2024年05月12日

メダカの小川探訪

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ヤナギモ群落

この日は別のことを企画していたが、天気が良くなかったため、メダカが観察できる小川を訪ねて出かけた。
水草が群生している用水路を発見した。
まずは水草が、メダカ生息の手掛かりとなる。

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水面から頭を出すたくさんの花

葉が細長い形をしており、後で調べたら、これがヤナギモらしい。
私は水草の名をあまり知らないのである。
花が水面から多数、頭を出している。昆虫に媒介してもらうのだろう。

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魚がいないか探すが

水草の切れ間に目を凝らして魚がいないか探すが、メダカどころか魚の姿は見られない。
田んぼの水が流入し、少し濁っている。
雨がぱらつくあいにくの天気。

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メダカの群れ

探すこと約30分、より小さな水路をそおっとのぞいてみたところ、メダカ発見。
ここは田んぼの排水が入ってこないのか水が透明である。
流れがゆるく、大雨が降ってもあまり激流にならなそうな場所であった。

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拡大したところ

水深はせいぜい10センチあるかといったところ。
15匹くらいの群れがおり、これからが産卵期だろう。
メダカの小規模校だが、これが本日みた最大の群れであった。

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ヌマエビらしきものが数匹

エビも川底でじっとしている。石か葉のように見える。

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メダカ落としの滝

100メートル下流は、30センチの段差になっていた。
この段差の下にひとたびメダカが落ちたら、遡上するのは難しいんじゃないか。
メダカに限らず、ドジョウなど魚の生息域は、水路に設置された段差によって相当ぶつ切れになっているのではないか。
この上流の小川は、メダカにとっていい環境なのだろうがそんなに広い場所ではなく、細々と生存していた。

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野生を感じさせる環境のメダカ

さらには、三面張りでない湿地のなかにも見かけたが、ごく浅い流れの中に、木の棒のようにじっとしている。
さきほどの水路よりもさらに水が少なく、細々とした場所だった。
ここも下流はほ場整備により滝のようになっているので、少ない水の中、代々重ねているようだった。
こんな場所にも生きていて、メダカという魚のほんらいのタフさを思い知らされる。

自宅につくった池や水槽で観察・飼育をしているが、メダカは夏場の水温上昇や酸欠などにも強く、冬は落ち葉の下で越冬。ミジンコやボウフラ、花粉などなんでも食べる。
海水でもしばらくは生きているそうである。
こんな適応力のあるメダカが見られなくなったのは、やはり用水路の直線化と段差で、急流になり大雨時に流されてしまうのと、遡上できなくなったことに尽きるのではないか。

本日、いろいろと水路を見て回ったが、メダカがいたのはごく一部の水路や湿地だった。
段差の上流に残されたサンクチュアリのような空間だったが、いずれの場所も小規模で、環境の変化ですぐにでもいなくなりそうだった。
メダカ、たぶん滋賀県では大きな水路にも、いるところにはいるとは思うけど、こうした小川で身近に観察できるほうが楽しい。段差をスロープにするだけで、こういう生息域はもっと増えそうな気はするのだが…。




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2024年04月20日

メダカの小川

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いろいろな水草が生えている川

春となり、メダカがいる県内の小川を見に行く。
まだ季節が早かったのか全体に魚の気配は少なかった。

メダカが群泳するリアルな小川。
流れがゆるくて、水草も繁茂し、まるでアクアリウムを見るようである。
上の写真は、平野部で、わき水が出ており水が澄んでいた。
ここには写っていないがメダカが見られた。
ヌマエビもいた。

自宅に造営した池も、こうした小川や池の趣を再現したかったのである。
メダカが泳ぐ天然の水景を観察するのは、趣ある水辺の記録に重なるのではないだろうか。

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微細な魚の群れがみられたがカワムツだった(拡大すると見られます)

小魚の群れが川の中にいるとメダカかな、と期待するがカワムツであった。
メダカもカワムツも稚魚は同じような色をしているのだが、形が違うことから見分けがつく。
メダカは頭が大きく逆三角形だが、カワムツは頭が小さく胴体が頭より太い笹の葉のような形をしているので、見分けられる。
カワムツは用水路に普通にいるが、メダカは本当に見られなくなった。
数年前と比べても生息場所が少なくなった気がする。
メダカ探索を重ねてメダカアーカイブをつくりたい気持ちだ。
しかし大きな川ならともかく、生態保護の観点から場所を明かすのは難しい。

posted by 進 敏朗 at 21:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 河辺の叙景 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年03月09日

春の小川

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水草が繁茂する水辺

修理が成った投網を受け取りに東近江へ。網の部分を付け替え新品同様になったが、代金も新品を買うのと変わらない程度にかかった。

それにしてもうららかな日だ。
漁網店からほど近い、川幅が広くなって池となっている場所に行く。
ここにはさまざまな水草が繁茂している。

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カワヂシャの花

紫色のカワヂシャのほか、白色のクレソンも咲き始めていた。

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アオサギもいる

近くの山からはウグイスや、その他きれいな小鳥の鳴き声。
背後の草むらからはアマガエルの鳴き声も。
もう春だ。

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川底をエビ歩く

水はごく浅くて、エビが這っているのが見える。
池ではなくて、川の中流部のため流れがあり、泥がたまらずに石底となっている部分もある。

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ハエジャコ泳ぐ

こうした池を見ると、どこかに魚がいないだろうかと探してしまう。
なかなか見つからなかったが、下流寄りで、ハエジャコ発見。
泳ぐ姿は直線的で、いまひとつ面白みがない。だが、こんな魚でも、いるとうれしいものだ。

思えば筆者にとっての「水辺の憩」は、こうしてのんびりと水辺をみることが原点だったのではないか。

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満開の梅の木

帰りがけ、「メダカが細々と生きている水辺」を見に行く。
数年前に休耕田と小川を見つけ、時々訪れていたがどうなっただろうか。

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土の小川

小規模な山から細々と水が出てくる。
花崗岩の山が風化した粘土質の土。
土の緩い流れや、池となった休耕田があってメダカのすみかとなっていたが、規模がごく小さく、下流はほ場整備で段差となってしまったので、生存があやぶまれていた。

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波紋

じゅぶじゅぶとなった土道を行くと浅いたまり池があって、波紋が立っている。
これはもしかしてメダカではないのか。

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イモリのオタマジャクシ?

と思ったが、手前の水たまりを見ると、びっしりと黒く、イモリのオタマジャクシらしきものが群れていた。
思わずピントもぶれてしまう。
あの波紋はこれだったのか。

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休耕田のたまり池

これだけの広さの池があればあるいは、と思って目を凝らしたが魚影見えず。
こうした浅い水たまりの環境では魚類よりも、成長したら陸に上がれる両生類のほうが優勢になるのかも、

もしかしたらいるのかもしれないが、生息は確認できなかった。どこかにはいるのかもしれない。イモリはいるのだが、なんとなくメダカがいるとうれしい。メダカがいててほしいと思いながら、その場を後にした。

posted by 進 敏朗 at 21:06| Comment(0) | 河辺の叙景 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年06月04日

平池のカキツバタ

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赤坂山付近からの眺め(午前11時ごろ)

高島市内の平池にあるカキツバタ群落を見に行く。
平地ではカキツバタの見ごろは5月上旬の連休ごろだが、標高の高い平池では、5月下旬から6月初旬にかけてが見ごろという。

4月3日に訪れた酒波寺の前を通り、車で急カーブの山道を上がる。
3月の枯野は緑にかわり、うっすら伊吹山遠望。

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コアジサイ

平池は標高約500メートルの高原にある。
国土地理院の地図を見ると、水面の高さは488メートルか。琵琶湖より約400メートル高い。
隆起した山が動きを止めちゃったのか、山あいの谷に土砂がたまる現象が起きて、平たい湿地ができた。

地図を見ると、平池は、東北から西南にむかって細い形で、西南に水の出口がある。
形や水の出る方角、よく見ると琵琶湖に似ている。
周囲の山が東北から西南に向けて連なっているから、形が似ているのも単なる偶然ではないだろう。

平池には1万本といわれるカキツバタの群落があるという。

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境界

池の真ん前まで車で行けるらしいが、家族旅行村の駐車場に停めて歩き10分。

酒波寺と、若狭の闇見神社の行先を示す杭が立っていた。
ここは福井県境に近いが、でも県境から滋賀県側に数キロ入った地。この湿地が境界となったのだろうか。
闇見神社。ミステリアスな神域を想像。どんなところなんだろう。

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池が見えてきた

木立のむこうから池が見えてきた。

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池全景

池に着いた。
これは池東側から見た景色。
カキツバタ群落が浮島のようになっている。

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池とカキツバタ群落

バズーカ砲のような望遠レンズを三脚に立てた愛好家が並ぶ。
早朝の、風が弱くて波が立たない時間帯から、撮影に訪れているという。
昼が近づくと、どうしても風が吹くから、水面への映り込みが撮れなくなってしまうというのだ。

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流れ込みと魚の群れ

池を見ると、そこに魚がいるのかが気になってしまうが、池への山からの流れ込みがあって、
アブラハヤらしき黒くて10センチくらいの細く直線的な動きをする魚が群れている。
けっこういる。こんな山の池にもいるもんだなと眺めた。
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水面への映り込み

望遠レンズを持たないため、花の形状をつぶさに撮ることはできないが、こうして水面に
映りこむ情景は撮れたのだった。

これはアブラハヤにとっても楽園の池ではないだろうか。

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黄色いフキのような花

手前には、フキの花のような黄色い花が群生しているが、カメラを構えているおじさんにこの花はなんですかと尋ねたら、「なんやったっけ」とのことだった。

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トリカブト群落

そのかわりに、背後の杉林に群生する、切れ込みの深いまっすぐに直立する草はトリカブトやと教えてもらった。
もうすこし何日かしたら、紫色の花が咲くのだそうだ。根は猛毒だが、花は美しいという。。

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水がない淡海湖

その後、平池の西方約1キロにあるダム湖、淡海湖(処女湖)を訪れたが、工事中で水がない。
湖の傍らに塔がたっていて、そこらに放水用のトンネルがあると思っているが、水がないから、灌漑用水を送ることはできないだろう。
淡海湖には、タンカイザリガニという生物がすんでいると図鑑でみたけど、どうなっただろう。
湖自体が人造湖で、タンカイザリガニも移入生物だから、困らないといえば困らない。
あとで調べると、北海道のウチダザリガニと同種であるそうだ。

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下流には水が出ている

帰る途中、淡海湖からの導水路となる酒波谷には、わりと豊富な水が滝となって流れていた。
ダムからの水がなくても、けっこう森から水が得られるのだろうか。だとしたら森ってすごいなと思った。
初夏の空と池のきらめきを堪能した。

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<おまけ>ビワがとれた








posted by 進 敏朗 at 00:00| Comment(0) | 河辺の叙景 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月03日

酒波寺、境川、百瀬川

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境川と酒谷寺の門

3月末から強烈な寒の戻りがあって、暖冬だったにもかかわらずここ滋賀では4月に入っても桜がほとんど開花していない。
まだ漁労シーズンは始まらず川地形見学。
ここ高島市今津町の酒波(さなみ)。山のふもとでも、陰のところは雪がうっすらと地面を覆っている。



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酒波寺の参道

酒波寺には有名なエドヒガンの古木があり、参道の奥、杉木立の間からピンク色がのぞいている。

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山門に至る石段

酒波寺の開山は行基と伝えられ、古くは五十六房をもつ大寺院であったという。
1556年、浅井長政が修復するも、1572年、信長の焼打ちに会い、その後真言宗智山派の寺として復興し現在に至る。
同派の総本山は京都の智積院。
山城の蟹の寺、蟹満寺(かにまんじ)も、同派の寺院だった(2016年11月10日記事「木津川のアート、蟹」参照)。毎年4月の蟹供養ももうすぐだ。

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エドヒガンの古木

エドヒガンは高さが20メートル以上もあり、山門を登った石段の上から見る。
木の上のほうは咲いているが、下にいくほどつぼみとなっている。
ソメイヨシノよりも開花がはやいエドヒガンでさえも、ここ高島では、ちらほらか3分咲きといったところ。

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赤坂山方面への山道入口付近

酒波寺のすぐ南を流れる境川は、山地を深くえぐったような谷をかたちづくっている。
谷が深いわりに、川が小さくて、これは何だろうかと地図を見て思っていた。
谷沿いに道路が整備されていて、山中の家族旅行村への案内看板がある。

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しばらく谷に沿って登ると急カーブがある。
上のような流れがあったが、谷の終わりがすぐそこな割には、流れが多かった。
これは、雪解け水もあるだろうが、山の向こうにある淡海湖からトンネルを通じて水が流れているためではないかと思う。

淡海湖は大正時代に完成した農業用のダム。
石田川上流の谷から、南へ長さ数百メートルのトンネルを掘れば、境川の谷に流下することに着目した土木事業で、いわば人工的な「河川争奪」。

境川は石田川上流の水の一部を分けて下流に流す導水路の役割を果たしていたのだった。


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前の写真を遠望する(中央やや下の白いところが谷川)

谷は、奥の山が終点で、その山の尾根の部分を道路が走っている。
尾根の向こうには石田川の水をためた淡海湖が横たわっているはずだ。

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山の上

その山の最上部は新雪があった。北西の季節風をまともに受ける雪深い場所のようだ。
標高は500メートルちかくあるだろう。
淡海湖と、境川への導水部分を確認したかったが、雪のため次の機会にすることにした。

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北向きの眺望

家族旅行村の手前で、肝を冷やすような急斜面沿いを道が通り、眺望がひらけた。
北東の方角で、琵琶湖や、琵琶湖に突き出た海津大崎、手前のマキノの平野が一望できる。
平野の中央を手前から奥へと蛇行しているのが百瀬川。
百瀬川の左には、砂防のための遊水池が見える。

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深い谷

さらには東側を見やると、急斜面となっていて、百瀬川の深い谷が刻まれている。
平野部との高低差は300メートル以上あるだろう。
平野は沈降していて、山地は隆起しているのだろうか。平地と山地がはっきりと地形が分かれている。

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百瀬川

湖西の清流、石田川との河川争奪の舞台として知られる百瀬川。
大きな川でもないのに広い扇状地を形作っている百瀬川には、石田川の上流だった谷のひとつが、断層の動きで百瀬川に下るようになった。
石田川の谷は断層をまたぐように西に流れていたが、断層の西側が東側に対して隆起して、水が行き場を失って土砂がたまり、現在の家族旅行村がある平たい土地を形成。あげく、相対的にいちばん低かった東側の百瀬川の谷に落ちるようになったと考えられる。

いったんつながった百瀬川の谷には大量の土砂が急激に流れ落ちる。
いまも盛んに土砂崩れがあって、河原は石や砂利がいっぱいだ。河川争奪は火山灰の堆積から2万9千〜7千年前に起きたという説もあるそうだ。

百瀬川の下流に降りると、たしかに川の割に河原が広い。
水も思ったより流れている。やはり雪解けのせいだろうか。ここより下流に行くと、伏流してしまうのか、あるいは農業用水にとられるのか流れが少なくなっていった。


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百瀬川の下流から野坂山地をみる

下流の橋から山のほうを見ると、雪で山頂部が白くなった赤坂山などが見える。
巨大な壁のように高さがそろっていて、やっぱり隆起してできたのだなと思わせる。
土地がべりっと直線状に割れて、ぐんぐん高まっていくみたいな様子をイメージする。

あすこの高さになるのに、どれくらい時間がかかっただろうか。琵琶湖が現在の形になったのが40万年前というから、たぶん周りの山もそれに呼応して、数十万年とか100万年くらいの時間をかけて隆起したのではないか。

逆に平野部はどんどん沈降している。

もしこのまま土砂の供給がなければ、平野部はいずれは沈降して琵琶湖に飲まれてしまう。
げんに湖岸沿いでは、湖底に沈んでしまった村の跡もある。

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境川河口付近からみた琵琶湖。竹生島、伊吹山を望む

古代は堤防も何もなかったから、土砂を含んだ洪水で、ホースを右へ左へとまき散らすようにして土砂が積もっていっただろうが、堤防で川を固めて水の流路を固定して、土砂の堆積が見込めないとすると、どうやって沈んでいく土地を守るのか。

もっとも、沈降の速度は100年とか200年では問題にならないと思うが、数百年か数千年に一度は断層が動く大地震があったりし、地滑りを繰り返すうちに、沈んでしまうかもしれない。数千年や数万年後、はたしてその時代には人類のくらしはどうなっているのか、それは何ともわからない。。。

百瀬川流域の河川争奪現場から扇状地、伏流水、天井川、遊水池をめぐる「百瀬川めぐり」をいつか挙行してみたい。
本日は下見にとどめる。

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〈おまけ〉今年もチューリップが咲きはじめた
posted by 進 敏朗 at 17:49| Comment(0) | 河辺の叙景 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする