2017年02月08日

荒神山と曽根沼(上)

荒神山.jpg
荒神山が見えてきた

東海道線の米原行普通電車が湖東を走り、河瀬で下車。

能登川−彦根のまっすぐな区間にあって新快速は通過してしまう河瀬駅。

西口から琵琶湖の方をみると横長の形をした低山がある。

荒神山(284メートル)だ。

滋賀県南部から犬上川までコアユを捕りに行こうとして、この山の横を通過したことは何度かあった。
しかしこれといった印象は持っていなかった。

だが魚捕りオフシーズンのこのたび、冬の低山登りにと、雪解けを待って荒神山に向かった。

ふもとの石.jpg
ふもとの石

まずはふもとの崖崩れ現場で拾った石を見た。

「自然の家」HPの説明では、山の下の方の岩石は石英斑岩とある。
つまりごま塩の模様が大きくて、地下深い場所で溶岩が冷えて固まってできた岩とみられている。
荒神山は、1億年くらい前の火山の山体の残骸といわれている。
よくそんなことが分かるなと感心するが、湖東の平野の中に点々とある低山は同じ巨大火山の残骸なんだと。

山の上のほうの岩は、火山から噴き出した火砕流が冷え固まってできた「湖東流紋岩」との解説だったが、流紋というような、流れる文様がわからず、本当にこれだろうかと判然としなかった。

上のほうの石.jpg
山頂に近い場所の石

話が先に行ってしまったが、ふたたび登山口へ話を戻す。

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「奥山寺」と刻まれた道標

山の南側、天満神社の入り口付近に「奥山寺」との道標があった。

裏側には「寛政十戌午歳三月」とあって、寛政十(1798)年の碑であるようだった。

滋賀の平野にそびえる低山はどれも地域の歴史、信仰、生活が深くからみついている。

奥山寺、それは廃仏毀釈まで、山の頂上にある荒神山神社と同居していた。

寺を開いたのは行基と伝えられる。

行基は関西を中心に各地でため池を築き、橋を渡し、多数の寺を開いて民衆に崇敬された僧。東大寺大仏の建立を指揮、資金集めに奔走した。

その行基が目を付けた荒神山。

それにしても奥山寺とは、ストレートな名づけ。いったい何が奈良時代の宗教者・社会活動家をひきつけたのか。こう思いながら、神社の裏から始まる登山道を入った。

石舗装道.jpg
石で舗装された登山道

登山道は、山の石と思われる敷石がしてあって、古いもののように見えた。人々の往来の多さを感じさせた。雪が所々に残っていた。と、上のほうから両手にストックを持ったおじさんが降りてきた。

登山道の状況を訪ねると「雪はまあ大丈夫ですよ」と教えてくれた。おじさんは長靴ばきだったが筆者はトレッキングシューズ。

沢の水.jpg
沢の水

沢の音が聞こえてきた。何だろうと思ったら、雪が解けて川になって流れて行っていた。もうすぐ春。

低山にしては、水量が多いなと思ったが、やはり雪解けのせいだろうか。

琵琶湖の海抜が84メートルなので、荒神山頂上までの高低差はちょうど200メートル。
これくらいなら楽勝だと思っていたが前半から息切れし後半は何度も立ち止まる、毎度のパターン。

石段が見えた.jpg
石段が見えた

つらいな、と本格的に思い始めたころに神社に至る石段が見え安堵した。
神社に着いたのは、登り始めて30分弱だった。何度も休んだり、写真を撮ったりした。雪が一部に積もっていたので慎重に歩いた箇所もあった。

荒神山神社.jpg
雪の残る荒神山神社

新しい扁額.jpg
真新しい扁額

神社は改修され真新しかった。社務所も、山頂に構えている割には長期滞在もできそうな本格的な感じ。参拝者も多いようだった。

じつは荒神山山頂までは自動車の道路も通っておりらくらく参詣もできるのだった。筆者が歩いたのは昔からの登山道で「本道」というそうだ。こちらを行くほうが行基に近づけるのではないかと思った。けど行基の時代には、どこからのぼっていたのかは分からない。

本殿の西側に、琵琶湖を見下ろせる展望所がある。

平たい場所だから昔は建物があったのかもしれない。

眺望.jpg
琵琶湖の眺望

平野の向こうに琵琶湖があり、対岸の山が見える。
手前の池は曽根沼だ。左側にもかつては池が広がっていたが干拓されて、もとの広さの4分の1になってしまったという。

ところでその池のあたりに、東大寺の荘園があったという。それは正倉院文書「東大寺開田図」として残されているという。

朝廷が始めた公地公民の制度がどうにもうまくいかず743年に始まった「墾田永年私財」。
これによって土地の私有化が認められた。

ここから東大寺は各地に荘園を開いていった。何せ、私有地だから、租庸調といった重い負担が、どれくらいかは知らないが大幅に緩和されただろう。タックスヘブン。それは農民にとっては歓迎すべき事態だったろう。

行基は持ち前の土木技術で湖岸の沼沢地のような場所を田んぼに変えて行っただろう。山のふもとに広がる田んぼが、東大寺の荘園ということは、行基は奥山寺を開きながら、いっぽうで開拓を指揮したのだろうか。言ってみれば寺は荘園事務所のようなものだったのだろうか。山からは、農民がさぼっていやしないか、監督も簡単だっただろう、などとてきとうな想像にふける。

箱館山.jpg
箱館山

視線を対岸に移すと、山に登るゴンドラの直線や、頂上の開けた場所が見えて、スキー場がある箱館山と知れる。

多景島.jpg
多景島

いっぽう、やや右に目を移すと、湖中に小さな島が浮かぶ。多景島。長さ約200メートル。奥にはうっすらと竹生島、さらには葛籠尾崎の山が、一直線に並んでいるように見える。ということはまた、湖上から見れば、この荒神山が湖上交通の目印になるに違いない。

沖の白石.jpg
沖の白石

そして肉眼で眺めた時はまったく気がつかなかったが、画像を拡大したところ、箱館山よりも左の湖中に沖の白石が写っていた。

ちなみに多景島や竹生島はちょうど北の方角にあたる。また、地図をみると、ちょうど東の方角に多賀大社がある。

今回この荒神山に登ろうと思ったのは、琵琶湖が眺められるからだったのだけど、山頂からの眺めは想像以上だった。

眺望がよくて沃野の広がる山。1300年くらい年前、「これは良い場所だな」と、古代日本の布教・開拓のリーダー、行基も思ったのだろうか。(つづく)
posted by 進 敏朗 at 20:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 低山めぐり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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