菅湖が見えてきた(午前9時40分ごろ)
JR小浜線気山駅で下車し、宇波西神社などをたどり山の南麓を西に下りると、菅(すが)湖が見えてきた。
あたりに人家はなく静かな湖畔。梅林がある。まだ咲き初めだ。
と、道の前方から現れたおばさんが「あれはオジロ?」と尋ねてくる。
ホオジロ? と聞き間違えたが、木に止まっている鳥はオジロワシかという質問だった。
トンビでしょう
カメラを下げて歩いていた筆者を見てバードウオッチの人と思われたみたい。
鳥は素人目にもワシではなさそうだった。
三方五湖の5つの湖で、いちばん存在感が薄いんじゃないかと思われる菅湖。
面積は最も狭く、釣りで話題になることもないし、そもそも湖岸に出られる場所があまりない。
しかし、山に囲まれており風よけができるせいか鳥が多く、鳥観察には向いている。景色はいちばん美しいんじゃないか。
かつて島だった光島(湖の東岸から西を見る)
菅湖に突き出る光島半島は、寛文2(1662)年の大地震があるまでは、右側に見える低地は湖の中で、島だったという。さらには地震の直後、湖の水は「西に傾き」、この島の手前の部分の水が干上がって底が見えていたと記録が残されている。
今回、歩いてきたのをいいことに、湖岸まで近寄ってみた。
すると砂底には、見たこともない不思議な文様がかたちづくられていた。
貝がはった跡ではなく、水の流れでできたみたいだ。こういう文様を何と呼ぶんだろう。
訪れた時は左から右に毎秒10センチくらい水が流れていた。水位変動がほとんどない菅湖特有の現象なのだろうか。
ここ切迫(きりょう)から宇波西神社まで山越え(といっても標高60メートルくらい)をしようと途中まで行ってみたけど、竹林で眺望が開けなかったので途中で降りた。
菅湖から東側に戻る途中。奥は矢筈山(459メートル)
さて菅湖から東に戻るんだが、あらためて田んぼが段々になっている。
田んぼに設けられた石垣
このように、崩れ防止のための石垣も。古いもののように見受けられた。東側の土地がどんどん高まっていることから生じる段丘のようだ。昔の菅湖の湖岸跡なのかも?
ここから国道27号線に出、南下し、舞若道の高架下をくぐると、山の西麓の湿地に出た。
中山湿地
南北に伸びる山地の東麓にある、三方を山に囲まれた湿地。滋賀県や岐阜県でも見られる地形がここでもあり、湖が土砂で完全に埋まる寸前のような雰囲気がただよっていた。
高度計でみると標高27メートルで、三方五湖よりも小高い。小ぶりだが「第6の湖」だったかもしれない。ボーリング調査では地下50メートル以上にまで堆積物がたまっているという。
太古の時代はもっと標高が低く、こっちの谷に鰣川の本流があったとも考えられている。現在は南向きに水が流れている。
飛ぶ鴨の群れ
ここで鳥の写真を撮ろうとするが、逃げられてしまい、飛んでいく群れを撮るに終わる悲しい低技術。
フィーフィーと高い声で鳴いているのも鴨だったことがわかった。鴨はグワッグワッとしか鳴かないかと思っていたがそうではなかった。
探検マップの看板もあり。
道路の左側が西。土地が一段下がっている
町営バス「鳥浜」バス停。「CABIN」手描きだ
浦見川開鑿による水抜きで生まれた村、生倉(いくら)を通り、旧三方湖岸の地形をみたあと、鳥浜のファミリーマート着。釣りの際にちょくちょく利用するコンビニだ。名産のうなぎ料理ではなくおにぎりで済ます。
近くに町営バスのバス停があって、ここから常神行きに乗って、梅の里まで向かった。(つづく)
ラベル:三方五湖