
にぎわう「梅まつり」会場
三方五湖周辺は日本海側最大の梅産地という。
この日、若狭町営バスで三方湖畔のJA直売所に向かうと「梅まつり」が開催され人がにぎわっていた。
製法や塩加減の違う10種類以上の梅干しがある。こんぶ入り梅干し等購入。
梅の花を見ながら梅製品の特売を、という趣向だけど、梅はまだ咲き初めだった。
とまあ三方五湖観光に浸ったのだったが、温暖地を好むとされる梅が、なぜ北陸の地で産地となっているのか?
会場で誰かに聞いてみたかったが接客で忙しそうで切り出せない。
入手したパンフによると、江戸時代の天保年間(1830〜44年)に発祥したという。豪農の家2軒に梅の木が植えられ、明治に入ってから生産が拡大。

まだ咲き初め
梅林の多くは湖岸すれすれの低地にあった。
三方湖は淡水なので潮風は吹かない。湖で冷気がやわらげられることや、山に囲まれて風がさえぎられたりするのが、梅にとって好条件なのだろうか。
そうだとすると、浦見川の開鑿で、新田が開発されただけでなく、梅産地もまた生み出されたということか。
それにしても、まだ除雪した雪のかたまりが残っている中での「梅まつり」は珍しい光景では。

田井島。手前の田んぼは江戸時代まで湖だったという
このJAから歩いて、湖岸に突き出た低山があった。田井島といい、江戸時代に浦見川が開削されるまでは、島だったという。ここに登って湖の風景を見てみみようと思ったが、入り口が厳重に封鎖されていて入ることができなかった。

紅梅があった
三方五湖ではこうした低山が随所にある。これらに逐一登って、眺めることができれば、違った角度から湖が見られて楽しいような気がする。
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町営バスで「縄文ロマンパーク」に戻る。「道の駅」の隣に「福井里山里海研究所」がある。そこでは、三方五湖にすむ魚や、鳥の写真展示があった。
オジロワシ写真
オジロワシの写真があった。先ほど、菅湖で出会ったおばさんはこれを探していたのか。
…2月27日に北帰してしまったという。

館の外から見た三方湖。奥の稜線にオジロワシが見られたという
鳥に詳しい館員氏に聞くと、オジロワシは昨年12月下旬に飛来、三方湖と水月湖を隔てている長尾山の稜線上に見られたという。
ホワイトボードには先週、一帯で見られた鳥40種類以上が一覧表示されていた。同館周辺で1時間ちょい、観察しただけで見られたという。
鳥観察のエキスパートになると、素人では見えない世界が見えるものだなあ。

オシドリがいる(V字の真ん中)
「あそこのV字の真ん中にオシドリがいますよ」と教えてくださったので、望遠鏡でのぞくと鴨類のなかでもひときわカラフルな羽が見える。オシドリを見たのは初めて。
もっと山中のダム湖とかにいるのかなと思ったが、こんな海抜ゼロメートルのところにもいるとは知らなかった。望遠鏡の接眼レンズにコンデジを当てて撮影したのでちょっと画像が粗い。
さすが鳥浜というだけあって鳥がたくさんいる。
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鳥浜といえば縄文のタイムカプセルとして名高い鳥浜貝塚がある。
1万2千年前から5000年前くらいまで人の暮らしが続いていた痕跡を示す貝塚だ。

鰣川(左)と高瀬川の合流点付近。縄文人が貝塚の場所を示す
うかつにも貝塚の場所が、縄文博物館のある場所だと思っていたが、そうじゃなくて同館から200メートル南、鰣(はす)川と高瀬川の合流点付近の、あの縄文人像が立っているへんだった。
その合流点の西(上の写真の右側)に、ずっと西側から続いている低山の末端がある。
縄文人がちょくちょく登っていたとみられるこの低山に筆者も登ってみた。
南麓からは縄文人の住居跡や丸木舟が出土している。

山から
標高50メートルくらいの山から下を見た。
縄文時代は三方湖は今よりも広くて、南側の平野にずっと広がっていたという。したがってこの低山は、その時代、湖の中に突き出した岬の先端だった。
尾根沿いに山道が西につながっており、陸路も確保できている。
戦国時代の城の遺構らしき堀切もあった。
山を下りて、合流点の左岸側から低山の南側を眺めてみた。縄文時代の湖岸をほうふつさせる。

縄文時代の湖岸をほうふつ(奥が西、左が南)
さて、縄文人の村はどこにあったのか。先ほど、博物館でだいたいの場所はうかがった。現地に看板はなく埋め戻されているというが、適当に歩いてみる。

トンネルの向こうに梅林が見える
舞若道のトンネルの向こうに、桃源郷ではないが、光り輝く梅林が見えてきて何か異世界への入り口感。

縄文の里か
トンネルの先は山のふもとで、そこはちょっとした入り江地形で斜面がゆるやか。
梅はほかの場所より開花が進んでおり3分咲きくらい。
北風が遮られて日当たりがいい。山から水も取れるだろうし、波静かで波止にもよし。住むならここなんじゃないかと思わせる。

イノシシ足跡
足元には真新しいイノシシのひづめもあり、いっそう縄文へといざなわれるよう。
縄文人はここから丸木舟を出し、三方湖や、さらには水月湖、菅湖へと進み、海まで出ていたとみられている。
出土物ではタイとか、マグロ、時にはクジラの骨とか、海の魚・動物もある。
しかし出土する魚の大多数はフナだったといい、三方湖は淡水の環境だったんじゃないかと見られている。
不思議なことに、今では三方五湖名物となっているウナギはほとんど出てこないそうだ。当時、日本海側にはほとんどいなかったという。
湖中の岬の先端での暮らしを思い描いた。
静かな環境で食べ物に恵まれ、ずっと平和な暮らしが続いたのだろうか?
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古い酒蔵建物
鳥浜からは三方駅が近い。帰りしな、古い蔵元の建物があり立ち寄る。店番をされていたおばあさんに尋ねると98年か99年前に京都にあった建物を移築したものという。生原酒4合瓶を購入。
16時19分の電車で三方駅から十村まで戻る。
そういえば小浜線が今年で開業100年とあらためて思い返す。
つまり先ほどの酒蔵は小浜線で運ばれてきたと思い至った。
鉄道開業とともに移築された酒蔵の威容は鳥浜に新時代の到来を告げた。などと想像してみた。
こうして三方へのワンデイトリップは終わった。
生原酒は甘口で飲みやすく、筆者は甘口好みだと確信に至った。
…さて、三方五湖は地殻変動を続け、歩いた結果何が見えてきたのか。長くなりすぎてまとめられなくなってきた。
ラベル:三方五湖