2017年11月12日

愛知河畔池めぐり

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枯れた水路

滋賀県の湖東平野を流れる愛知川の河畔。
そこには、湧水池がさまざまに見られ、漁撈シーズンが終わった11月、そうした情景を歩いてまわって見ようと訪れた。

能登川駅からバスで、旧中山道愛知川宿に至り、そこから彦根方向に歩くと小さな橋が架かっており、水のない水路があった。

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枯れた水源

道路を右に折れ水路沿いに進むとほどなく水の枯れた丸い池があった。
神社の境内。昔は、湧き水が出ていたのだろう。しかし、ポンプのようなものが設置されていないので、地下水の水位が高まると湧き水が出ることが今でもあるのかもしれない。

次に、中山道に戻り、もう少し彦根方面に進んでから右折し、東南方向に歩いた。
地図を持たずに行ったので適当だったが、いつしか旧秦荘町内に入り、矢守という集落に来たところで川があった。

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矢守川

川は東北方向に流れていて、宇曽川に合流するようだった。水が澄んでいて、川底に丸石が転がっている。
夏場は、どうなんだろう。田んぼの排水が入って濁っているのだろうか。今見た感じでは、竹藪が両岸を覆う川には風情があった。

川をさかのぼり、再び旧愛知川町内に入ると、立派な神社の門がある。

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豊満神社の四脚門

鎌倉末期に建ったという四脚門は、屋根の反りが優美だった。

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菊花

豊満(とよみつ)神社は、旗神といわれ勝負ごとに利益があるとされ掲げられた絵馬をみると、宝くじ販売業者の当せん報告も。また、「豊満」という字からか、やや赤裸々な願掛けも。

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神社の手洗いの泉は、ポンプでくみ上げられていた。

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不飲川の水源

神社から西方向に歩いて10分。
そこにはテニスコートくらいの広さの、不飲川(のまずがわ)の水源池があった。
愛知川の伏流水がここから湧き出しているのだけど、水量はそんなに多くはないようで静かだった。

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案内板

案内板が架けられていた。少なくとも数百年間はここらに水源があったようだ。

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下流方向を見る

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下流の風景

下流方向を見ると光が差しているので、歩いていくと樹木が川の上を覆っていて、その先は見通せなかった。
無造作な風景を見るのは水辺の楽しみだ。

秋は日が落ちるのが早くて、3時を過ぎると早くも夕方の光のようになってきた。

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愛知川の河原池

ほどなく愛知川に到達し、河原に下りると、10月下旬の台風で増水した跡とみられる池があった。
池の底は石で、本流の部分と水脈がつながっている。
先ほどの不飲川の水源も、この河原池とさして変わらない構造になっているはずだ。

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池の中に取り残された魚

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国道8号の御幸橋から上流を見る

橋を渡りながら、増水の跡を見た。河原の石が、堤防のように積み上げられたり、カーブした壁になってりしていて、増水した川の水流の強さを思い知った。堤防がなかった大昔は、川はあっちこっちへと暴れまわり、長い年月をかけて広大な扇状地になったのだろう。その活動の一端を見た気分だった。

posted by 進 敏朗 at 22:59| Comment(2) | 河辺の叙景 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月03日

石田川の崖

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えぐられた河岸

若狭湾への釣行の帰り、ビワマスの遡上を見ようと、高島の石田川岸に近寄ると、川が蛇行して左岸がえぐられて高さ7、8メートルはあるんじゃないかという垂直の崖になっていた。

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イノシシ足跡

台風や木枯らしから3、4日たつが水は薄濁りで川の中はよく見えず、ビワマス確認できず。
車窓からみた福井県側の北川も同じ色をしていて、きょう釣りに行った若狭湾も、大きな河川は流入していないのにうっすら濁っていた。
10月下旬の台風や木枯らしから3日くらいはたつが、濁りがなかなか取れないようだ。

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崖を拡大

川にはコンクリートの護岸はなく、自然の流れが勢いにまかせて大地を削っているようだった。

崖を見ると、大小の石が土の間にめり込んでおり、岩盤ではない。川が運んできた土砂でできた、扇状地の地形のようだった。
数十キロはありそうな大きな石もある。だが削り取られるのは早いようだった。

すぐ下流に橋があったので、橋にのぼって下流を眺めた。

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橋の下流

すると下流側では右岸が削られており、川がS字カーブを描いているのがわかった。
川が蛇行する現象は、放っておくとエスカレートするものなのか。
何台もの重機が置かれており、蛇行をまっすぐにする工事が始まっていたがこの日は休日のため動いていなかった。

