2015年11月05日

島ヶ原村

伊賀盆地.jpg
伊賀盆地が見えてきた

滋賀県南部から甲賀方面、忍者の里竜法師を通過、県道49号線の細道で県境を通過すると「伊賀コリドールルート」という道があって、まるで忍者のような山の抜け道、約1時間20分で、島ヶ原は正月堂に到着した。遠く感じたけど、車の走行距離を見ると51キロで意外なくらい近かった。

正月堂の池.jpg
正月堂前の池。ホテイアオイの花が咲いていた

33年に1度の本尊十一面観音の開帳があって、多くの観光客や地元の保育園児、小学生でにぎわっていた。

正月堂のある観菩提寺は8世紀の751(天平勝宝3)年に創建されたという。743年に成立した墾田永年私財法のもと、奈良・東大寺が一帯で墾田開拓に精を出しており、このお寺は東大寺の印度渡僧実忠によって建立されたという。

観菩提寺の楼門と正月堂.jpg
にぎわう正月堂(右)と楼門

十一面観音は高さ2メートル強あって、頭が大きく怖げな顔だちだった。6本の手には、ハスの花、数珠、長い棒のような物が握られていて、左手の一つからは5色の糸が伸びて、堂の外の柱につながっていた。これは光線が出ている表現だと思われる。案内役のおじさんが小学生に「その柱に触れると、テストで百点が取れる」と言っていた。児童のひとりが「そういえば明日テストやな」と言って笑いを誘っていた。

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観音から発しているビーム? 五色の糸と柱

本日はこの秘仏開帳にともなって同寺集会所で開かれている芸術祭を見るのが目的だった。
そこでは、地元の若者グループによる作品ほか、京都の若手作家が地元の老女性に取材した映像作品などがあった。

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芸術祭会場の様子

また芸術作品だけでなく、66年前の秘仏開帳時、というから戦後間もない時期に、村の青年団が催した演芸会の写真や、昭和10年代の青年団会報のほか、現在は途絶えてしまった養蚕の記録などが展示されていた。青年団の劇の面々の写真は楽しそうな表情を浮かべており、これだけの若者でにぎわっていたことに隔世の感があった。
芸術祭を主催した若手画家は、東日本大震災があって、生まれ育った村のコミュニティーの将来が気になり地元で活動を開始したという。展示作品には「場所がないなら 自分でつくれ」という詩も。

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家の前に並ぶメダカ容器の列

寺の近郷では昔ながらの製法を守る醤油醸造店がにぎわっていた。しかし、商店や電器店などは軒並み閉まっていた。郷里の海辺の街道町を思い起こした。

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正月堂の裏手にある観音山入り口「道引地蔵」

島ヶ原村は2004年に合併して「伊賀市」の一部となった。
手元にある「日本地図帳」(旺文社・1998年刊行)収録の市町村別人口・面積によると島ヶ原村の人口は2880人。駅前に町があって、街道の宿場であるとともに、木津川を行きかう舟運の拠点にもなっていたという。

芸術祭を見たあと、木津川に向かった。

木津川の橋.jpg
木津川の橋

伊賀盆地を流れた木津川は、京都との府県境に達して山の間を割って進む。島ヶ原の村はその渓谷沿いにあって交通の要衝。面積が22平方キロメートルと狭かったのに、滋賀、京都、奈良の3府県に接していることを知り驚いた。

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渓流沿いにたつ島ヶ原の中心部

川沿いのゆるやかな傾斜に沿って並ぶ家並みをみると、この景観が長い時間をかけてかたちづくられたことが感じられる。

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釣り場情報

「商工会」の前に、川の地図があって、川の中の岩や瀬ひとつひとつに、名前が付けられている。「心中岩」とか、ちょっとおそろしい名前も。現在は架っている国道163号線の橋が、まだ建設されていない時期につくられた地図のようだ。

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川中の「すべすべ岩」から

川の中の岩は、滋賀県南部で見られるのと同じ花崗岩でできており、川の流れによって丸く削られていた。
ハエがたくさん泳いでいる。野洲川よりも透明度が低い。粘土っぽい土質のせいだろうか。眺めてると、地元のおじさんから声を掛けられた。

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ハエの群れ

80歳くらいとみられるおじさんは、子供のころ、この目の前の川で泳いだり、河原で相撲をとったりしていたという。昔は水がもっときれいで、河原は雑草が少なく砂っぽかったという。地元の子は、ちょっと下流の、流れがやや急な瀬のほうで泳ぐが、奥地のほうの水に慣れていない子は、橋より上流の、川幅が広く浅くて流れが緩い場所で泳いでいたという。

「三世代住む大きな家が建っているけど、もうそういう時代ではないな。若い人は村を出て戻ってこん」と、川べりの立派な家々に視線を向けた。
磨崖仏に行く道を聞いて、おじさんに謝し去る。

川と木.jpg
銀杏や紅葉と渓流

川の右岸沿いに約1キロ西進して川に下りてみると、ここで昼ご飯(おにぎり)を食べればよかったと思わせる場所だった。

阿弥陀仏.jpg
阿弥陀仏

河原と同じ花崗岩を穿ってつくられた磨崖仏は、川に面していて、小さなお堂の中にまつられていた。南北朝時代の作とみられており静かにたたずんでいる。

掃除道具たち.jpg
並ぶ掃除道具

木津川と岩谷峡合流点、橋.jpg
木津川と小山川の合流点、国道の橋

奈良時代に始まり、南北朝時代ごろにかけ仏教文化が栄え、江戸時代には宿場が整備され今の原型ができた村は、立派な家々が立ったが、21世紀に入り若い人がいなくなり、正月堂は壇家もないために秘仏開帳は33年後、開けるだろうかと若手画家氏は話す。美しい村は引き継がれていくだろうか。


posted by 進 敏朗 at 16:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 水辺を見る(滋賀以東) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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