2017年09月09日

巨椋池横断

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淀の水路にはトチカガミが群生

巨椋池干拓地を訪ね、往時の網元、旧山田家を見学したあと、昼から堤防に沿って歩いた。

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東一口の水路

もと巨椋池と淀川を結んでいた水路はまるで、近江八幡の西の湖と琵琶湖を結ぶ長命寺川に似た景観。

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コイが2匹

そこにはコイが川底に泥煙を立て、さきほど見学した旧山田家の欄間の浮き彫りを思い起こさせた。

まだ巨椋池は生きているのではないか。
一瞬そんな思いがよぎる。

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農業用水

干拓されたとはいえ、もと池なんだから、ここらでは最も低い土地には変わりない。
だから放っておくとどうしても水がじわじわとしみ込む。それがために、巨大な排水ポンプ場を設け、稼働させておかなければならない。

このような点に着目し、この日の後半は、干拓地の中に兆す水気・沼地の趣を探そうとしたのだった。

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メダカ

農業用水にメダカを見た。
農業用水は主に宇治川から取水しているのではないかと思うが、地下水位もかなり高そうだし、地下水利用もあるんじゃないか。
メダカがいるということはやはり、水切れしにくい場所なのだろう。

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第二京阪、京滋バイパス交わる高架

高架道路の下をくぐって堤防沿いを歩く。暑い日だった。
野球帽のような帽子をかぶっていたが、ひさしが全面についた帽子にすべきであったとS氏は話した。

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巨椋池干拓地のパノラマ写真(午後1時ごろ)

天気予報の予想以上に、気温が上がって30度超。
ここは滋賀県よりも標高が90メートルくらい低い、京都府南部の干拓地。強い日差しが照りつける。

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ダイサギか

今では巨椋池干拓地の農業排水が流れる古川にはダイサギや、カルガモがいる。

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逃げる亀が古川に波紋を立てる

農業排水路といっても、それなりに澄んでいて、川の中には雑魚も泳ぐ。

このように生き物の気配は見られたが、巨大土木が人工的景観をつくって、平板といえば平板な景色。

堤防の南側にある古川は、木津川から分岐して、巨椋池に流れ込んでいたみたいだ。古川というからには、古くからあったのだろう。名前だけを根拠に言うが古代の木津川だったのかもしれない。

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かつての岬跡か

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巨椋池復活の兆し?

田んぼの端が切れ、池のような場所があった。

これは池が復活しかけているのか? と思ったが、田植えがされていない区画に農業用水が掛け流しとなっているようだった。一面に咲く黄色い花は、オオバナミズキンバイに近縁の外来種、ヒレタゴボウではないだろうか。

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白いマルバルコウ

さあもう暑さに耐えられなくなってきた。
こうなると疲労の蓄積も早い。
東岸に位置していた小倉までいきたいなと思っていたが、体力がもつか危ぶまれた。

堤防沿いを東南に進んだが、安田まで達したところで、池畔をなぞることをあきらめ、東北東の方角に池をショートカットする直線路を選ぶ。

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主排5号水路

すると川の名前も、「主排5号水路」とメカニカルな響きに。

途中から西小倉の住宅地が始まる。砂田、遊田、という地名は古い地図では、巨椋池南岸に丸く突き出た洲のようなところだったみたいだ。

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茶畑

その遊田のあたり、小学校の西側がやや高い土地になっていて茶畑があった。
これはS氏持参の明治中期の地図にも記載されていた。120年くらいは続いてることになる。こういう土地利用は、干拓や宅地開発にかかわらず残るものなんだな。

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巨椋神社が見えてきた

そして午後2時半ごろ、近鉄の踏切の先にこんもりとした森が見えてきた。
そこは巨椋神社でちょうどショートカット路の終点だった。
ここがかつての巨椋池の東岸で、神社に沿って奈良街道が走る。
木陰で、水を飲んでしばらく休憩。
涼しい。まるでオアシスにたどり着いた心地す。

しかし、S氏が蚊に付け狙われている。どういうわけか、蚊は筆者のほうには来ず、S氏ばかりが刺される。蚊に好まれる物質を発する体質なのかもしれない。

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蛭子嶋神社

ここから北上し、豊臣秀吉が築き、いまでも街道として残る太閤堤を確認。
蛭子嶋神社など、かつては水上に浮かぶ島だったことをほうふつとさせる地名を見る。

今では住宅地がけっこう密集して建っているが、江戸時代の地図を見ると、湿地の中に村が点々とある農村だった。

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うなぎ揚水ポンプ

船着き場があったと思しき場所にうなぎ問屋があり、かつての池の存在をほうふつとさせていた。
探せばいろいろと、池の名残は見つかるようだった。
だがこれ以上歩くのがしんどかった。

午後3時半ごろ、空腹も極まり、そこにあった「丸亀製麺」にS氏と入り遅めの昼食をとった。
座敷に足を伸ばしてざるうどん中を食べ水を2杯とお茶を1杯飲んだ。
昼下がりのセルフうどん店はくつろげると再認識。

巨椋池干拓地、徒歩でめぐったが、まともに見ようと思ったら1日では足りないと思わされた。
淀から小倉、木幡、中書島あたりまで見るには1週間はかかるんじゃないかと思われた。
しかしこんな漫然とした水辺行に1週間も充てることはいまの筆者にはできない。

S氏からは、折り畳み自転車の導入によるポタリングを勧められた。
いわく電車にも持ち込めて便利だと。それを使えば今日の水辺行も1時過ぎには終了したんじゃないか、こうした平地で、見たいポイントが散在しているような場所には最適だ、等々。

なるほど確かにそうかもしれない。
特にきょう、堤防上を歩いていたときは、場面を早回しにしたい気分にかられ、自転車があったらさぞ便利だったろうと思われた。

がしかし、自転車を購入したとして、どれくらいの頻度で使うのかも分からない。平地ではいいかもしれないが、坂道だったら、向かい風だったら、電車が満員だったら、など消極的な思いがめぐり、すぐに導入しようという気にはなれなかった。

posted by 進 敏朗 at 23:59| Comment(0) | 廃川訪ねて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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