2020年03月09日

春の小川

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水草が繁茂する水辺

修理が成った投網を受け取りに東近江へ。網の部分を付け替え新品同様になったが、代金も新品を買うのと変わらない程度にかかった。

それにしてもうららかな日だ。
漁網店からほど近い、川幅が広くなって池となっている場所に行く。
ここにはさまざまな水草が繁茂している。

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カワヂシャの花

紫色のカワヂシャのほか、白色のクレソンも咲き始めていた。

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アオサギもいる

近くの山からはウグイスや、その他きれいな小鳥の鳴き声。
背後の草むらからはアマガエルの鳴き声も。
もう春だ。

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川底をエビ歩く

水はごく浅くて、エビが這っているのが見える。
池ではなくて、川の中流部のため流れがあり、泥がたまらずに石底となっている部分もある。

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ハエジャコ泳ぐ

こうした池を見ると、どこかに魚がいないだろうかと探してしまう。
なかなか見つからなかったが、下流寄りで、ハエジャコ発見。
泳ぐ姿は直線的で、いまひとつ面白みがない。だが、こんな魚でも、いるとうれしいものだ。

思えば筆者にとっての「水辺の憩」は、こうしてのんびりと水辺をみることが原点だったのではないか。

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満開の梅の木

帰りがけ、「メダカが細々と生きている水辺」を見に行く。
数年前に休耕田と小川を見つけ、時々訪れていたがどうなっただろうか。

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土の小川

小規模な山から細々と水が出てくる。
花崗岩の山が風化した粘土質の土。
土の緩い流れや、池となった休耕田があってメダカのすみかとなっていたが、規模がごく小さく、下流はほ場整備で段差となってしまったので、生存があやぶまれていた。

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波紋

じゅぶじゅぶとなった土道を行くと浅いたまり池があって、波紋が立っている。
これはもしかしてメダカではないのか。

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イモリのオタマジャクシ?

と思ったが、手前の水たまりを見ると、びっしりと黒く、イモリのオタマジャクシらしきものが群れていた。
思わずピントもぶれてしまう。
あの波紋はこれだったのか。

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休耕田のたまり池

これだけの広さの池があればあるいは、と思って目を凝らしたが魚影見えず。
こうした浅い水たまりの環境では魚類よりも、成長したら陸に上がれる両生類のほうが優勢になるのかも、

もしかしたらいるのかもしれないが、生息は確認できなかった。どこかにはいるのかもしれない。イモリはいるのだが、なんとなくメダカがいるとうれしい。メダカがいててほしいと思いながら、その場を後にした。

posted by 進 敏朗 at 21:06| Comment(0) | 河辺の叙景 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年06月04日

平池のカキツバタ

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赤坂山付近からの眺め(午前11時ごろ)

高島市内の平池にあるカキツバタ群落を見に行く。
平地ではカキツバタの見ごろは5月上旬の連休ごろだが、標高の高い平池では、5月下旬から6月初旬にかけてが見ごろという。

4月3日に訪れた酒波寺の前を通り、車で急カーブの山道を上がる。
3月の枯野は緑にかわり、うっすら伊吹山遠望。

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コアジサイ

平池は標高約500メートルの高原にある。
国土地理院の地図を見ると、水面の高さは488メートルか。琵琶湖より約400メートル高い。
隆起した山が動きを止めちゃったのか、山あいの谷に土砂がたまる現象が起きて、平たい湿地ができた。

地図を見ると、平池は、東北から西南にむかって細い形で、西南に水の出口がある。
形や水の出る方角、よく見ると琵琶湖に似ている。
周囲の山が東北から西南に向けて連なっているから、形が似ているのも単なる偶然ではないだろう。

平池には1万本といわれるカキツバタの群落があるという。

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境界

池の真ん前まで車で行けるらしいが、家族旅行村の駐車場に停めて歩き10分。

酒波寺と、若狭の闇見神社の行先を示す杭が立っていた。
ここは福井県境に近いが、でも県境から滋賀県側に数キロ入った地。この湿地が境界となったのだろうか。
闇見神社。ミステリアスな神域を想像。どんなところなんだろう。

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池が見えてきた

木立のむこうから池が見えてきた。

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池全景

池に着いた。
これは池東側から見た景色。
カキツバタ群落が浮島のようになっている。

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池とカキツバタ群落

バズーカ砲のような望遠レンズを三脚に立てた愛好家が並ぶ。
早朝の、風が弱くて波が立たない時間帯から、撮影に訪れているという。
昼が近づくと、どうしても風が吹くから、水面への映り込みが撮れなくなってしまうというのだ。

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流れ込みと魚の群れ

池を見ると、そこに魚がいるのかが気になってしまうが、池への山からの流れ込みがあって、
アブラハヤらしき黒くて10センチくらいの細く直線的な動きをする魚が群れている。
けっこういる。こんな山の池にもいるもんだなと眺めた。
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水面への映り込み

望遠レンズを持たないため、花の形状をつぶさに撮ることはできないが、こうして水面に
映りこむ情景は撮れたのだった。

これはアブラハヤにとっても楽園の池ではないだろうか。

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黄色いフキのような花

手前には、フキの花のような黄色い花が群生しているが、カメラを構えているおじさんにこの花はなんですかと尋ねたら、「なんやったっけ」とのことだった。

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トリカブト群落

そのかわりに、背後の杉林に群生する、切れ込みの深いまっすぐに直立する草はトリカブトやと教えてもらった。
もうすこし何日かしたら、紫色の花が咲くのだそうだ。根は猛毒だが、花は美しいという。。

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水がない淡海湖

その後、平池の西方約1キロにあるダム湖、淡海湖(処女湖)を訪れたが、工事中で水がない。
湖の傍らに塔がたっていて、そこらに放水用のトンネルがあると思っているが、水がないから、灌漑用水を送ることはできないだろう。
淡海湖には、タンカイザリガニという生物がすんでいると図鑑でみたけど、どうなっただろう。
湖自体が人造湖で、タンカイザリガニも移入生物だから、困らないといえば困らない。
あとで調べると、北海道のウチダザリガニと同種であるそうだ。

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下流には水が出ている

帰る途中、淡海湖からの導水路となる酒波谷には、わりと豊富な水が滝となって流れていた。
ダムからの水がなくても、けっこう森から水が得られるのだろうか。だとしたら森ってすごいなと思った。
初夏の空と池のきらめきを堪能した。

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<おまけ>ビワがとれた








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2019年04月03日

酒波寺、境川、百瀬川

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境川と酒谷寺の門

3月末から強烈な寒の戻りがあって、暖冬だったにもかかわらずここ滋賀では4月に入っても桜がほとんど開花していない。
まだ漁労シーズンは始まらず川地形見学。
ここ高島市今津町の酒波(さなみ)。山のふもとでも、陰のところは雪がうっすらと地面を覆っている。



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酒波寺の参道

酒波寺には有名なエドヒガンの古木があり、参道の奥、杉木立の間からピンク色がのぞいている。

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山門に至る石段

酒波寺の開山は行基と伝えられ、古くは五十六房をもつ大寺院であったという。
1556年、浅井長政が修復するも、1572年、信長の焼打ちに会い、その後真言宗智山派の寺として復興し現在に至る。
同派の総本山は京都の智積院。
山城の蟹の寺、蟹満寺(かにまんじ)も、同派の寺院だった(2016年11月10日記事「木津川のアート、蟹」参照)。毎年4月の蟹供養ももうすぐだ。

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エドヒガンの古木

エドヒガンは高さが20メートル以上もあり、山門を登った石段の上から見る。
木の上のほうは咲いているが、下にいくほどつぼみとなっている。
ソメイヨシノよりも開花がはやいエドヒガンでさえも、ここ高島では、ちらほらか3分咲きといったところ。

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赤坂山方面への山道入口付近

酒波寺のすぐ南を流れる境川は、山地を深くえぐったような谷をかたちづくっている。
谷が深いわりに、川が小さくて、これは何だろうかと地図を見て思っていた。
谷沿いに道路が整備されていて、山中の家族旅行村への案内看板がある。

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しばらく谷に沿って登ると急カーブがある。
上のような流れがあったが、谷の終わりがすぐそこな割には、流れが多かった。
これは、雪解け水もあるだろうが、山の向こうにある淡海湖からトンネルを通じて水が流れているためではないかと思う。

淡海湖は大正時代に完成した農業用のダム。
石田川上流の谷から、南へ長さ数百メートルのトンネルを掘れば、境川の谷に流下することに着目した土木事業で、いわば人工的な「河川争奪」。

境川は石田川上流の水の一部を分けて下流に流す導水路の役割を果たしていたのだった。


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前の写真を遠望する(中央やや下の白いところが谷川)

谷は、奥の山が終点で、その山の尾根の部分を道路が走っている。
尾根の向こうには石田川の水をためた淡海湖が横たわっているはずだ。

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山の上

その山の最上部は新雪があった。北西の季節風をまともに受ける雪深い場所のようだ。
標高は500メートルちかくあるだろう。
淡海湖と、境川への導水部分を確認したかったが、雪のため次の機会にすることにした。

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北向きの眺望

家族旅行村の手前で、肝を冷やすような急斜面沿いを道が通り、眺望がひらけた。
北東の方角で、琵琶湖や、琵琶湖に突き出た海津大崎、手前のマキノの平野が一望できる。
平野の中央を手前から奥へと蛇行しているのが百瀬川。
百瀬川の左には、砂防のための遊水池が見える。

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深い谷

さらには東側を見やると、急斜面となっていて、百瀬川の深い谷が刻まれている。
平野部との高低差は300メートル以上あるだろう。
平野は沈降していて、山地は隆起しているのだろうか。平地と山地がはっきりと地形が分かれている。

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百瀬川

湖西の清流、石田川との河川争奪の舞台として知られる百瀬川。
大きな川でもないのに広い扇状地を形作っている百瀬川には、石田川の上流だった谷のひとつが、断層の動きで百瀬川に下るようになった。
石田川の谷は断層をまたぐように西に流れていたが、断層の西側が東側に対して隆起して、水が行き場を失って土砂がたまり、現在の家族旅行村がある平たい土地を形成。あげく、相対的にいちばん低かった東側の百瀬川の谷に落ちるようになったと考えられる。

いったんつながった百瀬川の谷には大量の土砂が急激に流れ落ちる。
いまも盛んに土砂崩れがあって、河原は石や砂利がいっぱいだ。河川争奪は火山灰の堆積から2万9千〜7千年前に起きたという説もあるそうだ。

百瀬川の下流に降りると、たしかに川の割に河原が広い。
水も思ったより流れている。やはり雪解けのせいだろうか。ここより下流に行くと、伏流してしまうのか、あるいは農業用水にとられるのか流れが少なくなっていった。


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百瀬川の下流から野坂山地をみる

下流の橋から山のほうを見ると、雪で山頂部が白くなった赤坂山などが見える。
巨大な壁のように高さがそろっていて、やっぱり隆起してできたのだなと思わせる。
土地がべりっと直線状に割れて、ぐんぐん高まっていくみたいな様子をイメージする。

あすこの高さになるのに、どれくらい時間がかかっただろうか。琵琶湖が現在の形になったのが40万年前というから、たぶん周りの山もそれに呼応して、数十万年とか100万年くらいの時間をかけて隆起したのではないか。

逆に平野部はどんどん沈降している。

もしこのまま土砂の供給がなければ、平野部はいずれは沈降して琵琶湖に飲まれてしまう。
げんに湖岸沿いでは、湖底に沈んでしまった村の跡もある。

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境川河口付近からみた琵琶湖。竹生島、伊吹山を望む

古代は堤防も何もなかったから、土砂を含んだ洪水で、ホースを右へ左へとまき散らすようにして土砂が積もっていっただろうが、堤防で川を固めて水の流路を固定して、土砂の堆積が見込めないとすると、どうやって沈んでいく土地を守るのか。

もっとも、沈降の速度は100年とか200年では問題にならないと思うが、数百年か数千年に一度は断層が動く大地震があったりし、地滑りを繰り返すうちに、沈んでしまうかもしれない。数千年や数万年後、はたしてその時代には人類のくらしはどうなっているのか、それは何ともわからない。。。

百瀬川流域の河川争奪現場から扇状地、伏流水、天井川、遊水池をめぐる「百瀬川めぐり」をいつか挙行してみたい。
本日は下見にとどめる。

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〈おまけ〉今年もチューリップが咲きはじめた
posted by 進 敏朗 at 17:49| Comment(0) | 河辺の叙景 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月12日

愛知河畔池めぐり

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枯れた水路

滋賀県の湖東平野を流れる愛知川の河畔。
そこには、湧水池がさまざまに見られ、漁撈シーズンが終わった11月、そうした情景を歩いてまわって見ようと訪れた。

能登川駅からバスで、旧中山道愛知川宿に至り、そこから彦根方向に歩くと小さな橋が架かっており、水のない水路があった。

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枯れた水源

道路を右に折れ水路沿いに進むとほどなく水の枯れた丸い池があった。
神社の境内。昔は、湧き水が出ていたのだろう。しかし、ポンプのようなものが設置されていないので、地下水の水位が高まると湧き水が出ることが今でもあるのかもしれない。

次に、中山道に戻り、もう少し彦根方面に進んでから右折し、東南方向に歩いた。
地図を持たずに行ったので適当だったが、いつしか旧秦荘町内に入り、矢守という集落に来たところで川があった。

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矢守川

川は東北方向に流れていて、宇曽川に合流するようだった。水が澄んでいて、川底に丸石が転がっている。
夏場は、どうなんだろう。田んぼの排水が入って濁っているのだろうか。今見た感じでは、竹藪が両岸を覆う川には風情があった。

川をさかのぼり、再び旧愛知川町内に入ると、立派な神社の門がある。

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豊満神社の四脚門

鎌倉末期に建ったという四脚門は、屋根の反りが優美だった。

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菊花

豊満(とよみつ)神社は、旗神といわれ勝負ごとに利益があるとされ掲げられた絵馬をみると、宝くじ販売業者の当せん報告も。また、「豊満」という字からか、やや赤裸々な願掛けも。

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神社の手洗いの泉は、ポンプでくみ上げられていた。

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不飲川の水源

神社から西方向に歩いて10分。
そこにはテニスコートくらいの広さの、不飲川(のまずがわ)の水源池があった。
愛知川の伏流水がここから湧き出しているのだけど、水量はそんなに多くはないようで静かだった。

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案内板

案内板が架けられていた。少なくとも数百年間はここらに水源があったようだ。

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下流方向を見る

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下流の風景

下流方向を見ると光が差しているので、歩いていくと樹木が川の上を覆っていて、その先は見通せなかった。
無造作な風景を見るのは水辺の楽しみだ。

秋は日が落ちるのが早くて、3時を過ぎると早くも夕方の光のようになってきた。

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愛知川の河原池

ほどなく愛知川に到達し、河原に下りると、10月下旬の台風で増水した跡とみられる池があった。
池の底は石で、本流の部分と水脈がつながっている。
先ほどの不飲川の水源も、この河原池とさして変わらない構造になっているはずだ。

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池の中に取り残された魚

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国道8号の御幸橋から上流を見る

橋を渡りながら、増水の跡を見た。河原の石が、堤防のように積み上げられたり、カーブした壁になってりしていて、増水した川の水流の強さを思い知った。堤防がなかった大昔は、川はあっちこっちへと暴れまわり、長い年月をかけて広大な扇状地になったのだろう。その活動の一端を見た気分だった。

posted by 進 敏朗 at 22:59| Comment(2) | 河辺の叙景 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月03日

石田川の崖

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えぐられた河岸

若狭湾への釣行の帰り、ビワマスの遡上を見ようと、高島の石田川岸に近寄ると、川が蛇行して左岸がえぐられて高さ7、8メートルはあるんじゃないかという垂直の崖になっていた。

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イノシシ足跡

台風や木枯らしから3、4日たつが水は薄濁りで川の中はよく見えず、ビワマス確認できず。
車窓からみた福井県側の北川も同じ色をしていて、きょう釣りに行った若狭湾も、大きな河川は流入していないのにうっすら濁っていた。
10月下旬の台風や木枯らしから3日くらいはたつが、濁りがなかなか取れないようだ。

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崖を拡大

川にはコンクリートの護岸はなく、自然の流れが勢いにまかせて大地を削っているようだった。

崖を見ると、大小の石が土の間にめり込んでおり、岩盤ではない。川が運んできた土砂でできた、扇状地の地形のようだった。
数十キロはありそうな大きな石もある。だが削り取られるのは早いようだった。

すぐ下流に橋があったので、橋にのぼって下流を眺めた。

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橋の下流

すると下流側では右岸が削られており、川がS字カーブを描いているのがわかった。
川が蛇行する現象は、放っておくとエスカレートするものなのか。
何台もの重機が置かれており、蛇行をまっすぐにする工事が始まっていたがこの日は休日のため動いていなかった。

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橋の上から見た崖

増水した川が土地を削る力はすごいものだ。
これを上から見たらどうなっているのだろうと崖の上から見たくなった。

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崖の上

でもやはり近づくと危険なので2メートルくらい後ろから眺めた。
崖の上の土地は、低い土の堤防で木が生えている。
木の根っこの力で、崩れずに踏ん張っているようだが、川がこれ以上足元を削り取ると、根っこごと崩落ということにもなりかねない。

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崖の上流全景

扇状地というものは、雨のたびに流路が変わり、扇の形に土砂が堆積してできる土地だと習った。まさに今、扇状地の流路が変わっていく様子が、自然の景観が残る石田川で眺められたのだった。

これが川の本来の姿なのかもしれない。しかし、現代の世の中で川が自由にふるまっていると、田んぼが削られてしまうし、集落もあるから人の生活も危ない。

大自然は、必ずしも人間の暮らしと調和しているものではなくて、ある程度は制御しないといけないものなのだなあとあらためて思わされた。




posted by 進 敏朗 at 23:59| Comment(0) | 河辺の叙景 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする