2014年12月21日

呼吸

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トチカガミの繁茂した池が描かれた絵画だ。
とある新進画家の作品。
題は「呼吸」。
夏の光が降り注ぐ様子が描かれている。





第3次メダカ池.jpg
第3次メダカ池(2014年初夏)

posted by 進 敏朗 at 20:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 水辺アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月12日

泉の絵画

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庭園のような場所に円形の池があって水が湧き出している様子の油彩画。
明るい陽射しが庭を照らしてうきうきとした夏情緒。
そんな言葉が頭の中に浮かぶ。
夏の日に、池の水面を眺めたなあ、そんなことを思い出す。
そのいっぽうで水はなんだか底知れぬ深さをたたえ、水面には夏空が青々と映し出されている。

自然の中の水は雨とか、川の水、池の水などさまざまあるのだけど湧き水は、地中からわきあがってくるのでいつも特別な印象がある。見られる場所が割と限定されてるのもありがたみがある。

よく見かける湧き水の場所はペットボトルなどで水を汲みやすいように竹筒か塩ビパイプかを伝って滝のようにジャーっと流れ落ちている「名水」がほとんどだが、下から水が盛り上がって井戸枠からオーバーフローする水をとらえていて趣深い。

こういう池が庭にあったらなあ。
湧き水という「現象」だけなら、ポンプでくみ上げて再現することはできるだろうけど、天然の湧き水というものはいくら地面を掘っても、場所が悪かったら実現は困難だ。
自然のすごさは、装置の耐久性を超えたメンテナンスフリー的なところにあるんじゃないだろうか。

湧き水についていろいろ思いをめぐらした。
それというのも、庭、池、湧き水、と、なんだかこの絵の中にブログで書いてきたことが集約されているような感がしてきた。滋賀県民ならこの絵の構図に琵琶湖を連想せずにはいられないだろう。マザーレイク。
陸地の庭の地中から湧き出る水に、臨月を迎えた作家ならではの迫力を感じた。
身重なのに応対していただき感謝。
どうかご無事に出産を。

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福村真美展
11月23日まで、ギャラリーモーニング(京都市東山区中之町207、月曜休廊)


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ところで本ブログの記事がこれで300本となった。
2年10か月で、駄文をつらね300本に。
無料の制限容量に達しないので、まだまだ書けそう。
ブログの保守管理バックアップを依頼しておりここまでトラブル(突然ドメインが期限切れになってアクセス不能、など)に対処してもらえたのも心強い。
ブログ開設の相談やデザイン、管理、銀嶺堂(京都市左京区)お勧めです。


posted by 進 敏朗 at 22:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 水辺アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年10月29日

カミノ/クマノ展

三重県立美術館に「カミノ/クマノ」展を見に行く。
熊野古道の世界遺産登録10周年を記念した展覧会で、同県出身若手作家5人、グループによる作品展示。

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三重県産ヒノキを用いた作品が広がるエントランスホール


エントランスホールに広がる切株とウッドチップの園は、グループ「ミエケンジンカイ」の作品で三重県産ヒノキ材を用いているという。会場の女性によると9月下旬の開幕直後はすごい木の香りだったという。その香りは1か月以上経って落ち着いていた。やはり展覧会は開幕直後に行くほうがいいんだなと思いを強くした。

紀伊山地の険しい山並みに、仏教や神道の信仰が融合した独自の景観。出展者のひとり渡部裕二氏の鉛筆画の巨大画面は熊野の奥深い山林に体当たりで挑んだ迫力が感じられた。
この水辺をテーマにしたブログと何の関係があるのかというと、けっこう水辺にちなんだ作品が多かった。

城戸保氏の写真作品には、海辺の錆びたトタン板や鉄柱の質感、あるいは虫食い状になった岩など、鮮烈な色や岩肌が潮風で腐食していくさまが油彩画の荒い筆致のようであるとともにどこか懐かしい海辺の情緒も感じさせた。
荒川朋子氏の油彩画は、山間を蛇行する雄大な川の流れをシンプルに描いた憩える絵画。川の堰堤とおぼしき段差を上から見た作品が印象深かった、それは筆者も川を見るとつい、魚がいないかなとそこに目が行ってしまうからだ。
もっとも興味深かったのは水野勝規氏の映像作品で、ここでは雨、海景、水面に浮かぶペットボトル、田植えの終わった田んぼ、山峡の村を覆うガス、滝など熊野における水の循環と人の振る舞いが描かれているようだった。中でも、浜と堤防、道路が高い場所から捉えられ、浜一面にビニールシートが繰り広げられている映像作品にはしばし見入った。そこは、筆者もことし1月に貝拾いに行った場所だった。車列や人、猛禽類が織りなすいろんな速度の掛け合いが見ていて飽きなかった。ヨーロッパのサンチアゴ巡礼終点の海みたいな、この地特有の海への信仰なのかと思ったら、そうではないことを係員の女性から教えられた。

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水辺が登場する映像作品の展示風景

ただ作品がひとつ故障しており見られなかった。それは水中カメラの映像を上から投影して、あたかも観る人が水中にいるような作品だといい水辺ファン必見だ。
再入場を許可してもらえたので、できれば11月24日までの会期末に再度訪れたい。

三重県立美術館では、若い現代作家を紹介する積極的な姿勢が見られて好感。
美術館の雰囲気もいい。津駅からも徒歩10分と近いが、滋賀県方面からだと草津線、関西本線、紀勢本線の接続がよくないのが難点だ。




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2014年07月16日

地中海の猫

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京都市美術館で開催中の「バルテュス展」を見た。
20世紀最後の巨匠といわれるバルテュス。

ルネサンス以後の西欧絵画の伝統を受け継ぐ末裔を称し、20世紀に咲き誇った前衛絵画とは一線を画した静かで瞑想的な画風。
展示作品は少女の絵が多く、炎上狙いの初期作品も。
鏡を見る少女などは興味深い。人物が幾何学的なポーズをとっているのも面白い。
筆者としては風景と人物が一体になった作品のほうに興味があるがそうした作品は少なかった。

さて会場入り口に冒頭のような絵がある。実はこれは印刷物で本物は会場の中にありそちらは撮影禁止である。海から降り注ぐ虹が魚になり、ネコの人物がナイフとフォークを持って正面を見ている。

この絵は何なのかと思っていたらレストランを飾る絵だと説明されている。
最初見たときはほかの絵とは趣を異にしたベタな画題に違和感があったが、それはサービス精神の発露だった。

虹が魚に化けて食卓にのぼるという構図が円環を描いている。
この作品の原案も展示されていたが、そのスケッチでは、猫が魚にかぶりつこうとしており怖かった(笑)
イセエビや、魚ではホウボウも見える。魚は写実的に描かれている。

海の描写はかなりファンタジックだ。海の真ん中から突き出た虹、海が青いのに雲が赤い。
それにこの海、防波堤に当たる波はけっこう強めで、ボートの少女は髪が吹き飛ばされそうなほど風が強いのに、少女は全然意に介さずへっちゃらだ。救命胴衣も付けていない。海は危険と楽しさに満ちている。

海から虹のように海の幸が皿に上がってくるとは、まるで釣り人の願望を描いているようだ。

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京都の琵琶湖疎水(午後4時ごろ)


posted by 進 敏朗 at 01:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 水辺アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月01日

ターナー展

神戸市立博物館で開催中のターナー展に行く。
事故の影響でダイヤが乱れていたが新快速一本で滋賀から神戸に行けるのはありがたい。
チケット業者から購入すると、駅の運賃表示よりも驚くほど安くあがった。

さておき、会場の入り口に行くまでそれほど人が集まっている雰囲気は感じさせなかったが、展示室の入口で人の列になっていた。
そのため解説文もじっくり読む。
たいてい、展覧会の入口では渋滞するが、展示の後半は鑑賞の流れが足早になっていくためじゅうぶんなスペースができる。

もやがかかったような筆致が印象的なターナー。
けっこうな点数があり、有名な鉄橋を渡る蒸気機関車や蒸気船に曳かれる帆船の絵はなかったものの、それでも代表作のいくつかが見られた。

火災、なだれ、船の座礁など事故や災害を題材にしたドキュメンタリー風の作品もある。そうした事件が広がっている風景として眺めているかのよう。風景を描いた作品のタイトルは、「南西より望むオックスフォード」など、場所と眺めている方向がそのまんまとられている。

ところでやはり、というか、水辺が広がっている作品が多い。しかもいろんな水辺の表情が描かれている。
川、渓谷、湖、浜辺、干潟で潮干狩りらしき人、運河、港湾など多彩だ。
解説文を読むとターナーは釣り好きだったとうことで一気に親近感がわく。

歴史画では朝方の光のなかできらめく水面の場面が多いが、軍艦が出てくる絵では荒れた海が多い。
海辺でも明け方、夕方など時間帯、天候で変化する光の様子。
水彩のラフな色の塊だけで雲、雨、浜辺をスケッチした小さな紙が新鮮。

水辺が画面の真ん中や手前にあって、奥には山、古城、脇には巨大なエノキダケのような松の木。スケッチも膨大な量があり、多大な修練を経て後年のベネチアの光景ではタイトルに書かれた教会が建っておらず描かれているのは創造の産物だったりする。だけれどもその絵が高く評価されたと紹介されており、画家は風景に即しながらも現実を超えて理想の風景を作り出すのであった。
「絵になる光景」とはどんなものか考えるうえで興味深い展覧会だった。

DSCN3423.jpg
〈おまけ〉似非(えせ)ターナー神戸海景写真






posted by 進 敏朗 at 11:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 水辺アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする