2019年10月13日

湖南アルプスの野営

DSCN9952 沢と登山道.jpg
増水した山道

台風接近のため、日程を変更しての大津市南部での野営会。
買い出しの店では連休のレジャーを当て込んで仕入れたとおぼしき大量の牛肉が、半値でバーゲンセール。

天候はなんともしがたく、大量の売れ残りに気の毒な気もするが。関西では当初、台風の直撃も予想されたがコースが東にそれ、雨は13日未明には止み、水害には至らなかっただけでもましか。長野や関東東北では大規模な水害となった。
テントや寝袋、食料品をもち、沢をわたって野営地を目指す。京都や、舞鶴からも参加者があって総勢5人。

DSCN9971 八宝茶.jpg
八宝茶

野営地に着き、テントを設営。
いびきをかく筆者はいちばん奥で、いびきの音により就寝時の獣の近寄りを防ぐ担当? となる。

火をおこし、中国西域の茶であるという八宝茶をいただく。ナツメやクコなどの乾燥果物が入っているほか、砂糖が入っていて甘い。

DSCN9958 ウラムラサキ.jpg
紫色のキノコ

雨の後であるせいか、いろいろなキノコが見られる。
紫色をしたエノキダケのような形のキノコが、砂利の上に群生していた。現地では電波がつながらないためネットの検索もできないが、帰宅後にしらべたらウラムラサキというらしい。食べられないことはないという。

DSCN9974 リベットのような.jpg
リベットのようなキノコ

また、松の木の根元には、直径10センチほどの錆びたリベットのような形、質感のキノコが数個生えている。
昨秋野営した人は、前回もこれを見たという。

松の根元だからマツタケ、だったらよかったが、これは調べたら、コツブタケというキノコが最も近いように思われた。
中を割ったら、たくさんの小さい粒からできているのですぐにわかるということだ。割ってはいない。このキノコは、菌糸が樹木の根に結びついており、木から養分をもらうかわりに、木が必要とする養分を提供し、お互いの生育にとってプラスとなる共生菌なのだという。

DSCN9978 水をくむ.jpg
沢から水をくむ

洗い場をつくるために、スコップで砂河原を掘削、流路のバイパスをつくる。
巨大な砂遊び。

水をくんで調理。
薪は、落ちている松葉や枯れ枝を使うが、雨を受けて湿っていても、温度が上がれば意外に、燃えるのだった。

ごはん、鳥ミンチとすり身、野菜による汁が主なメニュー。
持参したジャガイモを焼いたものが好評だった。

DSCN9984 満月.jpg
満月

夜は雲が切れて満月が出た。
見事な満月だなあ、と思ってい見ていたが、イスラム教徒であるカザフスタンからの参加者は、満月に不吉なものを感じるのだという。
なぜ不吉に感じるのかを聞くと、満月は「終わり」という感じがするという。三日月のほうがいいのだという。

満ちた月は、やがて欠けていき新月となっていく。それが不吉なのか。
筆者も、南中した太陽をみると、とくに日の短い秋から冬にかけては、ああ後は午後になって夕方になるのか、1日も終わるなあという思いを、南中した太陽をみて抱くことがあるが、それに近い感覚だろうかとも類推した。

冷え込みは強くなく、寝袋で、比較的快適に寝る。
悲鳴にも似たシカの鳴き声がする。

DSCN0009 霧.jpg

ガスが垂れ込める

2日目は、未明に降雨がありテントを打つ。
明けてからは、上の写真のようにガスも垂れ込め異界の趣も。
日差しがのぞめたのは1日目の到着直後のわずかな時間だった。
ときおり小雨がぱらつくが、この日は、合羽を新調していたため、降雨もへっちゃらだった。

6月に鈴鹿山系に登山の折、経年劣化した合羽が機能を果たさず「ボチョボチョに」なり、そのあげく下山後、震えが止まらない低体温症を招いたのを反省してのことだった。
これで来季の魚捕りも快適にいけるだろう。

DSCN0008-小さな水晶.jpg
水晶入りの石

河原に転がっている石をよりわけて、きれいな石を拾う。
とくに何というでもない時間を過ごす。静かだ。いろいろな鳥の鳴き声がする。
昼、汁の残りやごはんを食べ、テントを畳み撤収する。
跡に物を残さないとという、徹底した野営だった。
荷物を背負っての山行により終わって数日は、両脚の筋肉痛、そして杖を忘れたことにより、降りるときに何度が岩へと飛び降りた足へのショック感が残る。運動不足を痛感するとともに山に行くときには杖はないといけないなあと理解した。



posted by 進 敏朗 at 11:43| Comment(0) | 低山めぐり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年05月04日

キャンプ

DSCN0525.JPG
岩山と平野、奥に琵琶湖

五月晴れの大津市南部で野営した。

DSCN0537.JPG
花崗岩の砂川と水中

京都から渋滞の山科、逢坂山を抜け、昼前に着。
テント、寝袋、食料品、その他の食器や諸道具を持ち、車を止めた地点から高低差約100メートルを
歩き上った。運動不足の身にはこたえた。

上の写真のような澄水流れる谷間。
鳥が鳴き、鹿跳ねる山中。

DSCN0495.JPG
火を焚き湯を沸かす

水は川からくんでわかした。
木切れはそこらへんに落ちている枝や松葉、松ぼっくりを集めてきて燃やす。
乾燥していただけに火の着きは良好だ。
煙がもくもくと出る。煙を吸ったり、火の粉がかかってもいいような農作業用の服を着てきた。

調理器具一式は、京都の友人Sの装備品。
テント、寝袋は、このたび初めて自分で購入し、設営。
火を焚いている場所から30メートルくらい離れて立てる。
これは煙たくなったり、最悪の場合延焼したりするのを防ぐ意味がある。

テント購入の際、中国製品は格安だが「使い捨て品にすぎない」との指摘を受け、国内メーカー品を選んだ。
あまり使わないことも予想されたので相当迷った。しかし今後、湖辺の魚捕りなどで使えるかもしれない。

DSCN0504.JPG
山の夕暮れ

あっという間に夕暮れ時となる。
ヘッドライトは必需品と口ずっぱく言われ、充電式でペンダント型のやつを購入、持参。
ふだんは胸にぶらさげるが頭にも巻いて止めることができる。軽くて首が疲れない。これは夜釣りにも使える。

DSCN0506.JPG
肉を焼く

闇夜の焼肉。火が肉の内部を赤く透かしてうまそうだ。
しかし、盛大なバーベキューではなく、メーンは豚汁で、寒さをしのいだ。
風がほとんどなくて、安全にたき火ができた。


「ピー」と鹿の鳴き声。
テリトリーへの人間の侵入を警戒しているようだった。跳ねる姿も目視。
暗い林のなかを木にぶつかりもせずよく走れるものだ。
ただのコンデジのため暗闇しか撮れない。

フクロウにしてはやや声の高い「ヒー」という鳴き声が遠くで30秒間隔くらいで一晩じゅう途切れることなくなり続けている。カジカガエルの透明なヒルルルほか、3種類のカエルの鳴き声がした。

静かな中に、さまざまな動物の気配が感じられる山中。
われら中年キャンパーが思わず口ずさむのは昭和歌謡。年はごまかせない。改元の世の中も山は静か。
挙句の果ては、いびきバリアーでテントサイトへの獣類侵入を防いだ。


DSCN0490.JPG
足元にヒメハギ

明け方寒くて目が覚めた。
寝袋は3シーズン用、着込んで防寒の備えはしたはずだったが予想以上に放射冷却があったようだ。この日大津の最低気温は10.3度。冷え込むことで知られる信楽は4.9度で、テントサイトは標高300メートルを超す地点だから、信楽とそう変わらない気温になった可能性もある。5月でそんなに冷え込むとは思わなかった。

DSCN0536.JPG
くつろぎの茶

DSCN0515.JPG
ツツジ(ピンボケ)

山を見て、昼前にはさらに2人の到着あり、手製のホットサンドをいただき、初夏のさわやかな空気を楽しんでいたところ、
急に雲行きがあやしくなりにわか雨となった。
まさかこの晴天が急変するなんて。

夕方まで雨が止むのを待って、テントを撤収、片づけて野営地を出るときには暗くなりかけており、車まで戻ったときには完全に暗くなっていた。

このとき、ヘッドライトをかばんの奥にしまいこんで、出すのが面倒くさかったが、下山路を、ライトで照らしてもらわなかったら、濡れた岩で足を滑らしていたのは必至。下手をすれば骨折、入院なんてことにもなりかねなかった。
山で過ごすには熟練者の同伴は不可欠と痛感。

帰路、川沿いで、バーベキュー者らが積み残していった膨大なごみ袋を見る。
誰もいない山道にごみを置き去りにして、回収を誰かがやってくれると思っている非常識さに一同あきれた。
車で来たのなら、積んで持ち帰ればいいのに。釣り場と同様、そんなことで、立ち入り禁止となりかねないマナーの悪さだ。

1日半の山滞在だったが、いつもとは違った趣向で水のある自然を眺めて過ごした体験だった。




posted by 進 敏朗 at 10:43| Comment(0) | 低山めぐり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月03日

夜久野溶岩台地行(下)

DSCN0020.JPG
なだらかな府県境

京都府内で唯一といわれる火山活動の地形、夜久野が原。
その地名の由来は「焼け野」からという説もあるという。
焼けたような黒い土が広がる溶岩台地。
福知山市夜久野町の兵庫県との府県境は同じ台地面上にあってなだらかだった。
DSCN0019.JPG
宝山

その交差点の北側にそびえる小山が、京都府唯一の火山といわれる宝山(たからやま、またはたくらやま、349メートル)
ここから車で、山の東麓の「宝山公園」駐車場に停めると、もうそこは海抜220メートルくらいで、残りの高低差は130メートルに縮まった。

DSCN0024.JPG
マンサクの花

午前6時の予報では夕方までもつとのことだったが、早くも午前中からぱらつき始めた。
気温は10度あるかないかで風はなく、まあこの季節にしては普通だが小雨まじりでひんやりとしている。
11時半過ぎから登山。
丸太で階段がしてあって、やや坂は急だがのぼりやすい。
山の中腹も段々畑状になり、紅葉の憩の場にしようとしたのだろうか、改変が著しい。
5分もしないうちに、いつものようにハアハアと息切れ。前日も北山にのぼったという友人S氏は息ひとつ切らさない。
3月3日だったためか、正午、ひなまつりのメロディーが溶岩台地に流れた。

DSCN0028.JPG
山頂付近からの眺め

20分ぐらいして、山頂付近にさしかかり、眺望が開けた。
「ビューポイント」の広場よりちょと手前の登山路からのほうが、台地のようすを観察しやすい。
中央から右にかけ、高さ50メートルくらいの土地の高まりがはっきり確認できる。
「溶岩台地」というものを、観察するには良い場所なのではないか。

DSCN0054.JPG
赤い石

宝山はスコリアでできている火山砕屑丘(さいせつきゅう)。
石は上の写真のように赤かった。
赤いのは鉄分を含んでいるためだろう。
玄武岩は鉄やマグネシウムを豊富に含んでいて苦鉄質とかいわれるが、そのわりに鉄資源とはならない。
これを高温で溶かし、成分を分離して鉄やマグネシウムが取れるはずだが、鉄鉱石などに比べれば含有量が低くてペイしないのだろう。
そのかわり、玄武岩質の夜久野が原を、アルカリ分を入れて土壌改良すれば、そこは植物の成長に必要なマグネシウムや鉄分に富んだ土壌となって、野菜栽培にはプラスとなっている。

DSCN0032.JPG
宝山山頂

この宝山は、約30万年前に噴火したとみられている。
38万年前ごろ、溶岩が大規模に地底から流れ出て夜久野が原ができる。
それから数万年し、2度目の溶岩流があり、第1次の溶岩台地の上に乗っかり、台地中央部を形成。
宝山の噴火は夜久野における第3次の活動となる。
以後、現在に至るまで噴火や溶岩流はないから、夜久野での火山活動は打ち止めとなったのかもしれない。
30万年、まだ日本に人類はおらず、大陸では北京原人が暮らしていた。そんな遠い昔。
琵琶湖はこのころ、現在と同じような姿になっていた。


頂上は噴火口を取り囲んで平らになっており、左回りに回っていく。

DSCN0035.JPG
すりばちの形(進路から後方を振り返る)
杉木立で見通しがきかないが、すりばち状の形が確認できる。

DSCN0046.JPG
すり鉢の底

登山路は途中からすり鉢の中に降りて、火口からの眺めも。
この真下の地中から、高温の噴出物が吹き上げてきた。そのときはあまり流動性はなくて、小山の形になった。それは富士山とかにくらべれば、かなり小規模なものだったろうが、それでも比高150メートルの山ができるわけだから、一帯の山火事とか、噴煙によって周囲の木が枯れるとか、いろいろあっただろう。
噴火口は地図で見ると「C」の字を90度右回転させたように南側が切れていて、その谷を伝うように噴火口を出る。
駐車場に戻ったら12時45分で登り始めから1時間あまり。
低山めぐりは適度に終わった。
昼食へ道の駅へ。
いつもは弁当持参のことが多いが、今回は、この夜久野高原のそばを食べ、高原を味覚で確かめようという趣向。

DSCN0063.JPG
そば
十割そばは夜久野産そば粉を使用しているが、黒豆入りそばは、北海道産など国内そば粉使用とのこと。
かけそばの前者は1080円、後者は600円と値段が大きく違っていた。
地元産は高いが、これを食べねば夜久野高原を味わったことにならない。
火山性の土壌でも育つといわれるそば。しっかりした麺を堪能した。

DSCN0068.JPG
夜久野の地質図

市町村合併の以前に建てられた化石館の地質案内図は旧夜久野町の範囲が示されていた。
溶岩台地は左端真ん中やや下の「中部」と書かれた文字の右隣、濃い茶色の部分。
溶岩台地の広がりは、この左側の兵庫県側にも広がっているのに、町境までしか書かれていないのが残念だ。
しかし夜久野は、川ひとつ隔てても地層が違っているようで、古生代から中生代、新生代までいろんな地層が分布しており、化石採集でも非凡なものがある土地のようだった。

DSCN0069.JPG
宝山から吹いたとみられる火山弾

ただ化石についての展示は詳しかったが、火山活動や溶岩台地についての展示はほとんど無かった。
そこで受付のおじさんに「夜久野町史」を見せてもらい、そこに宝山や溶岩台地についての記述があったので断わって写真に収めた。
もし夜久野に、この溶岩が噴出しなかったら、溶岩台地の西の直見川と、兵庫県側の磯部川は一本の谷でつながっていたのではないか。
但馬地方には、本州でもっとも標高の低い101.4メートルの中央分水界がある。夜久野の溶岩を取り去ったら、そこには同様の標高の分水界が出現していたのでは。
でもこの場合、円山川と由良川の分水界なので、どちらも日本海に流れるから中央分水界ではなかった。

DSCN0126.JPG
土塁と石柱

その京都府兵庫県境に沿って、土塁のようなものがあって、石柱が立っている。

DSCN0123.JPG
国境を強調していた

その石碑は「これより東は丹波」とのことで国境を示していたのだった。
福知山が「福智山」と刻まれていて、もとはこちらの字が使われていたようだ。
来年の大河ドラマが明智光秀で、福智山は明智光秀の「智」からの名づけと知った。
国境が平坦なため、このように土塁を設けて隔てていたのか。
まさに国境の壁だ。
そしてこの赤黒い6角形をしたこの石柱。
これはまさに玄武岩の柱状節理ではないか。

DSCN0149.JPG
石碑の素材

玄武岩の大規模な柱状節理は、この石碑から東に2キロほどの「玄武岩公園」で見ることができた。
6角形の石碑は先ほどの土塁ほか、お寺などにもあり、溶岩の恵みを利用しているようだった。

DSCN0157.JPG
石材を掘った跡か

石材業が盛んだった夜久野。玄武岩公園では、河谷での採掘の跡などを確認。
野に落ちていた穴だらけの溶岩とは違い、ち密な質感だ。

DSCN0134.JPG
神社の池

兵庫県側の溶岩台地の西端、和田山町宮の神社では、岩からしみだした谷水をひいた立派な池があり、コイ泳ぐ。
背後の台地が浅い割に水量が多く、岩間から水がわき出しているようだった。クレソン、セリ群落も広がる。
夜久野が原ではほかにも、宝山の周囲などでも水がわく沢があるらしきことが「夜久野町史」の記述にもあった。
火山地形を歩き、のぼり、食べ堪能。

考えてみれば郷里には大山という巨大な火山があったのに、その存在感がありすぎて火山地形にあまり目を向けることがなかった。
近畿では少ない火山地形で、しかも1日でまわるのに適度な大きさだった。
道路開通にともなう台地の開削や、山に道をつけるため別の土地から持ってきた砂利をまき、敷くなど、もともとの山の地質や地形がわからなくなるくらいの改変も目立ったが、火山地形や台地の形そのものに注目することで、大地のつくりについていろいろと楽しい観察となった。

posted by 進 敏朗 at 12:45| Comment(0) | 低山めぐり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

夜久野溶岩台地行(上)

DSCN9935.JPG
台地の崖面を登る旧山陰街道

京都府の丹波地方、福知山市夜久野町に同府では唯一の火山があって、溶岩台地が広がっているという。
近畿地方には火山地形は少なくて、この夜久野が原へ、水辺活動の本格化する前のシーズンに見に行った。
滋賀県南部から京都市内経由、片道130キロ、沓掛から山陰自動車道、国道9号線経由。

福知山市街を抜け9号線を西進。
進行方向左手に牧川、その向こうを山陰本線が並走する。
同市夜久野町高内で、山陰本線はとつじょ9号線をまたぎ右にカーブしていく。夜久野の溶岩台地がはじまり、線路は台地をのぼらず崖面に沿って進む。

冒頭の写真は、山陰本線が9号線の上をまたぐ地点から北に約100メートル。そこで車を止めると、気になる坂道があり、同行の友人Sは、古い地図に道が記載され、敷石のある立派なつくりであることから、これが山陰街道の旧道ではないかという。

DSCN9939.JPG
特急電車ゆく

車を離れ歩いていく。
坂道は警報装置のない踏切を越え、さらに台地の崖をのぼっていく。

DSCN9941.JPG
溶岩発見

すると、穴だらけの赤茶色をした石が落ちている。
これは溶岩でしょう。
まだ熱いうちに、揮発成分が内部から抜けた跡とみられる。
さっそく火山の手がかり発見だ。
これも見つけたのはS氏。

山陰街道といい溶岩といい、見つけているのは我ばかりではないか、といわれる。
きっとぼさーっとしている筆者への励ましであろう。観察眼にすぐれた同行者はフィールド探索にはありがたいものだ。

DSCN9951.JPG
台地の上

平らな台地の上に出た。畑や牧場が広がっている。
土が黒くて、これもクロボクと呼ばれる火山性土壌のようだ。
クロボクは酸性がつよくてあまり農業に適さないとされてきた。近年ではアルカリ分を混ぜ土壌をを改良、広大な畑地に生まれ変わった。
道の駅では高原野菜が売られていた。

DSCN9963.JPG
国道9号線の切通し

山陰本線が台地を迂回するのとは対照的に、9号線は台地を切り開いてまっすぐ西へと坂を上る。
地図をみると台地の下の高内では104.3メートルで、切通しがおわる約1キロ先の小倉では170メートルくらいだった。
車だとそれほどの勾配ではないが、汽車ではしんどいだろう。というわけで山陰本線は上夜久野まで、台地のエッジをなぞりながら進む。



DSCN9977.JPG
台地を下から見る

いったん台地を降りて、河原と、いちだん高い田んぼ、さらに台地を見る。
田んぼに対する台地の高さは40〜50メートルくらい。
台地の崖の中ほどを山陰本線が走る。
この台地がぜんぶ流れてきた溶岩が固まってできたものだとは。
あるとき、大地の裂け目ができて、温度1200度の大量の溶岩がどーっと流れてくる。
そんな光景がこの野原から想像できるだろうか。

その範囲は東西4.5キロ、南北1.5キロ、厚さは厚いところで100メートルくらいに達しているという。
ハワイの火山の映像を見ることがあるが、ああした感じで迫ってきたのだろうか。
まさにディザスター、周囲一帯の生物死滅、すごいことだったろう。

DSCN9978.JPG
府道沿いに柱状節理出現

高内から府道56号線を北上するとほどなく、右手に玄武岩の柱状節理が出現。
これは、台地とは谷をはさんだ対岸の地山のふもとにあるから、溶岩はもともと、谷を完全に埋めていたんだなということがわかる。
そうすると行き場を失った谷水は、ダム湖のような湖となっていたのかもしれない。溶岩でせきとめられたら、熱い湖、なんてことも?

DSCN9987.JPG
平らな石を利用した玄関アプローチ

石材に恵まれた土地柄とあって、あたりの民家は立派な石垣で囲まれている。
平らに切れる性質があるのか、玄関へと上がる坂道が、平らな石で敷き詰められているのに見入る。

DSCN0006.JPG
台地のエッジ

上夜久野駅の東側から台地を川がなだらかに削り取った地形を見入る。
線路は右側の棚田の右方にあって、あえぎながら約2キロで20メートルくらい登ってきた。
いまは電車だから、あえぐわけはないか。

DSCN9993.JPG
上夜久野駅

山陰本線京都府最西端の上夜久野駅は、溶岩台地の北端を掘り込んだか谷を埋めたような感じで、こじんまりとたたずむ。
北側に駅口があって、牧川上流の村々からの利用が便利だ。

DSCN0016.JPG
駅の向こうがトンネル入り口

駅のすぐ西は、台地と貫く長さ約1.5キロの夜久野トンネルとなっている。

DSCN9990.JPG
夜久野トンネル入り口

トンネルは、電化された際に新トンネルが掘られ、ふたつの穴が隣り合っている。
長さ約1.5キロのトンネルの向こうは兵庫県だ。溶岩台地はちょうど、京都・兵庫の府県境の谷を、まるでマヨネーズをぶちまけたように横たわる。
ここは古代から、丹波と但馬の国境でもあった。

DSCN0018.JPG
京都府唯一の火山といわれる宝山。西半分は兵庫県

サアそして、きょうのメーン目的地、宝山(349メートル)が見えてきた。
これが京都府唯一の火山といわれる宝山。

裾野には平たい溶岩台地が広がっていて、ここを舞台に応仁の乱に絡む合戦も。

宝山をみると頂上がふたつあるように見えるが、噴火口の一部が欠けて、手前側にかけて谷となっているのだった。
ふもとの標高は200メートルくらいあるので、たかだか150メートルを登るにすぎない。
適度な低山だ。
(続く)
































posted by 進 敏朗 at 10:59| Comment(0) | 低山めぐり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月25日

三方五湖長尾行

DSCN4438-三方湖.gif
朝の穏やかな三方湖(午前9時10分ごろ)

7時ちょうどに出、左京に7時半着。S氏を拾い、三方五湖を目指す。大原途中、鯖街道経由でちょうど1時間半、三方湖(みかたこ)を望む鳥浜地区に着く。


DSCN4441 堀切.jpg
堀切

三方湖の東岸を北上し、広場に車を停め、長靴にはきかえる。
雪があるかもしれないとの指摘から、新たに購入した北海道のメーカー品だ。5000円くらいしたが、これまで買ってはすぐに破けていた、ホームセンター品とは足へのフィット感やしっかり感がまったく違う。
ただ防寒仕様ではないので、靴下を二重にはいた上、足底にカイロを装着し、歩いていく。

堀切につく。三方湖と菅湖(すがこ)をつないでいる。幅、4メートルくらい、深さは、埋まってしまったのか底が見えていて30センチくらいしかないように見える。

DSCN4440 ハシビロガモやオ.jpg
ハシビロガモやオオバン

菅湖には鳥類が多く、近づくと、岸近くの湖岸からカモ類が沖へと泳いでいく。

さて今回は、三方湖と水月湖(すいげつこ)を隔てている細長い岬を歩こうとやって来た。

梅園への有害鳥獣の侵入を防ぐ目的で、柵がめぐらされている。柵の鍵は開くことができるが、開けたあと、閉めることをせずに中に入る不届き者がいるという。せっかくの柵が台無しだ。開けたら、ちゃんと閉めることを心に刻み、慎重にフェンスから入る。午前10時。登りの道が始まっている。

DSCN4447 尾根道.jpg
幅の広い道

登山道は広く、幅3メートルはあろうかというならされた道が続く。
水路沿いに北向きに登り道があり、西に折れたあと、まず52メートルのピークに登る。いったん休憩。
そこから、いったん下がって、また上りがあり、水月湖と菅湖を隔てる岬が北に延びる「Y」字形をした分岐点のピークに至り休憩。

両側は木で、梅林が山頂近くまで植えられていたと思しき場所も。今は稼働していない荷運び用のレールが錆びている。

道はほぼまっすぐで歩きやすい。
獣が歩いた跡が一貫してついている。S氏が前方に、大型獣を認める。言われて、そちらの方に目をやると、獣は北側尾根を走って下っていき、正面衝突とはならなかった。イノシシのようだった。
イノシシは泳げるから、柵で岬の入り口を遮断しても、湖を泳いで上陸できるようだった。
また道中にはシカのふんもあり、さらには猿も友人が目撃。
熊がいたらどうしよう、と話し合ったが熊には遭わなかった。だが獣が多い山のようだった。

DSCN4451 水月湖.jpg
水月湖の眺め

先端にいたるちょっと手前で、林が切れ、北方の水月湖が見られる場所があった。
レインボーラインの休憩所がある梅丈岳(396メートル)が正面やや左に見え、なかなかの眺めだ。背後には、三方湖が広がっているのだが、そちらは木立で見えない。

20180224_111344_HDR[1] 登.jpg
岬のピーク

このへんで午前11時半を知らせるポール・モーリア「恋はみずいろ」鳴る。
それは米原市の天野川沿いで聞いた同曲とは演奏が違い、チャラララララ、チャラララララという伴奏もしっかり入って演奏時間も長いフルバージョンの電子音。
演奏はちがえど、「恋はみずいろ」が、各地の里で大きな支持を得ているようだった。

水月湖眺望地点からほどなく、午前11時半すぎ、先端近くの標高100.5メートルのピークに着いた。
10センチ程度の雪が残っている。かき氷状になっていてサクサクと音がする。
長靴が威力を発揮した。

この岬を下りると、対岸まで約50メートルの「瀬戸」があるのだが、半分くらいまで下り、そこから先は急坂になっていて、引き返す。木立のため、せっかくの水道の様子はよく見えなかった。

下りる途中、北西の風が強まり、とつぜんの嵐が襲う。友人が「財布がない」と、引き返し、山の上にスタンドアローン。登るときは、穏やかだったのに、天気が急変。
財布は結局「かばんに入っていた」。ということで出発。

下りてから、里海研究所で、「あの岬は何と呼ぶのですか」と尋ねたところ、元町職員のスタッフの方から「長尾」とうかがった。
長尾にある先端の山は、何といいますか、と聞いてみたが、全体が長尾なので何山とかいう名前は聞きませんねえ、ということだった。

長尾での梅園は、1981(昭和56)年の構造改善事業で拡大されたのだという。三方五湖沿岸での梅栽培の歴史自体はもっと古いが、その時期に規模が拡大したのだという。山でみたレールも、その時に敷設されたものと思われた。
農業の基盤整備をしっかり進めて生産量アップ、農業者の収入増となり、農村が豊かになる、と目指された構造改善事業。

だがしかし、山の斜面での梅栽培、しかも季節風がまともに当たる北斜面などはちょっと木が育つ環境としても、作業環境としても厳しかったのではと想像された。現在も、梅栽培が続けられている場所は海抜ゼロメートルの凍結しにくい湖岸すれすれの低い土地とか、車が横づけできる場所とか、季節風の影響をうけにくい南斜面とか、作業的にも栽培条件的にも恵まれた場所のようだ。

勝山に行くという友人を、途中の駅でおろした。
この日、風邪気味で、途中でへたり熊川宿の道の駅で休憩、6時すぎに帰宅した。










posted by 進 敏朗 at 11:30| Comment(0) | 低山めぐり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする