2016年11月10日

木津川とアート、蟹(上)

湧出宮.jpg
神社「湧出宮」境内の作品

「木津川アート2016」を観に、京都でJR奈良線快速、玉水で普通に乗り換え1駅、棚倉で午前10時15分下車。
開催5回目になる同アートを初めて訪れる。今回は旧山城町が会場という。

滋賀県南部からは電車で約1時間半と思いのほか早く着いた。

旧山城町は京都と奈良を結ぶ回廊地域。木津川が南から北に流れ、その右岸(東)に500メートル足らずの山があり、街道沿いに集落が続く。

神社や寺、旧村は、山が平地に接する小高い場所に立地している。

洪水の危険がなく、水が得やすく、地盤のよいしっかりした場所。そういう場所はやはり、人が住むに適しているだろう。

涌出宮の扁額.jpg
神社の扁額

冒頭の神社は涌出宮といい、棚倉駅前にあり、そこに湧き水をイメージした作品があった。木々に囲まれて静かな境内では、縄文時代の遺跡も見つかっているという。

自然石石垣.jpg
自然石の石垣も

作品を楽しみながら、初めての場所では家の建ち方や石垣などを見るのが楽しい。

アートイベントが開かれていなければ、このあたりの路地を分け入り歩くなんてことはなかったのではと思う。

土蔵のレリーフ.jpg

民家の展示場もあり、家の奥にあって道路からは見えないような土蔵にも入れて、立派な鏝細工などを鑑賞できるのは作品鑑賞に劣らず楽しい。

土蔵は内部の漆喰や内部の木材も真新しかったが、施主のおじいさんはすでに住んでおらず空家になっているという。さびしい話だ。

天井川への坂.jpg
天井川へのぼる道

東側の丘陵から流れる川は天井川になっていて、鉄道は川の下をトンネルでくぐっている。

天井川の鉄道トンネル.jpg
天井川の下をくぐるJR奈良線

この感じは、滋賀県の三雲あたりの草津線沿線に似ている。山は崩れやすい花崗岩でできているようだった。

不動川.jpg
不動川

川に出ると、河川敷に何やらモザイク画がある。

蟹の恩返しレリーフ.jpg
蟹の恩返しが描かれた石のモザイク

それは当地に伝わる説話、蟹の恩返しを描いているようだ。

蟹レリーフ拡大.jpg
レリーフを拡大

レリーフは色の違う小石を並べており、蟹の赤は堆積岩のチャートでできていた。

約1.2メートル四方くらいのレリーフながら、蟹のハサミの部分だけで100個以上の石が使われている。石をを平らに並べるのは手間だったろう。財政に余裕のあった時代、1990年代の公共工事物だろう。

滋賀の三上山近くの大山川ではムカデ退治を描いた護岸もあるが、それも1992年製だ。
だが、この自然石モザイクには趣が感じらた。

蟹の恩返しを説明する看板.jpg
蟹の恩返しを説明する看板

蟹の恩返しを説明する看板が、堤防に掲げられていた。汚れていたが話を読むことができた。

蟹の恩返し。それは、村人がたくさんの蟹を捕まえていたのを、信心深い娘さんがかわいそうに思って、魚と交換して放してやった。場面は変わって娘の父親が、蛇に食われそうになっている蛙を見かけ「蛙を逃がせば娘を嫁にやる」と言ってしまった。それがきっかけで、娘が蛇からつけ狙われる。逃れようと家に閉じこもる父と娘。その娘を助けようと、娘に恩義がある蟹が、命を懸けて蛇を退治したのだった。これも観音様の力添え。「蟹満寺(かにまんじ)」の縁起なのだという。

この日はアートを見に来たが、がぜん蟹満寺に行ってみたくなった。

蟹絵画.jpg
展示作品にも蟹の影が

一方、古民家にしつらえられたボールペン絵画や、昆虫類を固めた作品にも蟹が登場し、蟹への興味はいやが上にもかき立てられるのだった。

水生生物である蟹が、寺の名前になるなんて。どんな寺なんだろう。

作品展示会場のひとつ.jpg
小屋の中では水中体験型映像が楽しい

途上で作品を楽しんでいたが道にも迷ったりして、20ある会場を閉場の午後4時までに回りきるのは無理みたいだと早々に悟った。

蟹満寺への道.jpg
蟹満寺への道

棚倉駅から旧道沿いに点在する作品を見ながら北上すると、そのまま蟹満寺への道程となるのだった。

蟹満寺本堂.jpg
蟹満寺本堂

蟹満寺本堂は、天井川となっている天神川のほとりにあった。

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本堂の壁に架けられた蟹と蛇のレリーフ

拝観料(500円)を払い本堂に入る。

本堂には国宝の本尊釈迦如来像が鎮座。飛鳥時代創建のたいへん古い寺なのだった。

先ほどの「蟹の恩返し」説話が成立したのが平安後期とされておりそれもたいへん古いが、寺の創建はそれより400年くらいもさかのぼる。

本堂は再建されたばかりで真新しく、その内部に、1300年の歳月を経た白鳳仏が黒光りし、まるでタイムマシンに乗って現れたんじゃないかという風情もありて新鮮。

本堂付近の土を詳細に分析した近年の研究では、創建時からずっと同じ場所に座っているのではと考えられているそうだが、別の寺院にあったものが移されてきたという説もあり、なぜここに奈良・薬師寺の像とも共通点が指摘される釈迦如来像があるのか謎は尽きないという。

それとは別に、本堂の中に、蟹をかたどったいろいろな陶器をはじめ、松葉ガニ標本、蟹にちなんだ俳句など、蟹にちなんだ調度品や文芸作品が並んでいて、個人的には、本堂の一角にそうしたコーナーが設けられているのがほのぼのとして楽しかった。

受付で、「境内に蟹の池など関連施設はありますか」と尋ねたら、門の脇に、蟹供養を行う場所が設けられているとのこと。

蟹供養会場.jpg
蟹供養場

蟹供養場では、毎年4月18日にここで蟹供養放生会が行われ、蟹漁業や蟹料理関係者らも参列するという。

蟹の水.jpg
蟹から水が

金属製の重いひしゃくに水を受けて手を浄めてみた。
蟹が満ちあふれる池辺を頭の中に思い浮かべる。

サワガニ天国か.jpg
沢蟹のいそうな沢

そして、蟹満寺のすぐ北側を流れる天神川。
地図をみるとこの源流は三上山という。ムカデ退治の三上山と同じ名前。高さも473メートルと同じくらい。

上流の竹林をさかのぼって展示作品を見ると、そこは沢で、沢蟹がたくさんいそうな雰囲気で興趣をそそる。

ただこの日は寒かったので蟹は見られなかった。
しかし、こじつけかもしれないが、この環境彫刻作品の赤色が、沢蟹の赤を連想させてもいた。

急流で段差の多い天井川には、魚類はのぼってきにくいが、蟹ならやすやすと石をはい上ってこれる。案外、天井川の上流は、蟹天国なのかもしれないぞ。そんなことも思ったが、天井川というものは、発達したのは江戸時代以降のはず。しかし、開発がはやく山の伐採が早期から進んでいたであろうこのあたりでは、天井川化はもっと早い段階で進んだかもわからない。(続く)




posted by 進 敏朗 at 21:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 水辺アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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