2020年01月09日

田上隕鉄

DSCN0022 各地の隕石.jpg
日本各地の隕石の展示

ここは東京・上野の国立科学博物館。
前日、巣立ちの時を迎えた者に同伴しての住まい探しミッションが完了し、この日は完全なお上りさんとなって訪れた。

開催中の企画展「ミイラ展」は、世界各地からミイラが集合し、観賞は個人的には、生理的にうけつけない部分もあったものの、常設展示は密度がすごくて圧倒された。
生物・鉱物といろいろあったが、一角に日本各地に落ちてきた隕石の展示があった。

DSCN0024 田上隕鉄.jpg
田上隕鉄

その中の下段右端に、大津の田上山地で見つかった田上隕鉄の実物が何気に置かれていた。


DSCN0026-隕石の説明.jpg
田上隕鉄の説明

明治時代に見つかった田上隕鉄は、重さが174キロもあって国内で見つかったものでは最も重いんだという。
いつ落ちてきたのかは定かではないが、明治時代の田上山といえば、トパーズとか水晶とか、宝石探しが盛んだったと思われる。
その中に出てきたこの隕鉄、鉄のニッケル合金なのだと。研究に使われたのか、チーズを切ったみたいに切り欠きがある。

たしか、琵琶湖博物館に、この形をした石の展示があったような気がする。この隕鉄のレプリカだったのかもしれない。
本物が東京に持っていかれている。
野洲で見つかった日本最大の銅鐸もそう。
地元では本物は見られない。
東京に何もかもが集中している実情に期せずして触れた。

DSCN0038 岩石図.jpg
岩石がどこでできるかを示した模式図

しかしこの科学博物館、キングオブ自然系博物館というか、とにかく質、量ともにすごくて、とても全館見きれない。
展示は、非常にわかりやすくできていて、上の写真の岩石の生成される地中の場所とか、文字なしでとてもわかりやすかった。

DSCN0034.jpg
ホタテ貝類の標本

貝類の展示もきれいで詳しく美しい。洗練された展示。
とにかく東京には「知」も集積しているんだなということを実感。
ひとつひとつの展示の洗練が、それを痛いほど強調している。

地元のものが地元で見られないのは残念な気がする一方で、こうやって首都に来ればすべての知が一望にできる環境は、問答無用で断罪されるべきかというと、そうとも思えない。あながち悪いことではないという気もする。。
まあ里帰りとか、そういう機会は増やしてもらいたいが。
若いうちに東京ですごすことができる人にとっては、最先端のものに触れられることは確かだ。









posted by 進 敏朗 at 00:00| Comment(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月11日

かわ

DSCN0035-表紙.jpg

「かわ」加古里子(かこさとし)さく・え を図書館で借りた。
かこさとしといえば、だるまちゃんシリーズなどで知られる、絵本作家で、昨年亡くなった。

「かわ」は1962年刊で、2018年までに87刷をかぞえるロングセラー。
タイトルのとおり、川の源流から河口までをたどるという絵本だった。
なお、2016年には、全部のページが一枚でつながった絵巻仕立ての「かわ」も刊行されており、それも図書館にあったので借りた。

かこさとしの自然科学関連の絵本、ほかに「海」「地球」「宇宙」「人間」も。たった一人の作者で、なんというタイトルの壮大さだろう。

DSCN0036 下流都市中心部.jpg
下流部の都市

「かわ」を開く。
川が、源流から始まって、渓谷、扇状地、沼沢地、沖積平野などと地形が展開し、やがて河口から海に注ぐ様子が、一本の流れとともに描かれている。いっぽう、ダムからの取水や水力発電所からの送電、さらには林業、農業、商業、工業など人の暮らしといろいろかかわる様子を示す。

最初のページの山頂部の岩に、ライチョウがいたかと思うと、つぎのページでは中禅寺湖のような火口湖や滝、噴煙を上げる火山があったりと、いろんな所からの地形や生物の要素がとりいれられている。

川の下流、河口近くには都市があって、鉄道の駅を中心に市街地が広がっている。

滋賀県は、大きな川があまりないので、川の大きさと町の大きさはリンクしていない。河口も、海ではなく琵琶湖なので、工業地帯や港湾は発達していない。

鳥取県では、東部、中部、西部の「3大河川」がつくる平野にそれぞれ鳥取、倉吉、米子の各市があるけど、鳥取、米子では川の本流と市街地はやや離れ、倉吉では、川のやや上流に町があって河口部は農村となっている。

この地図に合うような、川の本流と町の中心部が密接にからんでいる都市といえば、どこがあるだろうか。広島、川崎、近畿では大阪か。。。

などと、絵を見ながら思いをめぐらしていると、駅からの放射状の街路の様子が、表紙の地図に似ているなあと思って見ると、子供らが眺めている地図がそのまま、作中に展開されていることに気がついた。

DSCN0037 文教地区.jpg
文教地区

都市中心部から橋を渡ると、プールや野球場、美術館、児童公園といった文教地区がある。

DSCN0038 表紙の地図の一部.jpg
地図の該当部分

これも表紙の地図では、位置関係もそのまま同じように表されているのだった。

DSCN0039.JPG
DSCN0040 源流部の.jpg

全ページにわたって、表紙の地図に表されている地形が、絵に描かれている。
絵本を描くのに、まず川の源流部から河口までの地図を創作したうえで、その光景を描いたようだ。

この絵本、4歳から小学校初級向きとあるが、、、、。
思わず「これは、、、」とうなった。恐るべき徹底ぶりだ。

DSCN0041 投網をする人.jpg
三日月湖で投網をする人

昔、小学生のころ、地図ファン、時刻表ファンとなり、地図を創作する趣味があった。その作図の源泉は地図帳の地形図と時刻表からきていた。
この絵本にそのころ出会っていれば、地図というものに違った見方を与えられたはずだ。
そう思わずにはいられなかい。
長らく手元においておきたくなった。















posted by 進 敏朗 at 11:01| Comment(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年08月07日

若狭の海水浴

DSCN0051 若狭和田海水浴場.jpg
若狭和田海水浴場(午後2時ごろ)

海水浴に、子どもと2人で福井県高浜町の若狭和田海水浴場に行った。

若狭湾には、海水浴場が点在しているが、砂が粗っぽい浜が多いなか、ここの浜は細かくて足裏にやさしく、いい感じだ。
筆者は鳥取県出身のせいか砂には少々こだわりがある(笑)。

島根半島の北浦海水浴場と似た感じの砂質、入り江の波静かな雰囲気。それを大規模にしたような海水浴場。
幅広い浜の奥には、食堂やシャワー、ロッカーなどを備えた本格的な海の家が並んでいる。

平日ということもあってか、人の多さはそんなでもない。

2016年にはアジアで初の「ブルーフラッグ認証」を取得したというこの浜。
それの影響か、外国人の水泳客カップルも。
これは鳥取県の海水浴場では見たことない光景だった。今後、外国人観光客が増えるということもあるのかも。

DSCN0053 破損.jpg
破損

パラソルを設置し、泳ごうとしたら、長年使っていた水中めがねのベルトがちぎれてしまった。
ゴムが劣化したようだった。ショックを受けたが、子どもが持っていた予備のゴーグルを借りる。

DSCN0063 沖へ泳ぐ.jpg
沖へ泳ぐ

沖の浮き島まで泳ごうということになり、浮き輪をつけずに泳ぐ。
ここは入り江で、上の写真のように波静か。この日は風も弱くて潮の流れもほぼなし。
泳ぎながら、ぷかぷか浮いて休むわけだが、その間に流されることはなく安全だった。


DSCN0071 浮島に到着.jpg
浮き島に近づく

泳ぐこと数分、100メートルくらい沖と思われる浮き島に到達。
水深は3メートルくらいだろうか。
足がつかない中、ぶじ到達して、子どもも誇らしげ。



DSCN0072-海から若狭和田の眺.jpg
浮き島から海水浴場の眺め

浮き島に上がり、夏雲上がる海水浴場を眺めた。
子どもは達成感で意気上がる。
さらにここから、岸と平行に50メートルくらい離れた隣の浮き島に泳ごうと相成った。


DSCN0086 カワハギ.jpg
カワハギ

浮き島の底には、フジツボのようなものが付いており足を切らないよう気を付けた。
カワハギが上を向いて、何かを必死にかじっている。

魚をいろいろ観察した。

DSCN0076 豆アジ.jpg
海を埋め尽くす豆アジの群れ

隣の浮き島に泳ぐ途中、豆アジの群れに遭遇。
海の中をびっしりと埋め尽くしている。何匹いるのだろうか。これでは、サビキ釣りで無数に釣れるはずだ。

浜に戻ってから、いろいろ魚を観察。

DSCN0090-メゴチ.jpg
浅場のメゴチ

波静かな砂底におなじみのメゴチを、波打ち際まで追いかけるもよし。
ヒトデを拾うもよし。
小さなコウイカや、砂にもぐる砂模様をしたキンセンガニも発見。
遊び相手には事欠かない。
海には、陸上にはない異界感が満載だ。

DSCN0096 ギンポ.jpg
ギンポ

親である筆者のほうが、魚探しに夢中になってしまった。
撮影が目的の、「魚捕り」ならぬ「魚撮り」。
ブロックの間にいたギンポを撮影し満足。

ただ、一昨年にベニガイなどを拾うことに成功した「水中貝拾い」(2017年8月5日「海から戻ったカメラ」参照)は、この日、同様の貝だまりを砂底に発見できず、不発に終わった。

5時ごろまで、3時間もほぼ海の中にいた。
海の楽しさを、子どもと共有できたのがいちばんの喜びだった。



posted by 進 敏朗 at 19:15| Comment(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月10日

年縞博物館

DSC_8686-花折峠.jpg
雪の花折峠付近(午前7時40分ごろ)

ことし9月にオープンした福井県若桜町の県立年縞(ねんこう)博物館に行く。
三方五湖・水月湖の湖底に堆積した7万年分にわたる土砂などがつくる縞模様が、世界に例を見ない長期間にわたり年ごとの気候変動や火山噴火などの情報が正確にわかる資料として、年代をはかる世界標準のものさしとして認定された。それを展示する施設なのだという。
前日に京都や滋賀に初雪があって鯖街道の峠はうっすらと雪をがぶっている。

DSC_8699-水月湖.jpg
菅湖。奥に水月湖

これは三方五湖のひとつ菅湖(すがこ)からの眺めで、奥に水月湖が見える。
湖の向こうの湖岸沿いには人家などはない。

水月湖が見える場所もあるんだけど、景色のよい場所からの眺め。山が紅葉している。冬の水鳥もぼちぼち来はじめて季節の移り変わりをみせている。

DSC_8703 年縞博物館.jpg
年縞博物館

年縞博物館は、水月湖ではなくて、三方湖のほとり、縄文博物館に隣接して建てられた。
中空に浮いているような長い建物の形は奈良の正倉院を思わせる。

この日は月曜日で、縄文博物館は閉館日だ。
年縞博物館は火曜が休館と、なぜか休館日が違う。

そのせいもあるのか、月曜日の朝、駐車場にほとんど車は停まっていない。
開館から3か月もたったから、熱気も冷めただろうとうかがったら、ほんとうに来ている人が少なかった。

DSC_8709 コンクリート縞.jpg
縞模様のコンクリ

よく見ると、コンクリートが細い縞模様でできている。

DSC_8711 通路の天井.jpg
木製の通路天井

通路の天井も、進行方向に対して細い横縞の模様に見える。
建物は縞にこだわっているようだった。


DSC_8713 内部の通路.jpg
2階の展示室

展示は撮影オーケーという。
まず年縞について紹介する映像をみたあと2階に上がる。
すると長い通路の左側に壁があって、そこに水月湖から取り出されたボーリング調査の湖底の泥の標本が並んでいる。
このように来館者のいない廊下が撮れてラッキーだった。

ボーリング調査では、垂直方向に掘るわけなんだけど、展示は水平方向に並べてある。
1度の掘削で採れる泥は約1メートル分で、それを何回も繰り返して掘り続けた。継ぎ目の部分が生じるので、掘削地点を4カ所にして、継ぎ目なく縞模様が確認できるようにした(展示は3つの地点)

スタート地点から進むにつれて、年代が下がっていくようになっている。

DSC_8718 喜界カルデラ噴火.jpg
火山灰の堆積

ドイツに専門の職人がおり、ボーリングの円筒の土の水分を抜いて、厚さ20分の1ミリに薄切りし、削り昆布のような色目の標本となって目の前に展示されている。

いちばん浅い部分はまだ締まってなくて、縞も1年分が厚かったりした。
が、数千年分進んだあたりで、縞模様は目の細かいしっかりした感じになっていた。圧がかかってしっかり締まった感じになっている。
春にはガラス質の殻をもつケイソウが多く含まれ、夏には雨による土砂が、秋には別の種類のケイソウが、冬にはわずかな酸素の供給で鉄の鉱物が、早春には大陸からの黄砂が見られ、という感じで湖底への沈澱は繰り返され、季節による堆積物の色の違いが1年の縞模様のパターンをつくりだす。1年分が0.7ミリ。水月湖は、湖底が無酸素状態のいわば「死の湖」のため、生物にかき回されることなくこうした微細な模様が完全な形で残っているのだという。

7253年前、喜界カルデラの火山灰が降り注ぎ、年縞の間に白い厚みが挟み込まれていた。これが九州の縄文文化を全滅させたという破滅的噴火の証拠なのだった。プラスマイナス23年の誤差があるというものの、ほぼ正確に噴火した年代がわかるのだからすごいものだ。この7253年前というのは、2018年からということではなくて、西暦1950年が基準となっているということで、BC5303年(プラスマイナス23年)のことになる。

DSC_8719 氷期の終わり.jpg
氷期の終わり

氷河期の終わりが、1万1693年前だったというのも。こうした時代の終わりは、約1万年前とか、ばくっとした数字で表されるものだと思っていたものが、1の位の単位であらわされることに衝撃を受けた。

この年を境に、数年で劇的に気温が上昇し、数万年続いた氷河期は、いわば突然終わったとみられるという。年縞をみると、上の写真では矢印を境に、左側(新しい年代)は、年縞の厚みが倍になり、色が白っぽくなっているというが、目を凝らしてもよく分からなかった。

DSC_8720 大山の火山灰.jpg
大山の火山灰

わがふるさとの山、大山も、2万8888年前を中心に数度、噴火をしており、直線で200`以上離れた当地に火山灰が届けられていた。出雲神話で「火神岳」と呼ばれる大山だが、それより2万年以上も前のこのころは本当に火を噴く山だった。その2万年前の記憶が受け継がれているとは、なかなか考えにくいが…。

この年縞は、地質年代の世界標準資料なので、世界の他の地域の化石人骨などの年代もここ7万年以内なら正確にわかるというからすごいものだ。

いちばん寒い時で三方五湖のあたりの年平均気温が3度くらいだったという氷河期がおわり、縄文時代に入ると日本は温暖化したとされるが、館の展示によると意外にも、5千年前くらいまではそんなに温かくはなく、年平均気温は10度前後と、現在の東北地方くらいだったと表示されていた。縄文時代中期は、現在より温暖で海抜が3メートルくらいあったといわれるが、それはごく短い期間だったらしく縄文中期以降の付近の年平均気温は現在とほぼかわらない14度くらいだったことが示されていた。それは年縞の中から採取された植物花粉の割合などから類推されるものだという。

グリーンランドの氷床から得られたデータでは、氷河期が終わったあとは一気に、現在とほぼ同等の気温になったことがグラフで示されていたが、水月湖のデータからは、氷河期が終わってから数千年は、現在よりやや涼しい気候が続いていたことになる。何の違いによるものかが気になったところだった。

また、水月湖には7万年前以降には海水の侵入した形跡はなく、津波の跡とかも見いだせないという説明だった。あれだけ海に近い場所にあって、縄文海進の時期に海水が入ってこなかったとは、どのような地形だったのか、興味がわいてくるところだ。

館の売店で、何か研究報告が冊子になってないか尋ねたら、まだオープンしたばかりで一般書籍以外はないとのこと。これから、この年縞から、気候や自然に関するどのようなことが判明するのか期待される。








posted by 進 敏朗 at 09:14| Comment(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月27日

葛の籠づくり

DSCN9992 晩秋の野洲川.jpg
晩秋の野洲川(午前8時40分ごろ)

すっかり秋の暮れとなったがまだ今年は温かい。

鮎のシーズンが終わると、すっかり川からは足が遠のいてしまう。
このオフシーズン、川の自然で何かできないかというと、蔓を使っての蔓細工があった。

河原にはいろんな蔓草が生えていて、それらを採集、編んで、かごを作るのだ。

DSCN9994 葛.jpg

最もよくみられる蔓草がこの、葛(くず)だ。エダマメを巨大化したような葉が、河原一面にはびこっていて、これの蔓を利用して籠を作ろうとした。

DSCN0001-良材.jpg
何メートルものびる良材

河川敷は一面葛だらけだけど、良材を得るにはそれなりに苦労があった。

やっぱり、いい籠を作ろうと思ったら、なるべく太さが均一で、まっすぐで、節目の間がなるべく長くて弾力に富む、そんな良材を求めたいものだ。

ところが、それがどんな場所に生えているのかを見極めることができず、最初のうちはがむしゃらに蔓を引き抜くだけだった。

だんだんやっていくうちに、大きな誤りに気がついた。

最初は、葛の蔓をただ上から力任せに引っ張っているだけだったが、それではだめで、葛は、絡み合ったなかから根っこの部分を探し、根元を切って、そこから引っ張るべきなのだった。 そうすると上の写真のように、地面に沿って何メートルも這った長い蔓が得られるのだった。

DSCN9995 階段を発見.jpg
川への階段を発掘

蔓は長さ何メートルもあって、伐採していくうちにだんだんと下の地面があらわになってきて、何と、河原へ降りる階段があったことに初めて気づいた。夏のシーズンに、何度となく通った場所なのに、階段があることにまったく気づかなかった。この階段がある場所より約30メートルほど上流に、けものみちのように草が踏み分けられた細い道があって、いつもはそこから降りていた。でもせっかくこんな階段があるのだったら、これからは、この階段を利用することにしたい。階段は、蔓さえ取れば、しっかりと固められているので、草がはびこることはなく足場も良いのだった。

さて集めてきた葛の蔓。

DSCN0002 柱を束ねる.jpg
4本ずつたばねて十字型に。

DSCN0003 カラスウリの蔓を.jpg
細いカラスウリの蔓でぐるぐるやる

DSCN0004 柱を開く.jpg
蔓を巻きながら、束ねたやつを広げていく

このようにしてスタート。柱材となる葛の蔓はなるべくじょうぶなやつを使い、束ねたやつを広げていったところから、細い蔓から順に巻いていった。

DSCN0007 葛を巻く.jpg
1時間ほどしたところ

ところがここで、ちょっとした間違いが気にかかるようになってきた。
4本と4本、計8本の柱を結わえて、傘の骨のように放射線状に広げて、ぐるぐると蔓を巻いていくんだけど、そうして編むと、蔓が1周したところで、偶数だから、上下上下上下、と編んでいって、2周目も1周目と同じ、上下上下上下、となってしまって、編み目が交互にならない。そのへんは適当に、巻いたりしてごまかしていたが、それでいいのだろうかという思いが沸き起こり、強まっていった。

そして翌日、考え直してここまで編んだものをほどいてやり直すことにした。


DSCN0009 もっかいやり直す.jpg
結わえなおし、柱の数を片側1本切って奇数にする

DSCN0010 美しく編めた.jpg
するときれいに網目ができる。

DSCN0012 完成.jpg
完成

このようにして直径約50センチの籠ができたが、こうやって籠にしてみるとけっこう重量があって、用途に困ることに気づいた。
また、籠としては浅くて、もうちょっと深くなるよう編んでいくときに形状に気を付ければよかった。


DSCN0014 飾りとした.jpg

とりあえず上の写真のように、井戸ポンプを土壁の小屋風にしたものにかぶせて「屋根」がわりとした。
もちろん見た目が屋根のように見えるだけで、雨を通すために屋根の機能はない。土壁も、1年間雨にさらされてだいぶ崩れてきたので、そろそろ本格的な屋根をつくりたい。












posted by 進 敏朗 at 19:07| Comment(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする