2019年12月10日

北勢パークアンドライド周遊(下)

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西桑名駅の看板

朝から、鈴鹿峠を越え、三重県の北勢地方を走る三岐鉄道北勢線の駅に駐車、同線に乗り、終着の都市・桑名に着いた。
そこは木曽三川河口の城下町で、広大な水辺が広がっていた。

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遠見遮断の角にハマグリ名産店

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マンホールにハマグリ君たち

「七里の渡し」跡から、船をおりた旅人の気分で京方面へ歩くと、仏壇店、刃物店、ふとん店などがならび、寺院も数多く、往時の繁栄がしのばれた。
街道が3回も鍵型に曲がる印象的な辻に名産ハマグリしぐれ煮の本店があり、ここが町の重要な地点であることが知れた。

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金属手すりいろいろ

乗り鉄旅の目的地として桑名に降り立ったが、歩いてみると結構楽しい。
そうするうちに正午を過ぎたので駅まで戻った。
ビル等に金属の手すりが目立ち、歩きがてら佇まいを観察。

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昭和を感じさせる駅前ビル入り口

駅に隣接して昭和を感じさせる商業ビルがあり、2階の飲食店街のうどん屋に入った。

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昼食の中華そば

そこは多様な麺類を出す店で、中華そばをたのんだ。
コシのある麺が意外にも結構おいしかった。600円とリーズナブル。

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レール幅の広い近鉄電車(近鉄富田駅)

桑名から近鉄で4駅、近鉄富田へ。
近鉄のレールは広くて、新幹線と同じ1435ミリ。
乗ってみると、先ほどの三岐鉄道北勢線(レール幅762ミリ)よりも、断然安定感がある。
枕木がコンクリ化されているのか、継ぎ目のガタゴトも感じない。横揺れもあまりない。
大手私鉄のメーン路線は平滑だった。

近鉄富田で下車。ここで三岐鉄道三岐線に乗り換え、丹生川まで乗る。

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地下道をくぐり、3番乗り場が三岐線
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沿線案内看板

三岐線乗り場は、近鉄線ホームの一角にあった。
近鉄から下りて、そのままホームに向かったが、切符を買うにはいったん改札を出なくてはならない。

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三岐線の車両

切符を買って戻ってきたら、電車は入線していて高校生の集団がいた。
1時間あたり2本くらいの便があってけっこう頻繁に走っている。
黄、オレンジ、銀色の配色がリズミカルな三岐線の車両。

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硬券の切符

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車内

3両編成の電車は6駅目の保々で車両交換となり、以降は2両編成の電車で進む。
三岐線のレール幅は1067ミリで北勢線とも異なり、JRの在来線と同じ。
きょうは1日で3種類のゲージ(762ミリ、1067ミリ、1435ミリ)を体験した記念すべき日に。

三岐線の車両、西武鉄道のお下がりで、同じく西武のお下がりが活躍する近江鉄道に乗っているかのような錯覚を起こす。

なぜこの農村地帯に2本もローカル私鉄が走っているのか。
それは、先に軽便鉄道の北勢線が開業し、そののちに貨物鉄道の三岐線が敷設されたという。
藤原岳が全山石灰岩でできているので、これを貨物鉄道で運びたいが、軽便鉄道では無理だったので、新たに鉄路を敷く必要が生じたからだという。ウィキペディアで学んだ。
員弁川をはさんで両岸に線路が並走しているのは、以前から不思議に思っていたが、鉄道ファンにとってはぜいたくな光景だ。

近鉄富田駅を出発した3両編成の電車は、6駅目の保々で車両交換を行い、同駅からは2両編成に。
8駅目の梅戸井から川筋がかわり、員弁川の右岸沿いに出る。
北勢線と三岐線は地図で見ると「ハ」の字型になっていて、北上して終点に近づくほど両線が近接している。
丹生川駅の対岸には麻生田駅があり、地図上では2キロも離れていない。

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丹生川駅に着いた

10駅目の丹生川で下車。
出発時は車両を埋めていた高校生もほとんどいなくなった。
電車は藤原岳の麓に吸い込まれるように消えていった。

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貨物車両もある丹生川駅

いまではJR各駅から消滅した貨物の引き込み線があって、タンク車が止まっている。

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島式ホーム

ホームは駅舎と離れていてレールをまたいで渡る島式ホームだ。

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花壇がお出迎え

駅には地元のご夫婦が花を育てており、中も外も、よく見たらホームも、花いっぱい。
窓の中にも温室があるっぽい。レトロなフラワーガーデンとしての趣が生じていた。

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「まんぼ」の案内看板

さてここから寄り道して、「片樋まんぼ」を見に行く。
まんぼ、それは北勢地域にある、農業用水のための地下水路だ。
扇状地が発達する同地域では江戸時代の新田開発で田んぼの水が不足することがあり、地下水路を掘って水を確保したのだという。
丹生川から東方向に10分あまり歩くと、上の写真のような目立つ看板があった。
車のドライバーを意識しての大きさのようだった。

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まんぼへの入り口

集落の一角にそれはあった。

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地下に下りていく

地下に下りると、人一人が通れるくらいのトンネルがある。
電灯をつけることができ、スイッチを入れて撮影。

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地下水路。水は流れていない

地下水路の壁は、砂や礫でできていて、まさに扇状地の土質だ。
これを人力で約1キロ掘ったのだというから、たいへんな苦労だったろう。
しかも、たびたび落盤、使い物になったのは明和末期の供用開始から数年後、安永4(1775)年のことだったという。

ところで、水が流れていないので、もう使われていないのかなと思っていたら、近年の農地改良工事の影響で水量が減り、渇水期の11月〜3月は水が流れないと説明板にあった。

先月、見学した三重用水など、農業水利の問題は一定の解決を見たのだろう。
それでも江戸時代の地下トンネルが、いまでも現役だから、240年以上にもわたって使われていてすごいことだ。

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青川

歩をすすめて、大きな支流である青川と員弁川との合流点付近に出る。
青川の石はほとんどが白っぽい石灰岩。
それで水が青く見える、なんてこともあるのかも、と勝手な想像を浮かべる。

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員弁川からの藤原岳の眺め

員弁川から藤原岳を眺める。
右岸には高速道路が建設中で橋脚並ぶ。いずれは、同地を走る鉄道がなしえなかった三重と岐阜とを結ぶ「三岐道路」開業となるだろう。
そうなるとだいぶ地域の風情もかわってしまうような気もするが、それも時代の流れか。

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川の対岸を走る三岐鉄道北勢線

員弁川の対岸を見やると、小高い場所に、黄色い3両編成の北勢線が、ゆっくりと走って来た。
ゆっくりなので、田園にガタゴト音が響いてから、カメラをリュックから取り出し、構えて、鉄橋を渡るところを撮ることができた。
目指す麻生田駅はこの写真から左方向にある。

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駅の手前。背後の林の段丘の上に駅がある

駅は小高い河岸段丘の上にあり、坂道をのぼっていくことになる。
林が開けた場所があれば、電車と集落のいい絵になりそうだ。

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坂をのぼっていくと、向こうは線路

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登り切ったら駅出現(午後3時ごろ)

坂を登ると、そこには麻生駅があって、植込みや雑木がまじった陰に電車が顔を出した。
絵になる電車。今度は撮り鉄旅がしたくなった。

駐車場に戻ったのは、停めてから約5時間半後の午後3時すぎ。
鈴鹿山脈の向こう側、三重県に出て、晴れ渡る空のもと乗り鉄旅を楽しんだ半日だった。

posted by 進 敏朗 at 23:59| Comment(0) | 水辺を見る(滋賀以東) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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