
赤米で漬けられたふなずし
琵琶湖博物館でふなずしをテーマにした座談会があった。
塩漬けしたふなを、炊いたご飯といっしょに桶に漬け、つくられるふなずしは、寿司のルーツといわれ、中国の雲南省とか東南アジアの米作地帯に起源をもつとされる。滋賀県に、ふなずしをはじめとしたなれずしを食べる文化が濃厚に根づいていて、興味深いなあと思われていた。
ところが最近の研究では、ふなずしの製法は、東南アジアや雲南省のまんまではなくて、独自に進化を遂げてきたものであることが、あぶりだされてきた。江戸時代の初めごろまでのやつと、それ以降のやつでは、漬ける季節や、漬けるごはんの量、漬ける期間の長さ、漬ける容器が全く違っているというのだ。漬ける季節が違うというのは、つまりは今のように子持ちブナが珍重されるようになったのが比較的新しいという。座談会は、そうした最近の研究をもとに、さらに食文化にくわしい研究者や、文化人類学者、湖国の食文化研究者や歴史研究らが、滋賀のふなずしに多角的に光をあてた。
そこから見えてきたのは、あの発酵臭にまみれたふなずしは、高度な洗練を遂げた食べ物だということだった。まさかあれが、と思う人も多いかもしれない。
筆者がふなずしを初めて知ったのは、京都にいた学生時代、英語の授業中に講師の英国人が、ふなずしというものを知っていますか、あれは腐っている、食べられたもんじゃない、などと、顔をしかめながら話していたことだった。滋賀にはそんなにまずい食い物があるのかと思ったが、食べる機会はなかった。
その機会は、就職して滋賀を任地に働くようになってから訪れた。知り合った漁師さんから、自家製のものをいただいたのだった。英国人がディスってたのとはまったく違っていて、いける食べ物だった。ただ1990年代は、ふなずしの原料となるニゴロブナが激減して、1匹で8000円とかするようなすごく高価な食べ物となっており、自分で買って食べる気にはなれなかった。
さてきょうの座談会でもうひとつ興味深かった点は、ふなずしとひと口にいっても、漁師や農家、または地域ごとに製法はまちまちで、好まれる味も違うということだった。湖北では塩辛めが好まれ、湖南では甘めだと。琵琶湖から遠い日野では2年とか3年とか、長期間漬けるふなずしが主流だが、漁師さんは塩漬けしてすぐに食べるとか、同じふなずしとは思えない多様性があるということだった。
琵琶湖博物館はこの多様性を大事にしたいということで、ふなずし文化の発信を目指していることがアナウンスされた。
さてシンポジウムのあとで、部屋を移ってふなずしの試食会があった。

子どもたちが漬けたふなずし
草津市で活動するグループ「レイキッズ」が、琵琶湖の定置網「えり」で、捕まえたふなを漬けたふなずし。30センチ以上ある立派なものだった。

活動を紹介する子どもたち
さらに、守山市の下之郷遺跡で活動する子どものグループも、古代米で漬けたふなずしを提供してくれた(冒頭の写真)。食べてみると、塩辛さが少なくて甘かった。赤米の甘さだ、と聞かされたが、塩のほかにこうじも使われているようだった。
下之郷遺跡では、大量のふなの咽頭歯が出土していて、その時代からふなずしが漬けられていたともいわれる。弥生時代から根付く文化として、滋賀では子どもがふなずしを作って食べて、ふなずし文化を継承しようとしているのだ。
正月の帰省のおみやげに鳥取県に持ち帰ったら、誰一人箸を付ける者がいなかったふなずし。京都の友人宅での忘年会のスペシャルな差し入れのつもりで持ち込んだら、部屋の外に置かれ顧みられなかったふなずし。滋賀のいやげもの。いやこれはうまいんだ、よく噛んでほしい、そんなことを説明するとき、外来者である筆者に滋賀の県民意識がうまれてくるようだった。

琵琶湖博物館のふなずし
琵琶湖博物館でも、館長の熱意のもとふなずしを漬けていたのだった。県の品評会に出品したところ、初出品時は最下位3点を独占したという。しかし経験を積んだのか、味はまずまずだった。素材のふなが上物のような気がした。
そうしたふなずしの品評会が毎年開かれていることに衝撃を受けた。