2025年03月22日

雲谷山(第3展望所)

三方五湖の眺望を目指す


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雲谷山(下山後に撮影)

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三方観世音の石段(午前9時ごろ)

福井県の雲谷山(786メートル)からは、三方五湖を眺めることができるという。
しかし、筆者のなまった体では700メートルもの高低差は難しい。
ただ、その眺めは頂上からではなくて、中腹の展望所から得られると知り、第3展望所まで登ることを計画する。
頂上まで行かずとも、途中で引き返すのもありとした低山めぐり。

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山のルート図

雲谷山への登山は「三方石観世音」の駐車場に停める。
そこからまず本堂までの坂道や石段を登る。
境内に着くと盆梅展も開催し、春の情緒が高まっていた。

引き返しやすい3つの展望所

三方観世音の駐車場は海抜40メートルくらいの高台で、坂や石段を上り、登り口のある本堂の海抜は約80メートル。
そこからだいたい100メートル登るごとに、第1、第2、第3と展望所がある。出発後、疲労度をみて第1や第2展望所までで打ち切り、引き返すこともできる。
体力に自信がない人でも安心して入りやすい親切設計といえるだろう。

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遊歩道の入り口

最初は間違って谷沿いの舗装路を行こうとしたがそれは林道であった。
遊歩道の入り口は三方石観世音の裏手にあった。
道は幅1メートルあって平らで歩きやすく整備されていた。
まずは第1展望所までなら、と行くが、この冬の間まったくの運動不足で、数分後にはハアハアと息が切れ汗が出る。
「もう帰りたい」と弱音が出た直後に視界が開け、第1展望所に出た。

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第1展望所からの眺め

前方には木があったが、葉が落ちていて三方湖がみられた。
新緑となれば葉っぱで視界が遮られてしまうので、ちょうどよい季節に来れたかもしれない。
ベンチに座って休憩し、さらに先を目指すことにした。

第2展望所までの坂はもっと急で、立ち止まること数度。
慣れた人には何でもない坂かもしれない。
ドクドクと心臓が打って、体内に血がめぐる。
「雄滝→」を示す看板があり、音が聞こえたが確認できず。
疲労のため余裕がなかったせいもあるかもしれない。

しかし第2展望所までは思ったより距離はなく、ほどなく到着し休憩。
眺めの方角がやや北寄りになり、日向湖方面が見えた。

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残された雪

さらに第3展望所を目指すと、坂はやや緩やかになり、歩きやすくなった。
だが両脚には疲労が感じられる。
春の陽ざしにわずかに残った雪が解けようとしている。
私の体内の脂分も、活発化した血流とともに溶け去ってほしい。

前方から、先行して出発したトレランの大人と子ども連れが戻ってきた。
すれ違いざまに
「頂上までですか?」と問うと、
「いやいや第3ですよ」と年配の男性が答えられた。
第3、私もです。同展望所での引き返しはそれくらい認知されているのか。

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第3展望所に着いた

林道との合流地点があり、そこから坂を上ると山小屋出現。
ついに第3展望所だ。
ログハウス風小屋は回転式ノブがついた扉の部屋があった。

標高はおよそ380メートルで、山頂の高さの半分くらいの海抜だ。
上り始めからの高低差は300メートルくらい。
かかった時間は1時間ほどだった。
ふだん運動不足の人間には、相当ハードだった。

三方五湖の眺めは素晴らしかった

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第2展望所からの眺め(午前10時ごろ)

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第3展望所から眺め(午前10時半ごろ)

三方五湖の眺めは素晴らしかった。
行きの車中のラジオではPM2.5の影響が言われ、霞がかかっていた。
写真を眺めると、第2展望所からのほうが鮮やかに撮れている。湖までの距離が近いせいか。
しかし三方五湖の全景は、やはり高さのある第3展望所からのほうが眺めやすかった。

手前に菅湖、向こうには水月湖、そして右奥には日向湖と、その手前に久々子湖も一部望めた。
日向湖がいちばん青く見え、水月湖や菅湖は黒っぽく、そして三方湖は茶色かった。
湖ごと色が違うという様子を確認。
その奥には若狭湾が茫洋と広がっている。

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菅湖に遊覧船が入ってきた

こちらの山は隆起しており、むこうの湖は沈降している。そんな地形の対比が感じられる。
こちらの山と、あちらの湖の間には、断層の動きが原因でできたとみられる平地が南北に開けており、そこに国道27号や舞若道、JR小浜線が走っており、車両の音も響く。
改造マフラーなのかバリバリと異常に大きな音が響くバイクは一帯に騒音をまきちらし、景観をだいなしにする。
北陸新幹線がもし小浜ルートとなれば、この平野を走ることになるだろうか。

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水をいただく

第3展望所から少しだけ登山道を進むと標高400メートルくらいの小さなピークがあった。
しかし、木に囲まれて眺望が得られなかったため、ここで引き返すことにした。

杖を両手に持っているものの、下り坂で足が着地するたびももに衝撃が走り、疲労が大きい。
下山後、三方石観世音の名水で疲れをいやす。
天気もよくて、計画どおり登れたことにすっかり達成感。

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杉の巨木が林立する境内を降りる

三方石観世音は信仰が篤く、奉賛者には隣接する滋賀県の高島市あたりの人の名前もちらほら見られた。
来年(2026年)の10月には、ふだん見られない摩崖仏が33年に一度のご開帳なのだという。

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梅の花

一帯は名産の梅が咲いていた。2月から3月半ばまでの寒波の影響で例年よりも開花が遅れているようだ。
梅の香漂う菅湖の静かな湖畔の眺めにしばし見入り、引き上げた。

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2025年03月09日

渓谷の補陀落

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伊賀上野駅

伊賀鉄道に乗車体験

三重県の伊賀地方、伊賀上野を訪れた。
伊賀上野駅までは自宅から車で1時間あまりで来て、駅前の市営駐車場(1日500円)に停めて伊賀鉄道に乗る。

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伊賀上野駅1番線の伊賀鉄道

改札を通り抜け1番乗り場を目指すと電車が止まっている。
JR関西本線と接続しているが専用の改札はない。
これに乗り三つ目の駅「上野市」を目指す。

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車内の様子

ロングシートとクロスシートが組み合わさっているがクロスシートの方は向きを変えられない。
ガタンゴトンと進んで旅情緒。数分間の旅である。

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伊賀盆地を流れる服部川(奥が下流方向


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上野市駅前の広場

駅に着いた。「忍者市駅」と改名されいている。
鉄道は城と城下町との間を横切り、駅前広場からは小高い山のお城を望める。
駅前の広場はゆったりと広くて豊かさを感じる。
電線も地中化されて景観もいい。
平成初め頃までは商店にも活気があったのではと思わせるような雰囲気。

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武家屋敷

目的地は武家屋敷で開かれていたアート展だった。
昨年12月にふき替えられたというかやぶき屋根が散髪したてのようにシャープだった。

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室内に展示された作品

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床の間の絵画

平成の初め頃までは家の人が住んでいたという武家屋敷は築200年との説明。
伊賀地方を拠点にする気鋭画家らの絵画や立体作品は見事で満足した。

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不思議な天井画(これは展示作品ではない)

盆地の水の出口を見る

さてここまでは、乗り鉄アート旅であったが、正午には伊賀上野駅に戻り、車に乗った。

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伊賀盆地の北側の山並み。向こうは滋賀県だ

平らな盆地の向こうに、高さが一様な山並みが連なっている。

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洪水から市街地を守る水門

まるで中国の城の楼門のような重厚な水門だ。
門より手前側が遊水地で、洪水の際はゲートを下げて遮断する仕組みとなっている。
トンネルの向こうには伊賀鉄道の踏切が見える。

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土手から見た城

土手から南側を眺めると城山が見える。
城山の向こうに城下町がある。
城下町は城山よりは低いが台地の上にあり、周囲の田んぼは低い土地となっている。
川が氾濫すれば水浸しになるのだろう。

盆地出口の渓谷

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岩倉峡

盆地の西端に「岩倉」という集落があり、ここで服部川は木津川と合流。
そこから先はさらに水量を増し、保津峡のような渓谷の景色となった。
これが岩倉峡という。

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川の合流地点の岩

しばらく進むと川の合流地点となり広い場所があった。
駐車場から河原に下りることができた。

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水流で削られた岩

花崗岩が水の流れで丸く削られ、甌穴(おうけつ)などができている。

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印象的な岩

川中に突き出た印象的な形の岩がある。
川の流れが増えたら、川中島のような景色になるのではないか。

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渓谷の景色

渓谷の景色は、流れは激しすぎず悠然として、ところどころで滝状に落ち込んで水音を発し趣があった。
ただ、水の透明度は低い。分厚い粘土層である古琵琶湖層が分布する伊賀盆地を流れてくるせいか。
上の写真のようなアングルで写すとわからないが、透明度はせいぜい2メートルくらい。
生活排水の影響もどれだけあるかはわからないが、もっと水が澄んでいればと惜しい気持ちに。

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澄んだ水の流れ込み

上流の補陀洛寺跡

ふと流れ込みを見ると、水が澄んでいる。
北側の山麓から流れ込んでくる水で、こちらは透明度が高かった。
この川筋の数キロ上流に「補陀落寺跡」というものがあり、気になったので行ってみることにした。

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鉄橋を渡る関西本線の列車

「宮谷川」をさかのぼること約500メートルで「湯蓋」集落に出る。
関西本線の鉄橋を列車が通過。

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那智川

昭和三十年竣工の橋にはなぜか「那智川」とある。
補陀洛寺跡はここから7、8キロ上流の山峡にある模様。

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丸々とした防火用水の金魚たち

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坂道を振り返る。伊賀盆地が山林の向こうに

滋賀県の信楽を結ぶ新たな峠道「伊賀コリドールルート」を登り、坂の途中に車を停める。
「天吹山の霊泉」「補陀落滝」とあったが、あまり見映えがせず省略。

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地蔵や五輪塔

滝の近くに、地蔵や五輪塔をまつる小堂があった。
昭和28年の山津波で流されたものを集めたという。

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補陀洛寺跡への道

さて、補陀洛寺跡はどこかとまごついていたが、先ほどの小堂から300メートル進むと、おかっぱ頭の後頭部をみせる人物が右手で「80m」と指し示す不気味な看板があった。

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石垣の跡

林道を入ると右側に、山の斜面をテラス状に切り開いた2段の平たい場所と、石垣の跡が見える。
ここに寺があったようだが、そんなに大きな規模ではない。

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寺の説明看板

そこに説明看板がある。
ここに説明がある高倉神社とはこの地点から約2キロ川の下流にある神社。
補陀落寺跡は説明によれば、熊野信仰が強まった鎌倉時代には存在し、16世紀末まではあったようだ。その間300〜400年間くらいか。
街道からの道案内の石標がたてられていたというから、そこそこ参詣者が訪れていたのか。
補陀落といえば紀伊半島の那智の滝から川を下って、海の彼方にあるという補陀落に赴く「補陀落渡海」を思い浮かべるが、この伊賀地方の補陀洛寺では、先ほど見た合流地地点の岩が、何か補陀落をイメージさせたのかもしれないと勝手に思ったりした。

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水上池

補陀洛寺跡から先の急坂を上りきると「水上池」があった。
シカに遭遇。山の上にも、仙境のような水辺が広がっていた。
乗り鉄アート旅から始まって、午後の時間は一転して山中の補陀落巡りとなった。


posted by 進 敏朗 at 22:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 水辺を見る(滋賀以東) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年03月01日

田中川干潟周辺

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田中川

三重県の田中川を訪れた。
先日訪れた鼓が浦の近くで5キロほど南。
近鉄の千里駅近くにコインパーキングがあり、南に歩くと田中川の橋に出る。

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広い干潟

田中川河口の右岸側には、広い干潟が広がっている。
潮が引いている時間帯。水が蛇行して河口へと流れている。
のびのびとした水の挙動を見やる。

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泥の上

泥の上には、小さな巻貝ウミニナがびっしりと付いていた。

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海岸

海岸に出ると、そこでは砂浜から水が染み出し、海に向かって流れができている。
満潮時に砂の中にたまった水が流れ出ているのだ。

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砂の文様

大地に降った雨が陸地を削って川をつくる。
水のふるまいを見てのびのびとした気持ちに。

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浜の大型植物

浜では、何やら見慣れない大きな植物がいくつも生えている。
リュウゼツランのようなまっすぐな葉で、とってつけたように花が出ている。

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大ぶりな花

花からは香りはしない。
こんな植物が唐突に海浜に生えていてびっくりだった。
後で調べたがユッカのようだった。
「青年の木」として売られている観葉植物だが、海浜にこんなに育つとは強靭な生命力をもっているようだ。

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ユッカ浜

原産地はメキシコはじめ、米国中央部の乾燥地あたりだという。
海浜の風景に、まるで荒野のような風情をかもしだす。こうして海浜の風景もかわってくのか。

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養魚池

干潟の陸地側には、養魚池があり、水が抜かれて多数の魚が跳ねているのが見えた。
双眼鏡を使い、これを撮影してみることにした。

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カメラのレンズに双眼鏡を密着させて撮影

だが、魚は動き回っているためうまく撮れない。
コイのようだった。もともと湿地であった場所を活用した養魚池と思われるが、今後は太陽光発電パネルを並べメガソーラーでもできるのだろうか。

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農地につくられたソーラー発電

養魚池よりも農地よりも、今はソーラー発電という時代になってきたようだ。

posted by 進 敏朗 at 21:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 水辺を見る(滋賀以東) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする