2015年04月24日

平等院鳳凰堂の洲浜

州浜の汀線.jpg
洲浜の水際

子供が電車遠足で宇治の平等院鳳凰堂に行くというので、行ったら、池の水際が洲浜になっているので、それを撮ってきてほしいと頼むと、撮ってきてくれた。感謝。

創建時の姿を復元しようと、池の水際がそれまでの擁壁のような感じから、州浜に戻されたのが約10年前くらいだったが、まだ行ってみたことがなかった。どんな感じだろうと思っていたら、砂ではなくて、こぶし大の丸石が敷かれた石浜だった。1月に訪れた和歌山県新宮市の海岸を思い起こさせた。洲浜は、やはり彼岸という感じを増幅さすだろう。報道で知った、池の水際を浜でつくるという形式が、わが庭のメダカ池にまで影響を与えている。

平等院鳳凰堂と池.jpg
平等院鳳凰堂と池

これを建物を入れた構図で見ると、ちょっと引きが足りない気がする。浜の幅が30メートルくらいあったら、藤原頼道が目指した浄土感がかなり増していたのではないかと思えた。

しかしそれは、浜を固定したものとして見ているからそう見えるのではないかとも思えてきた。いろいろ調べてみると創建当時は、この建物は蛇行する宇治川の中州のようなところに建っていたのだという。となると、洪水があったりすると、柱のところまで水が来たりしたかもしれない。逆に渇水のときは池が枯れて、巨大な陸地になったりして、水位の変動で水際というものが一定していなかった可能性もある。

 よくこんな場所に建てて、1100年もの間、流されもせず存続していたものだ。大工の棟梁が、ここは危ないでっせ、もっと地盤のしっかりした山手のほうに建てなはれ、と助言したかもしれない。しかし、頼道は美と彼岸の追求しか眼中になく、そうした意見には耳を貸さなかった。それが幸いした。変動して水際か陸なのかあいまいな場所に美を追求するという平安貴族の感性に感慨深いものを感じる。
posted by 進 敏朗 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 水辺を見る(滋賀以西) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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