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橋の上から見た崖

増水した川が土地を削る力はすごいものだ。
これを上から見たらどうなっているのだろうと崖の上から見たくなった。

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崖の上

でもやはり近づくと危険なので2メートルくらい後ろから眺めた。
崖の上の土地は、低い土の堤防で木が生えている。
木の根っこの力で、崩れずに踏ん張っているようだが、川がこれ以上足元を削り取ると、根っこごと崩落ということにもなりかねない。

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崖の上流全景

扇状地というものは、雨のたびに流路が変わり、扇の形に土砂が堆積してできる土地だと習った。まさに今、扇状地の流路が変わっていく様子が、自然の景観が残る石田川で眺められたのだった。

これが川の本来の姿なのかもしれない。しかし、現代の世の中で川が自由にふるまっていると、田んぼが削られてしまうし、集落もあるから人の生活も危ない。

大自然は、必ずしも人間の暮らしと調和しているものではなくて、ある程度は制御しないといけないものなのだなあとあらためて思わされた。




posted by 進 敏朗 at 23:59| Comment(0) | 河辺の叙景 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月08日

地下ゴイ群

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久々のまとまった雨があった9月上旬、駅下の暗渠となった水路がわずかに地上部にのぞく数メートルの部分で、地下ゴイの群れが見られた。

いつもは、水路の水はもうちょっと低くて、2匹とか、3匹とかしかみられない。この日は7匹もいる。写真の下流部には、20センチ級のコイかフナが数匹、ハエの群れもいる。

筆者がのぞき込むといつもは逃げるのに、この日はどういうわけか逃げずに川底をあさったりしている。
雨の後は、コイの動きが活発化するのだろうか。

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2017年08月27日

伊吹山麓の水分れ

伊吹山麓の湧水めぐりを楽しんだあと、気になっていた場所に赴いた。

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南側から見る伊吹山と広がる扇状地

米原市の東端、藤川地区は、伊吹山の南に広がる扇状地で、流れる藤古川は琵琶湖ではなくて岐阜県へと下っていく。

県内の川のほとんどが琵琶湖淀川水系というひとつの水系でできているところは滋賀県の特徴のひとつ。

例外となっているのはこの藤古川や、高島市の天増川(福井県に流れ若狭湾にそそぐ)などごく一部。

大津市の追分や、信楽の桜峠など、桂川や木津川の源流になっている部分もあるが、それらは下流の淀で合流して、やっぱり淀川水系にまとまる。

それだけにこの藤古川は、滋賀県にありながら、別エリアに流出する川として興味深いのだった。

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パノラマ写真

上の写真は、北の方角を見ており、左が西、右が東。

この道路を境にして、左側の水路は琵琶湖に流れるが、右側の水路は藤古川、そして伊勢湾にそそぐ。
扇状地の中央をかけのぼるこの道路が分水嶺と言っていい。
こんな平たい土地が分水嶺になっているなんて。そこに興味をひかれる。

川が道路脇の上流から流れてくるので、どこかに「水分れ」があり、左右両側の田んぼに通水しているはずだ。

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水分れ発見

そこで道路脇を注意深く進むと、寺林集落の道路脇で水門があり、水路が二股に分かれていた。
ここで分かれた水が、写真でいえば左側に行くと琵琶湖、大阪湾に、右側に行けば揖斐川、伊勢湾に行くことになる。

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水分れ地点(国土地理院地形図を加工)

とくだん変わった印象のない道路端の水門が、こんな壮大な分水嶺になっているなんて。と、灌漑用水を見て、感慨に浸った。

背後の伊吹山の手前には、京極氏の居城、上平寺城の城山。
地域ににらみを利かせている感が尋常ではない。

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反対側から見る

ちなみに水分れ(みわかれ)とは、兵庫県の氷上にある、本州でいちばん標高が低い日本海側と太平洋(瀬戸内海)側との分水界がそう呼ばれており、水の流れが分かれている様子が似ていたので使ってみた。

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扇状地に谷を刻んで流れる藤古川。下流は関ヶ原になる



posted by 進 敏朗 at 23:58| Comment(0) | 河辺の叙景 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

伊吹山麓の縄文遺跡と湧水群

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伊吹山

滋賀県最高峰の伊吹山に近づいた。

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山頂部付近

透明感ある空気は初秋の気配。山頂がくっきり見える。
この日は伊吹山頂に駆け上がるレース「夢高原かっとび伊吹2017」が開かれており、1100人が走って登ったという。天候にめぐまれて眺めは最高だろう。

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伊吹山麓の杉沢地区。この一帯が縄文時代の遺跡という

だが、低地や水辺を好む筆者にとって伊吹山麓の魅力は、斜面や小高い山によって、川の流れる方向が南や北とかわり、少し視点を変えただけでいろんな景観が広がるところにあった。このあたりを車や電車で通過するといつも、景色の変化にドラマチックさを感じる。

この日は杉沢遺跡での、立命館大による発掘(冒頭の写真の道路の右側あたり)と、遺物を地中立体透視のように配置したアート作品を見る。
お寺の裏の畑での学生による発掘現場も見学。

3000年前の縄文時代晩期の遺物が、伊吹山麓の各所から出土している。
杉沢遺跡は滋賀県内で初めて見つかった縄文遺跡で、かつ伊吹山麓の遺跡群のなかでは最も濃密な遺物の出土がある。
考古学研究者によるとその土器は、東海地方と近畿地方の中間的な様式だという。滋賀は縄文時代から滋賀だったんだなあと思わせる。

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湧水に生えるコケ

なぜ杉沢に縄文遺跡があったのか。
教授の考えによれば、ここは昔から、東海と近畿、北陸を結ぶルート上にあった。
そして伊吹山麓の扇状地の末端にあり、湧き水が豊富だった。

琵琶湖まではちょっと距離がある。姉川からも3キロくらい離れている。
いっけん川とか湖に近いほうが、魚も捕れるし、いいのではないかと思うが、縄文時代の遺跡は山奥のほうで見つかることも多く、生活のうえで重視するものが違っていたようだ。

まあ、縄文時代は、想像以上に交易が盛んだったというから、晩期ともなれば交通の要衝に村落を構えたとしても不思議ではない。かつ伊吹山の山麓という場所。

伊吹山の山頂からは矢じりが出ている。植物の知識にたけた縄文人が、山頂に生える薬草を利用しなかったはずがない、特産物として交易に利用しただろう、と筆者は想像をたくましくするが、遺跡から出土していないのでそこまでは分からないという。

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石垣と湧水

縄文時代の遺跡は、大清水、曲谷など伊吹山麓一帯でみられるという。
勝居神社には、上のような湧水があり、コケやクレソン、フキが生えている。
しばし清冽な湧水を眺めた。

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春照の湧水池

伊吹山麓に点在する湧水は、だいたい標高165メートル付近にある。
この湧水池にはハリヨがいるとのことだが、厚い浮草の下にいるのか泳いでいる姿は確認できなかった。

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トンボの産卵

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間田湧水群から見える伊吹山

間田湧水群も、びっしりと草に覆われていた。
水が流れているところに近づこうと思ったら、泥を踏まねばならないが、長靴を持ってこなかったので途中までで引き返す。

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ミントの花咲く

踏みしめた草からミントのような香りがするなあと思ったら、薄紫色の、小さな花が棒状にかたまった花があたり一面に咲いていて、あとで調べるとそれは本当にミントのようだった。ミントは繁殖力が強いといわれるが、沢の一帯はミント群落が広がっていたのだった。

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白い石灰岩が転がる姉川

姉川には、伊吹山が崩落した際に流されてきた白い石灰岩が転がる。

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浸食がすすんだ石灰岩

石灰岩は酸性の水に溶けるため、どんどん浸食を受ける。
石灰岩でできた伊吹山の中にも割れ目や空洞があって、湧き水を貯蔵するタンクのようになっているのか。

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大清水、泉神社の湧水

そこから南東に進み、大清水地区、泉神社の湧水をくむ。
20年ぶりくらいに訪れた。昔の水汲み場は昔は直列したパイプだったように記憶しているが、今は円筒形の井戸端の側壁から等角度でホースが出ている。
湧水を大量に汲む人はいるが、その場で飲むのがいちばんおいしいのではないかと思う。

「ああ気持ちいい」と、せっけんで洗顔している人がおり閉口。白濁した排水が村の水路へ垂れ流されていった。田んぼにも流れるだろう。

こういうのは実害のあるなしというよりは、気持ちの問題だと思うので、せっかくの名水が銭湯の洗面場のごとき場と化しても、何も感じない人には「何が悪いんですか?」ということになってしまうだろう。その人が去って再び水場の足元にたまった水が澄むのを待った。撮影はその後に行った。


posted by 進 敏朗 at 21:52| Comment(0) | 河辺の叙景 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする