
1975年に描かれた余呉湖の油彩画を見た。
小高い場所から、手前に木立があって、湖が広がり、背景には山並みが描かれている。夕方らしく山は赤く染まっている。
画廊主氏によると、この絵を描いたのは自分の大学時代の恩師で、美術教師を目指した大学時代、皆で余呉湖に絵画合宿に行った際に描かれた作品という。3月初旬のことで、雪が残っていたという。行ったのは1974年のことかもしれないという。
昔の絵画指導というものは厳しく、学生が描いたものを一瞥、「何やこれは」と激しく叱責、けなし、それでも学生は耐えて描くというような日々だったという。スポ根ならぬアート根といったところだろうか。現代でそれをやったら、パワハラ、ということになってしまわざるをえない。しかし一方で、宴席では陽気で、学生がけっこう失礼な言動をしても平気で、リクエストに応え裸踊りなどもしていたという。だがそれは現代ではセクハラ、になってしまかねない、と画廊主氏も苦笑する。
余呉湖の絵は、現場でほぼ描かれた。真っ白なままのキャンバスを現場に持ち込んだところ「キャンバスに地色のレッドくらい塗って来んかい」と怒られたのだという。デジカメで撮ってきてから、気軽に部屋で描くといったいまのあり方とは違っている。ここには1974年だか75年の余呉湖の空気感が込められている。
余呉湖の山に囲まれた感じとか、適度な広さ、さらには羽衣伝説が画家を引き付けていたことを物語っている。
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「山尾平遺作展」 アートスペース東山(京都市東山区・三条通神宮道東入ル) 15日まで