
樽見鉄道車内から鉄橋を見る
午前8時40分大垣発の樽見鉄道のディーゼルカーが鉄橋にさしかかる。
水の風景を見ようと大垣までやってきた。
この日は、のちほど岐阜まで行くつもりで「青春18きっぷ」。
大垣の水辺をめぐった。

駐車場の地面の下から湧水が
2駅目の「横屋」で下車。
揖斐川の左岸側で、ここは瑞穂市だ。
集落の3面張り水路に、駐車場の地下から湧いている水が注ぎこんでいる。
水も何げに澄んでいる。
川の中は小魚がいっぱい。ウオーターランドなのか?
この後もこうした、水が湧き出す三面張り見ることしばしば。

渋い
2年前も大垣を訪れ、そのときは「北方がま広場」と町の西側にある金生山をめぐり、湧き水と古生代のサンゴ礁化石を見た(2014年9月7日・「水都と古代の海」=上、下 参照)。このたびは、市の東の方の湧水を見ようとした。

揖斐川の橋
こうした際、湧水だけ見るのでは面白くなくて、背景にある水のめぐり、水の供給源である揖斐川を見ねばならないだろう。そう考えて、まずいったん鉄路で揖斐川鉄橋を渡ったのち、進路を西にとって川を見ようとしたのだった。
したところ徒歩10分で揖斐川についた。
「おお揖斐川だ」
このように川をみて歓声を上げる人ありて雲の峰。
しかし、前もってストリートビューを見ているから、川の光景もこうなるであろうことは知っていたのだった。

旧揖斐川橋梁(左岸側から)
だけど、事前学習には良いこともあって、JRの鉄橋に並行して架っているいる細幅を歩いて渡れるか調べていた際に、その橋が重要文化財に指定されていることを初知りしたのだった。

橋のプレート(右岸側)
このトラス橋、旧揖斐川橋梁は1886(明治19)年に建設された初代の鉄道橋で、単線の橋だった。
いまは歩行者用の橋になっている。
筆者のホーム河川、滋賀南部の野洲川でも、古い鉄橋跡がJR鉄橋の横に見られるが、こうやって初代の鉄橋がそのままの形で残っているのはここだけという。

SLになった気分
鉄橋の幅は325メートル。これの幅自体は、野洲川とそう変わらないんだが、水が流れている部分が、野洲川よりかなり大きい。

鉄橋を渡る樽見鉄道の車両
揖斐川の長さは121キロで、流域面積は1840平方キロ。
筆者が川の基準としているのが、野洲川(65キロ、387平方キロ)なので、流域面積でみると5倍近い。流域面積387平方キロメートルを「1野洲川」として考えると、「4.7野洲川」といったところか。
この大きな川が、大垣の平野に多量の水をもたらしているのだろう。
できれば中州に降りて砂や石を見たかったが、堤防と中州の間が水路で阻まれており果たせず。

鉄路の下に掘られたマンポ
しかし、川の石がどんな石なのかは、古い家の石垣を見たらわかるのだった。

川の石を利用した石垣
大きな丸い石を積み上げた石垣が、あちこちにあった。花崗岩だろうか?
石垣には、このタイプと、西側の金生山に産する石灰岩を使ったグレー石垣、さらには岐阜の木曽川あたりに出るチャート石垣と、おもに3つの種類があった。

コーナーを面取りした石垣
さあ、揖斐川を渡り道を歩いて、水路を見るがどこにも魚がいる。

丸い水草と、ジャンボタニシ卵(壁面のピンク)
樽見鉄道線の下をくぐった付近の小溝の中に、円形の水草があってトチカガミかなと思ったが、直径が1〜2センチと小さい。こんなに小さいやつもあるのかと思って調べたら、「アマゾンフロッグピット」として熱帯魚業界で売られてる外来生物によく似ていた。こいつが今後、越冬して各地で増えていくこともあるのだろうか。

加賀野八幡神社近くの土手、ダキバアレチハナガサ(抱葉荒地花笠)の花

加賀野八幡神社全景
そんなこんなで、田園の中に見えてきた加賀野八幡神社。
室町期の城館跡だったといい堀で囲まれている。
取り囲む道路の部分も掘や土塁だったんじゃないだろうか。

加賀野八幡神社湧水
境内の南側から湧水。
水汲み場には先客がいて、雪平鍋を使ってポリタンクに水を詰めていた。
筆者は500ミリリットル容器を用意した。2本持ってきたつもりが1本しかない。

水をくむ
水をくむと、小学生が夏休みの課題として名水についてのアンケートを行っていた。
味はどう、どこから来ましたか、どれくらい利用していますか。と聞かれた。
見ず知らずのおじさんに物おじせず質問して、頼もしい。地元の水への愛着をはぐくんでほしいものだ。
ところでこの湧水から流れ出る水路には、ハリヨがいるらしき看板があったけど、目を凝らしてもそれを見つけることはできなかった。
メダカはいた。
メダカは付近の水路のどこにでも見られた。

メダカの群れ
畑のちょっとした水路の角のところなんかで、よく見るとメダカがたくさんいる。
これがメダカの学校。さかんに、何かに群がっているが、よくみるとそれは小さなカエルの死骸だった…。

ドジョウも何匹かいる(中央付近)

排水管付近のメダカ群れ

土煙を上げて川底をあさる大きなコイ
とまあ、ここらではメダカは栄えていて極相といった感じだった。
メダカ以外にも、カワムツみたいな細い感じの魚、黒くて太い鮒っぽい稚魚の群れ、ドジョウ、コイ、といった、平地の魚がひとそろい見られたのだった。
こうした用水路に魚が満ちあふれている様子を見るのも楽しい。
と、時刻がもう10時過ぎになっており、歩を速めた。

印象的な淵

三城公園の湧水
南下すること約20分、三城公園の湧水。
水汲み場のベンチでくつろいでいるおじさんから、この水はうまいでしょう、冷たいでしょう、など水自慢をひとしきり聞いているうちに時間がたつ。
ここからはさらに急ぎ足となったのは言うまでもない。
できれば、同公園の南方にある白髭神社まで行きたかった。
白髭神社といえば、滋賀県では、湖西の琵琶湖にたつ鳥居の、あの神社が有名だが、それの連想もあった。
白髭神社というからには、龍神、水の神。
名水ガイドによれば、池の底から水が湧いているという。
急いでやっと、「鶴見町」バス停前にたどり着くとバス時刻まであと8分。
そこから神社までの距離を見ると200メートルもないくらい。行けるか、と思って走ったら、2分くらいで着いた。

池がある境内の一角
小さな神社の境内の一角に、屋根がしてあってその奥が池のようだった。

池の中から水が湧いている
池に近づくと、小さな魚が2匹くらい、水草の下に隠れた。
ハリヨの看板があったので、それはもしかするとハリヨだったかもしれないが確認できない。
じーっと見続けていたら出てくるかもしれないが、そのような時間がないのが残念。
この池は枯れた状態が続いていたのだが、近年、工場からの揚水が減って来るとともに、湧水が復活したのだという。
滋賀県の瀬田でも、三洋電機の工場が撤退したあと、地元の民家で湧き水が復活したと聞く。
ざっくりした言い方だが産業の時代から、環境の時代への移り変わりを物語るのか。
水の湧き具合は、けっこうもりもりと、水面が湧きたっている感じで量がありそうだった。

奥のほうの池
奥のほうにも小さな池があり、澄んだ水が張ったようすに趣があった。こういう感じを池づくりの参考にしたい。
2、3分観察したのち、走ってバス停に戻ったら、バス待ちの高齢女性数人がベンチに座ったりしており、まだ来ていなかった。
そこには小さな神社があったが池はなかった。

カワエース
しかし井戸水ポンプが据えてあり、蛇口をひねると豊富な水量だった。400Wのポンプなので、深いところから汲みだしているのかもしれない。
大垣市の自噴井は深さ150メートルとか、深いところに打ち込んでいるものが多い。
しかもそれだけの深さから汲みだした水なのに、まろやかな軟水でカナケを含まない。
大垣の平野では地盤が琵琶湖のように沈降しており、揖斐川が運んできた砂が、沈んでは上に積もりと、どんどん堆積しているのではないだろうか。
調べてみるとそれだけではなくて、濃尾平野は海に面しているから、海進期には粘土が堆積し、海退期には砂や礫が積もり、というかたちで地層が互層となっており、粘土層によって被圧された地下水となっているようだ。内陸部の滋賀県の平野とはまた違った地層のなりたちだ。
濃尾平野はほぼ平らのため、水路の流れもまた緩く、それがためにメダカも繁栄できるようだった。
どれくらい平らなのかというと、国土地理院の地図を見ると、大垣の市街地は河口から40キロくらい離れているように見えるが、海抜が5メートルくらいしかない。
滋賀県南部の野洲川デルタが、河口から10キロもいけば、琵琶湖の湖面より15メートル高い海抜100メートルに達するのとは大きく違う。
川は大垣より南方に行くと、川水の逃れ場がなくて、どんどん川幅が広がるしかない。
輪中の地域となっていくのだが、また別の機会に見学したい。

井戸水龍神
こんな撮影などをしているうちに、1時間に1本の大垣駅行きバスが来た。
地域の路線バスのバス停の場所や時刻が気軽に調べられるようになったのも、ネット時代の恩恵といえるだろう。

大垣駅北口の湧水モニュメント。壁面の大理石にはフズリナ、ウミユリ化石
このあと岐阜に行くが、この日は有名な長良川花火の日だと知らされた。
おお揖斐川だ、などと言っていたが、実はきょうは長良川の日なのだった。ネットでの事前学習成果を鼻にかけている割に、地元の人ならだれでも知っているイベントを知らず狼狽。
しかしこの日、夕方までに家に戻らなくてはいけなかったので、1時50分の電車で帰った。