2017年05月25日

吾妻川のアユ

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雨上がり、吾妻川河口のコアユ釣り

久々に雨が降り大津の午後9時の24時間雨量は22.5ミリ。まあまあの雨量。

昼前ごろ雨が上がり湖岸に出た。吾妻川の河口では釣り人がいてコアユが釣れていた。

雨が降ったから、コアユが川を遡上しているんじゃないかと思って、川沿いにさかのぼってみた。

最下流近くのようす.jpg
最下流部付近

吾妻川は逢坂山から発し、大津駅付近や滋賀県庁を巻くように流れて琵琶湖に注ぐ長さ数キロの小河川。

中里介山の大河小説「大菩薩峠」で、大津の吾妻川に身を投げて心中したという話が出てきたような気がする(うろ覚えですみません)が、とても人が身投げして溺死するほどの水量はない。頭を打つとか別の死因は考えられるかも。

歌仙美化を呼びかける看板.jpg
湖周道路に掲げられた河川美化の看板。絵が印象深い

山からの水が田んぼを通らずに流れてくるので、若干の生活排水はあるものの割と水が澄んでいる。

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吾妻橋

石垣で固められた流路は旧市街の中を曲がりくねっており、曲がりの部分にちょっと深い場所があった。

いい曲がり.jpg
趣きを感じさせる曲がり

そこを見ると、大きな石の上で、苔をこそげとるような魚が数匹いた。

魚がいる.jpg
ゐた

ハエ(オイカワやカワムツ)じゃないかとも思ったが、その動作から、アユのようだった。



水が浅いので、コンデジ動画でも割と映りよく撮れた。
小さな川にアユが泳ぐ様子に風情を感じた。

川の中のアユがはんでいる石は、石垣が崩落したものかもしれないが、こうしてアユの生育に役立っているようだった。

「川をきれいに」と呼びかける看板に、ホタルの絵もあったので、ホタルがいるのかと思って日没ごろ、見てみたが出ていなかった。いないのか、まだ時期が早かったのか。

あす未明にも少し雨が降るようなので、野洲川でのアユ遡上が期待できるかもしれない。


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2017年04月28日

瀬田川右岸下り(上)

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琵琶湖が瀬田川にかわる境界付近。瀬田川の「源流部」?(大津市晴嵐1丁目・午前10時半ごろ)

新緑まぶしい季節、石山駅で降りて、瀬田川右岸を歩いた。

瀬田川は琵琶湖から水が抜けていく唯一の川で、県内のほかの川とは似ていない。
まず、琵琶湖との境界はどこなのか?

右岸側(川の西側)では、晴嵐1丁目あたりのはずだが行ってみると看板はなかった。

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「アクア琵琶」のトイレ壁にあった「琵琶湖の情報」(この日、後で訪れた)

あの「瀬田川/琵琶湖」の看板は左岸側のもの。

現場で目を凝らして、琵琶湖の幅が狭まっていている地点はあったが、くっきりと、そこから流れが始まっているとかなっていればわかるが、一様に水面が続いている風にしか見えない。

その付近でコアユ釣りの人がいる(冒頭の写真)。
コアユ釣りができるということでたぶんその地点は琵琶湖なのか?

今年はコアユの極端な不漁がニュースになっている。
のぞかせてもらうと2匹入っていた。とりあえず魚の姿は見られたが、やはり不振、不漁はくつがえせない。

屋形船と東海道線の電車.jpg
屋形船と東海道線鉄橋を渡る新快速

この日は流れが弱い。平水時だろう。
瀬田川は、京都府に入ると宇治川に名がかわり、さらにいわゆる三川合流地点から下流は淀川と呼ばれる。
これが地元でのふつうの呼ばれ方だろう。

ところが国土交通省は、淀川の長さを75キロという。それは瀬田川と琵琶湖の境界から大阪湾の河口までの長さで、国土交通省的には瀬田川も宇治川も「淀川」なんだという。

つまり、三川(宇治川、木津川、桂川)が対等に合体して淀川になる、合流するまでは淀川じゃない、というぼくら住民がいだく見方ではなく、瀬田川―宇治川が淀川の本流、あとの木津川、桂川は支流にすぎないという。

国交省はこれを、三川の流量のうち半分近くが宇治川(瀬田川)で他の2川より多いという理由づけをしていた。

なるほどそういうことか、といったんは思ったのだが、じゃあ瀬田川の上流にある琵琶湖や、そこに注ぐ川はどういう位置づけなのかと新たな疑問が生じた。

というのは、山陰にある斐伊川は153キロということで、そこには宍道湖や中海も川の一部に含まれ、河口は日本海につながる境水道ということになっている。そこまで「川」としての統一感にこだわっている。

それだったら淀川も、滋賀県最北端の高時川源流から長さを計算しなくてはならないが、なぜかそうしていない。斐伊川と淀川、湖を川の一部とカウントする川と含めない川とがあって、川のダブルスタンダード、矛盾が気になる。

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ミシシッピアカミミガメ2匹とオオバナミズキンバイ

琵琶湖ではびこる外来植物オオバナミズキンバイは、流れ下って瀬田川岸を覆おうとしていた。
同じく外来動物のミシシッピアカミミガメが甲羅干しをしている。



バス釣りの人もちらほらいて、ブルーギルも多い。

おじさんがブルーギルを釣って、それをアオサギに投げると、アオサギが食べようとする。だが、ことごとく上空から舞い降りたトンビに横取りされる。トンビのほうが大きいので、アオサギは抵抗できず悲しそうだ。

淀んだ場所を好み、流れを嫌うブルーギルが生息できるほど瀬田川は、流れが緩く、川っぽさが感じられない。こうして生き物を見ていると、実態として琵琶湖の南湖と変わることはない。

瀬田唐橋.jpg
瀬田の唐橋

しばらく南に歩くと瀬田唐橋に出る。
壬申の乱最後の決戦地となった瀬田の唐橋。
長らく瀬田川に架かる唯一の橋だったのだが、古代の唐橋は、現在の橋よりも80メートル下流で遺構が見つかったという。

瀬田唐橋下流と川中島.jpg
唐橋がかかる中の島の南端を見る。初代の橋はその付近を通っていたという。

川底は岩盤で、それがために橋脚を打ち込むことはできず、組み立て式の橋だったという。

その川底は海抜80.6メートル。現在の琵琶湖の水面は84メートル。
この瀬田川あたりは、川底が隆起しているといわれる。数百年にいちどは地震で隆起を繰り返しているのではないかというのだ。

瀬田川では、川底に砂がたまり浅く、水はけが悪いことが原因で、明治時代までは湖岸では水込みをたびたび起こしていた。しかし、砂を浚渫して南郷洗堰を設け、さらに戦後に堰を新造し能力アップ、水込みの問題はだいぶ解決した。

なんだけど、たとえば洗堰の川底そのものが3メートルとか5メートルとか、隆起してしまったらどうなってしまうのか? 琵琶湖岸全体が沈没だ。などと想像するが、当面は大丈夫だ。すぐには起きないだろう。

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食堂のしじみ汁

上の写真のしじみ汁は、石山寺を出たあとで食べたものだった。
瀬田川はもとシジミが名産で「セタシジミ」という琵琶湖の固有種。
しかし瀬田川では、水の通りをよくするため大量の砂が浚渫された。そのためシジミもかつてにくらべれば漁獲は大幅に減ったという。

瀬田川歩きはさらに続いた(つづく)











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瀬田川右岸下り(中)

唐橋から南に進む.jpg
瀬田川右岸を石山寺方面へ南下

うららかな新緑の日、瀬田川右岸を歩いて下った。
国道1号線、東海道本線、東海道新幹線、名神高速道路の橋下をたてつづけにくぐる。ここがいかに交通の要衝であるかを物語っている。

古代の壬申の乱最終決戦は瀬田の唐橋を舞台に繰り広げられた。軍事の要所でもあった。

でも、この辺を車で訪れると慢性的に渋滞していて狭苦しい場所だなと思っていた。歩いてみると川沿いに広い歩道があって、景色はまるで違っていた。


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道端のビオトープ

もうすぐ石山寺、という歩道の脇にビオトープ出現。
土手も緩やかに、浅場にメダカ群れ近くで観察

メダカ集まる浅場.jpg
メダカ群れる浅場

細やかな造作でしばし見入る。池づくりの参考になること多し。
土地がゆるやかに北に傾斜していて、瀬田川とは逆の方向に水が流れている。

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金魚もいて

石山寺に参詣する人に憩ってもらおうとの趣旨なんだろうか。
これにくらべると、先日旧草津川の公園でみたせせらぎはつくりの細やかさで見劣りは否めない。

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朗澄の池

ビオトープだけじゃない。山門に至る手前の道沿いに池があった。
これは石山寺中興の祖、朗澄を記念する池であるらしい。

朗澄律師は絵もうまくて多宝塔の壁画はこの人が描いたのではないかと言われる。
しかしすごいのは、「石山寺縁起」によれば死後、鬼の姿となって一切経や石山寺の聖地、さらには畜生類を引き連れて万民の平穏を守ったということで、池をのぞむ庭園が、鬼となった朗澄が遊ぶ癒しの空間であるようだった。
鬼になったという伝承があるが、平安末期から鎌倉初期にかけての人物で意外に新しい。

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岩穴

さてこれは石山寺境内の岩穴。
一帯は石灰岩や、石灰岩が変成した硅灰岩の丘になっていて、瀬田川のすぐとなりにそういう奇岩の高台で眺めもいいとあって、古くからなにか特別感をかもしだしていた場所だったと思われる。

石山硅灰岩.jpg
石山硅灰石

石山寺で、寺の名のおこりとなった硅灰石を見る。
桜の葉っぱでちょっと隠れてしまう。

石山硅灰岩2.jpg
別角度からも見る

そこで岩が見えるような別角度からも見る。
滋賀県南部の低山はほとんどが花崗岩でできているのに、ところどころ、石灰岩起源の場所がある。昔からある寺や神社は、そういう奇岩・絶景などの場所に目を付けて建立された場所も多いので、しぜんと寺や神社を訪れることが多くなる。

岩の肌理.jpg
岩の肌目

硅灰石は石灰岩が熱変成を受けてできた岩で、それは大理石と同じようなものではないかと思うが、違いは何なのか。肌目を拡大すると、細かい透明感のある六角形のような粒になっていた。黒っぽく見える岩は、磨くと大理石のように白くつるつるになるのではと思われた。

岩アトラクション.jpg
岩アトラクション

瀬田川を見下ろす「月見台」の近くにはこのように花崗岩を積み上げ峻厳な岩山を模した造作も。

石山寺から眺める瀬田川の風.jpg
石山寺からの瀬田川の眺め

樹木がはびこっており、下には道路も走っているが、昔は瀬田川の眺めが見どころだったはず。花崗岩の岩山はそうしたムードを高めるための演出だっただろう。

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石山寺本堂の近くに咲いていたシャガ

さて、石山寺を出て南下する。

川ドックの調査艇.jpg
滋賀大の環境調査艇「清流」

川は一様な広さ、ゆったりさだが、これはなぜかというと、もう少し歩けば南郷の洗堰に行きあたる。

その堰で水がプールされており、琵琶湖の水位操作は洗堰によって行われている。だから、その上流部で眺めても流れが見えない、川っぽさが感じられないのは当たり前のことだったと今さら気づいたのだった。

瀬田川と大日山.jpg
大日山

南郷に至る手前で川の向こう岸に見える低山は大日山といい、かつてはもっと瀬田川に突き出しており浅瀬が広がっていたという。そこで戦乱時に唐橋が落とされた時でもこの付近から渡河できたのだという。
しかし明治に入り、南郷洗堰建設の際に山が削られ川幅が広げられたという。

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瀬田川洗堰

こうして瀬田川洗堰にたどりついた。
ここが琵琶湖の水位を調整する水位操作の要。

長いこと筆者はこれのことを「南郷洗堰」「南郷の洗堰」と呼んでいたが、南郷洗堰は明治時代にできた古い堰のことで、今では取り壊されてこのやや上流に遺構が残っている。

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南郷洗堰の遺構

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瀬田川洗堰下流

瀬田川洗堰の下流から川をみると、上の写真のように流れが始まっている。
じっさいの瀬田川の流量はここから流れ出ている水で、ここまで見てきたゆったりした川というのは、いわばダム湖を見ているのと同じようなものだった。だから、洗堰ができるまえの瀬田川というものを想像しようと思ったら、ここから下流部分の川を観察しないといけないのだった。(つづく)


posted by 進 敏朗 at 16:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 河辺の叙景 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

瀬田川右岸下り(下)

平瀬となっている洗堰下流.jpg
平瀬となっている瀬田川洗堰下流

春うららかな新緑の中、瀬田川右岸を歩いて下り午後となった。

洗堰を過ぎたら川の様相はダム湖感が一掃され清流の趣。

もともとの瀬田川はこういう川だったんだな。
このような瀬の上に唐橋が架っていた様子を想像した。

ここにアユでものぼってきたら格好の漁場になりそうだが、下流の天ヶ瀬ダム(宇治市)でせき止められるから魚は遡上しない。

アユどころかウナギも登ってこない。もしかすると、モクズガニくらいならどこかバイパスを探して登ってこれるだろうか?

いま天ケ瀬ダムで、流量を増やすためにトンネル工事が行われているという。
それが完成すると、ダム上流の水が段差をつくらず下流へと通るから、魚が遡上することはあり得るのか?

もし琵琶湖に天ヶ瀬ダム完成以前のように海産鮎がのぼってこれたら、今年のような湖産アユ生育不良に見舞われた年でも、漁獲がある程度カバーされるのではないだろうか?

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橋桁ドッキング寸前

その南で橋の工事があった。国道422号線のバイパスで、現在の鹿跳橋を通っていくルートを迂回するためのものであるという。

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急流始まる

工事現場すぐ南から、瀬田川は急流が始まり岩が河床に露出する。

ここから岩を削って、無理やりに流路を貫通させているかのよう。
しかもどういうわけか大石まではほぼ直線で南下している。

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川幅は数十メートルに狭まり、岩間の急流。
この辺の岩場を丹念に見れば、河床のちょっと上に地盤が隆起したことを示す段丘が見られるかもしれない。
緩やかな流れが急流に転じるあたりが怪しい気がする。
砂がまったく堆積しておらず、岩がむき出しだ。

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水が岩を削ってできる甌穴

岩場を進むと、しまいには急流が岩を削ってできた穴、甌穴(おうけつ)も広がる。
渦巻き型に開いたような穴もある。

付近は歩道が狭くて、トラックも多いから、通行には注意が必要しなくてはならない。
緊張感と疲労のなか、どこに「蛙岩(かえるいわ)」があるのか分からずじまい。

本日、どこまで歩くのかといえば、この瀬田川沿いの岩山の中腹にある立木観音を一応の目的地にしていた。
石段を登っていくと、立木観音の標高は230メートルくらいだった。
また例のごとく、ハアハアと息を切らして登った。

弘法大師と鹿.jpg
弘法大師と鹿

立木観音は、弘法大師が鹿に導かれ、鹿は弘法大師を載せて瀬田川を跳んで渡り、山中に到達すると光る木があり、鹿が観音に変身したという。

いまでは、広くない山の平地のうえにお堂や、橋、銅像、鐘つき堂が所狭しと並ぶお山の信仰地。
やっぱりこの、瀬田川の渓谷と屹立する山という、きょくたんな地形が霊力ありげに感じられたとしても不思議ではない気も。

ここから、川が見渡せる場所がないかと思ったが、立木観音は木に囲まれていて下界を見下ろすことはかなわず。

裏手から、瀬田川に下りられる林道があった。そこは車も通れる道の広さ。駐車されていた車は職員のものではないかと思えた。

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瀬田川を遠望

その道すがら、西の方向を見下ろすことができ、遠くに瀬田川が見下ろせた。南大津大橋が見えている。川が見えなくなる向こうは京都府境があり、瀬田川は宇治川に名を変える。

低山が連なる中を、無理やりに川が貫いているかのような印象。
道路は川の右岸やや高いところ、川面からの斜面がやや緩くなった場所を走っている。

白い五弁の花.jpg
白く小さな五弁の花。コバノガマズミ?

宮前橋付近.jpg
宮前橋付近(午後4時ごろ)

鹿跳橋まで戻り、バスに乗った。
本数がそんなにないかもしれないと思ったら、バスは滋賀大生が利用するためか便が多く、10分おきに走っていた。

5時間以上かかって歩いたが、石山駅まで20数分で到着。こうして瀬田川行は終わった。

瀬田川は、広い琵琶湖から発して、山中に突入して消えていった。
それは、山から発して琵琶湖に注ぐ滋賀県内の他の川とは逆コースをいき、やっぱりほかとは違う趣だった。


posted by 進 敏朗 at 12:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 河辺の叙景 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月04日

メダカの小川

メダカとカワムツ.jpg

晴れて暖かい春の日。

冬の間に訪れた湖東方面で、メダカがいそうな小川があった。

春の日差しが降り注ぐこの日、訪れてみたら本当にメダカがいたのでうれしかった。

どういうところにメダカのいそうな感じがしたのか。

それは、波立たないくらいに流れがごく緩く、琵琶湖の外来魚がのぼってこれそうになく、水草が適度に生えている小川だった。

田園の中には一見、たくさんの水路があるが、意外に魚が見られない。

圃場整備がされておらず眺めや趣は十分でも、下流に段差があるために魚がのぼってこれず残念な場所も。

いっけん多くの水辺が広がる滋賀県でも、メダカが生息、繁栄できる場所は限られているなあというのが、これまでの印象だ。

上の写真では水草の上にいる数匹がメダカで、下の方にいる細い魚はカワムツの稚魚。



動画も撮影。

(※拡大すると、画面右上のほうにメダカが10匹ぐらい浮いているのが見えます。中央を動き回っているのはアブラボテとかカワムツ稚魚とか別の魚です)


春の田園を歩くと、芽吹いていく木や開こうとする花に包まれ、何かの気配が感じられる。

ことしは桜の開花が遅れており滋賀県内ではまだ全然咲いていない。
でも、田園で光を浴びて水辺を見たりするのはけっこう楽しいことだ。

〈おまけ 春いろいろ〉
紅梅.jpg
紅梅

ヒメオドリコソウ群落.jpg
ヒメオドリコソウ集団

黄色の花.jpg
サンシュユ

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ヒワ

posted by 進 敏朗 at 15:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 河辺の叙景 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする