2022年05月17日

青龍山と大門池

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水田に姿を映す青龍山

青龍山(333.3メートル)に登ることを決意する。
多賀町の、多賀大社の南に位置する山。そんなに高くはない。というか登り口からの高低差は180メートルくらい。
これなら、脚力にまるで自信のない筆者でも、まあ登れるのではないか。

そのように思い、現地に到着した。
田植えの終わった水田を歩くと、ヒバリがピーチクパーチクとさえずり、ケリもけたたましく鳴く。サギ、ツバメ、いろんな鳥が春を謳歌している。


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男飯盛木

田園の中に目立つ大木。
斜めに、まるでサッカーのスライディングをしている人のように見える。
これは伝承のある木「飯森木」ということだった。
「御玉杓子」というものの言い伝えもある。

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説明の看板

滋賀県の指定記念物で、樹齢は推定300年以上。
西側にも、もう一つ大木があり、そちらは「女飯盛木」。

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女飯盛木

こちらの木は、腰のくびれを連想させた。両足を踏ん張っている人を後ろから眺めているようだ。
田んぼの中に、ただならぬ大木が2本立つこの地は、古い歴史に包まれた土地ということを物語っていた。

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コンクリ用水路

広い田園を潤すコンクリ用水路。
この水源はため池であった。

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大門池

満々と水をたたえる大門池は青龍山のふもとにあった。
敏満寺の集落の、民家の屋根と水面が同じくらいの高さではないか。
段丘状の地形を利用してつくられていた。
説明の看板によると、東大寺の正倉院の絵図にすでに記録がある古い池ということである。

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大門池の説明板

この大門池や、下流の田は東大寺領だったという。
奈良時代、743年の墾田永年私財法によって、新田開発がブームに。その一環で開墾された池と田園みたいだ。
東大寺は、以前に訪れた大阪府島本町にも所領があったし、三重県伊賀の島ヶ原村にもあった。行く先々で東大寺領に行き当たる印象。同寺の新田開発はすごい勢いだったとつくづく思わされる。

逆に言えば、犬上川右岸のこの地は、それまでは田ではなかったということであろう。
というのは、このあたりは扇状地で、雨が降らないときの犬上川を見ても一目瞭然だが、河原からは水がなくなり、思うように水を引くことができなかったと思われるからだ。
どれくらいの人数が池の築造にあたったのか。工事をしている間の人足の食料、道具類の供与、築堤や灌漑用水を引くなど、技術を持った大規模資本がなくては実現できなかっただろう、などと思いをめぐらす。

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転作の麦畑の向こうに見えるビール工場

地表水に乏しい半面、伏流水は豊富な土地柄とみえ、麦畑の向こうには大手ビール会社の工場が稼働していた。

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大門池や青龍山周辺の地図

話が前後してしまったが、大門池はほぼ四角い形をしていて、水は東にある青龍山か、南側から流れ込んでくる。
池の北側には国道307号線が走り、その北に敏満寺の集落があるが、そこには直接池水は吐出せず、取水口に近い西南の角から水が流れ出たのち、北に進路を向け流れていくのがちょっと面白い造りだなと思った。

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池の北側の、集落側から池(南方)の方向を見る。
階段の上には国道307号線が走り、その向こうに池がある

集落と池はかなり高低差があって、集落が池の直下にあり、破堤したらものすごい被害になりそうだが、水の出口はこちら側にはない。
1300年も続いている池なので、造りは万全なのだろう。

さて、池を眺めたあと、青龍山に踏み出す。

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名神の高架下をくぐる

池から東に進むと名神高速道路の高架下をくぐり、胡宮(このみや)神社に入る。

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仁王門跡

この神社は中世の敏満寺で、ちょうど名神の高架下に仁王門があったといい、巨大な礎石が残っている。

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遺跡を説明する看板

敏満寺、それは主に鎌倉期から室町期にかけての大きな寺院であったといい、中世最大規模の石仏墓跡があるという(調査中で立入禁止だった)。
なんだかスケールの大きな遺跡のようだ。

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「下乗」と彫られた石碑

神社境内にある「下乗」と彫られた石碑はもともと仁王門近くにあったといい、真ん中で折れていたのが繋ぎ合わされている。馬から降りる場所を示した標識のようなものと思われるが立派だ。字体がかっこいい。

そのような遺跡遺物に感心しつつ、神社から始まる登山道に入った。

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青龍山の登山道

登山道は整備されていて、丸太の階段道をゆくが、早くも息切れがして体力の低下に愕然。

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山中の「御池」

登山道から右に折れ斜面を下がったとこに「御池」があった。
ちょっとした崖下に水が染み出している。雨乞いをした場所という。何かいるかなと思ってのぞき込んだら、蚊群に遭遇し早々に退散。

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磐座

そして巨岩あり酒が供えられる。節理が斜めに走り火成岩? 花崗岩ではないかと思ったがよくわからない。
ここまでは、比較的すぐに来れたが、山頂まではなかなかしんどかった。
前日の深夜勤で睡眠時間が短かったのも影響したかも。
名神高速道路の交通音が通奏低音のように響き、大津市南部の眺望スポットとして若者に人気の堂山も、高速道路開通の折には同じ運命となるのかと残念な気も。
最初に歩いた飯盛木の田園のほうが数段静かだ。
疲労が予想以上に激しく、苦し紛れの独り言を繰り返しているうちに行く先が明るく開けてきた。

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山頂からの眺め

突然視界が開け、琵琶湖側が見えた。
先ほどの大門池が真ん前にあり、田園がひろがり、犬上川、向こうには荒神山、そして琵琶湖、対岸の湖西の山並みが広がる。
黒いアゲハチョウも飛び(写真右側の高さ真ん中あたり)、祝福ムード。
新田開発した奈良時代の東大寺関係者も、この田園の広がりをみて「よし」と思ったか。
ほぼ西の方角を見ているのだが、正面に荒神山が見えるのが何かシンボリック。


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多景島も見える

そして視線を右に移すと琵琶湖に多景島が浮かんでいるのも見える。
水蒸気で景色が煙っている。

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三角点の石柱

このようにして山頂の達成感を得た。
持って来たペットボトルの水を飲む。

ここからさらに登山道を進み向こう側に下りようと思ったが、道がずんずんと東側にそれていく気配を感じ、このままでは山の東に下りてしまい車から遠くなるのではと危惧、もいちど頂上付近に戻り「花の道」と案内されていた西側に下りる道を行くが、そこは藪の中だった。

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突然の東屋

下山の道は唐突に整備された作業道に行き当たり終わった。
平成初期の建築物か。
ベンチに座っても、特別眺望があるわけではなかった。

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砂防提下の池

出口を目指して歩くと砂防の堤防下に池があって木が倒れている。
昨冬の豪雪でやられたのか。
木はよく見ると花が咲いていて桐のようだ。
倒れてなお花を咲かせる樹木の生命力。
でも葉が出ていないので、これで枯死するかも。

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桐の花

桐の木は高いので、花をこのように間近に見ることは普通できない。
倒れたことによって目の前に花。
詳細に観察する機会となった。

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花の匂いをかぐ

桐の花の匂いは、甘いといえば甘い、いい香りといえばいい香りの中に、何かまじめな、地道な気分にさせるというか、机に向かい本でも開くか、といった、そんな気分にさせる香りだった。


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桐の花とカエルの卵の泡

そしてもう一つ、泡状の塊、モリアオガエルの卵も見られた。
ソフトボールよりも大きくて、池には三つ確認。桐の花と混じりあって異様な趣。
このように、やっぱり山に行ってみても、見どころを水辺に見出してしまうのだった。
下山で脚がくたくたになり、運動不足を思い知らされた。
その後、車で5分ほどの町立博物館で、当地出土のアケボノゾウ全身骨格(実物)などを見学、帰宅。

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大門池から流れ出る水

奈良時代の墾田、鎌倉寺院の栄華、現代のビール醸造などが田園の低山に息づく多賀・敏満寺の里。
ふところの深さを思い知らされた。










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2022年05月04日

連休の山

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山への入り口付近(午前10時半ごろ)

大津市南部の山にキャンプに行った。
友人が主催する野営会にかつては日帰りで、夕方とか、午前中だけ顔を出す参加だったが、いつの間にかテントや寝袋を買って参加するようになった。晴天に恵まれて文字通りの五月晴れだ。

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花崗岩を伝い流れる水

車を停めて、山道をたどる。
重い荷物を背負って、杖を2本ついて上り坂を進むのだが、体力の低下か少々疲れて、約1キロを進むのに2回も休憩する。

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たいへんな晴天

雲一つない青空に、木々の緑の葉が青々と茂っている。
ここでまたひと晩を過ごすのである。

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スミレ

足元にはかわいらしい紫色の小花が咲く。

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ツチガエルか

足元の水の淀みには、カエルがいたので、山地に生息するカエルかと思ったが、田んぼに普通にいるツチガエルのようだった。
なぜこのような山中に?
しかし山で見ると、色が明るくて別の種類のように見えた。
周りが白っぽい砂なので体色を合わせているのか。

山の中には何重もの堰があって、魚類が上がって来ることはできない。
そのかわり、両生類はカエルやイモリが見られ繁栄していた。

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イモリ

別の淀みにはイモリが見られた。
イモリは、ほぼほぼ水中にいて、底を這ったり、長い尾を使って泳いだりする。

また、夜になると、カエルの大合唱であった。
ヒルルルルという澄んだ鳴き声があちこちから響き、カジカガエル。
さらに、カスタネットのような合唱があり、それは昨年のキャンプで遭遇したシュレーゲルアオガエル。
日没後1時間くらいが鳴き声のピークだった。

次の日、堰堤の石垣の間からはヒキガエルの鳴き声もした。4種類のカエルが確認された。

この日は鳥類の鳴き声も多様だった。
ホホ ホホというやつが昼間聞かれた。
ホホホホホホホと長いイントロに続き、ホホ ホホ ホホ とくり返す。ツツドリか。
ウグイスも、美声を響き渡らせる。
キーコーキーのイカル。
シシピーも。シジュウカラか。
そして、打楽器の早打ちのようなコココココココというドラミング音。キツツキだ。
よく見たらすぐ近くにいた。

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朽木に穴開けるキツツキ

キツツキは尾羽が固く、二本の脚とともに木の幹に垂直にしがみつくことができるのだという。
そればかりでなく幹を歩いて上がったり下がったり、回ったりと自由自在。



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森の奥地


森の環境が、いろいろな鳥をはぐくんでいた。


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ビニールシート屋根

煙にいぶされながら、のんびりと過ごした1日半を過ごした。
すっかり煙を満喫し、明るいうちに山から下りた。




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2021年11月06日

晩秋の山泊まり

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松の枝と木の陰

山でキャンプをした。
11月に入り人は少なくほかにテントを張る人を見かけなかった。
暖冬でこの日も大津市の最高気温は17.7度、風もなく穏やかな日和。


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難燃シートの屋根(7日撮影)

今回、屋根をつくろうということで、新たに並継ぎ式ポール2本セットと難燃シート(1.8×2.7メートル)を導入、四隅にロープを結び松の枝に引っ掛けて、上の写真のような屋根をつくった。
シート、シルバー色で薄いやつはないかと、ネットで探したがシルバーは厚手の3000番手しか見当たらない。
しかしアヤハディオに行ったら適度なやつが売られていた。ネットで探してもないものが、店にあるということもあるのだった。

風を下面から受けてポールが外れるなどするため、友人の持参した洗濯バサミで固定。
また、ロープは四隅だけでなく、ポールからもさらに2本外側に貼ると、1.8メートルの屋根幅いっぱいに張れるようだった。
こうしていろいろな技術が身に着いていく。

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井戸(7日撮影)

さらに今回、友人が飲み水の安全性を高めたいということで砂河原に井戸を掘った。
川面まで掘ると、砂利の隙間から伏流水が出てくる。
微粒子が中々沈澱せず澄まなかったが、2日目になると澄んだ水をたたえるようになる。
もっと川水が多いシーズンだと、水の入れ替わりも早くなるから、より澄むのも早くなるじゃないだろうか。

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たき火

今年はキャンプブーム到来で、5月の連休は人が多くて、いつもの場所は他のグループが入っていて使えなかったが今回は誰もいなかった。
もう11月だから。
温暖とはいえ、11月になると日の入りが早い。
2時過ぎると、日が傾いてたそがれた光となり、もう夕方の雰囲気がしてくる。
晴れた日続きだったから、薪の木も乾燥しているだろうと思っていたが、例年になく落ちている枝が少なかった。


11月の日没はどれくらい早いんだろうと思って後で調べたら、11月6日の大津市の日の入り時刻は16時58分。
5時よりも早く日が沈んでいたのだった。
ちなみに大津市の日の入り時刻は、11月28日から12月12日までの15日間が同じ16時45分で、この期間がもっとも日没が早いのだった。
11月になると急に淋しい気分になるのはこのためであったと得心する。

この晩、冷え込みはそれほどではなかった。
風もなくてたき火をすると過ごしやすかった。
酒を飲み、テント内側のファスナーを全開にしたまま寝てしまい、やはり凍えて起きてしまったが、凍え方は最低気温が5度くらいだったんじゃないかと思われた前回ほどではなかった。うっすらと雲が掛かっていたためもあるだろうか。7日朝の最低気温は大津で10.4度だった。おそらく標高300メートルくらいの現地では2度くらいはそれより低かっただろう。


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ピザ種

翌日は持参した粉をこねてピザづくりをした。
ボウル一つあれば生地ができるから、これは山向きではないだろうか。


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膨らます

ビニール袋で包み、天日で温めたところうまいぐあいに発酵が進んだか膨らんできた。
これを焼いて2日目の昼ご飯とした。

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クロモジの枝

もう一つの興味は、家で伐採したクロモジの木を燃やしたら、香ばしい匂いがするだろうかと思って持ってきたのだったが、たしかに香ばしい匂いがした。ちょっとした香木のようだった。

11月は日が暮れるのが本当に早くて、みるみる日が陰っていくので撤収作業は少し焦った。




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2021年05月04日

低山と野営

5月3、4日、大津田上山中に野営に行く。
カメラを持って行ったが、中にSDカードを入れ忘れるという大失態をおかす。それで画像がない。

そのほかの荷物は、だいたい忘れることなく持って行ったが、肝心の記録媒体を忘れた。
ということで文字での記録になる。
山で撮って記録したいものは、石や、生物、空など。この2日間は、雨がちだった今年の連休の中では、晴れて温暖だった。
ただし夜は寒くて、またもや寝袋の中で震えて起きてしまった。隣接の信楽では最低気温3.8度ということを後で知った。
5月だからといって、そんな10度以上とかで安定しているということはなかったのだった。これも反省点。

2日目、源流を旅し、黄色い粒粒が水の中に多数、群生しているのを確認。
これは粘菌ではないかと話題にする。写真撮れていれば、あとで調べられるのだが、残念だった。

あと、山でホホ、ホホホという鳴き声が聞こえたが、これをフクロウかと思っていたら、ツツドリであるらしい。
ホホホにはふたつの音階があった。新緑の山に、やさしい鳴き声だが、夜に聞くと不気味でもあった。昼にも聞こえた。その時はい声だなと思った。
写真という視覚情報だけでなくて、ああいう音声情報もちゃんと記録しておきたいものだと思った。静かな山で、ほかの雑音が入らない環境だから。
カスタネットのようなキリキリ、キリキリというカエルの鳴き声の大合唱もあったが、これもインターネットで調べると、シュレーゲルアオガエルのものだった。姿は見なかったが、夜、寝ている時なんか、テントの間近にまで迫っていた。

この日は山に記録的な人出で、いつもの場所は他の人が使用していたが、帰り際に見ると、背後の山林にトイレットペーパーが散乱しており、ひどい状態で残念な気分になった。キャンプに掘る道具を忘れてはいけない。所かまわずやることは美観の悪化のみならず、山の富栄養化、ひいては衛生状態の悪化をもたらすのでやめてほしいですね。


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2021年03月27日

小塩山

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小塩山(パラボラアンテナがあるところ)午前9時半ごろ

小塩山(642メートル)に登った。
阪急東向日からバスで、「灰方」まで乗り、そこからふもとを歩いた。
スマホから「国土地理院地形図」をみると、灰方町で海抜73メートルの三角点があり、570メートル近くの高低差に。
これは筆者が「低山」とする高低差300メートル程度をだいぶ超えているから、ちょっとハードだ。

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大原野

東向日駅は向日市だが、そこを西進すると、京都市西京区の大原野の田園が広がる。
左京区にも大原があるが、西京にも大原野があり、岩倉川が流れている。
西京の大原野のほうが、丘がなだらかで空が開けている。
この日は風もなくて、春霞がかかって、のどかさがきわだっている。

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山沿いの集落

石作という集落を抜け、いよいよ坂を上がっていく。
このあたりで海抜180メートルくらい。約2キロ歩いて、100メートルのぼった。
3月末だが、もう桜が咲いていて、まるで桃源郷のように見える里の景色。

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山道

山道に入る。
急坂で息が切れるのはいつもの通り。
この日はしかも、杖を忘れてしまうという失態をおかす。
とにかくゆっくりと、足裏全体に体重を乗せて一歩一歩進むことを心掛けた。

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「結界」の石碑

舗装道路にいったん出ると、「結界」が出現。
お堂のへんで海抜250メートル。
道路は工事をやっており車両通行止めとなっていた。
不動明王像がある。
だいぶすり減って、はんてんがかけられている。

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不動明王

ここから上の山は、人間の世界ではないのか。
自然と信仰とが根深く絡まり合う京都近郊の山々。
登山の無事を祈って賽銭を置いた。

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沢がある

お堂から自然歩道に入り、山の斜面沿いを斜めに上がっていく。
沢があった。流れる水を写真に撮る。


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金蔵寺の山門



不動からの坂は、それなりに傾斜していたが、金蔵寺まで着いて安堵。
山門で、330メートル。低山めぐりでは、だいたいこの辺の高さまでだろう。
しかし今回は、ここで行程の半分なのだった。
おにぎりを一つ食べ、水をすこし飲む。

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山頂への道

さあここからが山頂への道だ。
金蔵寺の境内もけっこう高低差があって、ふたたび登山道に入るときには海抜370メートルに。
残り270メートルくらいと、まだまだあるが、この先がいちばんきつい区間だ。

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海抜450メートルで、いったん平らな道に

金蔵寺から先がいちばんしんどく、道も足場がよくなくたいへんだった。
しかし、海抜450メートルに達したとき、山の傾斜がいったんなくなり、平らな道がしばらく続いてこれは楽だった。
杉の木立の中を北へと歩き、東側は急な斜面となっているので京都の町が見えるかと思ったが視界は広がらない。
南春日町からの登山道と交わり、こんどは北西に向けて頂上を目指すがもはや坂はそんなにきつくない。

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パラボラアンテナ出現

そして山頂付近となり、パラボラアンテナが林立。
もう頂上だ。
いやー、最初はどうなるかと不安だったが、ぶじ着いたこと安堵。
だいぶ休みながらゆっくり歩いたため、ちょうど正午となった。
残りのおにぎり、サンドイッチを食す。

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淳和天皇陵

山の上に天皇陵がある。
平安時代初めごろの淳和天皇は、じぶんの陵墓はつくらず、遺骨は砕いて灰にして散骨せよと言い残した。
その灰をこの小塩山からまいて、灰が降ったのがさきほど登山をスタートした「灰方」であったという。
この陵墓はのちに築かれたという。

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カタクリの花

小塩山の山頂付近では4月、カタクリが咲くという。
群生地が自然保護の市民団体によって守られているが、群生地以外の道沿いにも、こうして咲いているのを見ることができた。
そして、カタクリの花にはギフチョウもくるというが、これはめったに見ることができないという。

山頂も、きょうは風が弱く、温暖で、良い登山日和。
カタクリを観たりしてけっこう長い時間をすごし、ほんとうは花の寺などを経由するはずが、一目散にもと来た道を下りた。
灰方で、帰りの阪急バスがタイミングよく来て、東向日に4時ごろに着いた。











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