2016年06月10日

孝霊山

DSCN9823.JPG
北から見た孝霊山=いちばん奥(午前10時半ごろ)

鳥取県西部の孝霊山(751メートル)を目指し朝5時すぎに出発。

孝霊山は、大山の北西にあり、米子自動車道終点付近の平野から見ると、大山の左側に緑色の三角形をした山があるのがすぐに見える。

実家からは孝霊山が大山より手前にあるから、でかく見えていたのだった。
しかし地元では、登山やスキー、ハイキングといったレジャーの場は大山で、孝霊山はほとんど話題にのぼらない。

なのになぜ今回、わざわざ孝霊山を目指すのか。
それはこの山が海から近く、山頂からの眺めが良いはずだというのが、この度山登りを希望した京都のS氏の意見だった。

4年前の夏、大山登山を企画しグループで登ったがガスで眺望がまるで得られなかった。
大山よりずっと低い孝霊山なら、雲も架らずナイス眺望なのではないか。
今回は筆者の帰省の機会をとらえての行動。

筆者は当ブログ「低山めぐり」シリーズで記してきたような、高低差200メートルくらいの山なら登ることもあるが、751メートルはその範囲を超えている。ちょっと、疲れたらやだな、そう思いながらハンドルを握っていた。

本宮の泉.jpg
本宮の泉(午前9時半ごろ)

さて、まず訪れたのが「本宮の泉」。
ここを訪れたのは初めて。
孝霊山から伸びる尾根筋の南端と、大山からなだらかに下る斜面が交わる谷間に、本宮の集落があり、泉は集落の上手にあった。

泉の源流.jpg
池の流れ込み

池の奥を見ると、浅い谷から突然流れが沸き起こっているように見えて不思議。
おそらく、溶岩がかたまってできた岩の割れ目から水が出てきているんじゃないだろうか。

説明によると水量は1日あたり3万トン。富士山麓の有名な柿田川が、1日あたり100万トンといい、それには遠く及ばないけど、見た感じではバイカモで知られる滋賀県・米原の醒井の倍くらいの水量があるように思われた。

バイカモの水中.jpg

池の中や下流にはこのように、バイカモも群生していて花が咲いており、水中撮影すると上の写真のようだった。

集落の長い建屋がS氏の興味を引く。

 ◇◇◇◇ ◇◇◇◇ ◇◇◇◇ ◇◇◇◇


さて、ここで名水をペットボトルにくんで、名水の力で山を登りきろうという作戦。
本宮から山裾を半周し、孝霊山の麓に至る(冒頭の写真)。ガスっていて、陰気な感じだ。

孝霊山からの眺め.jpg
山腹の道沿いから北方向を見る

以前は電波塔まで車で行けて、筆者も20年以上前にいちど、車で迷い込んで電波塔まで登ってしまったことがあった。
今は入口にチェーンがしてあって、舗装道路を3キロあまり徒歩で登らねばならない。それがために趣を欠いて山愛好家には不評で、S氏も同様だった。

しかし低山歩きの筆者にとってはこれが舗装道路であることがありがたかった。
10時40分に出発、1キロすぎまでは、円錐形をした山腹をぐるーっと回るので坂はなだらか。海の見晴らしがよかった。この日は水平線がもやーっとしている。


道々に花が咲いており足を止めて撮影などしながら行く。

ヤマアジサイ.jpg
ヤマアジサイ

アジサイは栽培の花だとばかり思っていたが野生の木もあるのだった。

房状の花.jpg
ヤマトラノオ

また山にはいろんな形をした花が咲いていて、名前が分からないので帰ってからネットで調べた。形、色、季節などで検索するとたどり着く。

黄色いクマイチゴ.jpg
黄色いクマイチゴ

道々に、クマイチゴがあって、食べるとえぐみはまったくなくてわずかに酸味があり甘かった。疲れをいやす。

マムシグサ.jpg
サトイモ科の草、マムシグサ(有毒)

中継塔.jpg
電波中継塔

11時25分ごろ、頭上に巨大なセルラー電波中継塔が出現。ここまでが舗装道路区間で、登り始めから、花の写真などを撮りつつハイキング気分の快適な道は終わった。

登山道入り口から見た山頂.jpg
登山口付近から見た山頂

松の上に山頂が顔を出している。これまで日が差していたのに、ガスが出てきて重たい雰囲気になってきた。
11時半出発。登山道に入ると、いったん35メートルくらい下りてから、斜面を230メートルほど登ることになるが、登り始めのつづら折りが、傾斜がきつい上に雨の後で滑りやすく、ちょっと危なかった。

ササユリ.jpg
ササユリ

そこにササユリの白い花が山頂にかけ数輪、咲いていて疲れをいやした。

登山道の真ん中付近が傾斜がゆるくなっていて、そこから先は急な傾斜になったがのぼり初めよりは岩が硬くて足場がしっかりしていた。12時25分ごろ、約55分で山頂に着いた。出発からは1時間45分。


所々に木が生えていて、360度の眺望というわけにはいかないが、それでも米子の方向や、大山町の海岸、大山、あとは南西の方向が見える。

西北方向の眺め.jpg
西の淀江、米子方面を見る

山頂に出ると、ガスが晴れて、視界はよくなかったがそれでも見晴らしが開けた。
西の方向は、電波塔を眼下に、その先に淀江や日吉津、日野川河口、皆生の海岸などが見える。島根半島までは見えなかった。

アゲハチョウ.jpg
大山が雲で見えない

木の間の正面に大山が見えるはずだけど、雲に覆われて、時折ちらっと稜線が見えた。アゲハチョウが飛んでいる。

まあ眺望は、満足とは言えなかったがその片鱗を感じることはできた。
日が差して、重苦しい雰囲気はどこかに吹き飛んで、涼風吹き爽快。

孝霊山の石.jpg
細かい穴が多数ある孝霊山の石

孝霊山は、大山の裾野から溶岩が盛り上がって上がってできた寄生火山といい、岩石の様子から年代は比較的新しいようで、後期噴火、数万年前ということだそうだ。

山にまつわる伝説があり、韓国のほうから運ばれてきて、大山と高さを比べたら到底かなわず、そのまま打ち捨てられたんだという。かわいそうな話だ。「高麗山」と表記されることもある。

もうひとつ伝説があって、それは孝霊天皇にまつわる話で、伯耆国に伝わる長者伝説によればその昔、孝霊天皇が山麓の妻木から朝妻という女性を迎えて寵愛したが、年老いた母を養うため地元に帰った。その朝妻に会いに、孝霊天皇は空を飛んで会いに来た。淀江の灘から清浄な石を運んで孝霊山の山頂に宮を建てた。生まれた男子が「鼻無し王子」こと鶯王で、日野郡の鬼住山にいる悪鬼を退治したが、王子は死んでしまう。その霊は楽楽福(ささふく)神社にまつられている、等々。

これは江戸時代の中頃にまとめられた「紀氏譜紀」に書かれていてそれが「日吉津村史」に掲載されている。

赤松から見た孝霊山.jpg
山の南側、大山町赤松から見た孝霊山(右)

まあ想像力豊かな伝承なんだけど、20年ほど前、孝霊山の麓から、弥生時代の高地性集落としては日本最大級の妻木晩田遺跡が発掘されたのだった。この孝霊山のふもとは白鳳時代の上淀廃寺などもあり、古代にかけて伯耆の中心地だったようだ。

孝霊山は、海からは目立つので、沿岸をいく船の航行では重要な目印だっただろう。
もしかすると朝鮮半島とも交流があったのかもしれず、伝承は、荒唐無稽なつくり話とは言い切れない何かをただよわせているのだった。

山頂で約30分休憩、S氏持参のおにぎりをもらい、12時55分発、2時20分ごろ下山。
車を止めた場所が標高240メートルなので、山頂とは約510メートル。途中の約35メートルのアップダウンを加算すると、545メートルくらい登ったことになる。が、そのうちの320メートル分は舗装されたなだらかな林道だったので、全体としてはほどほどの運動量に終わりよかった。
ただし登山道はちょっと険しかった。


 ◇◇◇◇ ◇◇◇◇ ◇◇◇◇ ◇◇◇◇


このあと、夕方、山の上から眺めた大山裾野が迫る海岸で釣りをする。
強風。筆者には豆アジしか釣れないが視力に優れたS氏は20センチ弱を筆頭に小アジ3匹。

ホウボウ.jpg
青い胸びれが神秘的なホウボウ(外道)


夕空と海.jpg
夕暮れの日本海(午後7時40分ごろ)

S氏によって20センチ弱を筆頭に3匹釣れた。筆者は豆アジ、外道のホウボウのみでリリース。
地元スーパーで買った300円のハマチの半身や、イワガキ、イギス(海藻を寒天状に固めた地元食品)などで夕食にしたのだった。

posted by 進 敏朗 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 山陰往還記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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