
荒神山から見た琵琶湖、曽根沼(手前右)。沼の左側に広がる田は干拓地
荒神山(284メートル)に登った。
琵琶湖の眺望を楽しみ、雪解けの水が豊富に流れ落ちるさまを見た。
山からの水
この日の最高気温は彦根で7.2度。ときおり晴れ間ものぞく。
西麓に下り、稲村神社を通って出る。山に滞在は約2時間。
山の西側を時計回りに歩き曽根沼に向かう。
竹林の中をうごめく黒い影。ビニールテープをアクリル板からはがした音のような「ビャー」という鳴き声が。シカ? イノシシ? それは藪の奥に消えていった。集落のすぐ際にまで来ていた。各所に見られた足跡をみると動物は山に多数、すんでいるようだった。
動物の足跡残るふもとの水路近く

山からの水が沼へ続く水路に注ぐ
澄んだ雪解け水が、曽根沼へと注がれていく。山は、水を蓄えて水源となるのだった。

曽根沼ごしに見る伊吹山
さあ曽根沼に南西側から近づくと池の向こう、東北の方角に、雪をかぶった伊吹山が姿を現した。
先程までいた荒神山には、南からのぼり、西に降りたので、伊吹山がどう見えるのかを見ておくのを忘れていた。

頭を出す御池岳
こうしてみると、東西南北いろいろな方向に、いろいろな形をした山があって興味深い眺め。彦根に近づくと湖東の平野が狭まって、山の眺めが楽しい。

沼辺の木枝に止まるカシラダカ

曽根沼(右)と干拓された水田(左)
さて曽根沼のあたりは、東大寺の荘園「覇流村」があったという。そのころ琵琶湖の水位は今よりも低かったというのだ。

くちばしが大きいハシビロガモ
琵琶湖の湖岸には、集落跡と思われる遺跡や、縄文遺跡などが見つかる。琵琶湖の地盤が、徐々に沈下しているのか。そのいっぽう、琵琶湖の出口となる南郷や鹿跳橋のあたりの土地は隆起しているんだという。

曽根沼の北岸から荒神山を見る。奈良時代、ここら辺りが東大寺の荘園だったというが…
つまり琵琶湖は、水の出口は高くなる一方、湖岸の陸地は低くなるという二重の働きで、今に至るまで湖は拡大の一途をたどっているのだという。

曽根沼から琵琶湖の方を見る。琵琶湖と沼の間は微高地となっている
でも、河川から土砂がどんどん運ばれてくるので、湖は埋め立てられてきたのではないか。じっさい、野洲川とか安曇川、姉川のデルタはそうやって成長してきたのだが、琵琶湖には砂が積もっても積もっても、全体としてはそれを上回るペースで沈降しているみたいだ。
というわけで、奈良時代にはいま、目の前に見えている内湖はいまだ存在せず、湿地のような場所だったのかもしれない。戦後は、内湖干拓の歴史で、昔ながらの景観が失われていく、陸地化してしまう、と危惧されていた。けど、もっと昔にいくと、まったく違う景観があったと思うと、自然というものは奥深いものだなあと思わずにはいられない。
宇曽川を渡り、野田沼を見て、水音のする集落を抜け、ラーメンを食べ、近くのバス停から真新しい路線バス車両で駅まで戻り、帰った。
河瀬駅前の雪山