2015年02月25日

竹生島遠望(上)山本山

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南から眺めた山本山(午前10時40分ごろ)

姫路発近江塩津行新快速、3406Mが朝の近江盆地を走る。滋賀県南部から1時間、北陸線の河毛駅に降り立った。
山本山(標高324メートル)は、琵琶湖近くにそびえ、竹生島の眺望が良いと聞く山。
駅から登山口までは約5キロある。市営のコミュニティバス「こはくちょうバス」(200円)が接続していた。

余呉川.jpg
余呉川(午前10時ごろ)

助手席を含めて9席しかないワゴン車の「こはくちょうバス」は、水鳥センターへの観光客や地元の人で、行きも帰りもにぎわっていた。田園の集落をめぐって、登山口のある山本地区に着いたのは午前10時前。ずいぶん、立派な構えの家が多い。

余呉川を見た。
余呉川は、豪雪地帯の椿坂峠に源を発し、柳ケ瀬断層沿いに南下したあと、山本山を取り巻くように右に折れ、西進して琵琶湖にそそぐ。その流れ方が不思議だなと地図を見て思っていた。山本地区から約3キロ上流には山をくりぬいた放水路、西野水道が江戸時代末に初めて掘られ、余呉川の水の大半はそこから琵琶湖へと落とされる。
そのため下流まで達する水は少ないと思っていたが、見ると豊流にナガエミクリがそよぎ、湖北の川は湖南とは違うなと思った。

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山本山のふもとの池

さて山を登る前に、ふもとの水辺を観察する。東側を10分ほど歩くと、余呉川をはさんで両側に池が広がっていた。
余呉川下流は水はけが悪く、しばしば浸水被害に悩まされていたという。池はそうした湿地の名残のようだった。

山のふもとの沼.jpg

余呉川が流れる平野の地盤は西側に沈下しているとされ、ここから山並みを北に約10キロに進んだ場所にある余呉湖も、そういう地盤の沈下で生まれたとされる。
池の中に何かいるかなと思ったが、サギを見るのがやっとだった。

神社の湧水.jpg
登山口にある神社の湧水

などと山の東側の湿地を観察したあと、朝日小学校に隣接した朝日山神社の登山口に戻ると、湧水があり、ひとつ手を清め、道中の無事を祈願した。口に含むとまろやかだった。この湧水は、流れ下りて集落の水路となっていた。

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歩きやすかった登山路

さあ登山開始だ。
登山道は地元保勝会により整備されていて、木の枝も刈られ歩きやすかった。
それなのにすぐに息切れが始まり汗も流れる。チーチー、ツツピーなど数種類の鳴き声が木立から聞こえてきたが、すばやくてカメラに捕えられない。後で頂上に達した際には、鳥の鳴き声は聞かれなかった。

鳥といえばこの山本山には冬季、オオワシも営巣するという。「グーグルマップ」のストリートビューをみると、山本山の西側の県道258号線沿いで多数の人が、バズーカ砲のようなカメラを山に向けているのが確認できる。琵琶湖で魚を捕って中腹の木の枝にとまり餌を食うということもするらしい。
しかし、この日見えたのはトンビで、ピーヒョロロと空を旋回している。観察している人を見かけなかったので、もう北に帰ったのかも。

途中、「頂上まであと15分」という、朝日小児童会の看板に励まされたときは心臓も高鼓動で、そこから坂がきつくなり、しんどくてもうだめだと思ったあたりで「二の丸」の看板が見えて救われた気分だった。結局、何度も足を止めながら、頂上まで要した時間は約30分だった。

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山頂部の広場

竹生島遠望.jpg
葛籠尾崎と竹生島

視界が広がり琵琶湖に浮かぶ竹生島が見える。やや伸びた木が手前にあるので、柵に足をかけてコンパクトデジカメを頭上にかざして、最大限高い位置から撮った。黄砂の影響か霞んでいて、細かいところまでは見えない。しかし、昼前になって日が差してきたため、ややはっきり見えるようになったのが幸いだった。

竹生島.jpg
竹生島を拡大したところ

山本山山頂から北北西方向の.jpg
北北西方向の眺め

北北西方向に目をやると、葛籠尾崎の山並みの向こうに、海津大崎に連なる山並みがあり、さらに奥には白い雪嶺が見える。滋賀福井県境の赤坂山の山地か。

山本山の頂上には、平安時代から城が設けられていたとされ、戦国時代の土塁の遺構が残っていた。
尾根筋が北方の賤ヶ岳につながっており、山本山城は浅井氏の支城だったが、小谷城攻めの一環で信長の命を受けた秀吉に攻撃されたそうである。遺構を見に奥まで進んで、広場に戻ってきたところ別の登山者が到着しており、「向こうから来たんですか?」と尋ねられる。賤ヶ岳から縦走してきたのかと問われたのだがめっそうもない。「いやそちらからです」と苦笑する。

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山頂部に残る城塞遺構

試しに登ってみただけでだいぶ疲労したのに、戦国時代の兵隊は軍事の装備もして山を登ったわけだから、随分健脚だったと思わざるを得ない。

山頂にあった案内板では、山本山は別名、朝日山、田中山、白山などといろんな呼び名があることが記さている。とくに、琵琶湖のどの位置からも見やすかったことから「見当山」とも呼ばれ湖上の水運や漁師にとって重要なランドマークだったことをうかがわせる。

山の石.jpg
山本山の石

ところで山頂部には、湖東あたりの山で見かける「巨石」がなく、岩っぽいものすら見かけられなかった。登山の途中では、先日の栗東市、日向山で見かけたような、庭の造成土に混じる角ばった石を見かけた。この山は火成岩ではなく、砂岩とかの堆積岩の岩でできているようだった。

野田沼と尾上.jpg
ふもとに広がる野田沼と尾上集落

用意してきたおにぎりを食べる。里から聞こえてくるのは正午を知らせるエーデルワイス。
さあこれから、山を下りて野田沼を目指す(続く)

キノコ.jpg
〈おまけ〉下山中、若宮山古墳付近で見かけたつややかなキノコ

参考文献 「改訂滋賀県地学のガイド」(下)=滋賀県高等学校理科教育研究会地学部会編・コロナ社









posted by 進 敏朗 at 20:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 低山めぐり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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