甲賀駅から古琵琶湖層の里を歩く
甲賀駅前にて
JR甲賀(こうか)駅は、草津線の柘植(つげ)行き電車に乗り、終点柘植のふたつ手前。
ローカル線だけど、明治後半には開通していて、甲賀駅も1904年には誕生している。
名古屋から亀山を経由、草津を結び京都に至るルートは、関ヶ原経由よりも距離が短いので、何かの拍子で発展した可能性はあったかもしれないが、遠回りな関ヶ原ルートが幹線ルートの東海道本線となり、甲賀駅前は、鉄道の歴史の割にはローカルなたたずまいだった。
深く掘り込まれた川
しかし、駅舎は近代化されており、高架(こうか)駅でなくて、橋上駅というのか、改札が上にあって両側に出られる。
杣川
南口から出、大原市場の静かな町並みを北西に歩き左折、杣(そま)川の深く掘り込んだ橋を渡る。
川が曲がりくねって掘り込まれたこの地形、千葉県のチバニアンの養老渓谷に似ている。
土壁の小屋。林の向こうは杣川の崖
この甲賀市南部の土地は古琵琶湖層で、粘土だから、川の流れが土地を削りやすいようだ。
200万年以上も昔にこのあたりに存在した甲賀湖の作り出した地形。
製薬会社のある甲賀の里
甲賀忍者にゆかりがあるのか製薬会社も多い。
工場の横から谷奥へ続く道に入った。
谷奥へ歩く
それで、指の又のような細い谷と低い丘が交互に並んでいるような、独特の地形になっていて、分水嶺近くまで田が開かれている。
これを歩いて三重県境まで行ってみようという試み。
甲賀の田園
丘の稜線をたどれたらと思い、獣害対策ゲートを開けて入ってみるが、道がすぐに分からなくなる。
獣害対策のゲート
たちまち道がわからなくなる
これは駄目だと、谷の一番奥まで行き、そこから山に入る。
途中までは道が分かるが、木が生えていたりして、すぐに判別できなくなってしまった。
仕方なく立ち止まりキノコを眺める
木になるキノコ(キクラゲ?)
国土地理院の地図で見ると破線が描かれているのだが、その通りには決してなっていない。
山の稜線沿いが歩きやすかった
そこで、稜線に登ると、山林の境界画定のための杭が打たれ、それに沿って人が歩いた跡もあって、それをたどることで進むことができた。
ようやく山を抜けてひと安心
ようやく森の向こうに田んぼが見えて来て胸をなでおろすが、ゲートがある場所じゃないと外に出られない。
どこにゲートがあるのかと見まわして、降り立った場所よりさらに100メートルほど西から出ることができた。
ここは集落と集落の間にある谷である。
「Y」字交点の池
向こうに池の堤防が
谷と谷が「Y」字型に合流する交点に設けられたため池があった。
しかも池の幅が、丘と丘の間の谷幅いっぱいにできていて、これは谷水をダブルで総取りだ。
谷幅いっぱいの、Y字谷交点にある池(奥が下流側)
何て効率のいいつくりなんだろうと思う一方、この池の場所が田んぼはなく池であることに、水の確保の難しさを感じさせる。
谷といっても、山なんて比高20メートルか30メートルくらいしかない。
この谷の下流にも、さらに二つため池が設けられており、森の面積が少ない粘土丘陵地帯で、田んぼの水を集めるのは並大抵ではないようだった。
「Y」字交点池から南西に谷をさらに奥に進む。
谷奥でコアラ(こりゃあ)驚いた
何かの苗木
見慣れない丸い葉っぱ
谷の最奥部の田んぼは、稲ではなくて、マルチをひいて苗木が植えられていた。
丸い葉っぱで見たこともない木。
すると奥から軽トラが走って来た。
「何屋さんですか?」と問われ、「歩いているだけですよ」と答える。
これは何の木ですか? と私が訪ねると、
「あれが食べる木よ」「あれが」と、
おじさんは私に説明しようとするが、どうしても名が出てこない。
木の葉っぱを食べる動物といえば…「コアラですか?」ときくと、「そう」とおじさんは答えた。
ユーカリの木だった。
後で調べると、庭木とかで人気があるらしかった。それで育てているのか。
それにしてもこんなひっそりとした谷奥で、ユーカリが育てられているなんでびっくりだ。
隧道出現
薄暗い切通しの奥には
トンネルが出現。不気味な感じも
この奥へ歩き、曲がった先にはコンクリートで固められたトンネルが掘られていた。
長さは50メートルくらいだろうか。
隔てる山はそんなに険しくないのに、わざわざこのようなしっかりしたトンネルが掘られていることに驚き。
鉄道でも通す計画でもあったのだろうか。
照明がないトンネル
トンネルを越すと下り坂となり、三重県と境を接する下馬杉の集落が現れた。
ふたつ丘を越したがここは滋賀県である。
下馬杉の集落
丘に沿って広々とした家並み。
先ほどの軽トラはこのトンネルを通って現れたことを考えると、下馬杉側の人にとってニーズが高いのではと思った。
三重県を前に立往生
さてこの下馬杉から、南西に伸びる谷をたどる。
川のゴム堤
流れる川は、粘土地帯だからか薄濁りだ。
野洲川最大の支流、杣川は古琵琶湖層の一帯を流れているので、野洲川下流の水は澄んでるときでも少し濁り色がある。
野洲川に遡上するコアユが湖西や湖東の川にくらべて少ないのはこの濁りを嫌うせいではないか。
という思いが以前からあり、コアユ捕りに熱中している時は、杣川を何となく軽んじていたが、歩いてみるとこの変化に富んだ地形を生み出す粘土地帯は独特だなあと、また別の見え方が生じてくる。
この竹藪の先が三重県だ
獣害ゲートをくぐること幾度。ついにこの先が三重県伊賀地方のようだった。
ススキの中で立往生
入ると、最初ははっきりと幅1間(1.8メートル)ほどの道があったのだが、だんだん笹の密度が濃くなってきて、最後は完全な藪となってしまい立往生。
あの木立の向こうは三重県だが
そこに見えてる木立の向こうが三重県なのに。
何とももどかしい。
低いほうに道があるかなと思ったら、右足がぬかるみにはまりかける。
先行者らしき足跡もあったが動物だったかも。危ういので進むのをやめる。
強行突破を狙うも笹にさえぎられ、こりゃあいかんと、もういちど、尾根に登って藪を回避。
いったん、100メートルくらい西のピークに達したのち、南へと進路を変える。
粘土層の土地だけに、岩はまったくなく、急坂もないんで助かる。
三重県に出た
何とか下がっていくうちに道が出現。三重県へと導いてくれた。
ゲートを出、遅めの弁当タイムに。
アプリを見て、どれだけ歩いたのか確認すると、出発から3時間もたったのに8キロも歩いておらずがく然。
迷っている時間が長かったのだった。
日当たりのいい三重県側
里が見えてきた
三重県側も、同じような粘土層の地形なのだが、滋賀県側よりも傾斜がきつくなっていて、谷の奥が下がっていくのが見通せる。
伊賀地方で発生した古琵琶湖が北へと移動していった後、土地が隆起、その際三重県側が急傾斜で、滋賀県側がなだらかな稜線に。
古琵琶湖があったこの辺は、山らしい山がほとんどないのに、やはり三重県側の坂が急で、県境をめぐる傾斜のありようは同じだった。
分水嶺からいきなり始まる棚田
土地の傾斜は滋賀県側よりも急角度
ところで、県境でまよってしまったために、三重県のどこに出たのかが分からなくなり、地図を見ても、どこもかしこも曲がりくねった等高線と道で、どこに降りてきたのかが分からず。
西に傾きかけた太陽をみながら、太陽を背にしていくことにする。
円形擁壁とブロック塀
棚田があって眺めがいい。立派な柿の木が植わる民家も。日当たりの良い高台の集落。
立派な枝ぶりの柿の木
日当たりの良い高台集落
村人の道案内でようやく「生玉神社」が見つかり、横の道を200メートルも行けば県境に戻ることがわかった。
生玉神社。右手の道を進むと滋賀県
神社右手の道を行くと、東海自然歩道が左手から現れる
「東海自然歩道」の入り口を横目に、道を直進すると、峠というほどでもないゆるい坂が下りになり、すぐに上馬杉の集落出現。
滋賀県に戻る。そこは上馬杉の集落
甲賀と伊賀、背中合わせに存在していて、まるでパラレルワールドのよう。
県境からの帰還
あとはすたこら歩いた。
強力ファン付きの小屋
途中、幹線道路も一部歩かねばならず、歩道が狭くて車も飛ばしてくるので、足早に区間を通過。
電車の時間を気にしながら早歩きを続けた。
暮れゆく甲賀の里
杣川に映った柿の実
上馬杉から1時間20分で甲賀駅着。
16時57分草津行の電車には十分間に合った。
県境をまたぎ、戻ってきてトータルで15キロくらい歩く。
この日、最高地点は260メートルくらいで、高低差は90メートルだったが、アップダウンの連続で、アプリによると400メートルくらいは坂をのぼったことになっていた。
甲賀駅から見た日没
三重県側にすんなり出られるかと思ったが、里道の手入れがあまりされなくなったためか、思った以上に困難だった。
でも、隣国に徒歩でぱっと行けてしまうところにロマンを感じる古琵琶湖粘土地帯の里。
地形ファンには尽きない魅力。
夕暮れの駅舎
まだまだ尽きない県境行きの道。また歩いてみたい。