秋の鈴鹿山脈(鞍掛峠付近・午前10時半ごろ)
朝、冷え込み紅葉が進んだ。
八日市の投網店に修理に網を出す。
その後、鈴鹿山系を越えて、北勢を周遊。
国道306号線の鞍掛峠付近は、5月末とは打って変わっての秋景色。平日にもかかわらず登山客の車が多数、トンネル出口の駐車場にあった。
犬上川上流の河原
滋賀県の湖東を流れる犬上川。
かつて、100万年前に鈴鹿山脈が隆起する以前は、いまとは逆の方向に流れて三重県側から海に注いでいたという。
鞍掛峠をはさんで東側にも深い谷があって、地図を見ていると、かつては一筋の谷川でつながっていたんじゃないかということをほうふつとさせる。
犬上川上流のチャート(堆積岩)の露頭
犬上川の上流で見られるのがこの、赤い色をして白筋もまじる堆積岩、チャートの露頭だ。
これは、いまから1億6000万年前ともいわれる古生代に、放散虫というガラス質の殻をもつ小さな生物が深い海底に堆積してできたといわれる。赤いのは鉄分だそうだ。
今でこそ深い山の中なのだが、古生代には太平洋の底だったことを物語っているという。
いっぽう、6月にものぼった御池岳や、藤原岳、霊仙山といった鈴鹿山脈の山々は石灰岩でできており、こちらは古生代の浅い海(サンゴ礁)だったという。
黄金大橋。員弁川両岸の河岸段丘面を渡している
さあ、坂を下りて北勢の地に出た。
川よりだいぶ高くかかる黄金大橋の上流に行く。
もし犬上川が三重県側に流れていたとすれば、この谷筋を通っていたはずで、チャートの石が石灰岩地帯を下流へ通過し、このへんでも見つかるだろう。
鞍掛峠の東側、員弁川水系の河原
ということで、鞍掛峠を下り、急坂を下って「黄金大橋」に出、そこから河原に出てさかのぼると、鞍掛峠の東側に谷を掘る川に出た。鈴鹿山系から出た白っぽい石灰岩が目立つ。
河原に転がる赤いチャート
その中にはチャートも転がっていた。
しかし、よく考えると、この石の層が鞍掛峠の東側にもあるかもしれないので、これだけでは、犬上川が東流した証拠になるのだろうか。
もうちょっとよく考えないといけない。
中里ダムの人工的な水風景
車でさらに10分、中里ダムに出た。
駐車場からすぐにダムサイトに出ることができる。
えんえんとダムの直線が続く。
何か抽象的な風景だ。
この中里ダムは、員弁(いなべ)川水系上流の水を集め、農業用水「三重用水」を発して南下、幾筋かの川からも取水して、四日市のほうまで流す巨大利水プロジェクト。
中里ダムによってできた「鈴養湖」。向こうは岐阜県だ
このダム、ほぼ岐阜県境の分水嶺付近にあって、流れ込む川というものが見当たらない。
なのにどうしてこんなに水が、と地図を見て思っていたが、岐阜県の牧田川からも取水しているというのだ。
員弁川のダムだからといって、員弁川だけの水にたよっているわけではないことに衝撃を受けた。
「鈴養湖」とは、鈴鹿山麓の農地を養うという意味だろうか。ダム湖なのに山に囲まれた感が少なく、空が広がっている風景は独特だ。。
ダムの下流方向
堰堤の下もなだらかで、階段で下に降りることもできる。
三重県最北部の員弁川上流部は、段丘が発達して、アップダウンが多い地形。
先日、かこさとしの科学絵本「かわ」を見て、川を上流から下流まで眺めたいという気持ちになった。
この員弁川は、上流部から下流にかけてずっと適度なアップダウンがあって見晴らしがよく、ダムや変電所などの施設もあるから、川の勉強には丁度よさそうだ。
白滝。岩盤に筋が入っている
員弁川の谷の左岸、養老山地の西麓には滝もある。
川原地区から、同川支流・田切川をわたった山のふもと。
山の東麓にはあの有名な養老の滝があるが、あちらのほうを「雄滝」と呼び、山の反対側にあるこちらの滝は「雌滝」、または裏滝というのだそうだ。細い滝がまっすぐ落ちている。
よく見ると、滝の中腹に層状の固そうな岩盤があり、これはチャート層のようだった。
というわけで、鈴鹿山脈をはさんで三重県側にも、チャート層が存在するから、さきほどの河原でチャートが見られたからと言って、犬上川が東流していた証拠とは言えないのではないかということになってくる。
もっと滋賀県特有の湖東流紋岩などを探すべきだった、と後になって反省。
鈴鹿山脈の石灰岩地帯を取り囲むようにチャート層が存在しているのか。
深い大洋に囲まれた浅いサンゴ礁があった様子を想像してみる。
白滝のとなりのお寺に、南北朝時代の宝篋印塔も
午後の木漏れ日
辺鄙な山里、と見えて、奈良時代に開かれたという古刹も。
川原越えといって、養老山地を横切って東麓に出る道の入り口も付近にあり、古代から人の行き来があった場所のよう。
送電線と丘陵地
いたるところに河岸段丘があり、山林と田んぼ、川、低い山を組み合わせた景色が、少し進んだだけでいろんなバリエーションを見せる。
この地形に着目して、大規模な自転車の大会が開かれているらしい看板も目にした。
芸術祭で有名な新潟県の妻有地方の景色にも、高低差や規模は違うが似ている気がする。アートイベントにも向いているのではないだろうか。
藤原岳
鈴鹿山系の山並みが見渡せる場所を探し回るが、高台はだいたい山林に囲まれていて、見晴らしのいい場所を探すのに手間取る。
とある集落の坂道の途中から、藤原岳(1144メートル)を臨む。
阿下喜駅に保存されている車両
そして三岐鉄道北勢線の終着駅、阿下喜(あげき)駅に向かい、ナローゲージの車両を見た。
線路幅が762_しかなく、たしかにレールや車両の幅が狭い。
員弁川沿いには、東岸と西岸に、それぞれ鉄道が走っている。
大きな都市があるわけでもないのにと思っていたが、訪れてみると、かつての北勢町の中心部、阿下喜地区は、そこそこの規模がある町だった。
員弁川が流路を迂回する広い高台の上にあって、洪水や土砂崩れの心配もなく見晴らしも良い一等地にあることがわかる。
阿下喜駅は高台から降りた川のたもとにある。
近代化が進んだ駅構内
時刻表をみるとあと数分で電車が出発するらしい。
ここはひとつ、「眼鏡橋」に先回りして、写真を撮ってやろう。
軽便鉄道は速度が遅いのをいいことに、にわか撮り鉄となる。
明智川にかかる眼鏡橋
ところが意外に道路は、信号があったりとか足止めを余儀なくされ、眼鏡橋に着いたと思ったら、もう踏切が鳴っていた。
動画も撮ろうとしたが、そうすると静止画が撮れない。いや同時に撮れたはずだが、などと慌てて、結局渡るところが撮れなかった。
コスモス畑を黄色い電車がゆく
田園風景をゆく鮮やかなイエローの電車は絵になる。
ゆっくり走っているので、撮りやすいのもいい。
行ってしまったと思ったら、ほどなく反対側から、阿下喜行きが近づいてきた。
眼鏡橋を通過する電車
ここは有名な撮影スポットらしく、路上駐車や私有地の立ち入りを禁ずる看板があった。
撮影にあたっては、いいアングルで撮れるポイントとか時間帯等を、よく調べてから行く必要があると痛感した。
藤原岳をバックに
後半は撮り鉄一色になって、前半の地質学はどこかに行ってしまった。
きょうの周行をまとめるとどういうことになるか。
人工的なダム湖に、滝や藤原岳、段丘がつくりだす自然景観、軽便鉄道、地形に呼応した集落や、古い寺院や神社といった人の暮らしが息づいて、三重県北端は、絵になる風景がいっぱいだ。
もしこの地域一帯で芸術祭を開いたら、景色もいいし、交通手段にはローカル鉄道もあって、なかなか楽しいのではないか。
そんなことを思った。