2023年09月09日

金生山と湧水池

東海道線の車窓から見えるいい雰囲気の池

P9101087.JPG
車窓からの風景、垂井ー大垣間

東海道線は普通列車でもスピードが速い。
非電化路でほぼ単線の山陰本線沿線に育った筆者としては、時刻表ファンだった昭和後期の少年時代、キロ数から所要時間割ってみたところ東海道本線の新快速が、山陰線の特急よりも速いことを発見しておののいていた。
新快速でない普通列車でさえも平均時速60キロに迫る速さで走っており、それは当時の山陰線特急と同等のスピードだった。これが15分とか30分毎という頻繁さで運行している。
新快速や普通を乗り回して遠出をすれば、特急券を使わずに普通料金だけで(期間によっては青春18きっぷで)、山陰線の特急に乗っているような感覚で、安く遠出ができる。羨望のような思いを昔から抱いている。
だから東海道線の普通列車(新快速含む)で遠出することは、私にとってはお得感の高い行動なのである。

岐阜県方面へ行く。米原で大垣行きに乗り換える。8時4分発の電車は折り返しではなく車庫から出て来て、駅での待機時間が長かったのでホームに長い間立たなくてすんだ。
終点・大垣のひとつ手前、垂井を過ぎると、JR東海普通電車の曇ったガラス越しに、進行方向左側の田んぼの中に趣ある池が見える。ここに行ってみたいが、岐阜県の東海道線は駅間が長く、大垣、垂井どちらの駅からも3キロくらいは離れているように思われる。
これを今回、公共交通を駆使して訪ねてみようとした。

P9101091.JPG
大垣駅3番線の案内

もう9年も前、9月上旬に大垣を訪ね、金生山からの濃尾平野の眺めが素晴らしかったので、今回また、秋の始まりのこの時期に、足を運んでみることにしたのだった(2014年9月7日「水都と石灰岩の山(下)」参照)。
前回、大垣から美濃赤坂行に乗り損ねたことによるスケジュールの狂いから断念した、金生山上の古刹、明星輪寺にも行くことにする。運動不足により衰えた足腰を再び強化するきっかけにもしたい。8月までの異常な酷暑は去ったので、熱中症も多分大丈夫であろう。
前回、乗り場が分からず、大垣駅に着きながらみすみす逃がしてしまった美濃赤坂行の電車、今回は事前に大垣駅の構内図を調べておいた。

P9101096.JPG
美濃赤坂行きの乗り場と電車(右)

大垣駅3番ホームは、4番ホームの西端に切り欠きのようにして存在していた。
二駅だけの区間を走る東海道線の盲腸線(何というのだろう)。 これに乗り込んだ。

終点の宿場町美濃赤坂

P9101103.JPG
ホーム(手前)から離れて立っている美濃赤坂駅の駅舎

営業キロ5.0キロの道のりを、ワンマン2両編成電車は7分で走り切った。
美濃赤坂。降り立つと貨物線が荒野のように広がり、ホームからいやに離れた平地に立つ駅舎も趣深い雰囲気。

P9101105.JPG
駅舎ごしに電車を見る

1919(大正8)年開業時の建物という駅舎の、床タイルの反射光が印象的な駅舎越しの眺めも趣深い。

P9101110.JPG
野原と電車

駅舎を出てから振り返り、集落のすぐ裏に電車が待機している様子を見るのも風情が。
電車がこれくらい身近な乗り物であったら。

P9101108.JPG
ディーゼル機関車DE10(手前)

最近あまり見なくなったディーゼル機関車が停まっている。旧国鉄で量産されたDE10。
採掘された石灰石を運搬するため近年導入されたことを知る。塗装がピカピカで、周囲の施設の古さから浮き上がって見える。
山陰ではかつてディーゼル機関車は見慣れた存在だったので、この朱色っぽい赤には懐かしさを覚える。
この体色や形、表情が読み取れない顔がベニズワイガニを連想させる。

P9101109.JPG
踏切

駅周辺の風景を観察する。
貨物線「西濃鉄道」の踏切。「とまれみよ」と懐かしい、遮断機がない単線踏切。
警報機の高さや、頭部のバッテンの形が後ろの棕櫚の木とシンクロして味わい深い。

P9101114.JPG
建物の門や壁

駅から北上するとすぐ、中山道の宿場であった赤坂の中心部に行き当たる。
建物の規模が大きくて、繫栄していたことがうかがえる。

P9101120.JPG
赤坂港跡(旧中山道の橋から撮影)

中山道に達して東方面へ歩くと本陣跡があり、さらに3分ほどで「赤坂港跡」に達した。
16世紀前半までは、この杭瀬川が揖斐川の本流だったといい、港は線路が開通するまで使われていたといいう。
東西に中山道が走り、南北に揖斐川(杭瀬川)が流れる交点に立地する宿場では、町の東の入り口にある港で荷物の積み下ろしをし、船で下流に送ることができるのだ。道路交通と船運の要衝だったわけで、ここに赤坂繁栄の秘密があった。
さらに、町の北側にある金生山から出る石灰石が、石灰やコンクリートの原料などにもなり、赤坂のまちには石灰会社の看板や建物も見え、鉱山町のような様相も。二重にも三重にも栄える要因があったのだった。
など鉄道と宿場町の情緒に浸ったあと、金生山を目指す。

金生山・明星輪寺への道

P9101127.JPG
山の入り口の坂

赤坂宿の旧中山道から、「こくぞうさん(金生山の虚空蔵菩薩に由来する地元でのお寺の呼び名のようだ)」へ行く道は分岐し、最初から坂道となっている。
標高217メートルということだったが、勾配がきつく、最初から息切れでハアハアゼエゼエとなった。
地元の人が何人も下りてくる。健康づくりのために歩いているのだろうが軽やかだ。

P9101128.JPG
ピンク色のアマナ

道沿いにはピンク色をした大ぶりなアマナかと思ったんだけど、このようなピンク色のは見たことがない。
石灰岩地帯を好むのだろうか。
足を止めて息を整えた。

P9101130.JPG
金生山化石館前に置いてあった石灰岩

古生代のサンゴ礁だったといわれる金生山は石灰岩でできており、そこには数億年前の海の生物化石が見られる。
明星輪寺へ至る途中にある、金生山化石館前の岩には直径10センチぐらいの渦巻き模様が見える。巻貝の化石断面だろうか。

P9101134.JPG
急な坂

坂は金生山化石館を過ぎてからが特にきつく、歩き続けるのが困難になった。
足の衰えも相当なものだと実感。8月よりは暑さはかなりましになったが、気温は午前10時で30度近い。汗だくになる。

P9101135.JPG
明星輪寺の入り口

ようやく寺の入り口が見えてきた時はほっとした。約2キロの登山道を、40分くらいかけてようやく到達。
駅前の自販機で買った500ミリの水はすでに飲みほしていた。

石灰岩の奇岩広がる境内や本堂

P9101138.JPG
山門

持統天皇の勅願で役小角により686年創建と伝えられる古刹。
この金生山は石灰石だけでなく赤鉄鉱も産出したといい、鉄製武器が壬申の乱の大海人皇子軍勝利につながったとの説も。
山門では岐阜県の文化財である仁王像がお出迎え。
境内には石灰岩の奇岩が連なる壮観という。どんなだろう。

P9101140.JPG
ミネラル豊富? 手水

神仏習合の名残か、まず水で清める。

P9101142.JPG
本堂

重厚な入母屋造の瓦が印象的な本堂は幕末の建築。
山門よりも本堂が低い場所に建てられているのは不思議な気がしたが、入ってみると堂の内陣の奥は巨大な奇岩であった。
道内に入り左側から靴を脱いで内陣に入ることができる。
そこは岩のドームならぬ岩の堂(どう)であった。
奇岩をもとに本堂が建てられたことは一目瞭然で、それ故の境内の変則的なレイアウトとなったのだろう。

P9101152.JPG
堂の奥に奇岩

撮影しても良いか僧侶に尋ねると、「お参りした後なら撮影してもいいですよ」と、許可をいただき撮影。
暗くてうまく写らなかった。

P9101153.JPG
奇岩

そして本堂の前から石段を登っていくと、「岩巣」と呼ばれる奇岩出現。
石灰岩が長年の浸食を受け、形が複雑になっていったものが広がっている。

P9101155.JPG

そこにはウシや、

P9101154.JPG
トラ

トラなどの岩を削った彫刻が出現。
もとの岩の形を利用したとみられ量感あふれる。

P9101164.JPG
亀岩

巨亀も現る。これは自然の岩そのままの形が、首をもたげた亀のように見える。
そこは見晴らし台であり、亀は濃尾平野を眺めている。

P9101167.JPG
山頂からの眺め

山上からの濃尾平野の眺めは、もやがかかっていた。前回訪れた際のような透明感はない。遠くのほうはもやがかかる。
まだ秋の空気になりきっていなかった。
川をたどっていくと赤坂港が見える。
急な崖の山であるのと、広い濃尾平野の西端に位置するので雄大な見晴らしが広がる。
日の出を眺めるには絶好の場所でしょう。
奇岩とあいまって、ここが古代国家鎮護の仏教拠点にと注目されたこともなんだか納得できる。

P9101171.JPG
石灰石鉱山

いっぽう、登山路の西側をみると、石灰鉱山の採掘が進み、すでに半分は削り取られている。
採掘業者にとってはまさに金(カネ)を生む山である金生山。明星輪寺があったため、全山が削られるのを免れ、濃尾平野の雄大な眺めを見られるのは幸いなことだと思う。
山の景観の大幅な改変となったわけだが、一方で採掘によって古生代の化石が発見され、数億年前の生物の形態が知られることにもなった。

P9101184.JPG
古生代の二枚貝、シカマイア化石(縞模様の部分)

下山中に、金生山化石館に立ち寄り、館員の方から、建物の脇の斜面の岩に見られる縞模様が、古生代の奇妙な二枚貝「シカマイア」が積み重なった化石であることを教えてもらった。スリッパをつぶしたように平べったい楕円形の縦方向にスリットが入り、断面は「く」の字を鏡合わせにした形という、ちょっと現在の生物では見当たらない奇妙な形の殻を持っており、それが層状に積み重なっている。カキのように岩にへばりつく生態だったのだろうか。
化石館のすぐ脇を見やるだけでこのような露頭があるところを見ても、この山には相当な密度で化石が含まれているだろうという印象。

電車に間に合わず

こうして午前11時半ごろ、下山すると、へとへとになっていた。
すでにペットボトル2本を飲み干す。
午前中にもかかわらず腹が減り、美濃赤坂の「松岡屋スーパー」でちらし寿司、バナナを購入(まけてもらって併せて430円)、公園となっている本陣跡で食べる。

さてここから、行きがけの車窓から見た池を目指すわけだが、乗りたかった10時53分発の電車はすで出ちゃっていて、つぎの13時12分発までは1時間以上も待たないといけない。休日は本数が少ないのだった。
気ままな単独行なので電車に乗り遅れることに問題はないが、次の便を待たねばならないのがじれったい。
こうした際には、休息も兼ねて宿場町内にある資料館等を訪れ時間を過ごすというのも一つの手だが、疲労によって、じっくり資料を見ようという気が失せていた。

事前の計画では美濃赤坂から電車で1.7キロ南進(ほんとうに真南に線路は進む)、途中駅の「荒尾」で降りて、西方向へ2キロほどを歩くということを考えていた。この荒尾駅、あと300メートル東にあったら、本線の駅として、駅間が8.1キロもある垂井ー大垣間の中間駅に活用できそうな位置にあるのに、なぜか盲腸線の途中駅としてしか建設されなかった惜しい駅。この駅の位置が、垂井−大垣のほぼ中間地点にある特性をいかそうと作戦を考えていたが、本日、想定を上回る疲れでスケジュールに遅れが生じてしまったので、「荒尾作戦」は断念。
グーグルマップの表示では、赤坂宿本陣前から、南西方向に位置する池まで4.6キロ。
それなりの暑さの中、日差しを遮るものもない田園をこれだけ歩くのは無謀だ。
そこで、少しでも歩く距離を減らそうと、路線バスの時刻表を調べると、消防分署行が正午すぎに来ることが分かった(続く)。

posted by 進 敏朗 at 18:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 低山めぐり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年04月27日

