2017年04月28日
瀬田川右岸下り(下)
平瀬となっている瀬田川洗堰下流
春うららかな新緑の中、瀬田川右岸を歩いて下り午後となった。
洗堰を過ぎたら川の様相はダム湖感が一掃され清流の趣。
もともとの瀬田川はこういう川だったんだな。
このような瀬の上に唐橋が架っていた様子を想像した。
ここにアユでものぼってきたら格好の漁場になりそうだが、下流の天ヶ瀬ダム(宇治市)でせき止められるから魚は遡上しない。
アユどころかウナギも登ってこない。もしかすると、モクズガニくらいならどこかバイパスを探して登ってこれるだろうか?
いま天ケ瀬ダムで、流量を増やすためにトンネル工事が行われているという。
それが完成すると、ダム上流の水が段差をつくらず下流へと通るから、魚が遡上することはあり得るのか?
もし琵琶湖に天ヶ瀬ダム完成以前のように海産鮎がのぼってこれたら、今年のような湖産アユ生育不良に見舞われた年でも、漁獲がある程度カバーされるのではないだろうか?
橋桁ドッキング寸前
その南で橋の工事があった。国道422号線のバイパスで、現在の鹿跳橋を通っていくルートを迂回するためのものであるという。
急流始まる
工事現場すぐ南から、瀬田川は急流が始まり岩が河床に露出する。
ここから岩を削って、無理やりに流路を貫通させているかのよう。
しかもどういうわけか大石まではほぼ直線で南下している。
川幅は数十メートルに狭まり、岩間の急流。
この辺の岩場を丹念に見れば、河床のちょっと上に地盤が隆起したことを示す段丘が見られるかもしれない。
緩やかな流れが急流に転じるあたりが怪しい気がする。
砂がまったく堆積しておらず、岩がむき出しだ。
水が岩を削ってできる甌穴
岩場を進むと、しまいには急流が岩を削ってできた穴、甌穴(おうけつ)も広がる。
渦巻き型に開いたような穴もある。
付近は歩道が狭くて、トラックも多いから、通行には注意が必要しなくてはならない。
緊張感と疲労のなか、どこに「蛙岩(かえるいわ)」があるのか分からずじまい。
本日、どこまで歩くのかといえば、この瀬田川沿いの岩山の中腹にある立木観音を一応の目的地にしていた。
石段を登っていくと、立木観音の標高は230メートルくらいだった。
また例のごとく、ハアハアと息を切らして登った。
弘法大師と鹿
立木観音は、弘法大師が鹿に導かれ、鹿は弘法大師を載せて瀬田川を跳んで渡り、山中に到達すると光る木があり、鹿が観音に変身したという。
いまでは、広くない山の平地のうえにお堂や、橋、銅像、鐘つき堂が所狭しと並ぶお山の信仰地。
やっぱりこの、瀬田川の渓谷と屹立する山という、きょくたんな地形が霊力ありげに感じられたとしても不思議ではない気も。
ここから、川が見渡せる場所がないかと思ったが、立木観音は木に囲まれていて下界を見下ろすことはかなわず。
裏手から、瀬田川に下りられる林道があった。そこは車も通れる道の広さ。駐車されていた車は職員のものではないかと思えた。
瀬田川を遠望
その道すがら、西の方向を見下ろすことができ、遠くに瀬田川が見下ろせた。南大津大橋が見えている。川が見えなくなる向こうは京都府境があり、瀬田川は宇治川に名を変える。
低山が連なる中を、無理やりに川が貫いているかのような印象。
道路は川の右岸やや高いところ、川面からの斜面がやや緩くなった場所を走っている。
白く小さな五弁の花。コバノガマズミ?
宮前橋付近(午後4時ごろ)
鹿跳橋まで戻り、バスに乗った。
本数がそんなにないかもしれないと思ったら、バスは滋賀大生が利用するためか便が多く、10分おきに走っていた。
5時間以上かかって歩いたが、石山駅まで20数分で到着。こうして瀬田川行は終わった。
瀬田川は、広い琵琶湖から発して、山中に突入して消えていった。
それは、山から発して琵琶湖に注ぐ滋賀県内の他の川とは逆コースをいき、やっぱりほかとは違う趣だった。
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