2017年02月04日

葉裏

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新進画家と京都府立植物園に行った。

立春の日差しの強まりを感じて暖かな日だった。

葉っぱが、光を受けて裏から緑色が透けて見える。新進画家いわく「葉っぱは、表側から見るより、裏側から見たほうがきれい」。

葉の中に葉緑素があるので、そこを透過した光のほうがきれいだと。表側から見ると、光を反射するので白くしか見えないと。

なるほどなあ。たしかに、葉裏はきれいだなあと思った。

しかしそれにしてもまさか、葉裏のほうが。葉っぱって、表から見るものでしょう。そんなの考えるまでもないでしょう、と思っていただけに、常識を覆される思い。

画家は自らの観察でそういうことを発見するから偉いものだなあと思った。

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ロウバイ

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2016年10月21日

鳥取県中部で地震

午後2時すぎごろ鳥取県で震度6弱の地震があった。

関西でも揺れて、震度3くらいあった。筆者はちょうど京都のビル8階におり、ゆさゆさとした揺れが数十秒続いた。

倉吉では建物の壁や瓦が落ちたりして被害が出た。けがをされた人も何人もおり大変だ。
筆者の母がそのとき親類の葬儀で倉吉の火葬場におり、停電になって係員の誘導で外に避難したと電話で話した。火葬は続行していたという。無事でよかった。

その後母が米子への帰路、空き家となっている祖母の家を見に行くと、仏壇がひっくり返っていたという。家屋に目立った被害がなくてよかった。

だが後日、墓地を訪れると、数基ある墓石が倒れたり、ずれたりしていたという。

鳥取県には目立った活断層がないと言われて、災害が少なく住みやすいところだと思われていたのに、いまでは「県内にひずみがたまっている」とか、「山陰は地震が頻発」とか言われている。えらい変わりようだ。

筆者が育った70年代、80時代は、たまたま空白期だったのか。その後2000年に鳥取県西部地震(マグニチュード7.3)、そして今回の地震(同6.6)。

倉吉や東郷池のあたりで昨年から、小さな地震が頻発していた。目立った断層もないのに群発地震があるということで、この現象は何だろうということだったが、きょうの大きな地震となった。

島根県東部から鳥取県、兵庫県北部の但馬地方、京都府の丹後地方にかけて、東西向けにひずみがあって、戦時中の鳥取地震や、さらには但馬の地震、丹後地方の地震が引き起こされてきたというのだ。

それがなぜなのかというのが、まだあまり分かっておらず、最近、多数の精度の高い地震計を設置しての観測が開始されたところ、そのような東西向けのひずみが見えつつあるという。でもそれは「断層」とは違うのだろうか。

また一方で、山陰地方の地下あたりで、太平洋からのプレートの沈み込みがあって、地下がひずんでいるんだ、といった学者のコメントがあった。それはどうやって調べたのか? 今回の地震の震源の深さは11キロと浅くて、太平洋からの距離を考えると、山陰の地下のそんな浅い場所にプレート境界はないと思われるが…。

でもたしかに、中国地方あたりでは火山が、三瓶山とか、大山、あるいは兵庫県北部の神鍋山等、数は少ないけど、中国山地の分水嶺よりも北側に、横一列に並んでいる。その南側の山陽や四国には火山はひとつもない。山陰地方に何か地殻のひび割れ的なものが走っているのだろうか?

大山の山頂が、鳥取県西部地震の震源と、今回の地震の震源地の中間地点にあるのも気になる。

大山は2万年前の噴火を最後に活動していないが、万が一にも活動が再開してほしくないものだ。

地震からは安全だと思われていた鳥取県でこんなありようだから、ほんとに驚いた。災害が少ないといわれている滋賀県も、いつなんどき大地震が襲ってくるか、わかったものではない。

これまで知られていない場所でも、こうした大きな地震が起きるわけだから、原子力発電所とか、どうなるかわかったものではない。たまたま若狭湾でなくてよかっただけかもしれない。

被災された方にはお見舞い申し上げます。






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2016年10月20日

中央構造線の露頭

高見山.jpg
奈良・三重県境の高見山(1248メートル)=中央

いつか中央構造線が見たいと思っていた。

三重県の松阪市飯高町の山奥に観察しやすい露頭があって、地図をみると滋賀県南部からだとそんなに遠くないはずなんだが、まっすぐに行ける道がなくて、地図で見ると左下、それから右下方向、また左方向…とジグザグに進む。

8時半に出、信楽から、山中を抜ける現代の忍者道「伊賀コリドールルート」や、名阪を行きつつ、2時間後に宇陀水分(みくまり)神社で一旦休憩。30分ほど過ごす。

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小赤が群れる宇陀水分神社入り口付近の池。奈良県の感じがした

そこから国道166号を進み、三重県境が近づくと、冒頭の写真のように鋭い三角形をした山が見えてきた。トンネル、ヘアピンカーブを通過、11時20分ごろ櫛田川沿いの波瀬(はぜ)地区に着き、「道の駅」でジビエカレーを食す。

そこから少しだけ櫛田川沿いに西進したところで左折、支流の月出川沿いの渓谷を進む。
「月出」という地名は、奥琵琶湖の湖岸にもあって、山峡の村と奥琵琶湖とでは一見違うけど、どちらも道を奥まで行った場所にある点が共通している気がした。

獣害防止の柵を開けて進むこと約15分、正午過ぎに駐車場に着いた。
自宅からは130キロくらい、所要時間は休憩や昼食を除くと2時間40分くらいで思っていたより近かった。

駐車場から、下に500メートルほど歩いて下っていく。
なおこの駐車場の3.8キロ手前で、露頭に行く道が分岐していたが、そこからは900メートル坂道をのぼっていく格好になる。

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見えてきた

すると進路の左のほうに、上の写真のように露出した岩盤が見えてきた。中央構造線の露頭のようだ。

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広場から見上げる

黒い岩、赤茶色っぽい部分に、白い岩が右上から左下にかけて帯状の模様をつくっている。

中央構造線、それは九州の西部から四国、紀伊半島、中部地方にかけて続く、日本で最も長い断層。

中央構造線図解.jpg
(画像に点線を加工)

拙いが点線を入れて中央構造線を図示。

上のほうを拡大.jpg
上のほうを望遠レンズで撮る

上のほうは割とはっきりと線を認めることができる。遊歩道が付いているが、土砂の崩落や倒木もあって、立ち入り禁止となっている。

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説明の看板

黒っぽい岩は海洋プレートが起源の「領家帯」の黒色片岩で、左側の白っぽいほうは、1億年前とかの、日本がまだ大陸の一部だったころの花崗岩でこちらは「三波川帯」に属する岩々。

茶色っぽい部分は、両者の境界になって、粉々にくだけた岩石でできた破砕帯ではなかろうか。

起源の違う二つの岩が、プレートの動きで、地下10キロのあたりで幅1000キロメートルにもなる合わせ目となった。それが隆起して、このような山中で見られるのだった。

近年の研究で、もともと大陸の周縁部だった日本の土地は、このように海から次々と、陸地が付け加わってできてきたことがわかってきた。

なぜ日本列島はこのような形になっているのか。
大陸や島、とくに日本のような島は、太古からかっちりとこの形だったわけではなく、長い年月のうちに動いたり変形したりすることを知った。

みそ汁に例えれば、地底のマントルは汁で、陸地は表面に浮かぶ「あく」のようなもの。
みそ汁の対流する方向が、ある時期に何かの加減で変わる。すると「あく」もそれに引っ張られてちぎれたり、引っ付いたする。

日本はもと大陸の一部で、朝鮮半島やロシア沿海州の横あたりに引っ付いていた細長い土地だったが、この中央構造線を境に、海側から新しい「あく」が付け加わった。紀伊半島の南半分やら四国などの部分。
そのころは太平洋のプレートの動きが今とは違っており、中央構造線がまさに活断層として動いていた。

が、そのあと太平洋プレートが西方向に動くようになり、それにつれて日本は海洋へと引っ張られ、大陸から分割、日本海ができる。

その際に、もとは別々のパーツだった西日本は時計周りに、東日本は反時計回りに動き、現在の8時10分を指す日本列島の形になったのだそうだ。

中央構造線はプレートの動きが変わった時期かそのちょっと前かに、動きがとまったとみられている。

熊本地震の際、中央構造線が動き出すのではと取りざたされたことがあったが、一気にこの中央構造線が1000キロにわたりずれるといったようなことは考えにくいそうだ。

「地質調査総合センター」の記事ではこの中央構造線を「古傷」と例えていた。
見た目には目立つ傷だが、それは血の出る生傷ではないということみたい。

今でも中央構造線が活断層の地域もあるが、それは中央構造線に沿って動く別物の活断層だとの説明だった(この辺の説明はよく呑み込めなかった)。

この現場で見る限り、黒い岩と白い岩、どちらの岩の上にも同じように杉の木が植林されており、岩の違いで育ちが違うとか、そんなことは感じられない。

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とまあ思いを巡らせた。

秋晴れの空に雲が流れる。谷間から吹きあがる風は強い。

さて、広場から見るだけなのも何なので、ロープが張ってあったんだけど、ちょっとだけ、沢に降りてみた。

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白い石

白っぽい石が落ちている。ごま塩模様で花崗岩のようだ。これは、ここから下流の櫛田川でもよく見られる。

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黒い石は簡単に割れる

黒い石は、ざらざらした手触りで、手で簡単に割ることができる。黒い粉が指先についてまるで炭か鉛筆の芯のよう。これが三波川帯の結晶片岩なのか。

あとで広場のあずまやに、パンフレットが置かれていたのに気がついた。観察の助けになってありがたかった。もし可能なら、岩の見本とか、現場にある岩のどれがどれというような写真入りがあったら、筆者のような者にもわかりやすいのではと思った。

沢の水をカップに汲んで飲んでみる。

中央構造線を見ながらの一杯は格別…。

まあこうやって、日本の土地が張り合わされた現場を見ると、いろんな地形をかたちづくっている秘密の一端を垣間見れたような気がして興味深い。

表面のさらに奥にあるものが、たまたま目に見えるかたちであらわになっている。その現場を見て地質情緒にひたった。





posted by 進 敏朗 at 22:53| Comment(0) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月13日

鮎産卵情報

滋賀県の「鮎資源情報」で、ことしのアユの産卵第3次調査(9月26〜10月5日)が発表されていた。

それによると、産卵数は170億粒、この第3次調査までの累計が177億粒で、平年(過去10年の平均)の106億粒を1.6倍くらい上回っている。

この調査は毎年、11月まで、5次にわたり行われているが、産卵のピークは、この9月下旬から10月初めにかけての第3次調査。

これを見ると、今年の産卵は順調のようだ。過去10年のうちには平年の数パーセントと異常に少ない年もあったから、平年よりやや多いくらいではないだろうか。

この調査は毎年、琵琶湖にそそぐ11河川で行われている(湖西から時計回りに和邇川、安曇川南流・北流、石田川、知内川、塩津大川、姉川、天野川、芹川、犬上川、愛知川、野洲川)。

ここしか川がないわけでななくて、ほかにも真野川とか、鵜川、余呉川、日野川とかたくさん川があるが先にあげた11河川が代表的な川みたいだ。

第3次調査を川別にみると、姉川が88億粒と最も多くて全体の半分強を占めている。
流域面積でみると姉川は滋賀県の陸地部分の10分の1くらいだから、こんなに半分強も集まるとは極端だ。福井、岐阜県境の深山を源流に流れてくる水がいいのだろうか。姉川は鮎にとって最も重要な川のようだ。ダムがつくられなくてよかった。

つぎが知内川の33億粒で、川の規模を考えると密度は姉川以上だ。

そして今年は、この数年間では見られなかった現象があり、例年あんまり多くない犬上川で23億粒とあり、3番目に多い。

同じ湖東側の愛知川が「増水」とあり、調査できない状態だったことから、断流もしばしばの犬上川が例年になく流量が多くて産卵の条件に恵まれたのかもしれない。

いつもは、姉川と安曇川を結ぶラインの北側の川ばかりで産卵が多く、湖東側の川ではわずかにしか産卵がみられないのに、今年は違った現象がみられて興味深い。

ここまでの3河川で全体の8割以上を占めている。

つぎに石田川が8億粒、塩津大川が7億粒と、湖西湖北の「常連」が続くが、湖西の大河川、安曇川が北流南流合わせて3億粒と意外なほど少ない。安曇川は北隣の石田川の6、7倍は大きな川。水もきれいなのに。何が鮎をそうさてているのか、自然は不思議だ。

滋賀南部住民のホーム河川、野洲川での産卵は、0.1億粒と、非常に少なかった。
野洲川は琵琶湖にそそぐ川では姉川とならび最大級の流域面積があるが、鮎の産卵は姉川の880分の1。この「南北格差」はすさまじい。

この9月、ビワマスを見に野洲川に行っていたが、ビワマスの産卵もあるいはこれくらいの格差があるのだろうか。もしそうなら姉川に行くとどんな光景が見られるのかと興味をそそられる。

ともあれ、今年のアユの産卵は順調のようだ。
ところでこの川別の産卵数は、川に遡上する鮎の密度とは比例しないと思われるので、野洲川でも来年、たくさんの鮎の遡上がみられるだろう。

また、近年は春までに、琵琶湖の中でヒウオの数が激減する現象も見られたりするが、それさえなければ、来年も鮎の順調な遡上がみられるだろう。

こうした調査はもっぱら漁業や水産業に携わる方のために行われているプロ向けの情報だと思うが、こうしたデータが公開されて素人投網ファンにとっても楽しみとなっている。ありがたいことだ。


posted by 進 敏朗 at 01:37| Comment(0) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月01日

ぶらん湖

ぶらん湖.jpg

近所の公園のブランコの下に水たまりができている。
その形が四国、またはオーストラリアを連想させた。

ブランコの水たまりを、一種の地形として表現してみようと、「ブラン湖」ともじってみると、これは実在していて、フランスのシャモニーにある湖だった。そこで区別するために「ぶらん湖」とひらがなにしてみる。

ブランコをこぐ、子どもの往復運動によって、下の地面の土砂が年月をかけて少しずつ削られていき、このような水たまりが形成される。

雨の後なんかで、水たまりができるので乾くまでブランコが使えなかったりすることがよくある。

それならば、はじめからもっとブランコの板を高くすればいいじゃないかと思うかもしれないが、それだと小さい子供が使いにくくなる。どうしても小さな子供に合わすために、ブランコの板は低めに設置されている。
水たまりができるのを防ぐためには、人工芝をひいてみるとか、何か工夫すれば対策ができるかもしれないが、たいていはふつうの砂利なのでこうした水たまりができるのは必至だ。不可避の現象だ。

これは言ってみれば、川の水が少しずつ岩をけずって穴をあけるとか、そういう自然現象に近い動きではないだろうか。遊戯による地形の形成というものを考えてみた。

「ぶらん湖」は四国のような形になる。このように仮説を立ててみた。
なぜなら、2本のブランコは二筋の溝をつくり、それが連結されて、四国型になることが予測されるからだ。

道すがら雨後のブランコを見てそのようなことを思った。



 
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