岩尾山

DSCN9274 岩尾山.jpg
滋賀三重県境にそびえる岩尾山(三重県側から撮影)

気持ちの良い晴天となったこの日は、たまたま休み。目指したのは、甲賀市の三重県境にある山、岩尾山(471メートル)。
晴れ渡った空に、新緑の景色が広がって心地よい。

P4270831.JPG
岩尾池

自宅から約50分、10時半ごろ着。杉谷川の谷にふたつ連続する岩尾池、大沢池などを見学。ともに美しい池だ。

DSCN9269 なだらか県境.jpg
なだらかな県境

県道の、県境付近に駐車。県境を挟んで、両県と伊賀市、甲賀市の看板が立てられている。
甲賀市と伊賀市境のなだらかな県境だが、れっきとした分水界で、あちらがわの小川は奥に向かって流れ、岩尾山から落ちてくる小川はこちら側に流れてくる。

DSCN9271.JPG
かつての水田

三重県側に入るとそこにはすぐ人家があり、田んぼの跡とおぼしき平たい場所が広がっている。
田んぼ、もはや営まれておらず、そのため獣害柵がここには張られていない。

P4270896 伊賀市.jpg
P4270895 甲賀市プレート.jpg
両県の看板。大きさや表示板の設置方法が違う

非常に蛇足ながら、滋賀県と三重県で、看板の設置方法やサイズが違うことに気づいた。
滋賀県のほうは「滋賀県」と「甲賀市」が別々の板となっているが、三重県では一枚の板でできており、「伊賀市」のプレートを、合併前の町名が書かれた看板の上に貼りつける方式となっていた。字のフォントや色は同じ。一律に同じかと思っていた看板だが、県によって形式が微妙に違っているのか。

DSCN9266 岩尾山案内図.jpg
岩尾山の案内看板

車で中腹の寺まで登ることはできるのだが、今回は冬期の入院などによる極度の運動不足からの体力回復を目指しており、県道脇に車を停め、まずは中腹の寺、息障寺(そくしょうじ)まで登る。

P4270851 出迎え.jpg
出迎え

駐車地点がすでに、海抜290メートルで、息障寺の立つのが370メートル。そこから岩尾山の頂上はあと100メートルという、楽々登山コースだ。
しかし、寺に着くまでの舗装道路で息切れが始まり、先が思いやられた。
出迎えの仏に励まされるかのよう。少し不気味でもある(笑)。

P4270855 息障寺.jpg
息障寺

息障寺は最澄の創建とされる古い寺。
平安初期の日本の人口が500万人くらいだったとすると、現在の20分の1ということになるが、そのような希薄な人口状況の中、こんな山奥にまで人が常駐していて何だかすごいと思う。
境内に紅白のシャクナゲ満開。

P4270856 寺の池.jpg
寺の池

池の脇に大きなタンクが据えられて、小さな滝水が流れ落ちていた。池にはコイがいない。もともといたけどいなくなったのかどうかはわからないが、とにかく水は絶やすまいとする姿勢のようで印象的。
登山の無事を祈願し、サア境内の左手からのぼりはじめた。

P4270863.JPG
杉林の中を登る

傾斜は最初から急で、尾根にとりついたらあとは緩やかだった。
何せ久しぶりなものだから、休み休み歩く。

P4270869-ミドリセンチコガネ.jpg
緑色のセンチコガネ。滋賀県周辺で見られるのだそうだ

動物の糞に、体長1.5センチほどのメタリックグリーンのコガネムシがついていた。大きな糞だが熊だろうか?
これはセンチコガネというらしいが、あとで調べると、滋賀県南部産のやつはこのように鮮やかな緑色になるのでミドリセンチコガネとか呼ばれているそうだ。

P4270864.JPG
天狗岩

山には、花崗岩が風化して取り残された奇岩が、いろいろと見られた。
こうした急峻な雰囲気が、忍者の修行の場として人気を得たのだろうか?

P4270870 倒木ゲート.jpg
岩尾山山頂への道。倒木のゲート

さて岩尾山の山頂へは、奇岩周遊コースから左に折れた奥に行くことになった。
標高450メートルくらいからいったん30メートルほど下がり、そこからのぼっていく。最後はやや急な斜面だったがあっという間だった。

P4270875 山頂.jpg
岩尾山の山頂付近

山頂は平らな地形だったが、残念ながらここからの眺望は得られない。


P4270876 見晴らし.jpg
展望台からの大沢池(手前)などの眺め

周回路に戻り、ほどなく展望台があり、東側の大沢池や岩尾池の眺望が開けた。
新緑の黄緑と、池の深緑のコントラストが美しかった。

P4270884.JPG
屏風岩

切り立った屏風岩も。

ここから先は石段で降りることができ、あっという間に息障寺に戻った。

P4270888.JPG
寺の門付近にある岩

高低差はたった180メートルほどであったのに、両脚ががくがくとしており、運動不足を痛感させられる。
鳥やカエルのさえずり、鳴き声の中、軽度で快適な新緑散策であった。

P4270912 岩尾池.jpg
〈おまけ〉午後の大沢池(堤から)


posted by 進 敏朗 at 21:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 低山めぐり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年11月26日

秋の低山行(その6)甲賀伊賀分水界めぐり2

PB260483-柘植駅下車.jpg
紅葉の油日駅を下車

油日から三重県境を目指す

健康増進を目的とした秋の低山行が6回目となった。
8時55分草津発に乗車。路盤の厚さの関係なのかガタゴトと揺れる旧式車両が「旅」を感じさせ、終点柘植(つげ)のひとつ手前、「油日(あぶらひ)」で9時44分下車。
紅葉と、緑色のJR西カラーが秋色コントラストに。
この日は、同駅から三重県境を越えて伊賀市のほうに出、それから東に向きを変えて柘植駅まで行こうとする。

PB260492 杣川.jpg
杣川

田園の景色は天候によって印象ががらっと変わる。
残念なことにこの日は曇りだったが、風が弱くて歩きやすい。
古琵琶湖層を流れる杣川だが、この日は意外に澄んでいた。キセキレイが真ん中らへんの石の上に止まっているが、望遠レンズがないので拡大できない。

PB260496 甲賀忍者の里.jpg
甲賀忍者の狼煙

甲賀忍者の里に、狼煙が上がる。
向こうの丘のふもとにも狼煙が上がり、連絡を取り合っているようだ。

PB260499 木の又テーブル.jpg
木の又テーブル

というのは妄想で、おじいさんが庭から焚火を眺めている。
その横のテーブルが、木を伐採した切り口に板を渡して作られていてナイスだ。
ああしたものを自分も作りたい。
田舎では、家や敷地内で造作ができて、その発想や工夫を見るのを楽しみにしている。

PB260517-製薬.jpg
なだらかな道

コースから横に入り、地元の人の手による「殿山」展望台に上って下りる。
国土地理院地図にある丘の上の道を歩きたかったが、そこは大手製薬会社研究農場の敷地で立入禁止。
製薬とゴルフ場を迂回するようにS字のようなコース取りになる。

PB260520.JPG
サザンカ花咲く

甲賀町五反田から、田園を東北に進み、池に浮かぶスワンボートに再会。
もう一方の池ではカイツブリが遊ぶ。
高嶺に至り、切り通しの道に見事な紅葉が見られた。

PB260529 カイツブリ遊ぶ.jpg
池にカイツブリ遊ぶ

PB260536 見事な紅葉.jpg
切通しの見事な紅葉

古琵琶湖地帯の分水界再訪

さあここで、県道から西の谷をあがり、山の尾根を横切るショートカットを試みたが、何年も手入れが入っていないたいな感じで笹が生い茂り、危ない道はやめとこうと断念。
やむなく県道を通り、緩い坂のカーブをのぼって県境越えとなる。

PB260558 県境.jpg
三重県境が見えてきた

したところ県境の看板が見えてきた。
海抜約240メートル。ぜんぜん息も切れない。
道路は三重県に入ったあと、三重と滋賀の県境に沿った形で西向きに進む。

PB260561 急傾斜.jpg
三重県側に坂が落ちこむ

上の写真で、道路の右側に連なる杉林が県境のラインだが、三重県側のほうがだいぶ急傾斜で落ち込んでいるのがわかる。


PB260563-分水界2.jpg
分水界のようだ

したところ、道路を右に折れて滋賀県側に入る道があり、入ってみるとすぐに低い峠となっていた。
ここが滋賀と三重県境とみられる。分水界だ。
再び滋賀県側に入った。

PB260567-かやのき.jpg
源流部近くに広がる田

滋賀県側はなだらかな田んぼ。上馬杉柏ノ木で6年前に訪れて以来だ(2016年4月18日記事「甲賀伊賀の分水界」)。

PB260578-古琵琶湖の地形.jpg
下流方向への眺め

なだらかな地形は古琵琶湖の名残といわれる。300万年前〜250万年前にあった古琵琶湖の阿山湖・甲賀湖が、現在の三重滋賀県境をまたいだこの辺にあったとされる。鈴鹿山脈が隆起をはじめたのは200万年前より新しく、甲賀湖・阿山湖はそのころには陸地化していて、粘土が分厚く堆積した盆地になっていた思われる。
その後、鈴鹿山脈が隆起したとき、山脈の西端にあるこの粘土盆地も地殻変動の影響を受けたのだろうが、鈴鹿山脈は標高1000メートル以上もあるのに対し、この地では高いところでも300メートルなく、隆起はあんまりしてない。だが、三重県側が急傾斜となっているのは鈴鹿山脈の三重県側と同様で、同じ地殻変動の影響をそれなりに受けているようだった。
まあしかし、気軽に分水界がまたげる地形ではあり、地形ファンの私としては楽しい場所。

PB260584-県境の道.jpg
平らな分水界の県境。道路から右が滋賀県、左が三重県。

これなら峠越えという感覚もなく、甲賀と伊賀を行き来することができるだろう。

PB260596-ふわふわ土塁.jpg
ふわふわ土塁

土地全般が粘土でできているのか、家を囲うのも土塁のようだった。
伊賀市東湯舟東出の集落の道を進むと石段の上に神社があった。

PB260602-霊山の眺め.jpg
石段の上からの眺め

登ってみると眺望が開けてテーブル状の山が見えた。
霊山(765メートル)のようだった。
しばらく雄大な眺めと紅葉を楽しんだ。

伊賀へと降りるが

PB260617.JPG
森の道

サアここから、森の道に入って伊賀盆地へと降りて行こうとした。

PB260625.JPG
平地を目の前にしての立往生

ところが谷に降りる手前で、地図に実線で描かれているはずの道が途切れ、強引に突破しようとしたところ笹や藤の蔓に囲まれ、どうしても高台から降りれず立往生となってしまった。
平地まで高低差が10メートルくらいありそうで、下手すると滑落なんてことにも。
強引に藪の中を進んでしまったので、ここまで来た時間と労力を考えると戻るのもためらわれ、こうやって人は山で迷ったり滑落してしまうのかと。
最終的に前進をあきらめ、やむなく引き返したら、一筋道を間違えていたことに気づいた。危ない危ない。

PB260630.JPG
車たちが止まる一角

そうして谷に降り、進んでいくと車が数台停まっているのが見えてきた。
森で開業しているピザ店で繁盛していた。

PB260635-森のピザ.jpg
森のピザ

12時半ごろには到着する予定だったが、道にまよったため、予定より1時間も遅くて1時半ごろとなった。油日駅を出発すること4時間近くも。
ピザを注文するとすぐに出てきた。
地ビールもあって、それも飲んだがおいしかった。
車じゃなくて徒歩で来たので、こうしてビールも飲めるのだった。

