
マイバイク
先月の昨年12月、自転車で近江大橋を渡り浜大津を目指したところ、へとへとになった。
その後で自転車を調べてみると、整備不良でペダルの回転に抵抗があり、重くなっていたことが判明した。
それで、こんどはインターネットで自転車の修理方法などを調べ、工具をそろえ、車輪やクランク軸などを外して回転部分のグリスを塗りなおすなどし、「リアスプロケット」と呼ばれるチェーンを受ける後輪の歯車)を14T(歯数14)から16T(同16)に交換し、従来よりも軽い力(16分の14=8分の7)でこげるよう改変したのだった。
こうしたメンテナンスや部品交換を、各部分の名称すら知らなかった筆者が、自分でやってみようと思い立って実際にやれた。いろんな情報が容易に入手できるようになったネット時代のよい面を享受した思い。
「TAKAよろず研究所」というサイトが、たいへん詳しく解説されており参考になった。ありがとうございます。
野洲川に沿って琵琶湖を目指す。

蜊江神社の鳥居
気温が低いものの風が弱く自転車日和。
野洲川の堤防沿いを琵琶湖方面に進み数キロ、堤防を下り笠原町の「蜊江(つぶえ)神社」。
むかし、豪雨で野洲川がはんらんした際、社殿が流されそうになったのを、多数のつぶ(タニシ)が付着した神輿が社殿の前に流れ着き、流失から守ったというのだ。それ以来、同町ではタニシを食べないのだそうだ。その洪水があったのは、江戸時代の1721(享保6)年と具体的に伝えられ、この逸話のもとになるエピソードがあったことを思わせる。神社の名はこの洪水のあと改称されたという。

池に水がない
この場所は、旧野洲川南流の堤防と、新たな野洲川の左岸側がほぼ重なっている。
境内は、堤防が控えているので奥行きはそんなにないが、堤防に沿って左右方向に広い。鳥居から入って右側のほうに池があったが枯れていた。野洲川の水が灌漑に回されずに流れる冬期なんだし、地下水位も上がって、もしかすると水がわいているんじゃないかと思ったがそうはなっていない。野洲川の大規模改修で洪水の不安ははなくなったが、洪水から神社を守ったタニシもいなくなった。
同市のホームページでは、カキツバタが咲いている2006年の画像があったが、地下水をくみ上げているようだ。それは夏季だけなのか。それとも、今はやめてしまったのだろうか。
ここ滋賀県南部の野洲川デルタには各所に湧水の池があったようだが、1979年の野洲川の改修で、天井川だった南流、北流が廃川となって一本化、平地河川となった。それを機に、地下水位が下がり、天井川から堤防わきに供給されていた水もなくなってしまったので、枯れてしまった池も多いようだ。

鉄分の多そうな地下水がくみ上げられている
平地化された南流の堤防跡をまたいで、笠原から立田に入る。竹やぶや林が残っているのは、鹿嶋神社の境内だった。本殿は小高い場所にあり、その周囲は低くて、もと南流の堤防のほとりの場所から、ポンプでくみ上げて神社を取り囲むように流れがあった。地下水は鉄分が多いのかポンプの注ぎ口の箱が黄土色に染まっていた。林は間伐され遊歩道や橋を設置、苗木も植えられるなど手入れがなされている。

神社境内の林と水路
鹿嶋神社の隣、西側の野洲川旧南流に沿って、新宮神社があり、ここには、南流の名残のような細長い形の池があった。ここにもポンプの配管が見えた。
廃川になったとはいえ、旧南流の天井川を取り去った地面の下には伏流水が流れているらしく、井戸を掘れば豊富な地下水が出るみたいだ。
湧水がある池は、神社の境内が多いことに気づいた。なぜなんだろう。枯れない泉があるということは、田んぼの水源として貴重だし、渇水を免れるのは何よりありがたい。神聖な場所と感じられても不思議ではない。村の財産として守られてきたのだろう。
天井川は、洪水の恐怖と隣り合わせだったが、いまは300メートルの幅がある河川敷のおかげで洪水の心配がほとんどなくなった。そのかわり、野洲川デルタの水路は、地面からはかなり低くなって、親しめるような感じが少なくなった。

野洲川右岸、旧北流堤防下にある長澤神社の池。案内板によると、かつての池は広く、アヤメで有名だったという
親水公園を新しく建設するのもいいのだけど、こうした昔からある池を復活させると、物語や伝説に彩られているから、のっぺりした都市公園なんかよりも素敵だと思う。

旧南流右岸の堤防跡の石垣(守山市今浜町)
琵琶湖をめざし、昨年12月に改装再開したショッピングモールを訪れて戻る。先月の浜大津行の時よりは、自転車を整備したぶんだけ軽くなったがそれでも復路は先月同様へとへとで、体力の低下に驚くばかりだった。

〈おまけ〉ピエリ近く、琵琶湖岸のジョウビタキ

〈おまけ2〉帰り道で見たカワセミ(守山市洲本町の法竜川)