2017年02月08日

荒神山と曽根沼(下)

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荒神山から見た琵琶湖、曽根沼(手前右)。沼の左側に広がる田は干拓地

荒神山(284メートル)に登った。
琵琶湖の眺望を楽しみ、雪解けの水が豊富に流れ落ちるさまを見た。

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山からの水

この日の最高気温は彦根で7.2度。ときおり晴れ間ものぞく。

西麓に下り、稲村神社を通って出る。山に滞在は約2時間。

山の西側を時計回りに歩き曽根沼に向かう。
竹林の中をうごめく黒い影。ビニールテープをアクリル板からはがした音のような「ビャー」という鳴き声が。シカ? イノシシ? それは藪の奥に消えていった。集落のすぐ際にまで来ていた。各所に見られた足跡をみると動物は山に多数、すんでいるようだった。

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動物の足跡残るふもとの水路近く

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山からの水が沼へ続く水路に注ぐ

澄んだ雪解け水が、曽根沼へと注がれていく。山は、水を蓄えて水源となるのだった。

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曽根沼ごしに見る伊吹山

さあ曽根沼に南西側から近づくと池の向こう、東北の方角に、雪をかぶった伊吹山が姿を現した。
先程までいた荒神山には、南からのぼり、西に降りたので、伊吹山がどう見えるのかを見ておくのを忘れていた。

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頭を出す御池岳

こうしてみると、東西南北いろいろな方向に、いろいろな形をした山があって興味深い眺め。彦根に近づくと湖東の平野が狭まって、山の眺めが楽しい。

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沼辺の木枝に止まるカシラダカ

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曽根沼(右)と干拓された水田(左)

さて曽根沼のあたりは、東大寺の荘園「覇流村」があったという。そのころ琵琶湖の水位は今よりも低かったというのだ。

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くちばしが大きいハシビロガモ

琵琶湖の湖岸には、集落跡と思われる遺跡や、縄文遺跡などが見つかる。琵琶湖の地盤が、徐々に沈下しているのか。そのいっぽう、琵琶湖の出口となる南郷や鹿跳橋のあたりの土地は隆起しているんだという。

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曽根沼の北岸から荒神山を見る。奈良時代、ここら辺りが東大寺の荘園だったというが…

つまり琵琶湖は、水の出口は高くなる一方、湖岸の陸地は低くなるという二重の働きで、今に至るまで湖は拡大の一途をたどっているのだという。

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曽根沼から琵琶湖の方を見る。琵琶湖と沼の間は微高地となっている

でも、河川から土砂がどんどん運ばれてくるので、湖は埋め立てられてきたのではないか。じっさい、野洲川とか安曇川、姉川のデルタはそうやって成長してきたのだが、琵琶湖には砂が積もっても積もっても、全体としてはそれを上回るペースで沈降しているみたいだ。

というわけで、奈良時代にはいま、目の前に見えている内湖はいまだ存在せず、湿地のような場所だったのかもしれない。戦後は、内湖干拓の歴史で、昔ながらの景観が失われていく、陸地化してしまう、と危惧されていた。けど、もっと昔にいくと、まったく違う景観があったと思うと、自然というものは奥深いものだなあと思わずにはいられない。

宇曽川を渡り、野田沼を見て、水音のする集落を抜け、ラーメンを食べ、近くのバス停から真新しい路線バス車両で駅まで戻り、帰った。

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河瀬駅前の雪山





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2017年02月01日

湖峡

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琵琶湖大橋の説明看板

1964年に開通した琵琶湖大橋は湖東と湖西を結ぶ夢の架け橋。

南北約63`におよぶ琵琶湖の幅が最も狭まった場所に架かる。

琵琶湖の形を花束に見立てると、ちょうどリボンを結ぶ場所あたりに例えられるだろうか。この橋があるおかけで、滋賀県南部にすむ筆者のような人間は若狭湾や湖西方面に釣りに行くときなど、絶大な恩恵を被っている。

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今堅田の出島灯台付近から眺める琵琶湖大橋と対岸

この琵琶湖の幅が最も狭い場所のことを、瀬戸とか水道とか何か言い表す地理的な呼称があるのかと探したのだけど、それが見当たらなかった。

ひょっとすると筆者が知らないだけかもしれない。けど琵琶湖大橋を何度も使いながら、その湖の狭まり部分を指すことばを聞いたことがない。どなたかご存知ならご教授いただきたい。

そこでこの湖の狭まりを「湖峡」と称してみたのが今回の表題です。

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真野川河口(左岸側)と対岸

なぜこの場所で琵琶湖の幅が狭まっているのか。それは、湖西側からは真野川、湖東側からは野洲川が張り出していて、とくに野洲川デルタの出っ張りが大きい。最も幅が狭いのは琵琶湖大橋のちょっと北、真野川河口と「ピエリ守山」を結ぶ場所で、国土地理院の電子地図に定規を当てて計ったところ1030メートルくらいだった。これは誤差のある数字であることはお許しいただきたい。

湖の東西両岸に大きな川の河口があるのは偶然ではなく地質上の理由があるのかもしれない。

このあたりには100万年前、琵琶湖の前身堅田湖があったという。

比叡山とか比良山が隆起を始めたのは40万年前、琵琶湖が今のような広くて深い姿になったのは30万年前とされている。

琵琶湖の西岸は、比叡山や比良山系が湖岸からすぐにそびえているが、堅田のあたりは割と広めの平地になっている。真野川沿いに上流にさかのぼると、ここだけ険しい山がなく、途中峠を抜けて京都に行ったり、鯖街道を通って小浜方面に行くこともできる。

このような地形から堅田は陸上と湖上交通の要地として栄え、現代では琵琶湖大橋が架けられた。

この場所をいつか歩いてみたいなと思っていたがたまたま、朝だけ京都で所用があり、いつも東海道線で帰るところを、回り道して湖西線に乗り、堅田で降りたのだった。


さて、駅からまっすぐ琵琶湖に向かって歩くと内湖に出る。

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船が上がってきそうな水路

陸地の内側に内湖が点在するのも目立つ。
真珠養殖の筏が並んでいて、水門で琵琶湖よりも数十センチ水位が高い。
冬の野鳥などを観察。

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出島灯台

琵琶湖大橋方面に向かうため、内湖から北上、浮御堂には行かず。

船舶の往来が多い「湖峡」では、船の遭難事故も発生し、安全のため灯台も設けられた。

出島灯台は木造で心柱構造だった。

勾当内侍(こうとうのないし)の墓とされる石塚(野神神社境内)を見、南北朝騒乱悲恋の歴史ロマンにひたる。

武将新田義貞の連れ合いとなった公家の娘勾当内侍は、迫る足利軍勢から逃げるため京から落ち延び、堅田の地にとどめられるが、北陸へ向かった義貞戦死の報を受け、近くの浜で入水自殺したと神社内の看板は伝える。
「太平記」では尼になり余生を送ったとされている(ウィキペディアより)。
真相はどうなのか、それは分からないが、神社の説明からは、堅田が中世から、京から北陸方面へ向かう際の要衝だったことが読み取れる。

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船の部材? を利用した家の壁

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湖岸近くの石組

家屋はいろんな工夫が凝らしてあり、石組も興味深い。玄関を照らす電灯の傘に松のレリーフがつけてあったりと、細かいところまで趣がある。

堅田から今堅田に北上、いったん真野川河口をのぞき、対岸を見たあと戻り、琵琶湖大橋に入った。

全長1400メートル、いちばん高いところは堅田寄りにあり、水面から26.3メートルの高さ(冒頭の写真を拡大すると看板内の図解が見れます)。

勾配は5%でそんなにきつくはなく、サイクリング者だけでなく、若者のママチャリ立ちこぎも。

歩道は北側にあって、幅は2.5メートルくらい(目視)。筆者は高いところは苦手だけど、欄干から1メートルくらい離れたら恐怖を感じなかった。また、これくらい幅があれば、自転車が猛スピードで接近してもよけることができる。

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湖西側の風景

橋上で立ち止まり琵琶湖の景色を観察。

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真野川の河口が岬をつくっている

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♪ここから

東行き車道の追い越し車線では、「琵琶湖周航の歌」が流れる。これは道路に溝がしてあって、溝幅の長短が音階となり、通過車両のタイヤが当たることで音が生じメロディーになるのだった。

車のスピードによって、トーンの高低はさまざま。速度がゆっくりだと低く、スピードが出た車からはハイトーンの歌声が聞こえ、まるで各々の車両がそれぞれの「周航の歌」を歌っているようで興味深い。


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野太い歌声が響く

さらにはトラックやダンプカーの大型車両が通ると、ひときわ野太い歌声になった。荒くれ男が歌っているようだった。

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びわかぜ帰還

と、琵琶湖をみると、漁船より大きい船がぐんぐんと近づいてくる。
白・青のツートンカラー、あれは新鋭の調査船「びわかぜ」(2015年5月30日記事「水質実験調査船びわかぜ」参照)。

今年は1月26日に、琵琶湖の全層循環が確認されたと先日報じられた。

全層循環、それは厳冬期に、琵琶湖表層の水が冷やされることで深層に沈み、90メートル以深の湖底に酸素が行き届く「琵琶湖の深呼吸」。これで今年の琵琶湖もひとまず安泰だ。その朗報は「びわかぜ」によってもたらされただろう。

湖上を滑るように進むびわかぜは軽快な印象。

背後の車道で「琵琶湖周航の歌」のメロディー。まるで、大津へ帰還する同船へのエールのように聞こえるじゃあないか。

以上の見立てで動画を撮ると面白いかも、と撮影してみた。



…風音ばかり拾って、メロディーがあまり聞こえなかった。やはり、撮影にマイクは大事と再認識。

当初、琵琶湖大橋をはさみ東西両岸でバードウオッチするという企画を考えていたが、天候悪化もあり、橋を渡ったところでバス停からバスに乗り、帰った。

案外、琵琶湖大橋は車で通った印象よりは、歩きではそんなに急坂とは感じられず渡りやすかった。自転車だと、また印象が違うかもしれない。

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この日見た鳥たち、ヘボい写真集

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コガモ(堅田の内湖)

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ヒドリガモとオオバン(同)

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モズ(内湖付近)

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屋根上のスズメ群

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ジョウビタキ(真野川河口付近)

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ホシハジロ(琵琶湖大橋から)

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キンクロハジロ、1羽が潜水

その他ツグミ、何かのシギ、カワウ、トンビ、カラス、ヒヨドリ、ムクドリ等目撃。
posted by 進 敏朗 at 23:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 琵琶湖・内湖 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月04日

ホシハジロやキンクロハジロ

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草津市・烏丸半島の琵琶湖岸から眺めたら沖合50メートルくらいの水面に水鳥がいて、カモ類のようだった。

いったんカメラに撮ってから後で画像をパソコンに取り込んで拡大してみると、白と黒の羽の鳥はキンクロハジロで茶色いのはヒドリガモかと思ったがホシハジロだった。茶色、灰色、白の似たような色でつい混同してしまう。さらに奥にいる白い鳥はユリカモメだろうか。

岸近くのほうが浅くて餌が得やすいと思うが人がいるので近寄らない。

いま湖岸でもっとも多くみられる鳥は黒いオオバンで、それらはもっと岸近くにもいて、上陸して草の中の餌をあさっているやつもいる。

なぜかオオバンよりも、カモ類のほうが美しく値打ちがあるもののように見えてしまう。

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オオバン上陸


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〈おまけ〉琵琶湖博物館の屋上広場反射鏡と虹

posted by 進 敏朗 at 20:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 琵琶湖・内湖 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月03日

湖辺初詣

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初日の出、三上山と野洲川(1日撮影)

2017年となった。
今年も水辺との出会いを楽しみたい。

ということで、初日の出は近くの野洲川堤防から。

元日の朝、三上山を眺めたが到着がちょっと遅れてしまう。「曇り」の予報だったが、夜明けに目覚めると明るい光が差し始めたので、慌てて出たのだった。

滋賀県は冬場、けっこう曇りの日が多い。湖南地域でも、ひと駅ごとに、彦根方面に進むほど冬の天候は曇りがちになる、そんな印象がある。北西に琵琶湖があって北風が通りやすい地形のせいかもしれない。見慣れた鉛色の空が山陰地方と似ていると感じることがある。

元日の予想天気は隣の京都では晴れだったのに滋賀は曇りだった。そういうことも珍しくない。だけど、明けてみると意外に雲が少なくて明るい空だった。

初日を見てすぐに電車、バスで帰省。鳥取県でも晴れており大山がよく見えた。珍しく天気が良かった。

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そして2日夜には湖国へ戻り3日、初詣へと、兵主(ひょうず)大社に着いた。

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兵主大社(午後2時10分ごろ)

来年に創建1300年という兵主大社。祭神は琵琶湖を渡ってやって来たという。

記念事業として1643年に建った現在の本殿の改修をはじめ、地元に伝わっていた野菜「兵主菜」復活、ホタルのビオトープなど幅広く取り組まれると紹介されていた。
水辺を復活の事業が広まっていてうれしい。

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振る舞いのふなずし(ピンボケ)

この日は参拝者にふなずしがふるまわれていた。
湖国の神社の正月よ。
初ふなずしだ。スライスの切り口も鋭く食感、味ともよかった。

「ゆりかご水田」で栽培した米を原料とした酒も振る舞われていたが、車で来たゆえ固辞。

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国道161号ごしに見る白髭神社の鳥居(午後3時20分ごろ)

参拝後、琵琶湖大橋を渡り、国道161号を北上、高島市の白髭神社に。約40分で到着。

駐車場の混雑が予想されたが、約300メートル手前の空き地が臨時駐車場となっておりそこに停めた。

まずは列に並んで参拝する。

国道が湖岸を通っており、神社や駐車場は山側にあるけど、湖岸に出ようと思ったら信号も横断歩道もない国道を横断しなくてはいけないので「横断禁止」の立て札がある。

しかし、湖岸に出たいのは人情、駐車の車が出入りする隙に渡る。

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白髭神社の鳥居

この日は対岸はあまりはっきり見えない。

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鏡餅

神前からおろされた鏡餅があったので、ふた切れもらった。

家にももちはあるが、神前に供えられたもちだと思えば、ありがたみがあるか。

食も豊かな湖岸の初詣となった。

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〈おまけ〉湖岸の空


posted by 進 敏朗 at 21:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 琵琶湖・内湖 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月06日

アザラシが3頭

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琵琶湖の虹

12月初旬の温暖な日々は、この日を境に寒冷化。
琵琶湖博物館に行くと虹が架っていた。

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虹アップ

チケット売り場で、年間パスポートが1500円であることを知らされる。以前は3000円だった。これは2回の来場で元が取れるのでお得。購入した。すると、パスポートとは別に常設展の招待券が1枚サービスされてさらにお得だった。

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ビワマスのつがい

ビワマスが展示されているというので見に行くと、この7月からのリニューアルで導入された流れる水槽に、つがいが放されていた。オスのほうが体長50センチ強(目視)。メスは奥のほうにいる。

これまでもビワマスの展示はあったけど、普通の水槽だった。このたびは川の環境に似せた水槽での展示で流水の中を泳ぐ様子には趣があってよかった。

この水槽には夏場は、鮎が放されていたが鮎はもういない。ビワマスも、産卵すればすぐに死んでしまう。このビワマスも、間もなく産卵して死んでしまうかもしれない。

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3頭いる

つぎにバイカルアザラシの水槽を見ると、アザラシが3頭に増えていた。

2頭は泳ぎ回り、右端の1頭は水面に頭を出し、なで肩を見せてじっとしている。

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寝ている

餌でも待っているのかと思って近寄ってみると、目を閉じて寝ていた。

立ち泳ぎの状態のまま寝れるとは器用だ。

それにしても、いつの間に増えたんだろうと思って、通りがかった飼育係員さんに訪ねると、実はリニューアルのはじめから3頭いたんだけど、この3頭目は、裏の水槽で別に飼育していたんだという。

なんでも、最初から公開されていた2頭は福岡の水族館からやってきたが、3頭目は千葉県の鴨川の水族館から来たので、しばらくの間、慣れるまで別々にしていたそうだ。
それは知らなかった。ずっと「アザラシのペア登場」という触れ込みだったのに3頭目がいたとは…。

この3頭目はオスということで、オス2頭メス1頭という構成に。

何だかアンバランスだなと思ったが、この3頭目は33歳と高齢(他の2頭は13歳)という。
おじいさんなら問題はないのか。

アザラシは丸々としていて、しわがないので、見た目には若いのか年取っているのかがわかりにくい。
しかし目が悪いということらしく、あとで水槽を泳いでいる様子をみると、確かに目が白く濁っていた。

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バイカル湖底のライブ映像

夏に訪れた際はバイカル湖岸が映っていたライブ映像画面は、こんどは200メートルの湖底の映像になっていた。これもバイカル湖博物館からの配信で映像が変わるんだそうである。見ていると、ヨコエビの類や魚など、光に集まってきているのか、けっこうな生き物が見られた。

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屋上広場からの眺め

毎日、湖岸からくみあげられるプランクトンを見た。冬場は、植物性プランクトンが増えて緑色っぽいのが多いという。

訪れるたびに、いろいろ変化があって楽しめる。



posted by 進 敏朗 at 17:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 琵琶湖・内湖 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする