2019年08月07日

若狭の海水浴

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若狭和田海水浴場(午後2時ごろ)

海水浴に、子どもと2人で福井県高浜町の若狭和田海水浴場に行った。

若狭湾には、海水浴場が点在しているが、砂が粗っぽい浜が多いなか、ここの浜は細かくて足裏にやさしく、いい感じだ。
筆者は鳥取県出身のせいか砂には少々こだわりがある(笑)。

島根半島の北浦海水浴場と似た感じの砂質、入り江の波静かな雰囲気。それを大規模にしたような海水浴場。
幅広い浜の奥には、食堂やシャワー、ロッカーなどを備えた本格的な海の家が並んでいる。

平日ということもあってか、人の多さはそんなでもない。

2016年にはアジアで初の「ブルーフラッグ認証」を取得したというこの浜。
それの影響か、外国人の水泳客カップルも。
これは鳥取県の海水浴場では見たことない光景だった。今後、外国人観光客が増えるということもあるのかも。

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破損

パラソルを設置し、泳ごうとしたら、長年使っていた水中めがねのベルトがちぎれてしまった。
ゴムが劣化したようだった。ショックを受けたが、子どもが持っていた予備のゴーグルを借りる。

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沖へ泳ぐ

沖の浮き島まで泳ごうということになり、浮き輪をつけずに泳ぐ。
ここは入り江で、上の写真のように波静か。この日は風も弱くて潮の流れもほぼなし。
泳ぎながら、ぷかぷか浮いて休むわけだが、その間に流されることはなく安全だった。


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浮き島に近づく

泳ぐこと数分、100メートルくらい沖と思われる浮き島に到達。
水深は3メートルくらいだろうか。
足がつかない中、ぶじ到達して、子どもも誇らしげ。



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浮き島から海水浴場の眺め

浮き島に上がり、夏雲上がる海水浴場を眺めた。
子どもは達成感で意気上がる。
さらにここから、岸と平行に50メートルくらい離れた隣の浮き島に泳ごうと相成った。


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カワハギ

浮き島の底には、フジツボのようなものが付いており足を切らないよう気を付けた。
カワハギが上を向いて、何かを必死にかじっている。

魚をいろいろ観察した。

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海を埋め尽くす豆アジの群れ

隣の浮き島に泳ぐ途中、豆アジの群れに遭遇。
海の中をびっしりと埋め尽くしている。何匹いるのだろうか。これでは、サビキ釣りで無数に釣れるはずだ。

浜に戻ってから、いろいろ魚を観察。

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浅場のメゴチ

波静かな砂底におなじみのメゴチを、波打ち際まで追いかけるもよし。
ヒトデを拾うもよし。
小さなコウイカや、砂にもぐる砂模様をしたキンセンガニも発見。
遊び相手には事欠かない。
海には、陸上にはない異界感が満載だ。

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ギンポ

親である筆者のほうが、魚探しに夢中になってしまった。
撮影が目的の、「魚捕り」ならぬ「魚撮り」。
ブロックの間にいたギンポを撮影し満足。

ただ、一昨年にベニガイなどを拾うことに成功した「水中貝拾い」(2017年8月5日「海から戻ったカメラ」参照)は、この日、同様の貝だまりを砂底に発見できず、不発に終わった。

5時ごろまで、3時間もほぼ海の中にいた。
海の楽しさを、子どもと共有できたのがいちばんの喜びだった。



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2018年12月10日

年縞博物館

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雪の花折峠付近(午前7時40分ごろ)

ことし9月にオープンした福井県若桜町の県立年縞(ねんこう)博物館に行く。
三方五湖・水月湖の湖底に堆積した7万年分にわたる土砂などがつくる縞模様が、世界に例を見ない長期間にわたり年ごとの気候変動や火山噴火などの情報が正確にわかる資料として、年代をはかる世界標準のものさしとして認定された。それを展示する施設なのだという。
前日に京都や滋賀に初雪があって鯖街道の峠はうっすらと雪をがぶっている。

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菅湖。奥に水月湖

これは三方五湖のひとつ菅湖(すがこ)からの眺めで、奥に水月湖が見える。
湖の向こうの湖岸沿いには人家などはない。

水月湖が見える場所もあるんだけど、景色のよい場所からの眺め。山が紅葉している。冬の水鳥もぼちぼち来はじめて季節の移り変わりをみせている。

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年縞博物館

年縞博物館は、水月湖ではなくて、三方湖のほとり、縄文博物館に隣接して建てられた。
中空に浮いているような長い建物の形は奈良の正倉院を思わせる。

この日は月曜日で、縄文博物館は閉館日だ。
年縞博物館は火曜が休館と、なぜか休館日が違う。

そのせいもあるのか、月曜日の朝、駐車場にほとんど車は停まっていない。
開館から3か月もたったから、熱気も冷めただろうとうかがったら、ほんとうに来ている人が少なかった。

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縞模様のコンクリ

よく見ると、コンクリートが細い縞模様でできている。

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木製の通路天井

通路の天井も、進行方向に対して細い横縞の模様に見える。
建物は縞にこだわっているようだった。


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2階の展示室

展示は撮影オーケーという。
まず年縞について紹介する映像をみたあと2階に上がる。
すると長い通路の左側に壁があって、そこに水月湖から取り出されたボーリング調査の湖底の泥の標本が並んでいる。
このように来館者のいない廊下が撮れてラッキーだった。

ボーリング調査では、垂直方向に掘るわけなんだけど、展示は水平方向に並べてある。
1度の掘削で採れる泥は約1メートル分で、それを何回も繰り返して掘り続けた。継ぎ目の部分が生じるので、掘削地点を4カ所にして、継ぎ目なく縞模様が確認できるようにした(展示は3つの地点)

スタート地点から進むにつれて、年代が下がっていくようになっている。

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火山灰の堆積

ドイツに専門の職人がおり、ボーリングの円筒の土の水分を抜いて、厚さ20分の1ミリに薄切りし、削り昆布のような色目の標本となって目の前に展示されている。

いちばん浅い部分はまだ締まってなくて、縞も1年分が厚かったりした。
が、数千年分進んだあたりで、縞模様は目の細かいしっかりした感じになっていた。圧がかかってしっかり締まった感じになっている。
春にはガラス質の殻をもつケイソウが多く含まれ、夏には雨による土砂が、秋には別の種類のケイソウが、冬にはわずかな酸素の供給で鉄の鉱物が、早春には大陸からの黄砂が見られ、という感じで湖底への沈澱は繰り返され、季節による堆積物の色の違いが1年の縞模様のパターンをつくりだす。1年分が0.7ミリ。水月湖は、湖底が無酸素状態のいわば「死の湖」のため、生物にかき回されることなくこうした微細な模様が完全な形で残っているのだという。

7253年前、喜界カルデラの火山灰が降り注ぎ、年縞の間に白い厚みが挟み込まれていた。これが九州の縄文文化を全滅させたという破滅的噴火の証拠なのだった。プラスマイナス23年の誤差があるというものの、ほぼ正確に噴火した年代がわかるのだからすごいものだ。この7253年前というのは、2018年からということではなくて、西暦1950年が基準となっているということで、BC5303年(プラスマイナス23年)のことになる。

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氷期の終わり

氷河期の終わりが、1万1693年前だったというのも。こうした時代の終わりは、約1万年前とか、ばくっとした数字で表されるものだと思っていたものが、1の位の単位であらわされることに衝撃を受けた。

この年を境に、数年で劇的に気温が上昇し、数万年続いた氷河期は、いわば突然終わったとみられるという。年縞をみると、上の写真では矢印を境に、左側(新しい年代)は、年縞の厚みが倍になり、色が白っぽくなっているというが、目を凝らしてもよく分からなかった。

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大山の火山灰

わがふるさとの山、大山も、2万8888年前を中心に数度、噴火をしており、直線で200`以上離れた当地に火山灰が届けられていた。出雲神話で「火神岳」と呼ばれる大山だが、それより2万年以上も前のこのころは本当に火を噴く山だった。その2万年前の記憶が受け継がれているとは、なかなか考えにくいが…。

この年縞は、地質年代の世界標準資料なので、世界の他の地域の化石人骨などの年代もここ7万年以内なら正確にわかるというからすごいものだ。

いちばん寒い時で三方五湖のあたりの年平均気温が3度くらいだったという氷河期がおわり、縄文時代に入ると日本は温暖化したとされるが、館の展示によると意外にも、5千年前くらいまではそんなに温かくはなく、年平均気温は10度前後と、現在の東北地方くらいだったと表示されていた。縄文時代中期は、現在より温暖で海抜が3メートルくらいあったといわれるが、それはごく短い期間だったらしく縄文中期以降の付近の年平均気温は現在とほぼかわらない14度くらいだったことが示されていた。それは年縞の中から採取された植物花粉の割合などから類推されるものだという。

グリーンランドの氷床から得られたデータでは、氷河期が終わったあとは一気に、現在とほぼ同等の気温になったことがグラフで示されていたが、水月湖のデータからは、氷河期が終わってから数千年は、現在よりやや涼しい気候が続いていたことになる。何の違いによるものかが気になったところだった。

また、水月湖には7万年前以降には海水の侵入した形跡はなく、津波の跡とかも見いだせないという説明だった。あれだけ海に近い場所にあって、縄文海進の時期に海水が入ってこなかったとは、どのような地形だったのか、興味がわいてくるところだ。

館の売店で、何か研究報告が冊子になってないか尋ねたら、まだオープンしたばかりで一般書籍以外はないとのこと。これから、この年縞から、気候や自然に関するどのようなことが判明するのか期待される。








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2018年11月27日

葛の籠づくり

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晩秋の野洲川(午前8時40分ごろ)

すっかり秋の暮れとなったがまだ今年は温かい。

鮎のシーズンが終わると、すっかり川からは足が遠のいてしまう。
このオフシーズン、川の自然で何かできないかというと、蔓を使っての蔓細工があった。

河原にはいろんな蔓草が生えていて、それらを採集、編んで、かごを作るのだ。

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最もよくみられる蔓草がこの、葛(くず)だ。エダマメを巨大化したような葉が、河原一面にはびこっていて、これの蔓を利用して籠を作ろうとした。

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何メートルものびる良材

河川敷は一面葛だらけだけど、良材を得るにはそれなりに苦労があった。

やっぱり、いい籠を作ろうと思ったら、なるべく太さが均一で、まっすぐで、節目の間がなるべく長くて弾力に富む、そんな良材を求めたいものだ。

ところが、それがどんな場所に生えているのかを見極めることができず、最初のうちはがむしゃらに蔓を引き抜くだけだった。

だんだんやっていくうちに、大きな誤りに気がついた。

最初は、葛の蔓をただ上から力任せに引っ張っているだけだったが、それではだめで、葛は、絡み合ったなかから根っこの部分を探し、根元を切って、そこから引っ張るべきなのだった。 そうすると上の写真のように、地面に沿って何メートルも這った長い蔓が得られるのだった。

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川への階段を発掘

蔓は長さ何メートルもあって、伐採していくうちにだんだんと下の地面があらわになってきて、何と、河原へ降りる階段があったことに初めて気づいた。夏のシーズンに、何度となく通った場所なのに、階段があることにまったく気づかなかった。この階段がある場所より約30メートルほど上流に、けものみちのように草が踏み分けられた細い道があって、いつもはそこから降りていた。でもせっかくこんな階段があるのだったら、これからは、この階段を利用することにしたい。階段は、蔓さえ取れば、しっかりと固められているので、草がはびこることはなく足場も良いのだった。

さて集めてきた葛の蔓。

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4本ずつたばねて十字型に。

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細いカラスウリの蔓でぐるぐるやる

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蔓を巻きながら、束ねたやつを広げていく

このようにしてスタート。柱材となる葛の蔓はなるべくじょうぶなやつを使い、束ねたやつを広げていったところから、細い蔓から順に巻いていった。

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1時間ほどしたところ

ところがここで、ちょっとした間違いが気にかかるようになってきた。
4本と4本、計8本の柱を結わえて、傘の骨のように放射線状に広げて、ぐるぐると蔓を巻いていくんだけど、そうして編むと、蔓が1周したところで、偶数だから、上下上下上下、と編んでいって、2周目も1周目と同じ、上下上下上下、となってしまって、編み目が交互にならない。そのへんは適当に、巻いたりしてごまかしていたが、それでいいのだろうかという思いが沸き起こり、強まっていった。

そして翌日、考え直してここまで編んだものをほどいてやり直すことにした。


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結わえなおし、柱の数を片側1本切って奇数にする

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するときれいに網目ができる。

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完成

このようにして直径約50センチの籠ができたが、こうやって籠にしてみるとけっこう重量があって、用途に困ることに気づいた。
また、籠としては浅くて、もうちょっと深くなるよう編んでいくときに形状に気を付ければよかった。


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とりあえず上の写真のように、井戸ポンプを土壁の小屋風にしたものにかぶせて「屋根」がわりとした。
もちろん見た目が屋根のように見えるだけで、雨を通すために屋根の機能はない。土壁も、1年間雨にさらされてだいぶ崩れてきたので、そろそろ本格的な屋根をつくりたい。












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2017年11月12日

百済寺の庭園

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百済寺の庭園

湖東三山のひとつ百済寺(ひゃくさいじ)で紅葉を見物した。
混雑を避けようと、車で約50分。八日市インターを出ると、ほとんど一本道のような感じで朝9時過ぎに着いた。

寺の手前にふなずし製造所があり庭に重石を乗せた桶が並んでいた。なぜ琵琶湖から離れた谷間でふなずし製造を、と不思議に思ったが何か理由があるに違いない。

やや曇りがちの天気。
まだ時期は早くて青い葉が8割くらいだったが、庭園のまわりは色づいていた。松の緑とのコントラストが鮮やかだった。

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池のほとりの水草

百済寺は聖徳太子の創建とされ。平安時代から中世にかけて興隆。室町時代には塔頭三百余坊、湖東の小叡山と称された。しかし、火災や戦乱、そして信長の焼き討ちにあいほとんどが灰燼に帰し、石垣は安土城に流用されたのだという。

江戸時代に入り復興した。本尊の十一面観音(秘仏)など奈良時代の古仏がわずかに数体伝えられているという。

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庭園上部からの眺め

庭園は奥に進むと、裏山を上がることができ、太郎坊宮がある台形をした箕作山(みつくりやま)や、向こうに比叡山が見える。

さらに石段を登ると本堂(重文)に到達する。観光客がゴーンゴーンとひっきりなしに鐘を突いている。いい音だが少々ペースダウンしてほしい。

本来の本堂はさらに山の上にあったことが案内図に描かれており、そこに至ると思われる石段もあり、探査してみたいところだったが家人と来ていたため割愛した。

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ふだん山のほうには行かないが、こうして紅葉の時期に訪れてみるものも風情があった。

posted by 進 敏朗 at 19:28| Comment(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月21日

消えたアユ資源情報

滋賀県のホームページ内の「アユ資源情報」が久しぶりに更新されていた。
昨年8月以降、ずっと止まっており、更新は今シーズン初めてだ。

更新日は7月20日で、7月上旬に行われた調査結果のほか、今シーズンの1月からの数表も掲載されていた。

それによると1〜5月ごろまでは平年の数パーセントいう数字が続き、2度にわたり臨時の検査も行われていた。5月以降はやや回復していたようだが、高い月で平年の20パーセントくらい、7月の数字も平年の10パーセント台後半で、回復ぶりもそれほどではなかった。

ところが、この記事を書こうとして改めてページを開くと、なぜか記事が削除されている。あたかも、初めから何もなかったように。だが「アユ資源情報 7月20日」と、更新日が残されている。県水産試験場がいったんアップしたが、何らかの理由で消した。公表すべきという動きと、知らせてはならぬという意見との間で葛藤を抱えているのだろうか。

県は、測定の方法はあくまで相対的なものですと但し書きをしているので、別にこの調査の数字が、正確に琵琶湖の鮎の量を厳密に反映しているわけではないことは一目瞭然だ。悪い数字が世間に出ると数字が独り歩きして不安を与えるとか、忖度したのだろうか? 理由はわからないが、一県民として合点がいかない。情報公開は世の流れ、と、つい堅いことも言いたくなる。


追記

と思っていたところ、今晩自宅のパソコンから見ると、アユ資源情報が掲載されていた。
閲覧できますよとの指摘もいただいた。
筆者のパソコンが古いバージョンのページを開いていた可能性もある。その辺は、県に問い合わせをしていないため何ともわからない。しかし21日の晩は、県のホームページのトップから入り、「しごと・産業」をクリックする経路をたどっても、「アユ資源情報」にたどり着けなかったのだった…。もし確認なしで単に妄想をして事実と違うことを書いただけだったということなら、担当の方に迷惑をかけてしまったことになり申し訳ないが、なぜアクセスできなかったのかはよくわからない。(7月23日未明)



posted by 進 敏朗 at 21:55| Comment(2) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする