2022年10月15日

米原低山周行

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米原駅前から見える低山(午前10時半ごろ)

体力回復に低山へ

秋晴れの日。
夏場ずっとよく眠れず、動きたくない・横になっていたいという状態が続いた結果、野外活動の停滞・運動不足が著しくなった。
友人などの登山でも企画してくださいと助言を受けたが、とてもそれを果たす体力があるとも思えない。
涼しくなってだいぶ寝心地も回復したこの日、歩きのリハビリに低山を巡ろうと決意。
行先を吟味した結果、米原駅を降りてすぐに低山があるのでここを歩くことにした。
山の高さは250メートルくらいで、高低差は150メートル。これならいけるんじゃないか。

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名勝・青岸寺庭園

名勝・青岸寺庭園

冒頭の写真で、家並の奥、山の手前に庭園が有名な青岸寺を訪問。
琵琶湖の東岸にあるのに「せいがんじ」とはいかに? などとおやじギャグ。
苔による枯山水庭園で、岩が連なり深山の趣。

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井戸

庭園に面して左側に井戸があった。
水の注ぎ込み口はなく、山から水が湧いてくるという。台風時などに水位が上昇、水がオーバーフローして、枯山水の庭にリアルに水が張るように設計されているという。聞くと実際に年に数回、水が張った状態になるのだそうだ。それはぜひ見てみたい。
切り絵作家の障子作品も美しかった。

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クヌギ

庭園見学を済ませて山に登る。
登山路に、おびただしい数のクヌギの実が散乱している。行路の全般に多くて、これは山じゅうがカブトムシ天国ではないのか。
中腹の「展望所」にのぼり、そこから下がって、さらに上がって尾根筋に到達。200メートル分くらい登った気がする。少し勾配がきつくなっただけでハアハアと息が切れ、ももの後ろの筋肉だるし。
「盗人岩」のところで眺望が開ける。
米原駅前が一望。新幹線や、JRの在来線(西日本&東海)、近江鉄道が、さまざまなスピードで行き来する。


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米原駅前

米原の町が小さいことに違和感があった

滋賀県唯一の新幹線駅、米原駅。
鳥取県で育った少年時代、なぜ新幹線が停車し、東海道本線と北陸本線が分岐する米原が市ではなく「町」なのかといぶかしく思っていた(のちに平成の大合併で「市」に昇格)。
滋賀県に来て、違和感を抱いたのは同県における「大きな市」のある場所。
鳥取県では、県内三大河川(東から千代川、天神川、日野川)の下流に平野(鳥取平野、倉吉平野、米子平野)があり、そこに大きな町(鳥取、倉吉、米子)がある。川の規模と町の規模がだいたい比例している。
中国地方では大体こんな感じで大河川の下流に平野があって町がある。そこは往々にして交通の要衝でもある。
ところが滋賀県ではその法則が成り立たない。
最大の町、大津は平野部ではないし、第2の都市、彦根にも、大きな川が流れているわけでない。近年人口では第2の都市になった草津も、草津川という小さな川があるだけだ。
私の感覚では、湖東平野の中央部で愛知川が近い能登川あたりに50万人規模の都市がないといけない(笑)。
町がある場所でしっくり来るのは野洲川デルタにある守山くらいか。
米原には大きな川はないわけだが、これだけ交通の要衝で大きな町ではないことに違和感がぬぐえない。
滋賀県では歴史的に京都に近いとか(大津)、主要街道の分岐点(草津など)、さらには昔は湖上交通が重視されたことから、琵琶湖岸の港(長浜)とか、鳥取県とは違った都市立地の原理があることを後に知った。
土地の使い方がちょっと違っていたのだった。
米原駅前に住めば、新幹線の駅も高速道路もあるし、北陸や東海道、山陽、また南の方面にも通じており、お金があったら新幹線通勤とか、交通手段を駆使した暮らしができる場所ではないかと思うが、まち自体が少しさみしいのは難点だ。

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入江内湖干拓地の田園がひろがる

そして視線を左側に移すと入江内湖干拓地の田園がひろがる。
米原から琵琶湖の湖岸までは沼沢地だったといい、人が住むのに適した場所が案外少なかったのかもしれない。

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南城の土塁跡

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尾根筋から見る山並み

道が分からず引き返す

さて、太尾山の南北に連なる尾根筋を南下し、南城跡の土塁をみて、国土地理院の地図に従って東南側の谷に下りようとするが、それらしき道がどこを探しても見えない。
何度も行き来して慎重に地図と照合したが、急斜面が尾根からすとんと落ちている以外、書かれているような小さな尾根の場所がわからず。
ひとりで来ている素人登山者が強引に急斜面を下れば滑落は必至とみて、やむなくもと来た道を北へと引き返し、米原高校の近くの鉄塔から北東へと山を下りた。

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アオダイショウ?

山の中、ヘビが日向ぼっこをしている。
地面と木の根の間に空いた穴に、するすると入っていく。まるでロープがひとりでに動いているようで、洗練された動きだな、と見入った。
ヘビという生き物はシンプルで、無駄なものが省かれてすごいな。
手足があったものが、進化の過程でどのようにしてこの身体の動きを身につけたのか本当に不思議だ。

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秋空と田園

尾根を下りると、そこは低い山に挟まれた南北方向に伸びる東西幅200メートルくらいの谷筋で、北側を見ると両側に低山があって田園がひろがる。

変電の里

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変電所の威容。向こうの山は太尾山

南側には変電所があって無人の野の中にぶおーんと電磁の音を響かせている。
この変電所の東側は要塞のようなコンクリ階段斜面があり、そこから撮影。
湖東変電所といって、敦賀方面からの原発の高圧電流を、7万7千ボルトまで下げて各所に送る施設であるようだ。
変電所の奥は廃棄物処理場ともなっていて、山里の違った側面を見る。

尾根と谷が連続する地形

さらに山を進み、もう一つ東側の谷筋を目指す。
どういった地殻変動の影響か、南北方向に連なる低い尾根筋と谷筋が細かく交互に繰り返す地形だ。

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番場の集落が見えてきた

快適に低い尾根を抜けるつもりが、道の入り口がわからなかったり、灌木が生えて荒れ果てて、困難を極めた。
何とか抜けて、道を下りると番場の集落が見えてきた。
集落の向こうにはもっこりとした山が見える。
しかし本日はそこまでは行かない。

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旧中山道と番場のまちなみ

鎌刃城をすすめられたが行かず

旧中山道の宿場、番場に資料館があったので入ってみた。
当番のおじさんは、鎌刃城を盛んにアピールしていた。ここから東に山をのぼり、標高が370メートルくらいの尾根にある山城であると。
もう少し足を鍛え、また機会があったら行ってみたい。

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木彫の子犬

この資料館は、当地出身で幕末から明治初めに活躍した彫刻家、泉亮之の生家の建物であるという。
初めて聞いた人物であったが、1839年生まれ、飛騨高山で木彫を学び、彫刻家として活躍したという。
館には上の写真のきめこまかな彫りの子犬はじめ、ガマガエルなどあり面白かった。

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伊吹山

さて中山道を南下。振り返ると湖国最高峰の伊吹山が見える。
景色を遮る電線。横には名神。かつては感動的な景色だったのかもしれない。中途半端な田舎の光景となってしまったように見えて残念感。

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「泰平水」をくむ

資料館のおじさんから「水がくめるところはありませんか」と尋ねて教えてもらったのが、この「泰平水」。
山水であり、「あまりおすすめはできません」とおじさんは話していたが、見たところ斜面の岩の穴から水が発しており、大丈夫な気がしたので飲んでみると、無味無臭の普通に飲める水だったので安心。

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摺針峠からの眺め

そして小さな集落を過ぎて、摺針峠に出た。
旧中山道で琵琶湖が初めて視界に入る場所として知られる。下までの高低差は80メートルくらい。
中山道の横にある神社から撮影。
左側にそびえる塔は、エレベーター会社の建物。

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テングタケ(毒)

峠を下り、近江鉄道の電車が来たので乗り、4時過ぎに米原着。
後半は街道歩き旅の様相。
摺針峠の切通しでテングタケはじめキノコ多数。
歩いた距離は11キロほどだったが、迷ったりしたので、6時間近くもかかった。
地図が当てにならなかったのか、私の読図能力が不足していたのかどちらかだが、素人はやっぱり、安全な道を選ぶのがいいようだ。
でも歩けたのはよかった。高低差よりも、勾配のきつさがネックになることを思い知った。
つぎもどこか行きたい。

posted by 進 敏朗 at 20:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 低山めぐり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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