2017年06月04日

丹波高地廃村行

廃村を指し示す看板.jpg
廃村への誘い

さわやかな日曜日、京都市最北部は丹波高地の廃村行へ参加した。
基本これは水辺のことを書いているブログだが山にも沢や水辺がある。

八丁への入り口.jpg
桂川の上流部、広河原の沢

7時自宅発、8時に京都市左京区集合で、参加者が筆者の車に同乗、計2台で白川通を北上し、国際会館前、鞍馬から花背峠、道の途中で広河原行のバスを追い抜き9時半にはバス終点のひとつ手前、広河原菅原町に着。

京都市の北部は1000メートルには届かない山が連なっているんだけど、その水系をイメージするのがなかなか難しい。

鞍馬から花背峠はけわしい谷の中を進んでいたのに、峠を越した山奥側のほうがむしろなだらかだった。鴨川ではなくて桂川の水系にかわっていて、重要な交通ポイントという白い橋を渡る。

鹿の死体が河原に落ちていると車の中の同乗者がうながすが運転者は見る余裕がない。

そんなこんなで本日の出発地となる広河原菅原町に着く。

ここから西へ峠越えすると、廃村八丁があるという。廃村八丁というのが固有名詞みたいに扱われていて、けっこう知られたハイキングコースみたいだが山のことはよくわからない。ましてや、地理も不案内な京都の山中。

川を見るとカジカガエル泳ぐ。アブラハヤっぽい魚もいる。

登り始めると冒頭の「廃村八丁」看板があるが、この看板の右側の切れ込みが指し示している峠への道は、最初間違えかけた谷筋ではなく藪の中というような斜面で、いきなり迷うところだった。今日は、読図にたけた山行の先達を含めて計7人での行動なので安心だった。

DSCN3037.JPG
白い花

いきなり白くて半透明なろう細工のような花が足元に。
山の植物よ。葉緑素をもたないラン科の花だという。

まずやや急な斜面をのぼり、尾根の楽々ゾーンを歩いてやや急斜面を上がると峠についた。峠までは杉林だった。

ダンノ峠.jpg
ダンノ峠の看板

疲労を反映してかピントが合っていない。
ここの峠が大阪湾にそそぐ桂川(下流で淀川に合流)と、日本海にそそぐ由良川との分水嶺になっている。


762メートル.jpg
762メートル

スマホのアプリ「無料の精密な高度計」を見ると762メートルだった。
画面は昨春、岐阜県の養老天命反転地でコンクリに落として割れてしまっている。
ともあれ車をとめた地点が、海抜480メートルくらいなので280メートルくらいのぼったことになる。
これならまあ「低山めぐり」に分類もできよう。

丹波高地を一望.jpg
丹波高地を一望(南西の方角)

ここから南西へ谷筋を下れば廃村八丁に至るが、そうはせずに北西の尾根伝いに品谷山(880メートル)を経由する。

大雪で圧せられた杉大木などを見る。

峠までに、キツツキのコココココココというドラム音、そして品谷山までには、ホーというフクロウの仲間の声がして深山の趣。

山に行ったときはマイクを用意するのも有効のようだった。

尾根からは丹波高地の南方向が見渡せる場所もあった。

ブナ巨木.jpg
ブナ大木

ダンノ峠の西側は杉の植林帯がなくなりブナの大木も尾根沿いにあって、同行者は「ええ尾根やなあ」としみじみと嘆息。

しかし水辺行をもっぱらとする筆者には、そのええ尾根の意味がいまひとつ感得できない。
広くて足場も良くて大木が生える、これがええ尾根というものだと教えられた。

丹波高地には平地というものがほとんど発達しておらず斜面だらけのいっぽう、山の形も鋭さを欠き品谷山も頂上感が感じられなかった。川が土地を削りきった末の地形なんだろうか。岩盤が硬いせいもあるんだろうか。滋賀県の、鯖街道が通る朽木の谷の西側から丹波高地は始まっていて、そこは森の王国だった。

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白っぽい石の岩脈

ちなみに品谷山の山頂付近では、白っぽい石が落ちていて、これは上の写真のように節理ができて細かく割れていくようだった。ふもとに多かった灰色のチャートよりは割れやすく、尾根道は細かくなった白い角石が敷き詰められ舗装されたみたいで歩きやすかった。素人なので何の石か分からなかいんだけど、火成岩の斑状組織はなく、あるいは堆積岩が熱変成を受けたかのようにも思われた。

アブラハヤ.jpg
アブラハヤ(水中撮影)

品谷山から南西方向に、谷筋を下りていくと透明な沢の中に魚の群れが見え、撮影したところ、上のようなアブラハヤだった。

ここは日本海側に注ぐ川なので、ヤマメでもいればと思ったが、アブラハヤしか見つけられなかった。
しかしアブラハヤでも、太平洋側にそそぐ川にいるアブラハヤとは何かが違うかもしれない。

緑に包まれた廃村.jpg
緑に包まれた廃村

廃村八丁に着いた時には昼を大きく回っていた。
川が蛇行してできたわずかな平地に石垣が数か所のほか祠、墓地、耕作の跡地など。
川沿いにはカワセミ飛ぶ。

八丁は、人跡まれな秘境で、その森林資源をめぐって中世から山論の舞台になってきたという。
明治維新で、会津藩士が入植し開村、5戸が暮らしをいとなみ山林を分け、分家ができたことから6戸に増え、学校の分教場もあったという。
しかし、経済的に豊かになったことから大正末に3戸が村を離れ、分教場も閉鎖。
1933年の大雪を機に、残る家も離れ、1941年には廃村となった。
これらはウィキペディアの「廃村八丁」の記述をもとにしている。

八丁は旧京北町のエリアなんだけど、同町の他地域がみな桂川水系なのに、ここだけは由良川水系となっていて、周囲と隔絶された土地になっている。隣村に行くにはどうしても峠越えをしなくてはいけないようだ。

川筋を下れば峠越えしなくてもいいじゃないかと思うかもしれないが、下流は深い峡谷のためそれも無理のようだった。

そんな廃村の中に業者が土地を買い取ったことを告げる比較的新しい看板あり北陸新幹線目当ての土地買い占めなのかもと話し合う。

昼食、廃村探索ののち3時半ごろ出発。


DSC_5581滝-.jpg


岩を伝い落ちる滝を見る。この滝の横をのぼる道が最大の難所だった。山に熟達した同行者がルートを探すこと半時間、急斜面を直上せずに脇をのぼる道が見つかった。

由良川のはじまり.jpg
由良川の源流

峠を目指してのぼっていく途中、水が枯れかかった高層湿原のような場所あり、それを過ぎるとなだらかな谷沿いを上がっていき、ふと谷の水が止まる地点があった。川の源流がこのように始まるのかと一瞬、興味深かったが、あまり絵的に美しい感じはせず、だいぶ夕方になっていたんで足早に写真を撮っただけに終わっちゃった。ここが峠の100メートルか200メートルくらい手前らへんだったと思う。

分水嶺で休む.jpg
分水嶺で休む

ダンノ峠に着くと5時半ごろ。
分水嶺なんだが、ここには水はなく、水があっちとこっちに流れているような絵は当然撮れない。

駐車地点に戻ったのは6時過ぎ。日が長い季節だったので山を脱すると意外に明るかった。
明るいうちに山から出られてよかった。

帰りは日曜日のせいかすれ違う車もまれ。鞍馬の集落がかなりの都会に見えたほどだった。

posted by 進 敏朗 at 23:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 低山めぐり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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