2015年10月30日

岡山めぐり

水辺と岡山.jpg
岡山近望(午後1時ごろ)

休日の活動として近江八幡の岡山に行く。岡山といっても岡山県ではなくて、滋賀県南部からほど近い場所。

ちょっと岡を登って、短い時間で地形が楽しめる。水辺ファンとしては面白いのではないだろうか。そうした動機からの岡山行だった。

湖岸道路を野洲市から近江八幡市に向かって進んでいくと、平地が広がる湖岸に、そんなに高くない岡が見えてきて、ふたつの山の間を湖岸道路が通ってアップダウンとなっている。そこが岡山。

南側はもともと、水茎内湖という琵琶湖の内湖で水に囲まれた風光明媚の地だったという。戦後に干拓されたので今は田園が広がっている。河口の淀みには水草が繁って、川ごしに眺めるとかつての面影をしのばせる。

水草.jpg
水路の中の水草

岡山は、東側にあって大きいほうの尾山と、それの西北にあり湖に突き出した頭山、さらに小山から成っており、湖岸道路に面した尾山の登り口の前に車を停めて、看板を見る。

尾山には登山コースが設けられていて、琵琶湖に面したほうから上り、東側に下りるコースをとる。

地図.jpg
山の案内図(上が南側となっている)

登っていくと階段はだんだんと急になって、息が切れるが、標高が187メートルということで、琵琶湖の湖面が標高85メートルだから、102メートルしかないので、あっという間に8合目(目視)に達する。そこからは階段がなくて、崖もあったりして、ロープがなかったら滑落していたかもしれない。15分もかからなかった。


頂上に着いたが、樹木で湖の眺望はのぞめなかった。

山の上には、城郭の遺構らしき、土の盛り上がりとか、小さ目の体育館くらいが建ちそうな平たい場所があった。まあこれくらいは、目に入って来る。そこに砦があったのだろう。一面に竹が生えているので、うまいぐあいに撮れない。

山の中の遺構.jpg
頂上付近の掘割らしき跡

ロープづたいに降りて、交通量の多い湖岸道路を渡って、頭山のふもとに行くと「岡山城址」の碑が立っている。城の本丸はこちらの低い頭山のほうにあったのか。そこに城について記した碑がある。この場所からは山に登れそうなところがない。

碑.jpg
城があったことを示す碑

この岡山には、戦国時代に水茎岡山城という城があって、いくさの舞台だったという。
滋賀県の山などを訪ね歩くと戦国の歴史とか、古代の歴史とか、とにかく歴史が土地に絡まり合っており、それがどうしても目に入って来る。滋賀に多い天井川なんかもそうだが、自然の地形かと思ったら、人間の営みとのかかわりでそうなってきたような地形も多くて、そこに自然だけを見て歴史を無視するのも不自然な感じがする。

それをさわりだけでも調べて書こうとすると労力が増す。それは気が重いので、このブログの趣旨である憩いではなくなってしまう。だからあんまり根を詰めない程度に歴史を調べてみた。

岡山城は1508年、地元の九里氏、伊庭氏らが築城したという。
いまでも滋賀で九里さん、伊庭さんに時々出会うことがあるでの子孫かもしれない。
この九里氏、伊庭氏は、中世に滋賀県を支配していた六角氏の家臣だが、自分らの領地や軍隊をもつ在地領主で、独自の勢力、軍隊をもっていたようだった。それで、六角氏とは関係なしに自分たちの城を築くこともできたようだ。

水茎岡山城最大のトピックは、将軍の座を追われた足利義澄をかくまったことだった。のちに将軍足利義晴となった亀王丸は、ここで生まれたとされる。
その九里、伊庭の独自行動に怒ったんだろうか、六角氏が軍勢を率いて攻めてきた。そうしないと、幕府との関係が悪くなってしまうこともあったのかもしれない。足利将軍同様、この時代の武士はとにかく家臣の統率が取れていないのだった。水茎岡山城を舞台に戦闘となったが、六角の軍勢を撃退し独立を守った。1513年、さあ京都へ攻めようとした際に、義澄が死んでしまう。その後、1517年には、六角氏の奇襲を受け、落城する。

カラスウリの実.jpg
カラスウリの実。食べたら、苦かった。

湖に面しているので、水運が使えるのは利点だったかもしれないが、岡山のあるこの場所が何というか、琵琶湖のちょっと湾の奥のような感じで、湖北側との連絡が弱い感じがする。かといって南のほうからも近いわけではない。中山道などの、主要な陸路からも離れており、のちに信長が天下統一を目指して建てた安土城なんかよりも、交通はずっと不便なところで、琵琶湖の隠れスポットみたいなところだったのではないかと思う。

つぎに湖岸に出た。

浜の貝.jpg
湖岸の石、貝

藤ヶ崎龍神.jpg
藤ヶ崎龍神

山のふもとには岩が湖水に現れ、龍神の祠があった。
岩の洞窟もあり、それは鳥取県米子市の中海に立つ粟島神社にも似たような岩穴があって伝承もあった。

この頭山はおわんを伏せたような「甘南備」型をしていて、湖に面した立地といい、神社には好適地ではないかと思うが、不思議なことに山の上には祠はなくて、山のふもとに龍神の社がある。もしかするとこの山が神体だったのかもしれない。

湖岸の岩.jpg
湖岸の岩

龍神をまつる祠には卵が供えられていた。
この辺の湖岸は北風をまともに受けるので、ウインドサーフィンの拠点になっている。竜神も、この北風がまともに吹き付ける地形と、何か関係があるのかもしれない。

山のふもとの池.jpg
ヒシの生い茂る池と山。かつての水茎内湖の名残か

頭山の西南側に回ると、水茎内湖のなごりとおぼしき池があって、ヒシが生い茂っていて、最盛期を過ぎて枯れかかっていた。もう晩秋なのだった。

周囲が1キロもない山を一周して、サアいよいよ、頭山に登ろうと、道の入り口で、ムカゴを採っているおじさんに聞くと、「上は何もないよ」という。

まあだけど、せっかくここまで来たんだし、そんなに高い山じゃないからと、登り始めると、道自体は車両が通れそうな広さと傾斜になっているのだが、草が生い茂っていて、服がひっつき虫だらけになった。

頭山の中.jpg
山の道中

上に登ったが、樹木にさえぎられて、眺望は得られなかった。
本丸らしき遺構もわからない。のみ跡が残る石が頂上付近にあり、石垣の一部だったかもしれない。500年前の城の姿や、激戦の様子を想像するのは難しかった。
山の大きさや高さ、広い水面に面しているところは、鳥取県の日本海を望む浜辺の城跡、八橋城を思い起させた。

山から下りてひっつき虫をむしり取っていると、ロードバイクの男性から、「岡山城の石垣が日本最古ではないかという話もある」と教えてくれた。わざわざ登る人は珍しいようだった。


山中の石.jpg
加工の跡がある石

ウインドサーフィン.jpg
ウインドサーフィン

まあ何というか、めぼしい発見はなかった。
が、山を登って下りて浜や祠を見て一周すると、何か一通りのことをやり遂げたという感じがする。
それが低山めぐりのいいところ。

湖岸と波.jpg
北風にさざ波立つ湖岸

こうして岡山めぐりの2時間の旅は終わった。

近江八幡まで足を伸ばし、焼きたてバウムクーヘンを買って、帰った。

posted by 進 敏朗 at 22:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 低山めぐり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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