2016年11月10日

木津川とアート、蟹(下)

天神川の下を走る奈良線.jpg
天井川、天神川の下を通るJR奈良線

木津川アート2016を見に木津川市山城町を訪れた。
蟹の恩返しで知られる蟹満寺を訪ねたところで達成感を覚え、まだ作品の半分も見ていなかったけど「帰りどき」を感じた。

こうした地域アートイベントの面白さの少なくない部分が地域めぐりにあると思っているので、それは前半で十分味わった。

またこのブログの趣旨も釣りなどを含めたほのぼの水辺めぐりだから目的は達せられたようなもの。

でもそうは言っても、せっかく来たし午後も時間があったので、再びめぐりを始めた。

筍水煮工場跡.jpg
旧たけのこ水煮工場

地域名産のたけのこを加工する施設、茶問屋や製茶場跡などが展示会場になっていた。

それは展示作品を見せるというよりは、作品を導きの糸に場所そのものを見せるという体だった。作品提示に対する考え方はいろいろあるだろうが、廃工場は雑然感が強すぎ、もうちょっと片付けられていたほうが作品が見やすいと感じられた。

会場で販売されていたたけのこ佃煮を購入。

筍等級分け.jpg
たけのこ等級分けの写真

「蟹満寺口」からコミュニティバスに乗車、そこから途中下車して歩き、木津川の「開橋」を目指した。

秋空.jpg
秋空

棚倉駅から無料の巡回バスが接続していたようだったが、それはバスが歩いていた道を追い越していったときに気づいた。マップをよく見ればよかった。

木津川の看板.jpg
木津川の看板

でも10分少々で橋のたもとに着いたので影響はなかった。

木津川.jpg
開橋から川を見る

300メートルはあろうかという開橋を渡って川を見る。
川の流れは西端のほうにあってほとんど橋を渡り切らねばならなかった。
河原に白い砂が目立つ。湖西の鴨川や、大津の大戸川を大規模にしたような花崗岩の白砂。

木津川の流域面積は1590平方キロメートルということで、滋賀県南部の野洲川(387平方キロメートル)を1単位とすると、4.1野洲川といったところか。

この上流は三重県の伊賀地方につながっており、昨年11月に訪れた島ヶ原村の河原も、この上流にある(2015年11月5日の記事「島ヶ原村」)。

関西の川は、ほぼ全部が北向きに流れている鳥取県と違って、西にいったり北向きになったり、山の間を縫ったり盆地に出たりと、流れる方向や流域の地形が大きく変わるからややこしい。

とくにこの木津川は源流からの流れと、県境、鉄道の関係を頭にイメージするのは難しい。

上流部の宇陀川、名張川などが奈良と三重との県境を何度行き来するかなど本当に複雑だ。

木津川の流域は三重県、奈良県、京都府にまたがっているほか、地図を見ていて滋賀県にも源流部の一部が食い込んでいることに気づいた(信楽の、国道422号線の桜峠一帯)。

竹籠を利用した花飾り.jpg
流域センター入り口

さてこの橋のたもとに立つ「流域センター」も会場だったが、玄関の水槽に目を奪われた。

鮎.jpg


そこには川で捕れた魚が水槽で飼われていて、ごらんのように鮎もいた。
ウナギらしき魚やスッポン、フナ、ドンコも。蟹はいなかったが、たぶん川にはいるんじゃないか。

もう11月なのだが、あまり大きくない水槽で鮎が長期に飼育ができることに驚いた。

ウナギ?.jpg
ウナギ?

竹籠.jpg
竹かご

川の中に上のような竹かごを沈めて、寄って来た魚を調べているのだという。この竹かご、入り口にあった花活けと同じものだった。

かつては河川開発と保守の拠点だった同センターは、いまや生態系の保護にもつとめているようだった。治水のためにダムを設けたり河床を下げた結果、川の砂がどんどん流失し、上流からの供給もなくなって、河道が固定してしまったという。

結果、一面の砂原だった河原は草木が生えはじめ、今ではジャングルのようになっている。あの、河川敷の一面の藪は、河川改修によって生まれた風景だったのだ。

このあと廃モーテルの展示を見る。狭くて妙に落ち着きもある空間。

だんだん時間がなくなってきた。この際、椿井大塚山古墳に行きたいと思い、山城プールには行かず。

高いところを走る奈良線.jpg
高い場所を走る奈良線の電車

再び川べりから徒歩で南東方向の山沿いに戻ると、電車が小高い場所を走っている。先ほどは天井川の下を走っていたのに、かなりアップダウンしている。

線路の下に掘られたマンポ.jpg
椿井大塚山古墳に向かうマンポ

古墳は奈良線よりも東側の丘にあるようだった。奈良線の下のレンガでできたトンネルをくぐる。

古墳沿いのアート.jpg
古墳沿いのアート作品。招待作家の力作

椿井大塚山古墳.jpg
古墳後円部

古墳は草が刈られていて円形をした部分のてっぺんに登ることができた。そこにも作品が展示されている。

古墳からの眺め.jpg
古墳からの眺め

竹を組んだ物見台もあって眺めが良かった。

椿井大塚山古墳の説明.jpg
椿井大塚山古墳の説明板

古代中国ゆかりの三角縁神獣鏡が多数、出土したことで知られる椿井大塚山古墳は、築造が3世紀末と推定される最初期の前方後円墳。

そして、三角縁神獣鏡は1953(昭和28)年奈良線を拡張工事したときに偶然、石室に行きあたり見つかったという。

看板をよく見ると、奈良線が古墳の円形の部分をぶった切るようにして走っている。

古墳の下を走る奈良線.jpg
かつて古墳の中だった場所を走る奈良線の電車

思わず下を眺めると、まるで電車が古墳の内部を走っているようだった。

古墳の由来がわからず文化財や史跡指定などなかったのかもしれない。

鳥取県でも山陰本線にまっぷたつされた城山もある。

椿井大塚山古墳は、もともとの丘陵の上に築造された前方後円墳で、四角い前方部は、線路よりも西側に出っ張っているが、そこは民家が立ち並んでいた。しかも、場所がいいのか周囲よりも立派な民家が立つ。

前方部の西端.jpg
古墳の西縁をなぞるようなカーブを描く道路

古墳の西はゆるやかなカーブを描いた道路になっており趣がある。
古墳の前方部は崩されてしまったが、その痕跡が道路として残されていた。

道端の抽象絵画.jpg
これも作品かと思った

道端に、抽象絵画があると思ったら錆びた掲示板だった。
アートイベントをめぐると、作品でないものが作品のように見えてくることがままある。

旧米蔵.jpg
古い農協倉庫

上狛駅前.jpg
上狛駅前

上狛方面へ歩き、いくつか作品を見た。

駅前のグッズ販売所で「一番人気は山城プールやな」と聞いた。それは、ビニールのチューブに入って水上を歩けるという体験型アート作品のようだった。見なくて残念と思うとともに、時間がなくて、古墳のほうを取ったので仕方ないと思った。それでも結果的に、残りのほとんど作品を見て回ることができた。

作品を見ることばかりにとらわれず、神社とか寺とか、建築物とか川とか、そういうものを楽しみながらぶらぶら回るのがいいんじゃないかと思った。

4時すぎに上狛駅から乗車し戻った。






posted by 進 敏朗 at 17:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 水辺アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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