2016年02月04日

祓川

祓川河口の橋.jpg
河口の橋

立春のこの日、三重県明和町の海岸で貝拾いを挙行し、そのあと、近くを流れる祓川を見た。
なんでも祓川は古代、櫛田川の本流だったそうだ。
しかし、平安時代の1082年に洪水があって、流路が変わってしまったんだという。

滋賀県南部の野洲川も、もとはいまの草津、守山市境を流れる境川が本流であったという。古代の栗太、野洲両郡の郡境はそこだった。松阪市と明和町の境界も、広い櫛田川でなくてこの祓川で画されており、歴史の古さを感じさせる。

祓川河口付近.jpg
河口付近の流れ

それだけに訪れる前は、滋賀県南部における境川のような、幅3メートルくらいかもうちょっと大きいくらいの細流を想像していたところが、想像を超す立派な川で、透明な水が豊富に流れていた。

祓川河口の干潟.jpg
河口付近の干潟

河口にはヨシ帯の干潟があって、まさに潮が満ちようとしているところだった。泥の地面にはカニが掘った穴がほうぼうに見られる。

堤防と内堤防.jpg
堤防と内堤防

干潟から上がって、上流に、車で移動した。歩いたら気持ちよさそうだが横着に済ます。1キロ上流では、川の堤防の外側に堤防があって、堤防の内側に田んぼがある。それほど高さのないこの堤防は古くからのものだろうか。

祓川河童も警告.jpg
河童も警告

深いところで2メートルくらいある川底がはっきり見え、けっこう流速がある。伊勢平野のこのあたりはほとんど平らなので、もっと流れが緩くて淀んだ川を想像していたがぜんぜん違っていた。それもそのはずで、あとで櫛田川との分流点に行くと、水門から豊富に水が分けられていた。


なんでもこの川は日本の重要湿地500にリストアップされているらしい。三重県では、主要な各河川の河口の干潟のほかは、この祓川が登録されている。理由は、タナゴ類や、イシガイが見られるからという。

滋賀県では、琵琶湖がこの重要湿地にあがっているほか、琵琶湖淀川水系も名があがっているから、滋賀県のほぼ全体の水辺が重要湿地になってしまっている。そうなると、ちょっと範囲が広すぎる気もする。

祓川ジョウビタキ.jpg
織殿神社のジョウビタキ

祓川の右岸には斎宮跡がある。

調べてみると、斎宮とは、天皇にかわって伊勢神宮のおつとめをした女性(斎王)の拠点だという。
それは天武天皇の670年に始まり、14世紀の南北朝のはじめまで続いて、天皇が代替わりするたびに、新しい人が派遣されていたそうだ。
平安時代の「延喜式」によると、京都から5泊もして、斎宮に到着している。
国道1号線を滋賀南部から鈴鹿峠に向かう途中、土山に「頓宮」というものがあり何だろうかと思っていたが、それがこの斎王が途中で宿泊するところだったのだった。そこが京都から3泊目の宿だった。
いまでは車で2時間といったところだがたいへんな旅だったようだ。

流域には斎宮以外にも、由緒ありそうな小さな神社も点在している。

祓川川岸.jpg
川岸

織殿神社の裏にある集落を抜けるとほどなく河辺林があり川に出た。

小鳥がチチチと鳴いている。

その眺めは、平地の川というものはこうあってほしいと思わせるものだった。
河童が出そうな趣あり。
藪近くにはメダカがいそうな小溝もある。

祓川向こう岸.jpg
向こう岸を見る

祓川生垣門.jpg
大きな生垣の門だ

祓川鳥見地点.jpg
鳥がよく見られたところ

もう少し上流に、近鉄線をわたっていくと、川の右岸側は微高地となっていた。祓川の東側を流れる笹笛川は祓川と交わっているのだろうかと思ってみたが、微高地があって両者の流域は分かれているようだった。

しかし帰ってから地図をみるとその両者をつなぐ上流に谷のような地形があって、水がどうも行き来しているみたい。

祓川梅.jpg
梅も咲く

「初めて見た川の感じが思ったより素晴らしくて、良かった」と、家族に伝えたが、こうした喜びが分かってもらえたかは不明だ。

posted by 進 敏朗 at 23:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 水辺を見る(滋賀以東) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック