2020年03月16日

N美術館

DSC_0125 絵画2点.jpg

もう4年以上も前に新進画家が描いた100号の油彩画を自宅内に設置。
冬枯れのメダカ池を描いたもの。
階段横の壁に架けた。
もう一つの絵は近所の水路。

DSC_0141 絵画.jpg

いっぽう、夏のメダカ池を描いた油彩画は別の場所に設置されている。
これも、もう5年も前の作品。
2015年の夏、滋賀県で総文祭が開かれたとき、県立近代美術館に飾られていた。

新進画家はこの春、東京に舞台を拠点を移すこととなり送り出す会を開いた。
ジャンルは油彩画から転じてキャラクターのイラスト等となるが、元気で健闘してほしいものだ。

こうやって、造成したメダカ池が絵画になるなんて、うれしい限り。


posted by 進 敏朗 at 13:17| Comment(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年01月23日

三重県総合博物館探訪

DSCN9954 外観.jpg
渡り廊下を通って博物館へ

1月も下旬だというのに、雪がまったく降らず雨の日が続く。
未曽有の暖冬。このまま立春を迎えてしまうのだろうか。一体この先、どんな春、夏が待っているのか。

雨のなか三重県総合博物館に行くことを計画。

そこには三重県の地質とかの展示もある。
滋賀県と三重県とは隣接してるが、山で隔てられていることもあって、近くて遠い場所だ。
しかし地質などは、滋賀県の湖東側と、三重県の北半分はなだらかにつながっている。それを見たい。

滋賀県南部の自宅からは、距離にして70`とそんなに遠くはない。
三重県の南勢地方に住んでいる人よりもむしろ近いかもしれない。

高速道路を使わずとも、最近の広くなった国道1号や三重の県道を走れば、1時間半くらいで着くかと思ったが、鈴鹿峠をおりた関から先、伊勢自動車道が通行止めとなって高速道から降りてきた車列に巻き込まれ、数キロ先の次インター入り口まで牛歩を余儀なくされることに。

渋滞を抜け、田園を直進する4車線道路をバーミヤンの先で右折すると、低い丘陵に道路に面して、まるで見せつけるように真新しい県立図書館があり、道をはさんでこれまた新しい建物の博物館が現れた。

ちょうど滋賀県の瀬田の文化ゾーンのような場所だった。

立体駐車場から、道路をまたぐ渡り廊下を伝って、博物館に入った。

DSCN0026 博物館内.jpg
おしゃれな館内

開放的なガラス張り、吹き抜けにはモビールが吊るされ、机やいすも一組ずつデザインを違えるなど、おしゃれさが目立つ。
三重県総合博物館は2014年の4月竣工。
見つけた資料によると延べ床面積10800メートル。
地中熱利用で冷暖房の消費電力を大幅に減らすヒートポンプシステムを備えた新鋭建築だ。
まさに居心地のよい快適空間といえるだろう。

これで観覧料(基本展示)は520円。
企画展が見たい場合でも、合わせて800か900円そこそこ。
これで半日すごせるとは、ずいぶんお得な施設だ。

真新しい快適な館に、この冬場の平日、常設展示(同館では基本展示の呼称)を見に来る人も少なく、ほぼ館内を独占した状態に。

DSCN9964 ミエゾウ.jpg
ミエゾウ骨格模型

エントランスの目立つ場所に立つのはミエゾウの骨格模型。
350万年前の伊賀地方の古琵琶湖層から、足跡や骨の一部が見つかり、体高が4メートル近くもある大きなゾウだったという。
琵琶湖の起源となる伊賀湖は三重県にあったのだった。
滋賀の多賀町で全身骨格が見つかったアケボノゾウのレプリカもあった。
アケボノゾウは体高が2メートルしかない。
子供だからではなくて、ミエゾウが時間をかけ小型化して日本列島仕様になったものがアケボノゾウだという。
同じようなゾウの化石に見えて、両者には約200万年の時間の開きがあるというから、同時には生息していなかったのだった。

DSCN0008 地質図.jpg
地質の展示

基本展示では、地質の展示に力が入っていた。
「寄せ木細工の三重の大地」という展示がある。
地質の違いによって、カラフルに色分けがされた紀伊半島。
その紀伊半島の真ん中で、左から右にすっぱりと、色が変わる線が走っている。
それが中央構造線。

DSCN9983 中央構造線.jpg
中央構造線の説明展示

中央構造線の露頭が三重県内で見られる場所が地図で示されていた。
かつてこの線を境に、南側の陸地が北側に対してどんどん横ずれしてきて、ほんらいなら隣り合うことのない茶色と黒のふたつの地層が隣り合うことに。
筆者も松阪市の月出の露頭を見に行ったことがあった(2016年10月20日記事「中央構造線の露頭」参照)。
まさに日本列島が寄せ木細工のようにして形成されたことを示す大きな証拠。
三重県内では数か所で露頭が見られるとあって、力を入れて特集していた。

地質についての説明は詳しく、地層を立体的に図示し、少ない字数でまとめられていたが、専門用語が割と見られ、その用語についての説明がなかったり、どこかにはあったかもしれないがすぐ横にはなかったりして、説明文と図解とを何度か見比べて、ようやく「この説明はこういうことを指しているのではないか」というぼんやりした思いに至るのだった。

DSCN0002 メランジュ.jpg
画面に「メランジュ」の文字がフラッシュ

県内で見られる岩石も、いろいろと紹介。
メランジュとは、基盤の岩のなかに、石灰岩とか、チャートとかちがう岩石がまざって見られる泥岩や砂岩のことだった。岩石の映像に「メランジュ」という文字がフラッシュのように現れて、目に焼き付いた。
まじめにわかりやすく、解説している動画から漂う雰囲気。
余韻のようなもの。こんな時間は博物館の中にしか流れていない。

DSCN0020 ジュラ紀の付加体.jpg
ジュラ紀の付加体写真パネル

こちらは「ジュラ紀の付加体」という。
付加体、この言葉を、なんども見かけた。

いずれも、海底で、海洋のプレートが沈み込んだ際に、いろんな起源の違う岩石がまぜこぜになって、つくられた地層が県内で見られるのだそうだ。

DSCN0007 鈴鹿山脈西と東の.jpg
鈴鹿山脈をはさんだ地層

上の写真では、鈴鹿山脈をはさんで、左は滋賀県、右は三重県。
地質の色や模様をみると、地続きの土地だったんじゃないかと思わせる。
鈴鹿山脈というもが真ん中に立っているから、滋賀、三重と隔てられている格好となっているが、山脈が盛り上がる以前には一様に平たい土地が広がっていたと推定されているそうだ。

こないだ琵琶湖博物館でみた、新種のタニガワナマズは、三重県北部の川の中流で見つかり、琵琶湖にすむイワトコナマズに似ている魚だった。もともとは同一種の魚だったものが、鈴鹿山脈、琵琶湖の発生という地形の変化が、種の分化を引き起こしたようだ(2018年9月23日記事「タニガワナマズ」参照)。

DSCN9993 松名瀬の説明.jpg
松名瀬干潟の説明

生態についての展示や、歴史文化の展示もあった。

琵琶湖博物館なら、A・B・C展示室に分かれているものがひとつの展示室で紹介されている。
展示室の規模は半分以下だろうか。
県自体は三重県のほうが、滋賀県よりもだいぶ大きいが、滋賀県にとっての琵琶湖にかける熱意、あるいは琵琶湖の存在感が、他県では例がないほど大きかったのではないだろうかと思わされる。

生態展示で取り上げられていたのが大台ケ原や、伊勢湾の松名瀬干潟だった。
大台ケ原は日本一の多雨地帯だそうだが、根が「下流」志向の筆者は、もっぱら干潟の展示のほうをみた。
松名瀬干潟には、河口干潟、潟湖、砂浜、前浜干潟、アマモ場といった干潟の要素がそろっていて、まさにザ・干潟というべき、伊勢湾を代表する干潟なのだという。潮干狩りで何度か足を運ぶけどたしかに広くて気持ちのいい場所だ。

DSCN9995 満潮時の干潟をい.jpg
満潮時の干潟をいくボラのはく製

干潟、そして海というものは、内陸県の滋賀にはないから、こうした展示は、三重県総合博物館の倍の広さはあるだろう琵琶湖博物館でも、見ることはできないのだった。100万年前の滋賀の外海だと思って鑑賞。

DSCN0018 貝類標本.jpg
海産貝類の標本

海産の貝類標本もあって、うらやましい限り。
三重の海ではいろんな形をした貝がとれるんだなあ。


DSCN0029 企画展のカタログ.jpg
企画展カタログ

そして企画展カタログのデザインは、琵琶湖博物館では見たことのない優美さだった。
貝類の生態や、植物の形態に注目した内容で、2冊を購入。
三重県総合博物館、そこは三重県の地質や自然文化が学べる快適空間だった。
暖冬が続けば、鈴鹿峠も凍結することはないから、冬場でも訪れやすいだろう。


posted by 進 敏朗 at 00:00| Comment(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年01月09日

田上隕鉄

DSCN0022 各地の隕石.jpg
日本各地の隕石の展示

ここは東京・上野の国立科学博物館。
前日、巣立ちの時を迎えた者に同伴しての住まい探しミッションが完了し、この日は完全なお上りさんとなって訪れた。

開催中の企画展「ミイラ展」は、世界各地からミイラが集合し、観賞は個人的には、生理的にうけつけない部分もあったものの、常設展示は密度がすごくて圧倒された。
生物・鉱物といろいろあったが、一角に日本各地に落ちてきた隕石の展示があった。

DSCN0024 田上隕鉄.jpg
田上隕鉄

その中の下段右端に、大津の田上山地で見つかった田上隕鉄の実物が何気に置かれていた。


DSCN0026-隕石の説明.jpg
田上隕鉄の説明

明治時代に見つかった田上隕鉄は、重さが174キロもあって国内で見つかったものでは最も重いんだという。
いつ落ちてきたのかは定かではないが、明治時代の田上山といえば、トパーズとか水晶とか、宝石探しが盛んだったと思われる。
その中に出てきたこの隕鉄、鉄のニッケル合金なのだと。研究に使われたのか、チーズを切ったみたいに切り欠きがある。

たしか、琵琶湖博物館に、この形をした石の展示があったような気がする。この隕鉄のレプリカだったのかもしれない。
本物が東京に持っていかれている。
野洲で見つかった日本最大の銅鐸もそう。
地元では本物は見られない。
東京に何もかもが集中している実情に期せずして触れた。

DSCN0038 岩石図.jpg
岩石がどこでできるかを示した模式図

しかしこの科学博物館、キングオブ自然系博物館というか、とにかく質、量ともにすごくて、とても全館見きれない。
展示は、非常にわかりやすくできていて、上の写真の岩石の生成される地中の場所とか、文字なしでとてもわかりやすかった。

DSCN0034.jpg
ホタテ貝類の標本

貝類の展示もきれいで詳しく美しい。洗練された展示。
とにかく東京には「知」も集積しているんだなということを実感。
ひとつひとつの展示の洗練が、それを痛いほど強調している。

地元のものが地元で見られないのは残念な気がする一方で、こうやって首都に来ればすべての知が一望にできる環境は、問答無用で断罪されるべきかというと、そうとも思えない。あながち悪いことではないという気もする。。
まあ里帰りとか、そういう機会は増やしてもらいたいが。
若いうちに東京ですごすことができる人にとっては、最先端のものに触れられることは確かだ。









posted by 進 敏朗 at 00:00| Comment(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年08月07日

若狭の海水浴

DSCN0051 若狭和田海水浴場.jpg
若狭和田海水浴場(午後2時ごろ)

海水浴に、子どもと2人で福井県高浜町の若狭和田海水浴場に行った。

若狭湾には、海水浴場が点在しているが、砂が粗っぽい浜が多いなか、ここの浜は細かくて足裏にやさしく、いい感じだ。
筆者は鳥取県出身のせいか砂には少々こだわりがある(笑)。

島根半島の北浦海水浴場と似た感じの砂質、入り江の波静かな雰囲気。それを大規模にしたような海水浴場。
幅広い浜の奥には、食堂やシャワー、ロッカーなどを備えた本格的な海の家が並んでいる。

平日ということもあってか、人の多さはそんなでもない。

2016年にはアジアで初の「ブルーフラッグ認証」を取得したというこの浜。
それの影響か、外国人の水泳客カップルも。
これは鳥取県の海水浴場では見たことない光景だった。今後、外国人観光客が増えるということもあるのかも。

DSCN0053 破損.jpg
破損

パラソルを設置し、泳ごうとしたら、長年使っていた水中めがねのベルトがちぎれてしまった。
ゴムが劣化したようだった。ショックを受けたが、子どもが持っていた予備のゴーグルを借りる。

DSCN0063 沖へ泳ぐ.jpg
沖へ泳ぐ

沖の浮き島まで泳ごうということになり、浮き輪をつけずに泳ぐ。
ここは入り江で、上の写真のように波静か。この日は風も弱くて潮の流れもほぼなし。
泳ぎながら、ぷかぷか浮いて休むわけだが、その間に流されることはなく安全だった。


DSCN0071 浮島に到着.jpg
浮き島に近づく

泳ぐこと数分、100メートルくらい沖と思われる浮き島に到達。
水深は3メートルくらいだろうか。
足がつかない中、ぶじ到達して、子どもも誇らしげ。



DSCN0072-海から若狭和田の眺.jpg
浮き島から海水浴場の眺め

浮き島に上がり、夏雲上がる海水浴場を眺めた。
子どもは達成感で意気上がる。
さらにここから、岸と平行に50メートルくらい離れた隣の浮き島に泳ごうと相成った。


DSCN0086 カワハギ.jpg
カワハギ

浮き島の底には、フジツボのようなものが付いており足を切らないよう気を付けた。
カワハギが上を向いて、何かを必死にかじっている。

魚をいろいろ観察した。

DSCN0076 豆アジ.jpg
海を埋め尽くす豆アジの群れ

隣の浮き島に泳ぐ途中、豆アジの群れに遭遇。
海の中をびっしりと埋め尽くしている。何匹いるのだろうか。これでは、サビキ釣りで無数に釣れるはずだ。

浜に戻ってから、いろいろ魚を観察。

DSCN0090-メゴチ.jpg
浅場のメゴチ

波静かな砂底におなじみのメゴチを、波打ち際まで追いかけるもよし。
ヒトデを拾うもよし。
小さなコウイカや、砂にもぐる砂模様をしたキンセンガニも発見。
遊び相手には事欠かない。
海には、陸上にはない異界感が満載だ。

DSCN0096 ギンポ.jpg
ギンポ

親である筆者のほうが、魚探しに夢中になってしまった。
撮影が目的の、「魚捕り」ならぬ「魚撮り」。
ブロックの間にいたギンポを撮影し満足。

ただ、一昨年にベニガイなどを拾うことに成功した「水中貝拾い」(2017年8月5日「海から戻ったカメラ」参照)は、この日、同様の貝だまりを砂底に発見できず、不発に終わった。

5時ごろまで、3時間もほぼ海の中にいた。
海の楽しさを、子どもと共有できたのがいちばんの喜びだった。



posted by 進 敏朗 at 19:15| Comment(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月10日

年縞博物館

DSC_8686-花折峠.jpg
雪の花折峠付近(午前7時40分ごろ)

ことし9月にオープンした福井県若桜町の県立年縞(ねんこう)博物館に行く。
三方五湖・水月湖の湖底に堆積した7万年分にわたる土砂などがつくる縞模様が、世界に例を見ない長期間にわたり年ごとの気候変動や火山噴火などの情報が正確にわかる資料として、年代をはかる世界標準のものさしとして認定された。それを展示する施設なのだという。
前日に京都や滋賀に初雪があって鯖街道の峠はうっすらと雪をがぶっている。

DSC_8699-水月湖.jpg
菅湖。奥に水月湖

これは三方五湖のひとつ菅湖(すがこ)からの眺めで、奥に水月湖が見える。
湖の向こうの湖岸沿いには人家などはない。

水月湖が見える場所もあるんだけど、景色のよい場所からの眺め。山が紅葉している。冬の水鳥もぼちぼち来はじめて季節の移り変わりをみせている。

DSC_8703 年縞博物館.jpg
年縞博物館

年縞博物館は、水月湖ではなくて、三方湖のほとり、縄文博物館に隣接して建てられた。
中空に浮いているような長い建物の形は奈良の正倉院を思わせる。

この日は月曜日で、縄文博物館は閉館日だ。
年縞博物館は火曜が休館と、なぜか休館日が違う。

そのせいもあるのか、月曜日の朝、駐車場にほとんど車は停まっていない。
開館から3か月もたったから、熱気も冷めただろうとうかがったら、ほんとうに来ている人が少なかった。

DSC_8709 コンクリート縞.jpg
縞模様のコンクリ

よく見ると、コンクリートが細い縞模様でできている。

DSC_8711 通路の天井.jpg
木製の通路天井

通路の天井も、進行方向に対して細い横縞の模様に見える。
建物は縞にこだわっているようだった。


DSC_8713 内部の通路.jpg
2階の展示室

展示は撮影オーケーという。
まず年縞について紹介する映像をみたあと2階に上がる。
すると長い通路の左側に壁があって、そこに水月湖から取り出されたボーリング調査の湖底の泥の標本が並んでいる。
このように来館者のいない廊下が撮れてラッキーだった。

ボーリング調査では、垂直方向に掘るわけなんだけど、展示は水平方向に並べてある。
1度の掘削で採れる泥は約1メートル分で、それを何回も繰り返して掘り続けた。継ぎ目の部分が生じるので、掘削地点を4カ所にして、継ぎ目なく縞模様が確認できるようにした(展示は3つの地点)

スタート地点から進むにつれて、年代が下がっていくようになっている。

DSC_8718 喜界カルデラ噴火.jpg
火山灰の堆積

ドイツに専門の職人がおり、ボーリングの円筒の土の水分を抜いて、厚さ20分の1ミリに薄切りし、削り昆布のような色目の標本となって目の前に展示されている。

いちばん浅い部分はまだ締まってなくて、縞も1年分が厚かったりした。
が、数千年分進んだあたりで、縞模様は目の細かいしっかりした感じになっていた。圧がかかってしっかり締まった感じになっている。
春にはガラス質の殻をもつケイソウが多く含まれ、夏には雨による土砂が、秋には別の種類のケイソウが、冬にはわずかな酸素の供給で鉄の鉱物が、早春には大陸からの黄砂が見られ、という感じで湖底への沈澱は繰り返され、季節による堆積物の色の違いが1年の縞模様のパターンをつくりだす。1年分が0.7ミリ。水月湖は、湖底が無酸素状態のいわば「死の湖」のため、生物にかき回されることなくこうした微細な模様が完全な形で残っているのだという。

7253年前、喜界カルデラの火山灰が降り注ぎ、年縞の間に白い厚みが挟み込まれていた。これが九州の縄文文化を全滅させたという破滅的噴火の証拠なのだった。プラスマイナス23年の誤差があるというものの、ほぼ正確に噴火した年代がわかるのだからすごいものだ。この7253年前というのは、2018年からということではなくて、西暦1950年が基準となっているということで、BC5303年(プラスマイナス23年)のことになる。

DSC_8719 氷期の終わり.jpg
氷期の終わり

氷河期の終わりが、1万1693年前だったというのも。こうした時代の終わりは、約1万年前とか、ばくっとした数字で表されるものだと思っていたものが、1の位の単位であらわされることに衝撃を受けた。

この年を境に、数年で劇的に気温が上昇し、数万年続いた氷河期は、いわば突然終わったとみられるという。年縞をみると、上の写真では矢印を境に、左側(新しい年代)は、年縞の厚みが倍になり、色が白っぽくなっているというが、目を凝らしてもよく分からなかった。

DSC_8720 大山の火山灰.jpg
大山の火山灰

わがふるさとの山、大山も、2万8888年前を中心に数度、噴火をしており、直線で200`以上離れた当地に火山灰が届けられていた。出雲神話で「火神岳」と呼ばれる大山だが、それより2万年以上も前のこのころは本当に火を噴く山だった。その2万年前の記憶が受け継がれているとは、なかなか考えにくいが…。

この年縞は、地質年代の世界標準資料なので、世界の他の地域の化石人骨などの年代もここ7万年以内なら正確にわかるというからすごいものだ。

いちばん寒い時で三方五湖のあたりの年平均気温が3度くらいだったという氷河期がおわり、縄文時代に入ると日本は温暖化したとされるが、館の展示によると意外にも、5千年前くらいまではそんなに温かくはなく、年平均気温は10度前後と、現在の東北地方くらいだったと表示されていた。縄文時代中期は、現在より温暖で海抜が3メートルくらいあったといわれるが、それはごく短い期間だったらしく縄文中期以降の付近の年平均気温は現在とほぼかわらない14度くらいだったことが示されていた。それは年縞の中から採取された植物花粉の割合などから類推されるものだという。

グリーンランドの氷床から得られたデータでは、氷河期が終わったあとは一気に、現在とほぼ同等の気温になったことがグラフで示されていたが、水月湖のデータからは、氷河期が終わってから数千年は、現在よりやや涼しい気候が続いていたことになる。何の違いによるものかが気になったところだった。

また、水月湖には7万年前以降には海水の侵入した形跡はなく、津波の跡とかも見いだせないという説明だった。あれだけ海に近い場所にあって、縄文海進の時期に海水が入ってこなかったとは、どのような地形だったのか、興味がわいてくるところだ。

館の売店で、何か研究報告が冊子になってないか尋ねたら、まだオープンしたばかりで一般書籍以外はないとのこと。これから、この年縞から、気候や自然に関するどのようなことが判明するのか期待される。








posted by 進 敏朗 at 09:14| Comment(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする