2022年12月10日

たまる砂

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砂が堆積した川

法事を執り行うため、鳥取県の海辺の町に帰省した。
祖母が亡くなった時と同様、12月の山陰にしては例外的に快晴で温暖な2日間だったが、次の日にはしぐれて天候は急に悪化した。
私が見たかったのは川や海だった。
いつも、祖母の家に戻ると前の川を見るのだが、砂がいつもにも増して堆積し、川幅の3分の2くらいを占めていた。
水がこれまでに見たことがないくらい澄んでいる。もしかして、流量が少ないのかもしれないのだが。
砂は右岸(写真では左側)に積もっており、流れは左岸に寄っている。
これは北西の風で砂が海岸から吹き寄せられてくるためであろう。
右岸側ではだんだん護岸コンクリの下のほうが埋まってきて、川筋が狭くなりつつあるようだ。

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砂と水が見せるさまざまな模様

砂の見せる繊細な表情。
こんななんの変哲もない川でも、流心は激しい流れが砂をえぐりとる凸凹ができ、汀(みぎわ)には水位変動でできた細かな縞模様があり、水からの近さで模様の様相が変化する。そして今季の川の最高水位のところであろう部分で段差ができ、支流からの流れ込みがぱっくりと切れている。
見るたびに模様が違って興味は尽きないのだ。

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河口

そして視線を背後に向けると、そこには海があり、川が流れ込んでいる。
水平線は割とはっきり見えるが、前日はさらに遠くまでがクリヤーに見えており、もしかしたら北西の沖合にある隠岐の島も高台にある墓地から見えたかもしれないが惜しいことだった。いつか写真に収めたい。
上の写真では、拡大するとわかるが海に漁船が数隻操業している。何を捕っているのだろう。
最近アジがよく出回っていると母から聞いたがもしかしてそれかもしれない。

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浅瀬が形成されてきた

そしてこの日の最大のサプライズは、河口の左岸側の海に、浅瀬が出現したことで最初は目を疑った。何だこれは。
半世紀近くこの海には通ったがこんな浅瀬は見たことがない。
もしかすると半世紀以上前はもっと海が浅かったのかもしれないが。
私の半世紀はどちらかといえば浜の砂が消失してきた時代だったから。家に残された昭和初期の写真なんかを見ると、浜はもっと雄大な感じだった。
しかしこの砂浜消失の時代に、こんな浅瀬ができてくるなんて何かあったのか。
よく見ると、沖合に沈みブロックが入れてあるようであるが、それは最近入れたのだろうか。
海水浴場のある右岸側にはブロックが入れてあって、一時は海が浅くなったんだけど、以後、次第に砂が流失していって、この夏泳いだ感じでは、そんな遠浅でもなくなってきた。
砂の挙動というものはわからないものだ。とつぜん出現したこの浅瀬、どうなっていくのか、今後も観察していきたい。
海をめぐるウオッチの対象が増えてうれしい。













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2022年08月16日

お盆のふるさとの海

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浜(14日の夕方)

7月末に続いて、またまた帰省した。
お盆の期間(8月13〜16日)を、本籍地である海辺の町で過ごす。
お盆とは家の行事。家を引き継いだ者としてやらなくてはいけないことだろう。
何かキャンプとか旅行とか、レジャーの一環みたいに盆のことを思うのは違うんじゃないか。
そんなことでいいのかと、突っ込まれても仕方ないところだが、私にとっては、帰省先に海があることがどうしようもなく大きい。

まずは浜に出る。
家から100歩くらい。
今年は雨が降ったり曇ったり、雷だったりと、ふだんの夏とは違って、天気が目まぐるしく変化する。
浜もそれによって違った表情を見せる。

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雨交じり、夕方の浜。一列に浜から引き上げる家族連れ(14日)

お盆期間中は、海水浴はしないのが地元でのならわし。
祖先の霊が帰ってきている期間であり、そのようなときに海に入ると「引っ張られる」と言われたものだ。
しかし今では、素知らぬ様子で海水浴をしている家族連れもいる。
同様に、殺生をしないという観点から釣りも自粛していたものだが、釣りをしている人もいる。
それも、県外ではなく地元のおじさんがスクーターで浜に乗り着け竿を立てている。
習俗は時代とともに軟化した。
それでいいのだ。

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きらめく海(15日午前9時ごろ)

私も海に入る。
きらめく透明な海水よ。
朝のうちは風もおだやかで波もない。
町はさびれても、海はいつも新鮮だ。

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ダツ

突堤の先端付近の水面近くを、両あごが長いダツ泳ぐ。
とがった口先はダーツを思わせる、などとおやじギャグ。

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スズメダイ

日本海の雰囲気とは異なる趣のコバルトブルーのスズメダイも。
南洋の趣が、少しずつ押し寄せてきているのが感じられる。

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浜の入り口から見える大山

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迎え火

さて、お盆行事をやるのを忘れてはいけない。
先月末に、帰省した折に買っておいた苧殻を、折って燃やす「迎え火」。
そして、お盆の灯篭セット。本来、2基を仏壇の両脇に立てるが、これは1基に省略。

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灯篭

仏壇には、キュウリとナスによる「精霊馬」。今回、家で栽培したものを持ってきた。
虫食いがあって見栄えは悪かったが。。。
おだんご、お茶をセット。
花も。
さらに家には、仏壇とは別の部屋に神棚もあって、そちらにもお茶、榊をセット。
神棚があるのは、祖父の義父である曾祖父が神主の家出身だったことによるもの。
私が生まれるずっと前、祖父は、「サザエさん」の磯野家の「マスオさん」のように、祖母(サザエのポジション)と結婚し、曾祖父一家が暮らす家に上がり込んで同居していたのだが、曾祖父の一家は死別や結婚でいなくなっていく。とりわけ「カツオ君」にあたる祖母の弟が結核で病死し、男子がいなくなり、いつしか磯野家はフグ田家に置き変わる。曾祖父は1964(昭和39)年の5月に亡くなる。祖父が現在の家を建てた1975(昭和50)年には、すでに曾祖父はいなかったのだが、そちらの家を継ぐものが誰もいなかったのだが、神棚が設置されたのだった。
ただこの「フグ田家」にも男子がおらず子どもはみな家を出てしまったので、1代おいて孫である私が呼び出されたのだった。
そんな孫とか言ってもすでに、いいおっさんである。

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海の見える墓地

墓参りもする。
水やりを毎日することで、13日にいけた花が、お盆期間中、しおれずに保つことができる。
これをするだけでも、期間中は常駐していなくてはいけない。
夕方には灯篭にろうそくを立てる。

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筒に水をそそぐ

花の筒に水をやろうとして茎をつかんで上に引っ張ると、筒の中は半分くらい水がなくなっていて、炎天下の花が水を盛んに吸い上げていることがわかる。やはり水やりを欠かしてはいけない。
墓は1基ではなく、後を継ぐ人のいない曾祖父の家や親類など、計5基あって、花を活けたり水をやるのもひと仕事だ。
これを引き継いだのはコロナ禍以降のことだった。
ここのとこ数年は、母の妹で京都に住んでいる叔母が役割を引き受け、帰省がてら友達との飲み会も恒例の楽しみとしていたそうだが、叔母はコロナ以後、帰省を控えるようになり、私の出番となった。
その前の年か前々年の夏、叔母から、おだんごの作り方や墓参りのときにすることなど、お盆の準備やルーティンについてひととおり「講習」を受けた。そのことが役に立った。
叔母は今年の7月、とつぜん心不全で亡くなった。72歳だった。
「講習」を受けた時点では、まだ世の中にコロナもなく、叔母がこんな早く亡くなるとも思わずにいたが、本当にわからないものだ。叔母には毎夏、この海辺の家で出会ってはいたが、コロナ禍以降、ついに会わないままとなってしまった。
今となっては、いろいろと話をしたり、聞いてみたいこともたくさんあったが、かなわぬこととなってしまったのが悔やまれる。
海辺の家は、昔はお盆には都会から帰省する親戚や子どもらでにぎわっていたものだが、今は来るメンバーもほぼ私か母に限られるようになった。
こういう習俗がすたれると、墓をみる人がだんだんと少なくなり、1人でみなくてはいけない墓も増える。
期間中、ひと晩実家の米子のほうに戻って、墓参りをすると、若い人は戻ってこず、近所のおじさんの口から不意に出てきたのは「日本はいずれなくなる」というテスラ会長発言の話。あの発言、思った以上に刺さっているな。
墓参りだ何だと面倒だから、やっぱり田舎の集落には若い人は寄り付かない。嫁は来ない、そうなってしまうのは無理からぬものがある。
まあ世の中が移り変わっていくのは、不可抗力のようなものだから仕方ない。その変化のスピードが早いのが少々気になるとしても。
でも一方、だからといって、いま続いている習俗を、不合理だからとすっぱりと捨て去るのも何か違う気がする。
ひとりうだうだと、酒を片手に思いにふけるお盆の夜。

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1964年ごろの浜。今より波打ち際が広い

4日間のお盆も、実にあっという間。いつも帰る時は、もっと居たいという気になる。
その昔、浜辺の町は活気があって夏は海水浴でもにぎわう隠れた名所だった。
アルバムにあった58年前の浜は、今よりも広くて遠浅に見える。たたずむ少女はその後、進学とともに町を出て、都会で就職し結婚、3人の子を育て、地域の乳幼児の子育ても長年にわたって支えたのだった。合掌。










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2022年08月01日

猛暑の浜

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蛇行する河口(午後5時ごろ)

鳥取県中部の浜辺の町に、午後到着し、長時間の運転による疲労から横臥、夕方に起きて浜まで歩く。
暑い。南風が陸から海へと吹いていて、こういう時は波が立たない。
水平線がくっきりと見える。
浜につくと河口が大きく蛇行し、みごとなS字を描いて海に注いでいた。

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(参考)6月の河口付近

6月に訪れた時には上の写真のように砂で河口がふさがれ、こまかな砂が滑らかな浜を形成していた。それから1か月で、浜は画面右手のブロックよりも沖に数メートル成長していた。

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河口

7月に入ってからの大雨で、この川から大量の砂が吐き出されたのか。
河口付近で浜の幅が広くなっていた。
ちょろちょろと遡上していくアユだかボラの子だかの群れがちらほらと見られる。
この日、鳥取県西部の米子市の最高気温は35.9度の猛暑日。

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波の模様

強烈な日差しで、打ち寄せた海水がすぐに蒸発し、海水の塩分がのりの役割を果たして波の形が海岸に重なっている。
天然の砂の彫刻は、水の動きを正確にかたどっている。
海は、眺めるだけでも心がなごむのであった。

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夕暮れ(午後7時ごろ)

釣りをしようかと思ったが、墓掃除等の疲れから、やっぱりやめることに。
釣り場も、釣り客のマナーが悪く、釣り禁止の看板が立てられていた。
まあ、内陸県では食べられない状態の良い鮮魚が安く売られているわけだから、何が何でも釣りをしないとという感じにはならない。もっと時間と体力があるときに取り組みたいが、だんだんと体力が衰えていっているのではないか。
夕暮れの浜を眺める。
夏は、海いっぱいに夕焼けが広がって、これもまた浜辺の醍醐味のひとつだ。

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おだやかな浜

明けて31日は曇り。相変わらずだるくて午前中は横臥。
体力がほんとうに落ちたものだ。
午後から、やはりせっかくなのでと泳ぐことにした。
曇っていて海が青く見えないのが残念。

ここは例年、海水浴場だが、コロナの関係なのか、海水浴場は開かれておらず、親子連れなど数人がいる。
海水浴自体が、レジャーとしては昔ほどの人気はないのに加えて、海水浴場を運営するこの町がさびれている。
約半世紀にわたりほぼ毎年、親しんできたこの海。
シュノーケルをつけ、上の写真の、沖の方向へ泳いでいく。
最初に胸を水に浸したときはひやっとするが、慣れるとそんなに冷たくはない。
この日はクラゲに遭遇せず快適。

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砂の海底(水深約2メートル)

昔はもっと遠浅だったが、年々、砂が減って深くなっている印象。
それで平成に入ってから沖テトラが入れられ、いっときは浅い海が戻ったが、また砂が沖へともっていかれているようで深くなっている。
砂底というものは、このように一様に砂の文様が続いており、果てしなさを感じさせる。

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沖テトラ出現

前方に姿を現した海底の要塞。
これが浜の砂の流失を食い止めるために置かれた沖テトラ。
水中で対峙した瞬間、一瞬恐怖を感じるが、そこはよく見るとお魚の観察スポットだった。

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アイゴ

この日は、磯釣りでおなじみのアイゴがよく見られた。奥のほうには小さいグレの群れも。

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イシガキダイが!

ブロックの間に、イシダイの幼魚かと思ったら、南方にすむといわれるイシガキダイだった。
撮影したら、シャッタースピードの関係でメッシュのような模様に。
この海で見たのは初めて。
日本海の水温上昇の影響なのか。

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オヤビッチャ

これはスズメダイの仲間オヤビッチャ。

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タカノハダイも

斜め縞模様のタカノハダイも。
コンクリ底にじっとしており撮りやすい。
尾びれの水玉模様が熱帯魚感。
浜からの単調な海の景色からは予想だにしていなかった、南方魚たちが入り乱れる光景が展開されていた。

1時間ほど一巡して浜から上がった。
海パンのまま玄関先で、ホースで水を落とすとき、海辺の家の醍醐味を感じる。すっかり涼しくなった。
着替えて再び畳の上に横臥。
夕方、片づけをして、戸締りをして、車で滋賀県までの300キロを戻る。
渋滞はなかったが眠気を感じ、途中で仮眠して4時間半くらい。
昔は、今よりも道路整備が進んでいなかった中、休憩なしでぶっ通しで運転できたが、やはり年はしょうがないなあと思う。







posted by 進 敏朗 at 11:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 山陰往還記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年06月07日

浜と河口、波や空

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浜に映り込む空(午後5時ごろ)

前の晩、深夜から鳥取県の空き家となっている祖母の家に帰省。
初夏の恒例行事、草取りだが、前夜は雨で、風も強かった。
この日は雨はやんだが、引き続き北寄りの風が海から強い吹き寄せる。
波も高く、潮ミスト発生(2014年8月12日「潮ミスト」参照)、車の窓が白くすりガラスのように。
築半世紀の空家のサッシ、海に面しているほうはことごとく腐食、変形して開かなくなるなどの影響を被っている。
お金と時間があったら直したい。
しかし、細切れの時間のうちに生きる身にとって、思うように往復ままならず。長期休みがほしい。
午後、作業に従事。
海鳴りが聞こえる家っていいな。
ふと空家の横を流れる川をみると、ずいぶんと上流に潮目がある。

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川に現れた「潮目」

海べりから200メートルくらいも上流に。
かなり押し戻されたような。
石垣との境目を見ると、水面の位置がふだんより数十センチ上昇している。
ここは干満の差がほとんどない日本海岸なので、満潮のせいではない。
以前にもこのようなことがあり、河口が砂でふさがっているためだと理解した(2017年8月10日「満水川」参照)。歩いて1分の浜に出た。

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押し寄せる波と、砂でふさがれた河口

するといつもブロックの横らへんにあるはずの河口がなく、滑らかな砂で覆われていた。
ここは砂の王国鳥取県。
この浜の砂質は幼少の頃から親しんでいるけど、滑らかで足裏にやさしく、それでいて濁らない砂粒はひそかな自慢。
冒頭の写真のような、鏡のような浜の景を独り占めだ。

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蛇行し砂を削る川

川は海岸に対して右(東)に蛇行し、50メートルほど進んだところで海に出ていた。
ここまで大規模に蛇行しているのを見るのははじめて。
こうやって河口の砂州が発達するのだなという自然地理の生きた教材。


しかしこれで浜が削られるのは、すぐそばに住宅があるので危ない。
写真手前の水際の直線は、コンクリは浜に車両が下りるために敷設されたコンクリで、これが根元をえぐられると陥没の恐れもあり危険だ。
地球温暖化で海面が上昇するとこの、浜辺の町も安心ではいられない。
はやくまっすぐな河口を掘って対策が待たれる。

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荒れた海と夕方の空

フランドル地方の海岸を思わせる海と空の色。
実際に行ったことはないがベルギーの画家マグリットが描いてた海や空がこのような感じだったのではないか。
音や色、におい、海はいろんな表情を見せる。厳しい環境という面もあるが、空家が海べりになかったら、これだけ愛着がわくこともなかったんじゃないかと思う。


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〈おまけ〉雨と浜風で形作られたとみられる発泡スチロール汀線



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2021年09月23日

線香立ての砂

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海の見える墓地

彼岸の中日、空家となっている祖母の家にて、彼岸の墓参をする。
前夜、午後8時前に京都府の洛西地域を出、深夜に着いた。
朝になり、1人で墓に行った時、母から言われていたことを忘れていたのを思い出す。
線香立ての砂が古くなったので、新しい砂を浜から取ってきてほしいとミッションを受けていたのだった。
徒歩で家に引き返し、ビニール袋を持って浜に出る。

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きょうは風が強くて、家からでも波の音が聞こえていた。

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細かな砂

護岸コンクリ壁の近くに吹きだまって、さらさらしていそうなところから手ですくい取って袋に入れる。
波打ち際から遠いやつのほうが粒が細かくてさらさらだ。

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入れなおした砂

さあこれをもって墓地に引き返し、線香立ての砂を入れ替えた。
さらさらになった。

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線香を立てる

線香も、さくさくと入り気持ちがいい。
海沿いなだけに、新鮮な砂の調達は容易なのだった(笑)

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墓の野菊

京都にいる母のいとこが、祖母宅をたずねてきた。
77歳になり、これまでは毎年5回、車で隣町の実家に戻っていたが、80歳になったらもうやめようかなあという。実家の建物は築50年くらいだが雨漏りがするのでつぶす予定と聞いた。
昭和時代はここらへんも人でにぎわっていたのを思い出す。
秋晴れの海辺の町はひっそりとしていた。

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