
土を焼き締めた無造作な感じの人形を見た。
目のところに大きな穴が開いて、不気味なかわいさ?
題は「無名」。
先日、滋賀県立近代美術館で、専門の美術教育を受けていない人がつくるアール・ブリュットの展示を見たが、そこに並んでいても違和感がないんじゃないか。
しかしこれは、バリバリの美術作家の作品なのだった。作品の背後には、芥川賞作家、藤野可織書下ろしの文章が添えられていた。

目の穴
このブログは水辺のことを話題にして、それの関連で、ときどき見る美術展などで水辺を思い起こさせるものに触れているが、この人形のどこが水辺と関連しているのかというと、この、目の穴が、貝殻を焼いた跡でできているのだった。
会場で作家に訪ねると、焼くときに、貝を粘土の表面に押しつけておくと、貝は窯の中で焼失、表面の模様が残るのだという。
それと、貝が焼けた灰が釉薬のようになって、照りが出るのだという。
ということでこの目の穴は、作家が空けたのではなくて、貝がつくった造形なのだった。
使用された貝は、海で拾ったものもあるが、アサリとかシジミとか、誰でも魚屋で買えるような貝を使うのが、作家の流儀に合ってているのだという。大きな貝はオオアサリだという。

小型の作品
貝を美術に使うといえば、アワビなどの殻の内側の真珠光沢を利用した螺鈿(らでん)細工が思い浮かぶが、こんなふうに造形に利用するなんて、新鮮な感じを受けた。
こんなふうに書くと、まるで貝のほうにしか関心がないような感じになってしまうが、この無造作な感じが脱力を誘った。
特殊な技術はひとつも、用いられていない。
加えて、貝の焼け具合とか、どうしたって作者のコントロールができない、そういう成り行きに任せているようなところもあって、無造作感をつよめている。
誰にでも作れそうなのだけど、そうした中でのその人の持ち味とは?
筆者が日々、行っている、低技術な営みの数々、池づくりとか、釣りとか、野菜と勝手に生えてくる雑草がまじった庭のようなものとか、そんなものに通じるものがあるんじゃないかと、なんだか勇気づけられたような気も。
ぐちゃぐちゃにされて焼き固められても、残るこく、味わい。それが今のフロンティアなのだろうかと考えさせられる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「無名」 谷澤紗和子×藤野可織
11月1日まで(月曜休) KUNST ARZT=京都市東山区神宮道北東角2F