
鈴鹿山脈を貫く石槫トンネルを抜け三重県へ。
近江盆地と北勢地方を結ぶ国道421号線を東進。
出発時は曇って、永源寺ダムから上流は根雪も残るが、滋賀三重県境の石榑トンネルを抜けたとたん青空となるギャップに驚き。

員弁川の支流、相場川の川筋をのぼると、カーブした川沿いにがけが現れた。
がけの高さは50メートルくらいありそうだ。

がけを拡大すると、堆積した砂利が見える
崖は、川の向こう岸にあって近づくことはできない。
望遠レンズで拡大してみると、それは岩ではなく、砂や石の堆積みたいだ。U字に蛇行する川によってどんどん削られてこのような形になったのか。

崖上の道路から見える風景
近くの鼎地区に梅林公園があるというので行ってみる。
先週は、三方五湖の梅林を訪れたがまだ咲き初めだったので、梅よもう一度と訪れる。
梅林公園に向かう道は、20メートルあるがけの上を走っていた。道路のがけ側が崩れかけていて、応急処置がしてある。がけが多い地域だ。地盤が崩れやすいのだろうか。
このあたりの道路はカーブやアップダウンが緩やかに続き、方角がつかみにくい。
この地形はなんとなく見覚えがあり、甲賀市南部の「忍者の里」、旧甲南、甲賀町あたりを走っているような錯覚に陥る。

梅と山岳
気象庁はじめ各お天気サイトでの天気予報は「晴れ」だったのにしぐれてきた。ぶり返してきた冬型の気圧配置で山沿いは天候が安定しないようだ。
梅は5分咲きというところだった。赤や白、ピンクの梅が広がる。
ここでは梅ジュースは作るが、梅干しは作っていないとのこと。

展望台から眺める
かすかに戻った晴れ間に写真を撮る。
展望台からだと、梅林の向こうに藤原岳が見え、雪とのコントラストが映える。

高い場所からの見晴らし
梅林の東側に、もう一段高い場所から眺望が得られる場所があるようで行ってみた。

山の尾根の途中に神社があり、一帯を眺める。
平たい土地であるここら一帯が、かつて湖だったという雰囲気、ムードも感じられる。
いま西の方角を眺めており、右手(北)に見えている湖は、水資源公団の管理する鈴養湖。このダム湖の右はもう岐阜県境だ。

崖も見える
最初に見た崖も見えている。

粘土っぽい
裏手の土は、粘土っぽさもあるが、細かな砂粒もまじる。
国道365号線に下り、岐阜県側に入る。
小さな渓流沿いにがけがあって、粘土層があった。
説明看板もあり。これが東海湖の跡という。
東海湖は、太古の時代、愛知から岐阜、三重の一帯にひろがっていて、最大時には琵琶湖の数倍の広さがあったという。
だが最後はこの北勢地方から岐阜県の上石津の一帯に追いやられ、100万年前ごろ消えてしまったという。
白い火山灰層の筋があり、それが170万年くらい前という。その下部には木の化石もあった。浅い湖だったみたい。

岐阜県側からみた三重県境
岐阜三重の県境は分水嶺になっておらず、標高200メートルくらいの平たい土地。
東側には烏帽子岳(864メートル)の緩い斜面が広がり集落がある。川は向こうの方から手前、南から北に流れている。
ところでこの川の流れ方が不思議で、一部はこの盆地の南端近くから始まっている。ところがその南は高低差50メートルくらいの急坂が落ち込み、とつぜん盆地が終わっている。

らしくない源流部
三重岐阜県境の盆地の南端付近、国道365号から東側の細い道に入って、谷が始まる場所に場所に立ってみた。
そこは北側の土が数メートルくぼんでいて、谷が始まっているが、杉木立に覆われていて、ただの土地のくぼみにしか見えない。背後は急坂で空がぽっかり空いて藤原岳が見渡せる。
うしろの景色
「お手軽に観察できる源流」を想像して来たが、このような小さな谷は、目に見えるような水の流れがないのだった。すこし下流まで行けば、じわじわと水が出ているのだろうか。

石灰岩の鉱山跡
盆地の東南には石灰岩の鉱山跡があった。
山の南側に員弁川の本流が深い谷をつくっている。員弁川の谷をたどると、鈴鹿山脈の峠の向こう側には犬上川の谷がある。

鉱山跡で水を一杯
東海湖と古琵琶湖はつながっていたのではないかという研究があるという。水系がつながっていた東海から伊賀、甲賀をたどり、魚や貝などの生物が移動していった可能性もあるという。そうなると、琵琶湖の歴史は近畿地方にとどまらず、東海地方を含めたもっと広くて古い湖の歴史になり、古代湖ロマンが広がるのではないだろうか。