2018年12月10日

年縞博物館

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雪の花折峠付近(午前7時40分ごろ)

ことし9月にオープンした福井県若桜町の県立年縞(ねんこう)博物館に行く。
三方五湖・水月湖の湖底に堆積した7万年分にわたる土砂などがつくる縞模様が、世界に例を見ない長期間にわたり年ごとの気候変動や火山噴火などの情報が正確にわかる資料として、年代をはかる世界標準のものさしとして認定された。それを展示する施設なのだという。
前日に京都や滋賀に初雪があって鯖街道の峠はうっすらと雪をがぶっている。

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菅湖。奥に水月湖

これは三方五湖のひとつ菅湖(すがこ)からの眺めで、奥に水月湖が見える。
湖の向こうの湖岸沿いには人家などはない。

水月湖が見える場所もあるんだけど、景色のよい場所からの眺め。山が紅葉している。冬の水鳥もぼちぼち来はじめて季節の移り変わりをみせている。

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年縞博物館

年縞博物館は、水月湖ではなくて、三方湖のほとり、縄文博物館に隣接して建てられた。
中空に浮いているような長い建物の形は奈良の正倉院を思わせる。

この日は月曜日で、縄文博物館は閉館日だ。
年縞博物館は火曜が休館と、なぜか休館日が違う。

そのせいもあるのか、月曜日の朝、駐車場にほとんど車は停まっていない。
開館から3か月もたったから、熱気も冷めただろうとうかがったら、ほんとうに来ている人が少なかった。

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縞模様のコンクリ

よく見ると、コンクリートが細い縞模様でできている。

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木製の通路天井

通路の天井も、進行方向に対して細い横縞の模様に見える。
建物は縞にこだわっているようだった。


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2階の展示室

展示は撮影オーケーという。
まず年縞について紹介する映像をみたあと2階に上がる。
すると長い通路の左側に壁があって、そこに水月湖から取り出されたボーリング調査の湖底の泥の標本が並んでいる。
このように来館者のいない廊下が撮れてラッキーだった。

ボーリング調査では、垂直方向に掘るわけなんだけど、展示は水平方向に並べてある。
1度の掘削で採れる泥は約1メートル分で、それを何回も繰り返して掘り続けた。継ぎ目の部分が生じるので、掘削地点を4カ所にして、継ぎ目なく縞模様が確認できるようにした(展示は3つの地点)

スタート地点から進むにつれて、年代が下がっていくようになっている。

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火山灰の堆積

ドイツに専門の職人がおり、ボーリングの円筒の土の水分を抜いて、厚さ20分の1ミリに薄切りし、削り昆布のような色目の標本となって目の前に展示されている。

いちばん浅い部分はまだ締まってなくて、縞も1年分が厚かったりした。
が、数千年分進んだあたりで、縞模様は目の細かいしっかりした感じになっていた。圧がかかってしっかり締まった感じになっている。
春にはガラス質の殻をもつケイソウが多く含まれ、夏には雨による土砂が、秋には別の種類のケイソウが、冬にはわずかな酸素の供給で鉄の鉱物が、早春には大陸からの黄砂が見られ、という感じで湖底への沈澱は繰り返され、季節による堆積物の色の違いが1年の縞模様のパターンをつくりだす。1年分が0.7ミリ。水月湖は、湖底が無酸素状態のいわば「死の湖」のため、生物にかき回されることなくこうした微細な模様が完全な形で残っているのだという。

7253年前、喜界カルデラの火山灰が降り注ぎ、年縞の間に白い厚みが挟み込まれていた。これが九州の縄文文化を全滅させたという破滅的噴火の証拠なのだった。プラスマイナス23年の誤差があるというものの、ほぼ正確に噴火した年代がわかるのだからすごいものだ。この7253年前というのは、2018年からということではなくて、西暦1950年が基準となっているということで、BC5303年(プラスマイナス23年)のことになる。

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氷期の終わり

氷河期の終わりが、1万1693年前だったというのも。こうした時代の終わりは、約1万年前とか、ばくっとした数字で表されるものだと思っていたものが、1の位の単位であらわされることに衝撃を受けた。

この年を境に、数年で劇的に気温が上昇し、数万年続いた氷河期は、いわば突然終わったとみられるという。年縞をみると、上の写真では矢印を境に、左側(新しい年代)は、年縞の厚みが倍になり、色が白っぽくなっているというが、目を凝らしてもよく分からなかった。

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大山の火山灰

わがふるさとの山、大山も、2万8888年前を中心に数度、噴火をしており、直線で200`以上離れた当地に火山灰が届けられていた。出雲神話で「火神岳」と呼ばれる大山だが、それより2万年以上も前のこのころは本当に火を噴く山だった。その2万年前の記憶が受け継がれているとは、なかなか考えにくいが…。

この年縞は、地質年代の世界標準資料なので、世界の他の地域の化石人骨などの年代もここ7万年以内なら正確にわかるというからすごいものだ。

いちばん寒い時で三方五湖のあたりの年平均気温が3度くらいだったという氷河期がおわり、縄文時代に入ると日本は温暖化したとされるが、館の展示によると意外にも、5千年前くらいまではそんなに温かくはなく、年平均気温は10度前後と、現在の東北地方くらいだったと表示されていた。縄文時代中期は、現在より温暖で海抜が3メートルくらいあったといわれるが、それはごく短い期間だったらしく縄文中期以降の付近の年平均気温は現在とほぼかわらない14度くらいだったことが示されていた。それは年縞の中から採取された植物花粉の割合などから類推されるものだという。

グリーンランドの氷床から得られたデータでは、氷河期が終わったあとは一気に、現在とほぼ同等の気温になったことがグラフで示されていたが、水月湖のデータからは、氷河期が終わってから数千年は、現在よりやや涼しい気候が続いていたことになる。何の違いによるものかが気になったところだった。

また、水月湖には7万年前以降には海水の侵入した形跡はなく、津波の跡とかも見いだせないという説明だった。あれだけ海に近い場所にあって、縄文海進の時期に海水が入ってこなかったとは、どのような地形だったのか、興味がわいてくるところだ。

館の売店で、何か研究報告が冊子になってないか尋ねたら、まだオープンしたばかりで一般書籍以外はないとのこと。これから、この年縞から、気候や自然に関するどのようなことが判明するのか期待される。








posted by 進 敏朗 at 09:14| Comment(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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