2025年01月27日

三島池

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三島池(午後2時半ごろ)

湖北の絵になる池、三島池

長浜盆梅展に車で訪れ、その足で東に約10キロにある三島池(米原市)に行く。
1月の湖北では珍しく雲一つない晴天。
大寒の時節というのに、伊吹山の雪はうっすらとしたもので、山頂付近にしか雪がない。今シーズンもかなりの暖冬だ。

農林水産省「ため池百選」にも選ばれる、滋賀県では有名な池。
訪れたのは今回が初めてだ。
私は水辺ファンと言いながらも、湧き水や魚捕りへの興味が強く、景色を見ることをメーンに訪れる気になれなかった。
だが、雪の伊吹山をバックにした池はやはり絵になる。青空が広がり、いい日に来ることができた。

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「日露戦勝」の砲弾

「三島」の由来はあの三島だった

三島神社が池のほとりにあった。
三島池の築造は、鎌倉時代の佐々木信綱の嫡男、重綱(1207〜67年)が、「大原荘」を整備したことにさかのぼるという。
父の佐々木信綱から領地を与えられずにいたところ、伊豆国の一宮である三嶋大社に祈願したら、幕府から領地が与えられたので、三島から神様を勧請した。
それで三島神社といい、そこにある池は三島池なのだという。知らなかった。
神社の由来は別にもあって、源頼朝の挙兵をたすけた佐々木秀義(1112〜84年)が1184年に勧請したとされる。
いずれにしても佐々木氏に由来し、伊豆との縁が語られているのであった。

静岡県の三島へは、湧水の川・柿田川を見に行ったが(2013年3月25日「柿田川行(その1・その2)」、三嶋大社には行かなかった。
日帰りだったので日程の制約もあったが、神社や歴史に興味がわかなかったためでもあった。
しかし今回、三島池を訪れたことで自分のなかで歴史リンクが張られたので、次、三島を訪れることがあったら行ってみたくなった。
水辺のつながりができたというのも面白い。

石段を上ると、「日露戦勝」と彫られた石の台座に砲弾が載っている。
武運を祈願したようだ。戦争が地域に身近なものとして存在していたような感じを受けた。

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池を泳ぐ鴨

鴨が寄ってくる?

さて、池に近づくと、どういうわけか鴨が近づいてくる。
人をまったく恐れていない。何なのだと思っていると、向こうの石橋のたもとあたりに多数の鴨が上陸しているのが見える。

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餌をやる人々、群がる鴨たち

近づくとそれは、訪れた人たちによる餌やりであった。
食パンを手に、ちぎっては投げている。それを目当てに恐ろしい勢いで鳥が集まる。
すっかり餌付けされて、人を恐れなくなったのだ。
中には袋菓子をあげている子どもがいる。塩分や油、調味料、これはさらに良くない気がする。
鳥インフルが懸念されるご時世でもある。鳥にしてみれば餌がもらえてうれしい限りだろうが、野生動物にむやみに近づくのは危険でもあるので、自粛したほうが良いのではと思われた。

posted by 進 敏朗 at 20:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 琵琶湖・内湖 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年01月19日

コケ発生

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石の表面に生えてきたコケ

3月を思わせる陽気の日。
メダカ池の底にたまった泥や落ち葉を取り除く。
石を見ると、表面にコケが生えてきた。花のようなものをつけている。
池を何年か継続してきたが、ついにコケが生えるようになってきた。

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拡大したところ

水面に近づいて撮るのが難しいが、花のようなものを付けている。
だいたいコケの場合、花というのか? それも知らない。
調べてみると、上に伸びている部分全体を指して「胞子体」と呼ぶそうである。
花とはちがう概念のようだ。
さらに先端の卵形の部分は「凵iさく)」と呼ぶのだそうだ。勉強になった。

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緑色のコケも

池の堤のレンガの表面にも、したたる水の周囲に鮮やかな緑色のコケが生えてきた。
撮影の精度が低くて、ともに何ゴケなのかは判別できず。

池も造成して何年にもなり、見慣れた感じになってきたが、新たな自然観察ができて新鮮だった。
コケの発生で池に趣が出てきた。

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<おまけ1>ビワの花ようやく咲く

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<おまけ2>庭に降り立ったイソヒヨドリ


posted by 進 敏朗 at 21:01| Comment(0) | TrackBack(0) | メダカ池記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする