた。
ワンドかと思ったらここは河口付近で、乗っ込みの時期なのかも。

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荒涼とした山中の池を群泳

2003年以降のコイヘルペスの流行以降、ニシキゴイがいなくなって黒いコイばっかりの川や池が各地に増えた。マゴイよりもニシキゴイのほうが病気に弱いとみられるが、この田代湖では色とりどりのニシキゴイが泳いでいたのであった。
水温の低さとか、霊山のフレッシュな水が関係しているのかもしれない。

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草が刈られた田代池の堤

多彩な水辺が展開

標高540メートルというけっこう高い場所にある田代池は、重要な灌漑用水とみられ堤周辺は整備が行き届いていた。
ここから、元の道には戻らず、山の南麓をぐるっと回って駐車場に戻ることにした。遠回りになるが行程はほぼ下り道となる。

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水中にカワムツかアブラハヤらしき群れも

堰堤の上の流れの中に、カワムツかアブラハヤかの「ハエ」の群れも。
これらも放流されたのか、あるいは遡上してきたのか。

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白藤の滝

その下流には、高低差15メートルの「白藤の滝」があり、これでは魚の遡上は不可能であるので、先ほどのハエは放流されたものであることが濃厚となってきた。
いや、地質的学に滝の形成以前に遡上した可能性もあるから、そうとも言えんのか。

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滝近くの岩盤

滝近くでは岩が露出し、なかなかの迫力。
これは地面が隆起するとともに、水流が岩の割れ目に沿って削ってゆき形成された谷であるのだろう。
滝付近が、いちばんその活動が凝縮された地点なのだろう。大地の活動を端的に観察できる場所である。

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霊山の南東山麓にある蛇喰池

霊山登山だけでは水辺の要素が少なく、登り始めたころは当ブログのテーマ「水辺」にそぐわないなと思っていたところ、欲を出して足を運んだ田代湖ではニシキゴイ、そして出会った滝と、多様な水辺の情景が展開し、印象深い行路となった。
午後3時半ごろ元の駐車場に到着すると満車だった車はいなくなっており、しんとした山中に取り残され一瞬、キツネにつままれたような心持ちになった。しかし帰り道、ふもとの村では神輿をかつぐ子どもの元気な声も響き、山里に活気を感じた。

posted by 進 敏朗 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 低山めぐり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする