
杣川
滋賀県南部と三重県を結ぶ草津線は、田園の中を走る単線だ。
草津方面から乗って、終点・柘植のひとつ手前、油日で降りる。油日は、野洲川の支流、杣川の上流部にある県境の駅。
南口から出て、杣川沿いの県道を歩いて行った。

忍者の飛び出し坊や
今回、何が見たいのかというと、滋賀県と三重県の県境が見てみたかった。
滋賀県と三重県の間には、鈴鹿山脈があって、1000メートルを超える山なんだけど、山脈の南部のほうでは低い丘になっている。
そこでは、分水界はどういう風になっているのか。
地図を見ると川というものはたいてい山から発しているが、こういう山がないところでは川はどういう始まり方をしているのだろうか。

ため池のスワンボート
川沿いに和田、高嶺と集落を進む。
水が張られ始めた田んぼからはカエルと、林からはウグイスの鳴き声で、里山の村は包まれている。
民家の軒先は花で飾られていて、チューリップ満開。民家がつながって長さが30メートルあろうかという邸宅も。
環境に気を遣っている看板が見られ、ゴルフ場からの排水を監視するため池に魚を放ってモニタリングしているという。
集落一帯の城跡群を伝える案内看板もあり。

オタマジャクシの沢
この付近を航空写真で見ると、まるで木の根のような形をした谷沿いの田んぼが、森に深く食い込んでいる。
歩いてみると県境にだいぶ近づいたというに田んぼの薄濁りで源流の気配を感じさせず。

ため池
田んぼに水を引くためのため池が多い。
そのうちの一つを通ろうとした。草刈り機で土手の草引きををされていたおばさんに「ため池の奥から向こうに出られますか」と尋ねると、「出られます」という答えだったので、ため池に行くと、確かに池沿いが歩けた。思ったより澄んだ池で桜も植えられている。池奥の坂が、すぐに下り坂となっていた。

がけ崩れ
池の向こうにがけ崩れがあった。大雨の影響だろうか。

粘土
近づいて触ってみると、石がなくてことごとく粘土だった。
このあたりは太古の古琵琶湖の名残で、400万年前に現在の伊賀盆地の南部でできた湖が、だんだん南から埋まってきて、北へと移動してきた。270万年前ごろに「甲賀湖」ができて、約20万年続いたそうだ。そのころ堆積した粘土が、いまでもこのあたりを覆っているという。そうした説明が、琵琶湖博物館のホームページにあった。

田んぼ
代掻きが終わった田んぼを見ると真っ黄色でまさに粘土の里。

県境への道
この田んぼを越えると、やや開けた場所になり、なだらかな坂の頂上っぽい感じになってきた。油日駅から歩くこと約1時間あまり。
ガードレールの下にため池があって、大きなウシガエルが何匹か池に飛び込んだ。

県境
上の写真では西方向を見ており、筆者は右から歩いてきた。手前から奥へと続く道路のすぐ左が県境ラインという。もちろんそこには、破線は引かれていない。
最近では、グーグルのストリートビューがあって、この場所も見ることができ、事前学習をしてきたのだった。

城跡の石碑
木立に近づくと、城跡を示す石碑があった。
近江と伊賀にまたがった城塞だったことになる。

城跡を西から見る。両側に民家が
こんどは西に進み、小高い場所から東方を振り返ると、城跡が丘となっているのがわかる。
左に滋賀県、右に三重県。甲賀、伊賀の両方を見晴らすことができる。行き来も便利。だけどメインルートからは外れており隠れ里的な場所。
国土地理院の地図によるとこの辺で標高250メートルくらいという。
旧東海道や国道1号線が通る鈴鹿峠よりも100メートルほど低い。
明治23(1890)年に開通した草津線が鈴鹿峠を通らずに、柘植から杣川沿いのコースになっているのは、このなだらかな地形が線路を引きやすかったのためだろう。

向こうは伊賀の国・三重県
県境は山脈というイメージがあったが、ここでは丘が背丈ほどの切通しになっている。
とそこに、滋賀県のほうから郵便配達の車が来た。いちばん高い場所にある家に配達すると、三重県側に行くのかなと思ったがやっぱり行かずに引き返して行って、違う県であることを物語っていた。

最源流部? 道路わきの小さな池
道路わきにちょっとした池がある。そこが、まさに分水界ちょっと脇、最源流部の池だろうか。
見ると、ほとんど水はなくて、ショウブのようなものとか、柳が生えている。

池
小さい池がいくつかある。粘土で底や側面がつくられている。水があまりたまっていない。
粘土がふんだんにある環境。補修すれば水がたまるかもしれない。
池はいずれも、田んぼの用水をためるには、ちょっと小さいような気もする。もしかすると養鯉などやっていたのかも。
この上流には森がないので、水がたまりにくいから、小さな池を多くに作ったのだろうか。日照りが続くと、干上がってしまうのではないかと思われた。

杣川の源流のひとつ?
池からつづく田んぼ脇の小さな水路がある。
川はどのように始まるのかと思っていたら、こんな感じで細い田んぼの溝があったのだった。
水が集水桝に落ちる音が水琴窟のようだったので動画撮影したが…ボリュームを上げあないと聴き取れない感じになってしまった。
こういうときはマイクが必要なのだった。
でもこの水が野洲川、琵琶湖に注いでいると思うと感慨深い。
ちなみに丘の向こう側、三重県側に降った雨は、斜面を下って野田川となり、阿山の盆地で河合川、ついで柘植川、伊賀上野で服部川と合流して、さらには木津川と出会い、京都府南部まで流れていわゆる淀の三川合流地点で琵琶湖から流れ出る宇治川と合流し、そこで再び滋賀県側の水と出会うのだった。
この後、東海自然歩道を通って、柘植駅を目指す。
ほぼ平坦なコースで歩きやすい。
しかし、同駅への道路アクセスは予想以上に難しく、近道と思って行った先が獣害防止柵に阻まれること数度、最後は坂道を走って、必死の思いで午後1時の電車に間に合った。