PB260646.JPG
日が差す

午後になって雲間から日が差すようになってきた。
杉の木立から田園の道に日が差し込む。
これだけのことでまるで祝福を受けているような気分になる。

PB260663.JPG
油日岳

「伊賀コリドールルート」に出て、東湯舟から小杉へと東進、柘植駅を目指すと前方に油日岳。
歩いた距離が15キロを過ぎてそろそろ足も疲れの兆しが。

PB260670.JPG
伊賀のレインボーブリッジ

関西本線の踏切を渡り、倉部の集落を南下。
柘植の町に入る手前の倉部川の端は虹色に彩られていた。レインボーブリッジ。

街道の町柘植の駅は町はずれだった

PB260688.JPG
伊賀成田山不動の紅葉と眺め

柘植に入ったところで石段があって登ると眺望が得られ、紅葉もきれいだった。

PB260691.JPG
霊山と柘植の町

先ほど見た霊山もだいぶ近づいた。
山のふもとを横切る名阪道路の車両の音が聞こえてくる。
電気自動車の時代になったら、こうした通過車両の音も多少はましになるのだろうか。でも、エンジン音はなくなっても、道路の摩擦音や風切り音は変わらないか。

PB260696.JPG
大和街道と柘植の町


柘植は大和街道に沿った規模の大きな町だった。
細々と電気屋とか、食料品店などが営業していた。
駅は町はずれの高台に設けられていることがわかった。

PB260701.JPG
旗山

力を振り絞って、という感じで柘植駅までの緩い坂道を進んだ。
柘植駅につながる伊賀信楽線は狭くて車通りが多いので、裏手の道に回ると油日山から続く山並が眼前に迫って来る。

PB260706.JPG
柘植駅が見えてきた

やっと見えた柘植駅は、町の東外れの高台にあった。
関西本線と草津線をつなぐ柘植駅。
高台に駅があるのは、ここから分水界を越えて滋賀県を目指すためとみられる。
であるが、先ほど見たような、特有のなだらかな地形であるため、分水界を通過するところでもトンネルはない。ホームには、「海抜240メートル」と標識があった。本日、通過した滋賀三重県境とほぼ同じ高さであった。

PB260713.JPG
柘植駅の駅舎

駅にあった案内によると、柘植駅は三重県で最初にできた駅とあった。知らなかった。
1890年に関西鉄道が現在の草津線を敷設。それが三重県で初めての鉄道なのだった。
草津線はローカル線であるが柘植発の電車は1時間に1本か2本あって、それほど不便さはなく使える。
こうして鉄道という社会インフラを利用して、楽に比較的安価に旅ができるのはありがたいことだ。
ローカル線が将来もなるべく滅びないように、使える時に使っておきたい。

PB260732.JPG
車窓からの夕暮れ(柘植ー油日間)

この日は20.5キロを歩き、高低差は105メートルだった。途中、山の中で立ち往生して大変だったが、長い距離を歩いて足が慣れてきたような感じもあった。この次は、あの山を目指してみたいが、もう冬になるし、寒いのは苦手なのでどうしようかなと思ってしまう。





posted by 進 敏朗 at 18:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 低山めぐり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年11月08日

秋の低山行(その5)北勢めぐり

低山めぐり、三重県北勢へ

PB080477.JPG
藤原岳を望む北勢線の終点、阿下喜(あげき)駅(午前9時半ごろ)

健康増進目的での歩く場を求め、ついに三重県まで来た。
これは水辺のブログであるが、水辺を含め広く「地形」への愛好を込め、川や低山、鉄道などがあるこの地に来た。
冒頭の写真で駅の向こうにそびえる、藤原岳に登るわけではない。
北勢線の阿下喜を起点として、里をめぐることを企図。
車で、永源寺から石槫トンネルを抜けて約1時間半かけ到着した。
途中の永源寺ダム湖では紅葉が進みつつあって、朝の光に照らされ見事だった。
紅葉見物のほうが値打ちがあるのではとの思いがハンドルを握る脳裏をかすめた。
だが、コースなどを時間をかけ考えてきたので、自分の中で急な変更ができないのだった。

PB080482.JPG
特別なカラーとなっている北勢線の車両

乗りたかった北勢線

軽便電車に乗る
まずは電車に乗る。
時刻表も事前に確認。
意外だったのは黄色い車両ではなく、地元のスポーツチーム応援なのか黒と赤に塗装されている。

PB080489.JPG
くつろぎの車内

9時41分発、つぎの麻生田(おうだ)まで。軽便電車の小さく、ガタゴト揺れる車内。
前回、乗って桑名まで行ったのは3年も前だった。

PB080496.JPG
麻生田の台地

平坦な台地上の土地

麻生田駅で降りる。
河岸段丘上に麻生田駅はある。午前10時前に駅を発。
員弁川に面した南側は急坂だが、北はこのように平たい台地が広がっている。

PB080508.JPG
規則正しい植林

水利は恵まれていないのか田んぼはない。
東西、南北方向に、グリッド状に道がつくられている。
平らな土地では植林も整然としていた。
台地の上は、茶畑や杉林、宅地が広がる。

PB080518.JPG
茶畑が広がる

台地は北方向に緩やかに登っており、1キロくらい進んで右を見ると、段丘から降りる道があった。

PB080519.JPG
振り向けば台地の縁が

カーブの先は下り坂だ。

PB080523.JPG
急坂を下りる
坂、けっこう角度があって、ずんずんと下がっていく。

PB080525.JPG
下は田園

台地の下は田

下りると低い平地があり、いちばん低いところに山田川があって、低地には田んぼが広がる。
台地との高低差は40メートルくらいあるんじゃないか。
北勢のこのあたりは土地の隆起、陥没が激しいのか、至る所にこうした河岸段丘が発達している。
この地形を利用して、歩いてアップダウン、健康ウオークをしようという趣向。
まあ本当は、こうした坂をなるべく下らずに、登るようなコース取りをしたほうが、トレーニングにはなるんだけど、前日、新型コロナの4回目予防接種をしたところだったので、今回はちょっと軽めにしようとコースを検討した。

PB080538.JPG
川沿いの先に次の台地が見えてきた

段丘アップダウン

山田川の右岸をさかのぼること数分にして、新たな段丘が前方に見えてきた。
まっすぐ進み、前方の林の右側の崖沿いを登っていく。

PB080546.JPG
坂の上からの眺め。前方の台地の上に建物が見える

坂道を段丘上まで登り、南方向を振り返ると、樹木に覆われた麻生田の台地が見え、木立の切れ間に建物がのぞいている。
その向こうは鈴鹿山脈。

PB080548.JPG
棚田

東側に目をやると、川をはさんで別の段丘があって、斜面を利用した棚田もあり。
いい眺めだ。

PB080561.JPG
集落に入っていく(南中津原)

さて道を進む。
こちらの台地は水利に恵まれているのか田が広がり、集落はさらに高いところにあった。
石垣で両側をブロックされた坂道をのぼる。
どこを見ても景色がよくて、しかも静かだ。緩いアップダウンの連続で、少し歩くだけで景色が変わるので楽しい。
民家に大きな榧の木が生えている。

PB080579.JPG
鳥居と参道(鼓)

南中津原、北中津原、鼓、と、高台の集落に沿って北上。
出発地点の麻生田駅は、標高が95メートルくらいだったが、すでに200メートルを超えている。
麻生田駅から北に約5キロの宝林寺(東貝野)を前半の目標地点にする。そこまで11時半までに着くつもりが、回り道をし、また案外と距離があったため途中から急ぎ足になる。

PB080573.JPG
急に風が強まり木の葉舞う

東貝野の集落に向かう途中で海抜250メートルの峠というか川筋を分ける地点に達するが、急に風が出てきた
鼓集落を過ぎ、進路を西に替えたところで、尾根の切れ目から北西の風が突然強まり木の葉が舞う。北西の季節風が、北勢に吹きすさぶ。
きょうは午後から曇りそうな様子。もう少し風のない日が、野外活動にはベストだな。

PB080570.JPG
ソーラー発電の斜面

山の斜面ではソーラー発電も建設中。
木材にかわる資産になるだろうか。南向きだけに日当たりはよさそう。
これだけ地肌むき出しの斜面になれば、大雨時には土砂も相当流れるようになるのではないか。

PB080583.JPG
向こうに高い木が見えてきた

巨木が見えてきた

さあ急ぎ足で進み、悟入谷川を渡ると、木立の向こうに、ひときわ高い木が見えてきた。
あれが宝林寺のコウヨウザン(広葉杉)であろうか。

PB080590.JPG
宝林寺のコウヨウザン

高さ約20メートル、国内最大級というコウヨウザンの木は中国の原産で、江戸時代に植えられたという。

PB080592.JPG
大きくてまっすぐ
幹はほとんどまっすぐで、地面から根っこも見せずに、ずぼーんと垂直に生えている。

PB080593.JPG
枝が放射状に広がる
枝が傘のように放射状に広がっている。木の形状が特徴的だ。
威容を観ながら、しばし腰を下ろして水飲み休憩。
グーグルの表示では最短距離で5.2キロだったが、寄り道したのでここまで7.4キロ、かかった時間は1時間45分くらい。かなりの速歩だった。

PB080598.JPG
寺の裏山に登る

眺望を求め裏山に

さてこの宝林寺の西側から、林道が山へと伸びていた。
これを登っていけば眺望のポイントがあるのではと踏んで、入ってみた。

PB080599.JPG
黄色い土だ

車両用の舗装がされており歩きやすいが、急坂ですぐに息が切れる。
がけ面を見ると黄色い土。石灰岩ではなさそう。
滋賀県の山でもよく見るこれは何岩?

PB080603.JPG
見晴らしの良さそうなカーブ

だいぶ登って、地図では海抜320メートル、ヘアピンカーブにさしかかった。

PB080605.JPG
藤原岳が見える

カーブを折り返して少し登ったあたりに、木立が途切れた場所があって、送電線の鉄塔まじりであるが西への眺望がえられた。
藤原岳や、手前に何筋かの段丘が見える。

PB080613.JPG
藤原岳の右に視界を移したところ

視界を右に移して西北方向を見ると、いろいろな形をした山があって、手前には変電所。
段丘、田んぼ、山林。
変化に富んだ地形にしばし見入る。
林道、この奥へさらに登り道が続いて海抜600メートル以上のピークにもつながっているのだが、眺めの良い場所がこの先あるのかは分からず、体力的にもこれ以上は難しいので、きょうはここらでと引き返す。

PB080630.JPG
紅葉も始まった里

阿下喜へ引き返す

林道を下りて、こんどは西南へ進路を転じ、阿下喜駅を目指して歩くが、疲労が予想以上だった。
寝不足や、ワクチン接種の影響も出ているか。注射針を刺した利き腕でないほうの肩が痛む。
回り道をいろいろするつもりだったが割愛し、一応貝野川の橋は渡って、同川左岸を進むものの、最短に近いコースを行く。
それでも、行く先々の景色はすばらしい。

PB080647.JPG
段丘から降りる道(左)との分かれ目

河岸段丘の段丘面はほとんどが、木に覆われていて、「段丘斜面」というものは隠されている。
木がなかったら、段丘の形が分かるんだろうけどそうはいかず。
そこはこうして歩いてみたり、それをもとに頭でイメージを補ったりして、丘の形を思い描く。

PB080649.JPG
木立の向こうは田んぼ

暗い木立を抜けると、午後の光に照らされた田園が現れ、ドラマチックな感じ。
どこを切り取っても絵になる景色だ。

PB080653.JPG
貝野川を渡る

しかし疲労は激しく、空腹になり、はやく昼ごはんが食べたいという一心で貝野川を再び渡り、阿下喜の町に入ると食堂を探した。

PB080661.JPG
阿下喜の町並
川が「C」の字を描くように蛇行した台地上にある阿下喜の町。
旧北勢町、現いなべ市の中心部だけあって、そこそこ町は大きい。
食堂のラーメンはハムに白菜シイタケ、半割りゆで卵の入ったみそ味で、おいしかった。だが焼きそばが人気メニューのようだった。

PB080665.JPG
お菓子屋の看板の北勢線電車

どこを歩いてもいい景色だった

食堂を出ると空は一転、曇っており、風は冷たくは冬の到来を思わせた。
玩具店、金物店、青果店、などが街路に軒を連ねるが、やってない店も多い。昭和のにぎわいは失われてしまったのか。
かと思うとアートギャラリーもあり、新しい試みも見られる。
市街地も巡りたいが今回は体力が尽きた。
電車の絵が掲げられた駅前の菓子屋で大福を買う。
トータルで13キロくらい。高低差は230メートルあったほか、坂道もけっこうあった。
7000キロカロリーを消費すれば脂肪1キロが燃焼するとされる。
歩きだけだと、カロリー消費は緩やかなものにとどまるのだが、それでも約3時間の速歩や、急坂登りもあり、自分のなかではそこそこの運動強度があったものと推定。1000キロカロリーは消費したと信じたい。積み重ねが大事。

PB080670.JPG
ツートンカラー車両が来た

駅に電車は止まっておらず、さ帰るか、と思ったとき、遠くの段丘沿いを近づいてくる車両が認められ、待っていると、クリーム色と深緑のツートンカラー車両が到着した。
このカラーの車両は少ないようなので、いいものをみた。

PB080673.JPG
列車が来たところでこの日の日程を終了

電車と終着駅の町、段丘、藤原岳、川筋の多さに多彩な景色が展開する北勢のあたりの景色が好きなので、いつでも訪れたい。
posted by 進 敏朗 at 22:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 低山めぐり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年11月05日

秋の低山行(その4)甲賀から県境めぐり

甲賀駅から古琵琶湖層の里を歩く

PB030478.JPG
甲賀駅前にて

JR甲賀(こうか)駅は、草津線の柘植(つげ)行き電車に乗り、終点柘植のふたつ手前。
ローカル線だけど、明治後半には開通していて、甲賀駅も1904年には誕生している。
名古屋から亀山を経由、草津を結び京都に至るルートは、関ヶ原経由よりも距離が短いので、何かの拍子で発展した可能性はあったかもしれないが、遠回りな関ヶ原ルートが幹線ルートの東海道本線となり、甲賀駅前は、鉄道の歴史の割にはローカルなたたずまいだった。

深く掘り込まれた川

しかし、駅舎は近代化されており、高架(こうか)駅でなくて、橋上駅というのか、改札が上にあって両側に出られる。

PB030488.JPG
杣川

南口から出、大原市場の静かな町並みを北西に歩き左折、杣(そま)川の深く掘り込んだ橋を渡る。
川が曲がりくねって掘り込まれたこの地形、千葉県のチバニアンの養老渓谷に似ている。

PB030483-土壁の小屋.jpg
土壁の小屋。林の向こうは杣川の崖

この甲賀市南部の土地は古琵琶湖層で、粘土だから、川の流れが土地を削りやすいようだ。
200万年以上も昔にこのあたりに存在した甲賀湖の作り出した地形。

PB030493.JPG
製薬会社のある甲賀の里

甲賀忍者にゆかりがあるのか製薬会社も多い。
工場の横から谷奥へ続く道に入った。

谷奥へ歩く

それで、指の又のような細い谷と低い丘が交互に並んでいるような、独特の地形になっていて、分水嶺近くまで田が開かれている。
これを歩いて三重県境まで行ってみようという試み。

PB030494.JPG
甲賀の田園

丘の稜線をたどれたらと思い、獣害対策ゲートを開けて入ってみるが、道がすぐに分からなくなる。

PB030498.JPG
獣害対策のゲート

PB030499.JPG
たちまち道がわからなくなる

これは駄目だと、谷の一番奥まで行き、そこから山に入る。
途中までは道が分かるが、木が生えていたりして、すぐに判別できなくなってしまった。
仕方なく立ち止まりキノコを眺める

PB030531 木になるキノコ.jpg
木になるキノコ(キクラゲ?)

国土地理院の地図で見ると破線が描かれているのだが、その通りには決してなっていない。

PB030511.JPG
山の稜線沿いが歩きやすかった

そこで、稜線に登ると、山林の境界画定のための杭が打たれ、それに沿って人が歩いた跡もあって、それをたどることで進むことができた。

PB030534 山を抜けた.jpg
ようやく山を抜けてひと安心

ようやく森の向こうに田んぼが見えて来て胸をなでおろすが、ゲートがある場所じゃないと外に出られない。
どこにゲートがあるのかと見まわして、降り立った場所よりさらに100メートルほど西から出ることができた。
ここは集落と集落の間にある谷である。

「Y」字交点の池

PB030539.JPG
向こうに池の堤防が

谷と谷が「Y」字型に合流する交点に設けられたため池があった。
しかも池の幅が、丘と丘の間の谷幅いっぱいにできていて、これは谷水をダブルで総取りだ。

PB030542 Y字交点池.jpg
谷幅いっぱいの、Y字谷交点にある池(奥が下流側)

何て効率のいいつくりなんだろうと思う一方、この池の場所が田んぼはなく池であることに、水の確保の難しさを感じさせる。
谷といっても、山なんて比高20メートルか30メートルくらいしかない。
この谷の下流にも、さらに二つため池が設けられており、森の面積が少ない粘土丘陵地帯で、田んぼの水を集めるのは並大抵ではないようだった。
「Y」字交点池から南西に谷をさらに奥に進む。

谷奥でコアラ(こりゃあ)驚いた

PB030552 苗木の列.jpg
何かの苗木

PB030553 ユーカリの木.jpg
見慣れない丸い葉っぱ

谷の最奥部の田んぼは、稲ではなくて、マルチをひいて苗木が植えられていた。
丸い葉っぱで見たこともない木。
すると奥から軽トラが走って来た。
「何屋さんですか?」と問われ、「歩いているだけですよ」と答える。
これは何の木ですか? と私が訪ねると、
「あれが食べる木よ」「あれが」と、
おじさんは私に説明しようとするが、どうしても名が出てこない。
木の葉っぱを食べる動物といえば…「コアラですか?」ときくと、「そう」とおじさんは答えた。
ユーカリの木だった。
後で調べると、庭木とかで人気があるらしかった。それで育てているのか。
それにしてもこんなひっそりとした谷奥で、ユーカリが育てられているなんでびっくりだ。

隧道出現

PB030554-切通しの奥は.jpg
薄暗い切通しの奥には

PB030557 トンネルが見えて.jpg
トンネルが出現。不気味な感じも

この奥へ歩き、曲がった先にはコンクリートで固められたトンネルが掘られていた。
長さは50メートルくらいだろうか。
隔てる山はそんなに険しくないのに、わざわざこのようなしっかりしたトンネルが掘られていることに驚き。
鉄道でも通す計画でもあったのだろうか。

PB030561 トンネルの先.jpg
照明がないトンネル

トンネルを越すと下り坂となり、三重県と境を接する下馬杉の集落が現れた。
ふたつ丘を越したがここは滋賀県である。

PB030567 下馬杉.jpg
下馬杉の集落

丘に沿って広々とした家並み。
先ほどの軽トラはこのトンネルを通って現れたことを考えると、下馬杉側の人にとってニーズが高いのではと思った。

三重県を前に立往生

さてこの下馬杉から、南西に伸びる谷をたどる。

PB030568 ゴム堰.jpg
川のゴム堤

流れる川は、粘土地帯だからか薄濁りだ。
野洲川最大の支流、杣川は古琵琶湖層の一帯を流れているので、野洲川下流の水は澄んでるときでも少し濁り色がある。
野洲川に遡上するコアユが湖西や湖東の川にくらべて少ないのはこの濁りを嫌うせいではないか。
という思いが以前からあり、コアユ捕りに熱中している時は、杣川を何となく軽んじていたが、歩いてみるとこの変化に富んだ地形を生み出す粘土地帯は独特だなあと、また別の見え方が生じてくる。

PB030580 竹に阻まれる.jpg
この竹藪の先が三重県だ

獣害ゲートをくぐること幾度。ついにこの先が三重県伊賀地方のようだった。

PB030582 立往生.jpg
ススキの中で立往生

入ると、最初ははっきりと幅1間(1.8メートル)ほどの道があったのだが、だんだん笹の密度が濃くなってきて、最後は完全な藪となってしまい立往生。

PB030583.JPG
あの木立の向こうは三重県だが

そこに見えてる木立の向こうが三重県なのに。
何とももどかしい。
低いほうに道があるかなと思ったら、右足がぬかるみにはまりかける。
先行者らしき足跡もあったが動物だったかも。危ういので進むのをやめる。
強行突破を狙うも笹にさえぎられ、こりゃあいかんと、もういちど、尾根に登って藪を回避。
いったん、100メートルくらい西のピークに達したのち、南へと進路を変える。
粘土層の土地だけに、岩はまったくなく、急坂もないんで助かる。

PB030584 向こう側.jpg
三重県に出た

何とか下がっていくうちに道が出現。三重県へと導いてくれた。
ゲートを出、遅めの弁当タイムに。
アプリを見て、どれだけ歩いたのか確認すると、出発から3時間もたったのに8キロも歩いておらずがく然。
迷っている時間が長かったのだった。

日当たりのいい三重県側

PB030590.JPG
里が見えてきた

三重県側も、同じような粘土層の地形なのだが、滋賀県側よりも傾斜がきつくなっていて、谷の奥が下がっていくのが見通せる。
伊賀地方で発生した古琵琶湖が北へと移動していった後、土地が隆起、その際三重県側が急傾斜で、滋賀県側がなだらかな稜線に。
古琵琶湖があったこの辺は、山らしい山がほとんどないのに、やはり三重県側の坂が急で、県境をめぐる傾斜のありようは同じだった。

PB030593-棚田.jpg
分水嶺からいきなり始まる棚田
PB030596.JPG
土地の傾斜は滋賀県側よりも急角度

ところで、県境でまよってしまったために、三重県のどこに出たのかが分からなくなり、地図を見ても、どこもかしこも曲がりくねった等高線と道で、どこに降りてきたのかが分からず。
西に傾きかけた太陽をみながら、太陽を背にしていくことにする。

PB030600 丸い擁壁ブロック.jpg
円形擁壁とブロック塀

棚田があって眺めがいい。立派な柿の木が植わる民家も。日当たりの良い高台の集落。

PB030603 立派な柿の木.jpg
立派な枝ぶりの柿の木

PB030602.JPG
日当たりの良い高台集落

村人の道案内でようやく「生玉神社」が見つかり、横の道を200メートルも行けば県境に戻ることがわかった。

PB030608 生玉神社.jpg
生玉神社。右手の道を進むと滋賀県

PB030611 滋賀県に戻る.jpg
神社右手の道を行くと、東海自然歩道が左手から現れる

「東海自然歩道」の入り口を横目に、道を直進すると、峠というほどでもないゆるい坂が下りになり、すぐに上馬杉の集落出現。

PB030619 上馬杉.jpg
滋賀県に戻る。そこは上馬杉の集落

甲賀と伊賀、背中合わせに存在していて、まるでパラレルワールドのよう。

県境からの帰還

あとはすたこら歩いた。

PB030625.JPG
強力ファン付きの小屋

途中、幹線道路も一部歩かねばならず、歩道が狭くて車も飛ばしてくるので、足早に区間を通過。
電車の時間を気にしながら早歩きを続けた。

PB030632 夕方の空.jpg
暮れゆく甲賀の里

PB030635 柿の木.jpg
杣川に映った柿の実

上馬杉から1時間20分で甲賀駅着。
16時57分草津行の電車には十分間に合った。
県境をまたぎ、戻ってきてトータルで15キロくらい歩く。
この日、最高地点は260メートルくらいで、高低差は90メートルだったが、アップダウンの連続で、アプリによると400メートルくらいは坂をのぼったことになっていた。

PB030648 甲賀駅の夕暮れ.jpg
甲賀駅から見た日没

三重県側にすんなり出られるかと思ったが、里道の手入れがあまりされなくなったためか、思った以上に困難だった。
でも、隣国に徒歩でぱっと行けてしまうところにロマンを感じる古琵琶湖粘土地帯の里。
地形ファンには尽きない魅力。

PB030655.JPG
夕暮れの駅舎

まだまだ尽きない県境行きの道。また歩いてみたい。

posted by 進 敏朗 at 21:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 低山めぐり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする