2017年08月27日
伊吹山麓の縄文遺跡と湧水群
伊吹山
滋賀県最高峰の伊吹山に近づいた。
山頂部付近
透明感ある空気は初秋の気配。山頂がくっきり見える。
この日は伊吹山頂に駆け上がるレース「夢高原かっとび伊吹2017」が開かれており、1100人が走って登ったという。天候にめぐまれて眺めは最高だろう。
伊吹山麓の杉沢地区。この一帯が縄文時代の遺跡という
だが、低地や水辺を好む筆者にとって伊吹山麓の魅力は、斜面や小高い山によって、川の流れる方向が南や北とかわり、少し視点を変えただけでいろんな景観が広がるところにあった。このあたりを車や電車で通過するといつも、景色の変化にドラマチックさを感じる。
この日は杉沢遺跡での、立命館大による発掘(冒頭の写真の道路の右側あたり)と、遺物を地中立体透視のように配置したアート作品を見る。
お寺の裏の畑での学生による発掘現場も見学。
3000年前の縄文時代晩期の遺物が、伊吹山麓の各所から出土している。
杉沢遺跡は滋賀県内で初めて見つかった縄文遺跡で、かつ伊吹山麓の遺跡群のなかでは最も濃密な遺物の出土がある。
考古学研究者によるとその土器は、東海地方と近畿地方の中間的な様式だという。滋賀は縄文時代から滋賀だったんだなあと思わせる。
湧水に生えるコケ
なぜ杉沢に縄文遺跡があったのか。
教授の考えによれば、ここは昔から、東海と近畿、北陸を結ぶルート上にあった。
そして伊吹山麓の扇状地の末端にあり、湧き水が豊富だった。
琵琶湖まではちょっと距離がある。姉川からも3キロくらい離れている。
いっけん川とか湖に近いほうが、魚も捕れるし、いいのではないかと思うが、縄文時代の遺跡は山奥のほうで見つかることも多く、生活のうえで重視するものが違っていたようだ。
まあ、縄文時代は、想像以上に交易が盛んだったというから、晩期ともなれば交通の要衝に村落を構えたとしても不思議ではない。かつ伊吹山の山麓という場所。
伊吹山の山頂からは矢じりが出ている。植物の知識にたけた縄文人が、山頂に生える薬草を利用しなかったはずがない、特産物として交易に利用しただろう、と筆者は想像をたくましくするが、遺跡から出土していないのでそこまでは分からないという。
石垣と湧水
縄文時代の遺跡は、大清水、曲谷など伊吹山麓一帯でみられるという。
勝居神社には、上のような湧水があり、コケやクレソン、フキが生えている。
しばし清冽な湧水を眺めた。
春照の湧水池
伊吹山麓に点在する湧水は、だいたい標高165メートル付近にある。
この湧水池にはハリヨがいるとのことだが、厚い浮草の下にいるのか泳いでいる姿は確認できなかった。
トンボの産卵
間田湧水群から見える伊吹山
間田湧水群も、びっしりと草に覆われていた。
水が流れているところに近づこうと思ったら、泥を踏まねばならないが、長靴を持ってこなかったので途中までで引き返す。
ミントの花咲く
踏みしめた草からミントのような香りがするなあと思ったら、薄紫色の、小さな花が棒状にかたまった花があたり一面に咲いていて、あとで調べるとそれは本当にミントのようだった。ミントは繁殖力が強いといわれるが、沢の一帯はミント群落が広がっていたのだった。
白い石灰岩が転がる姉川
姉川には、伊吹山が崩落した際に流されてきた白い石灰岩が転がる。
浸食がすすんだ石灰岩
石灰岩は酸性の水に溶けるため、どんどん浸食を受ける。
石灰岩でできた伊吹山の中にも割れ目や空洞があって、湧き水を貯蔵するタンクのようになっているのか。
大清水、泉神社の湧水
そこから南東に進み、大清水地区、泉神社の湧水をくむ。
20年ぶりくらいに訪れた。昔の水汲み場は昔は直列したパイプだったように記憶しているが、今は円筒形の井戸端の側壁から等角度でホースが出ている。
湧水を大量に汲む人はいるが、その場で飲むのがいちばんおいしいのではないかと思う。
「ああ気持ちいい」と、せっけんで洗顔している人がおり閉口。白濁した排水が村の水路へ垂れ流されていった。田んぼにも流れるだろう。
こういうのは実害のあるなしというよりは、気持ちの問題だと思うので、せっかくの名水が銭湯の洗面場のごとき場と化しても、何も感じない人には「何が悪いんですか?」ということになってしまうだろう。その人が去って再び水場の足元にたまった水が澄むのを待った。撮影はその後に行った。
この記事へのコメント
コメントを書く