2013年09月29日

六甲山頂の水辺芸術作品

DSC_0002.jpg

神戸市の六甲山頂付近の観光施設で、庭池を見ると、彫像から水が出ているのでこれは何か妙な彫像だなと思っていたら、それは芸術祭期間中に展示されていた作品だった。何でも世界のがっかり三大名所の彫像を集めてパワーアップさせた作品だといい、そういう目で見ると、やや最初の違和感が薄れ、ああ作品だなと腑に落ちた感じがした。

DSC_0022.jpg

材木を組んだ構築物の上に赤い乗用車があったが、遠景から眺めると、池のほとりに立っておりそれが絵になる光景だった。やはり水辺は野外作品を絵になる光景にする力を持っているように思う。
赤い乗用車には乗車できるイベントが行われていたが、聞くと50人待ちということで乗りたかったが断念した。

芸術作品は野外や館内さまざまな作品があり、それらも観賞した。
山の景色や山荘建築などが、アートに趣を加えていた。
だがここは水辺の作品限定で記した。


posted by 進 敏朗 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 水辺アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月31日

近江八幡のアート

ikoiDSCN0088.jpg
八幡山ロープウェーから琵琶湖を望む(見えず)

近江八幡を訪れた。
近江八幡は滋賀県中部の街。旧市街地は、重要伝統的建造物群保存地区となっている。秋晴れの空の下、八幡堀は青く映え、同じ県内の湖南地域に住む人間からみるとやはり絵になるのであった。

ikoiDSCN0137.jpg
絵になる八幡堀

ロープウェイで八幡山にのぼる。山上にある豊臣秀次の城跡に建つ村雲瑞竜寺は京都から移築された建物という。客間の畳の上に、円形の絵画作品が置かれていた。空から滴ってくる水のような池のようなたたずまい。床の間には、これまた星雲のような絵。地元在住の若手作家の絵画。顔料を絵の具に日本画の手法で描かれている。気配に耳を澄ます、空間との調和という点で、日本画の伝統を引き継いだ現代絵画といえるだろう。

ikoiDSCN0112.jpg
旧貴賓室に配置された絵画作品

こうした絵が展示されて映えるのも、水のある景観の近江八幡ならではだろう。
近江八幡の周辺には、八幡堀や、西の湖など、水郷情緒あふれるスポットが多い。

そしてそういう場所には、この八幡山や、繖山など、あたりを一望できる小高い山もある。山、水辺、平野、町並み、こうしたものがわりとコンパクトに配置されているのが近江八幡周辺の土地の特徴だろう。

それに加えて織田信長や豊臣秀次といった戦国時代の歴史の物語もある。だいたい滋賀県ではそうした歴史ロマンの土地が多い。湖南地域あたりに住んでいると、案外そういうことに気づかない。

ikoiDSCN0154.jpg
八幡堀をいく観光船

ということで、こうした場所に美術作品を並べると、場所のパワーというか気のようなものが共鳴して、よりおもしろく見えるということもあろう。

この日は、11月4日まで開催されている今回で5回目の「BIWKOビエンナーレ」を見に行く。
今回は初めて、東近江市となった五個荘でも開催されているが、それは翌日の11月1日に足を運ぶ。
そのせいか近江八幡の会場は随分とコンパクトになっていた。村雲瑞竜寺以外はインパクト不足の感否めず。

ikoiDSCN0140.jpg
邸宅中庭の池跡

前回でも展示場所となっていた民家では、中庭の池に興味があった。
軒下に潜り込むように池が掘られている。これはおそらく、縁側に出るとコイが足下までやってくるという趣向なのだろう。
しかし、こんなに水気が多いと、家に湿気が相当来るだろうと思われる。夏とか、蚊がわかないだろうか。

現在は、空き家なので池は使用されていないが、水抜きが完全にできないらしく、池の深場には緑色の水がたまっている。
「蚊がわかないんですか」と会場のスタッフに尋ねると「さあ、わくんでしょうかね」と、関心の埒外の様子だった。
展示作品よりも蚊のことを尋ねるなんて失礼な客と思われたのかもしれない。

次の日、五個荘の会場を回る。
ここでも、水辺が気になって仕方ない。作品を見るのと、水路や池を見るのとが半々くらいであった。

こちらでは、近江商人の邸宅が現在も観光施設となっていることもあって、池には水が張られ、ニシキゴイや金魚が遊ぶ。しかし、鳥が来るのかネットが張られており、仕方ないとはいえ趣を削がれる感じであった。
そんな中、水田の鳥、サギに注目した作品に好感。近江八幡と五個荘の両会場で展示され「サギの飛来」を表現し、場所の広がりを感じさせた。

ikoi.jpg
庭に飛来したサギのアート

五個荘では、水路が広くそこにもコイがいる。邸宅には、水量の豊富な水路から直接、水を引き込んで庭やカワトといって、野菜などを洗ったりする洗い場に引き込んでいたのだった。五個荘のカワトで以前、メダカの群れを見たことがあったが今でもいるのだろうか。

ikoiDSCN0164.jpg
邸宅のカワト

ikoiDSCN0173.jpg
駐車場に残ったカワトと井戸跡

ikoiDSCN0170.jpg
集落で見かけた石垣水路トンネル

近江商人屋敷よりも、邸宅(五個荘では平均的に家のつくりが立派であった)に置かれた作品がおもしろかった。映像作品で印象深いものがあったが、写真に撮るのが難しい。風が吹き荒れて11月初旬としては寒い日だった。

ikoiDSCN0179.jpg
神秘のジャングル風呂アート







posted by 進 敏朗 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 水辺アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月17日

湧水アート

滋賀県立近代美術館で開催中の「自然学」を見に行く。
これは成安造形大学(大津市)がロンドン大ゴールドスミス校と提携したことを記念する展覧会だといい、主に成安造形大の教員や出身者であるアート作家が作品を展示していた。
「自然学」というテーマで、芸術における自然観というものがテーマになっていたが、水辺をテーマやモチーフにしたものが最も目立った。

別に「水辺」をテーマにしているのではなく、結果的に水に関する作品が多くなったのであるが、水辺ファンにとってはたまらない内容であった。滋賀県にある大学が「水」をテーマにしたアート作品を展示するのは意味があることだと思う。
展示スペースを広々ととった空間は作品数はそれほど多くないが、素晴らしい作品が並んでいた。特に印象に残ったのは、4日間だけギャラリーで展示されていた木藤純子氏のインスタレーションだった。

そうしたベクトルとは別に、滋賀県内の湧水を集めたアート作品があったのが気になった。
県内の100カ所以上をめぐり、それぞれの地点を表した地図と作者が現場で水を汲んでいる写真、小瓶に入った現物(水)とで、滋賀の湧水を表現している。アート作品というよりはドキュメンタリーのようである。
各地点の地図とは別に、一枚の滋賀県大地図で100以上ある湧水地点を図示している。よくも回ったものだ。筆者の知らない湧水がたくさんあった。湧水の場所は、神社や集落の中に多く、飲める水が出るところは昔から人が住んでいたり、大切にされていたことがわかる。全図解が欲しいくらいだ。県内の湧水が一覧できる楽しみが堪能できる。

大地図を見ていると、滋賀県は真ん中に琵琶湖があるので、湧き水が川を下っていった先は、信楽など一部をのぞき琵琶湖に注ぐという点が、他の県ではみられないまとまりをつくっていることがわかる。これと同じ事を鳥取県で行ったとしても、何十本かある川はそれぞれ北上して日本海に注ぐだけなので、こうしたまとまり感は出てこない。
おそらく作者氏は、ここに展示されているよりもさらに多くの湧水を巡ったのではないか。そんなことも感じられた。滋賀県大地図の中の湧水ポイントを見ていると、湧水の密度に濃淡があり、石灰岩地帯である伊吹山や霊仙のあたりと、水郷地帯である近江八幡周辺、あと比叡山の周辺、安曇川デルタあたりが、やはり多い。
逆にまばらだったのは筆者も住む湖南の野洲川水系である。ほんとうにポツポツとしかない。こんなに少ないことはないだろうと思うが、魅力ある湧水がほとんどないということだろう。しかも、同川下流部のいくつかの「湧水」は、周囲の状況から見て自噴水ではなくポンプでくみ上げられているのではないかと思われた。ほんとうに湧水だったら素晴らしいことだが。

ポンプ湧水であるならば、たとえばコアユ養殖場や、工場が水源になっている川なども湧水と言えるだろう。さらに近年は、枯れてしまった集落内の湧水を復活させるといったことが、県内各地で行われている。
そうでない自然の湧水でも、犬上川や愛知川などの流れでも、いちど断流した水が下流で湧いて出るポイントもある。琵琶湖の湖底からも湧水が噴出する場所もあるだろうし、何より川の水源はほぼ湧水だろう。そんなことも思うと湧水はやはりもっとたくさんある。琵琶湖の水位が今よりも高く、平地の湧き水が涸渇する以前の戦後まもなくのころまでは、それこそ湧水だらけだっただろう。
ともあれ、これだけ県内の湧水について関心を呼び起こす作品を見たのは初めてだ。


〈「自然学−SHIZENGAKU 〜来るべき美学のために〜」 9月23日まで 滋賀県立近代美術館〉


posted by 進 敏朗 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 水辺アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月09日

川の瞬間たち

aartDSC_0081.jpg

バーコード状の長方形の形をしたものは、異なる時間に撮った同じ地点の川の写真をシャッフルした上で並べたものであるという作品である。
若い作家氏は4年前から、川の写真を撮り溜めているという。
川は一方向に流れ、時間の流れもまた然り。そんな流れの瞬間を、組み合わせていけば、背後にある大きな「流れ」が見えるだろうか。

川というものが持つ時間性。

それにしても大きな川である。野洲川より大きそうなのは一目瞭然。
作者氏は岐阜県の出身で、撮影地は木曽川であるという。
岐阜県は内陸県なので、木曽川を見て「川」なるものの原形を見るのだという。川王国、岐阜県。

とはいえこれは、川の自然を問題にしているのではなく、「川というもの」を表しているのだが、岐阜県の川って、どれくらい大きいのだろう。実物を見てみたい気もする。「瀬田川を見るといい感じがする」と語る岐阜県出身の作者氏。筆者にとって「川」とは現在、野洲川が標準である。

〈福田真知「liver-liver」〉


posted by 進 敏朗 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 水辺アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月29日

水中の発動機

artP1020026.jpg

美術作品を展示している京都のギャラリー。水槽の中に、車のエンジンが吊るされている。これを稼動させるという作品だ。一辺が1メートルのアクリル水槽には、1トンの水が入っている。


その中でエンジンが動くはずであるが、中々かからない。「午前中は調子よかったんですが」と作者の美術作家氏。エンジンをかけようと操作するも、なかなか作動してくれず。かかりそうでかからないエンジンをまわしている様子が、ひとつのパフォーマンスのようであった。充満する排気のにおい。不整脈を打つ水中の心臓。バリバリと響く排気音。


30分たったころ、やがて、だんだんと水が温められてきたのか、ついにエンジンが作動した。冷却水の温度上昇し、もやもやと水の中。耳を当てると、ドゥルルルと小気味よいビートが伝わってくる。エンジン音を水を通じて聞いたのは初めての経験。

「水を隔てて間接的に操作するのは難しい」と、メカ操作には手慣れた様子の美術作家氏は話した。内燃機関でもこうであるのに、ましてや冷却水に囲まれた原子炉の制御はどれだけ難しいことであろうか。


このブログは「水辺」なので基本、自然系の話題となるが、いったん滋賀を離れみやびな京都を訪れると、このように環境にハードな非日常的水の芸術作品にも出会えるのであった。
考えてみると、筆者が訪れた水辺にしても家の近所以外、ガソリン車である自家用車の働きが欠かせない。
内燃機関と水が衝撃的に出会った作品は、そんなことも思い起こさせる。

〈國府 理 展「水中エンジン」 6月3日まで アートスペース虹=京都市東山区三条通蹴上西・都ホテル西隣〉




posted by 進 敏朗 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 水辺アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする