2023年01月01日

新春自宅療養 水辺憂想

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メダカ池の冬

2023年はコロナ罹患自宅療養の中での幕開けとなった。
年明けに予定していた入院の1週間前、必要な手続きとして12月28日にPCR検査を受けたところ、翌29日の朝、病院から電話がかかってきて「あなた陽性ですよ」と知らされたのである。
えっうそ、と思ったのもつかの間、その日の夜には微熱や咳が出始めた。
つぎの30日には熱が38度台に達したがそこがピークで、症状としてはのどの痛み、せきが出る程度で体感的なしんどさはインフルエンザと同等だった。味覚はあり食べ物をおいしく食べられ、発症4日目の本日はこうやって机にも向かっている。玄関横にある隔離部屋から外に出て、敷地内のメダカ池の写真を撮ってもみた(冒頭の写真)。

このたびのコロナ発覚、本人は自覚症状がなく、たまたま手続きのためPCR検査を受けたところ、ちょうど潜伏期間であったという。こんなタイミングでPCRが受けられたのはむしろ運が良かったのか。 
日頃ぼーっとしているからコロナウイルスが降りかかるような場面で無防備なんだろうと言われても仕方がないが、ワクチン接種もこれまで4回、直近では11月に受けているし、マスクもしているし、生活の中でとるべき対策は取って来たのである。
ただ、結果として、濃厚接触者を増やしてしまったのは申し訳ない気持ちである。
予定していた入院も取り消しとなってしまい、設定しなおすしかなくなった。

このようなわけで療養生活のまま越年しコロナ正月を迎えた。
まあしかし、療養生活というのはひまである。
だいたいコロナになる前から年賀状も書く気が起きず、部屋に引きこもったような生活ぶりだった。
50代に達した人間が思いがちな、これまでの年月はなんだったのか的なことをいっぺん、この正月の療養生活を機に、考えてみようかという気にもなったがたいしたことは思いつかない。
でもひまなので、漫然と思いはめぐるのだった。
今年は2023年の正月、早いもので、大学を出て、就職してから30年もの年月がたってしまったのである。

30年、早いもんだなあ、と思ってしまうのは、自分の中ではあまり変化した自覚がないというか、子どもの頃や学生の頃のような、未知のもの、人との出会い、世界観の獲得、変化、衝撃、そういったものがこの30年というものあまりないような暮らしであった。
いっぽう、外の世界を見まわしてみると、やはり30年で大きく様変わりしている。
これまで同じ会社で30年働いてきたが、大きく変わったのはIT化であった。
AIも出現、世の中を見ると仕事というものが劇的に効率化されてきた。
だんだんと機材が高性能化し便利だなあ、というのを超えて、効率化したシステムが従来の社会を変えていく。これが現実のものとして迫って来た。
なくなるというか、もっと少なくなる業態もいろいろ出てくるだろう。
例えば全国に地方銀行がある。各都道府県の進学校のエリートの就職先だったのだが、ネットバンキングの時代になってくると、こんな全国各地にたくさん地方銀行がなくてもいいのではないかという話となってくる。
中では変化が急がれているだろう。銀行業以外のまちづくりへの投資とか、投資とか。しかし、これまでの銀行業に匹敵する収益の柱をつくるとなるとなかなか大変なように思われる。
採用の時は優秀な人を集めていると思うのだが、いざ新事業となるとスキルを持った人材がいない、ちゅうことになっていると想像できる。もちろん従来の業務だって大変で意義もあるのだけど、それでも会社の外の技術的な水準が上がっており、かつての地銀の優位性はそれほどでもなくなってしまった。それなのに、これまで通りの日々が続いていくものなのか。どうなのだろう。
そうは言っても私も30年来、地方銀行の口座を持っているし、各地で地方銀行がやっぱり従来どおり存在しているのは、地方には中高年、お年寄りが多く、お年寄りはライフスタイルを変えないからにほかならない。
このような感じで地方には、マジョリティーである中高年以上の世代を相手にした多くの業態が今も生き残ってきた。だが、ここらでよく考えとかないといけないのではないか。
私の親の世代は敗戦で貧しかった子供時代から、高度成長を遂げていった時代を見てきた。私は生まれた時はよかった時代の日本しか知らない。鳥取県でも人口は毎年増加しており、昭和末から舞台を移しての学生時代では、世の中バブルで、企業から学生へ、営業と称し、お金のかかるサービスの投下が並大抵のことではなく、いま振り返れば狂っていたとしか思えないが、当時は大体そういった感じで、田舎から出てきた身としてはこれが都会の、大人の文化かと納得してしまったがとんでもないことだった。私も世の中がゆるゆるだった時代の恩恵で就職できたようなものだが、広い意味でのバブル就職世代は今や50代半ばになり、会社や官庁で幹部になってきた。そういう世代があと数年で前線から去る。親世代もあと何年元気でいられるか分からない。漠然とした印象に過ぎないがその後は、さすが時代が変わるのではないかという気がする。

世界を見ても、2020年から続きいまだ出口が見えずついに私自身にも降りかかってしまったというコロナ禍、そして昨年はロシアによるウクライナ侵攻での石油ガス高騰や食料資材の高騰。アメリカではコロナ禍に端を発したインフレを押さえようと金利の上昇となり、日銀の大規模緩和も遠からず修正せざるを得なくなってきた。だからと言って金利を上げたら膨大な債務の返済が難しくなるから、行き詰まってまいやしないか。30年の長きにわたり停滞してきた日本経済だが、20年のコロナを元凶としたこの動きで、日本が衰退期に入ったのではとも思ってしまった。人口減少の影響は大きい。
そしてウクライナ侵攻、日本と中国、韓国。北朝鮮は言うに及ばず。台湾をめぐってもどうなるんだろう。平和どころか、対立が深まっている。
平和な世の中だったら、平凡に生きられたのであるが、きな臭さが増してきた。これまで泰平の世しか知らず、まったくパッとしなかったつるつるとした会社員のおっさんが、突然防備なしで風雨や荒波にさらされサバイブできるのか。そこまで言うのはいささか極端だけど、何にしてもこのたびのコロナ罹患みたいに、不意打ちにあうのがいちばんよろしくない。偶然、適切なタイミングで受けたPCR検査で発覚遅れを免れ、最悪の事態は防げたが(やはり運が良かった)、とにかく構えは何か講じておかなくてはと意識したのであった。

そういう状況の中でこのブログのテーマ「水」について見たりすることはどういう意味があるのか?
やっぱり自然のいいところは、そのまんまなところだね。
水辺を見るとホッとする。まあ、これに尽きるんじゃないか。

話を大きく広げた割には、そことはリンクしない結論で、「だけどさあ、」と割り込んで話の腰を折る人みたいになってしまった。
予想を微塵も超えない結果で、単なる思考放棄ではないかと突っ込まれても仕方のない感じになったが、大きな問題は解決策がすぐに見つからないからこそ難しい。
ところで、この30年の日本で、目に見えてよくなったと思っていることもあって、それは川がきれいになったこと。水辺に関しては、住民意識の向上や、下水などのインフラ整備が進んだ。これは社会が積み上げた教育や公共投資のたまものだ。
ここ滋賀県でもいっときはコンクリ三面張りや琵琶湖のヨシ帯伐採とか、水辺をめぐる環境破壊も問題にされたのだけど、ホタルが見られる場所が年々増えたりとか、どうってことのない用水路にいつも魚がいるとか、それなりに生物もいて、あとは昭和の生活用水や排水の垂れ流しも減って水がきれいになった。環境への配慮が曲がりなりにも意識されるようになったことは大歓迎だ。
とにかく日本では季節がめぐるのを見るのが楽しい。こんな季節が美しく移りゆく点においては、日本の風土は、世界でも稀有なものじゃないかしら。ほかの国にはあまり行ったことがないので知らないのだが。
なるべく何の変哲もない水辺をみて、自分がホッとするものをつかみだして記録していきたい。水辺こそ人生の楽しみ。なんてね。最近、記事の更新もいっときより減ったが、そんな気持ちで今年も行きたい。

ーと、療養の自宅隔離部屋で思った次第であった(本日、長男のコロナ陽性が発覚…)。




posted by 進 敏朗 at 15:24| Comment(0) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年03月08日

水草堆肥配布中止

県琵琶湖保全再生課と公益財団法人淡海環境保全財団から、水草たい肥配布中止のお知らせが届いた。
特定外来生物のナガエツルノゲイトウ、オオバナミズキンバイ、アレチウリなどが、製造中のたい肥から確認されたことから、いったん配布を見合わせるという。これによって、春の水草たい肥は行われなくなるという。

筆者は水草たい肥を、庭の極小農地に毎年、土のう数袋分だけもらって土に混ぜ込んで使っている。肥料分はそんなにないとされるが、陸上の草よりも柔らかくて分解しやすく、たい肥化された水草をすき込むことで、土中の微生物が増えてバランス改善、作物が元気になるとか病気が減るとか、そうした効果がみこまれるのではないかと思って使ってきた。無料でもらえるところが大きい。

特定外来生物を理由とした配布中止。実際にたい肥にまざって繁殖してしまったという例が実際にあったのだろうか。
水草たい肥は、近年琵琶湖に繁茂する水草を減らし、田畑を肥やすという一石二鳥の取り組みであるが、特定外来生物が広がってしまうのは思いがけない副作用だ。それはいかん。
たい肥の完熟化を進めるなどして、種子が発芽しないくらいにして、ぜひ配布を早期に再開してほしい。
posted by 進 敏朗 at 10:18| Comment(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年02月23日

ジョウビタキとメジロ、その他の鳥

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大津の最低気温は氷点下1.4度。雪が解けて雨に変わるという二十四節気の「雨水」も過ぎた2月下旬にしてはけっこうな冷え込み。2日前に積もった雪がまだ完全に解けずに残っている。
冒頭の写真は、生ごみ堆肥づくりのビニールシートの山を石で押さえているところに雪解け水がたまったのが凍った形である。

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ジョウビタキ

この日は昼になっても、鳥の活動が活発だった。
飛来したのはジョウビタキ。
ジョウビタキは冬の渡り鳥。見かける時はいつも単独で、枝の先とかに止まり、地上に降りて何かをついばんでいる。虫を探しているのか。
知ったようなことを書くが、5年前の同ブログ記事を見ると「野鳥」としか書かれていなかった(2017年1月20日「大洗海岸と涸沼(下)」)。
何という鳥なのかを知ったのはここ5年以内の話だった。


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メジロ

メジロも飛来。
メジロはいつも2羽で連れだって来るが、撮影の技術不足・辛抱の足りなさによりレンズには1羽しかとらえることができない。
望遠レンズを取り出したら、何かが不調で作動しない。それで標準的なズームレンズで撮ったのだが、5メートル以上離れたところから撮ったら小さくしか映らない。拡大すると上の写真のようにぼやけてしまう。
メジロはジョウビタキよりもさらに小さく、木にぶら下がった姿勢で止まったり、幹の周りを一周したりと身軽で、枝の間をせわしなく動き回っている。地上に下りることはなく、ミカンを好んで食べる。
地上に下りるジョウビタキは明るい黄土色と黒、灰色が混じった色で、樹上にいるメジロは葉っぱのような色をしている。よくできたものだ。

そして、この日はジョウビタキとメジロが同時に庭で見られた。
庭に飛来する鳥の中でいちばんきれいだなと思うのはメジロで、次がジョウビタキだったので、
双璧の鳥が並び立ってうれしかった。


↑ジョウビタキの姿に、メジロの鳴き声の映像

メジロがよく鳴いている。ジョウビタキは、飛び立つときに鳴いたがその鳴き声はクリック音のような打楽器のような音だった。
鳴き声が火打石のようだということでヒタキという名が付いたということだそうだ。

この日はツグミも飛来。冬の渡り鳥だが、地面をぴょんぴょんはね歩く姿は地味だが均整がとれている。
撮ろうとしたら逃げられた。機動性が必要だ。
そしていつものスズメ、ヒヨドリが見られた。
冬の野鳥観察を楽しんだ。


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シーズン終わりかけのロウバイ

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ジョウビタキ(2月25日撮影)。間合いを詰めることに成功




posted by 進 敏朗 at 18:25| Comment(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年02月21日

読書感想文「地球の中身」

講談社ブルーバックスの「地球の中身」(廣瀬敬著)という本を読んだ。
たまたま本屋で手にし、奥付をみると今年の1月20日第一刷発行ということで新しい本だった。
私自身は水辺や地形などに興味があり、このような水辺にまつわるブログを興してみたのだったが、この本は地球の内部について最新の研究成果が紹介されており衝撃を受けた。

地球の内部、地殻の下にはマントルがあって、その下には外核、内核がある。そこまでは高校で習ったので知っていた。
口絵には筆者の開発したダイヤモンドを使った高圧加圧装置の写真があり、2000年代に入って完成した。その装置を使うと地球中心部の364万気圧という状態も再現が可能になったといい、これによって、地球をつくる物質が内部でどのような状態にあるのかがより詳しくわかるようになった。マントルの深さによって、マントルの主要鉱物であるカンラン岩が加圧されて何段階かに結晶構造が変わり(相転移)、それによって固さとかの性質が変わってきて、マントルの対流や地震波の伝わり方に影響を与えているとか。口絵に鉱物が掲載されているが、透明なうぐいす色や深緑色で宝石のようだ。実際にペリドットという宝石として扱われていると知った。こんな石が地球の中に詰まっているのだ。
さらには地球内部の鉱物の振る舞いによって発生する磁場の話もあった。
マントルよりも深部には核がある。核は主に鉄でできており、液体になった鉄が地球の内部で対流したりして磁場が発生するのだという。
この磁場があることで、太陽から吹き付ける強力な電磁波が地表に達するのを遮り、生物への放射線による影響や、水から水素が分解されて宇宙空間に散っていくのを防いでいるのだという。
地磁気といえば、訪れたのが千葉県のチバニアンだった(2019年12月19日「チバニアン」記事参照)。
訪れたのはコロナ禍の直前で、行ける時に行くべしとあの時思ったことは正解だったと今、あらためて思うが、チバニアンの養老渓谷の地層に記録された地磁気の逆転は77万年前のことだった。地磁気が反転する前後の時期、地磁気が弱まるとされ、その際の太陽風による生物への影響(遺伝子の損傷とか)はどんなものか。チバニアンの時には現生人類はいなかったので、今後地磁気の弱まりは人類への影響がどうなのか。地磁気は年々弱まりつつあると観測されているが、地磁気弱まったり反転する仕組みはまだよくわかっていないという。気になるところだ。
ただ磁場は長期間なくなることはなく、逆に6億年前ごろからは強まったという。そのころ、地球の最深部には固体の鉄からなる内核ができたとされ、それとこれとが相関しているのではないかと。そしてそれ以降の時代、カンブリア紀の生物の爆発的進化が起きるが、これも関係があるのではないかと。
地球の中での深さによる加圧に伴う物質の振る舞いの変化と、それによって生ずる大気や海、地中への物質(二酸化炭素とか水とか)の循環、さらに熱の伝わりや保持、磁力の発生がからまりあって、安定して生物が生存できる環境をつくりだしていることが説明されている。ほんとによくできたものですね。
太陽系の中では火星にも40億年くらい前には海や地球と同等の気圧の大気があったという。だが火星では地磁気がなくなったことで水や大気は38億年前には吹き飛ばされてしまった。なぜ火星で地磁気が消えたのかについて本書では、地球内部でのマントルや核の振る舞いと、それを火星に当てはめた場合に質量の違いなどから同じようにはならないことを説明している。最新の火星探索の知見もとりいれながら、同じ元素でできた他の惑星や月と比較して、地球の環境は生命が活動するのに条件がうまくそろったんだなあと思わざるをえない。
地球はひとつのシステムとして成り立っていることを知ると、そこらへんの石や土、水辺といったものを見ても、何もかもがあるべくしてある、という思いが深まる気がする。

posted by 進 敏朗 at 02:48| Comment(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年02月15日

琵琶湖博物館の昼前(2)


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比良山系を遠望(午前9時50分ごろ)

2か月ぶりに琵琶湖博物館に来た。午前10時の開館とともに入場する。
午前中、憩いの時間を過ごす。
入館する前に、駐車場から広場に歩き、琵琶湖越しの山並みを遠望する。
雪の比良山系。
琵琶湖博物館ができたとき、周囲の土地をリゾート開発する計画があったが、あれから30年近くたって周囲の空き地は変わっていない。
琵琶湖近くに広くて静かな場所が残って良かった。


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エスカレーターから1階の広間を見る

2か月前の来訪時に購入した年間パスポートで入場。
もう元が取れているが今年12月まで有効。何というお得感だろう。
同館までは、自宅から車を使えばさほど時間はかからないので、足を運ぼうと思う。
琵琶湖とそれをとりまく滋賀県の自然・歴史・人の暮らしを網羅する琵琶湖博物館。最近、何年かをかけて全館リニューアルを果たしたのだった。
訪れた時は外壁の工事が行われていて覆われていた。
この日はA展示室(地質など)を中心にのぞいた。

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軽石

A展示室では、地質が中心に展示されているが、琵琶湖の歴史の展示で、以前は「蒲生湖」と呼ばれていたと記憶するが、「蒲生沼沢地」と名前が変わっていた。蒲生湖は浅かったようなので、湖じゃなくて沼沢地と呼んだほうがふさわしいということになったのだろうか。
研究の進展がもたらした成果なのだろうか。

古琵琶湖があった時代から現代まで、湖底の堆積物や植物化石を通じて気候がどのように変わって来たかを解説する展示などが力が入っていた。それによると400万年前くらいはワニなんかもいて、亜熱帯のような気候だったが、100万年前から寒冷化が始まり、琵琶湖が現在の形となった40万年前からは、数万年ごとに氷河期が到来している。
海は、氷河期になると北極や南極の氷が厚くなったりして、海抜が下がるが、琵琶湖ではそうはならないだろう。
諏訪湖のように御神渡ができたり、歩いて渡れるなんてこともあったのだろうか。
地層に琵琶湖が凍結した痕跡などは残されているだろうか。

そしてトピック展示では、太平洋の火山噴火によってまき散らされた軽石が展示されていた。
内陸県の滋賀で、あの太平洋の軽石が見られるなんて思ってもみなかった。
泡のかたまりを石にしたような外観。ひどい汚れ物を落とした時の泡ような。これが大量に海に浮いて、1000`も西の沖縄の浜に漂着したのを採取したようだ。
河口から空中に飛び、直接海に落ちて冷やされたのか、あるいは空中で冷えて固まったのかどちらだろう。かつて夜久野で「火山弾」を見たが、それは砲弾のような形をしていた。それに比べると、この軽石は、かなり軽い物質でできているようだった。持ってみたかった。

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亀と砂利

C展示室では、ジャリっという音がときおり聞こえてくるので何だろうと思ったら亀が砂利を蹴る音だった。
空調や、録音の動物の鳴き声などが響く中で、生き物の立てる偶然の音は面白いなと思って和んだ。

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ビワコオオナマズの稚魚

水族展示では、ビワコオオナマズの稚魚がいた。通路に、ぶくぶくなしの小さなアクリル水槽が置かれていた。
体長10センチあまりだろうか。コンニャクを連想させる半透明の色合いで、ふつうのナマズの稚魚よりも色が薄くて弱々しい。
体に少しでも傷がついたらすぐにでも死んでしまいそうだが、よく生きたまま捕獲できたものだと思った。
一方、バイカル博物館から届けられるライブ映像は、凍った湖の風景が映し出されていたが、沖合は凍っておらず霧がただよっていた。アザラシたちはどうしているのか。

毎日、近くの琵琶湖から採取されるプランクトンの展示、本日はゾウミジンコが多かった。

少し見るだけであっという間に2時間がたって昼になってしまう。
リニューアルで、展示は全般に、見る人に呼びかける感じに変わり、研究者の声なども届けられ、見た目のわかりやすさが重視されているように見受けられた。そして最新の研究の知見がいろいろと取り入れられていて勉強になった。
ただ個人的には、以前の重厚感ある感じも好きだったが…。


posted by 進 敏朗 at 18:15| Comment(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする