2024年11月16日

境川

尾張と三河の国境の川

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鏡のような川

愛知県の境川沿いを歩いた。
尾張と三河の国境の川ということで境川。同名の川は滋賀にもあるし、東京都の町田にもあった。各地にあるだろう。
この日は豊田市まで美術展に行った。
その余興で、近くの川を見ようと訪れたのだった。

境川が気になったのは、源流部の標高が100メートルくらいという低さだった。
川というものは山の奥に源流部があるものと思い込みがあるが、この境川はゴルフ場になっている。
源流部が見える川というのはどのようなものだろうと思って歩くことにした。

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田んぼの向こうの集落は高台になっている

JR東海道本線の逢妻(あいづま)駅で下車。
境川の左岸で三河の刈谷市の駅。
川の下流部にあたる地域だ。
集落は高台になっていて、田んぼよりも数メートル高い。「高津波町」という町名も、水の記憶がにじみ出ているのではないだろうか。
駅からまっすぐ進み、左に折れると住宅地の先が下り坂になって田園に出る。
田んぼは、海抜ほぼゼロメートル。
田んぼの先に、高さ5メートルほどの高い堤防があり、その内側が境川だ。

堤防で区切られた支流や樋門

境川大橋を渡る。
川は2本の堤防で区切られており、東側は支流の逢妻川が、境川と合流することなく堤防で区切られている。
これと同じ構造は淀川の三川合流地点にもあった。洪水を防ぐ対策だろう。

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河口から5キロを表示するくい

境川の下流はぼわーっと広がっていき、衣浦湾につながっている。
河口から約5キロの境川大橋の地点でも、川幅は広くて橋は200メートルくらいある。
川の流域面積はそれほどでもないが川幅は広い。
これだけの幅でいわば沼沢地が広がっていたわけだから、陸上交通の妨げになったであろう。
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石づくりの樋門が見えてきた

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樋門の上を渡る支流

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切り石を固めた「たたき」

明治時代の樋門もあった。
境川は天井川で、支流が立体交差して境川に注ぐ。花崗岩が風化した真砂土の土質のようだ。天井川は滋賀県でもなじみがある。

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渡ろうとした清水橋であったが…

その上流、東海道新幹線の鉄橋の手前に「清水橋」があったが、老朽化のため2018(平成30)年から通行止めとのこと。
グーグルのストリートビューで事前学習してきたが、同橋の上から捕った画像もあったので渡れるかと思っていたらそうではなかった。
仕方なく上流まで川の右岸側を歩き、次の橋で渡る。

橋の上からはコイ、ブラックバス、オイカワかカワムツのような魚が見られた。
鳥ではカワウ、サギ、カモなど。

思ったより人を隔てる川

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川の合流地点に設けられた排水機

左岸側の本流わきの排水路沿いを歩いた。
境川が天井川のため、排水対策で脇に幅約10メートルの川が並走していたのであった。
川のはコイが多数見られた。

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コイが多かった排水路

犬と散歩しているおじさんに「コイがいますね」と声をかけてみた。
「この川の魚はこの50年食べていない」とおじさん。
なぜかと問うと、上流にパンの工場ができ、下流には養豚場があり、垂れ流しでヘドロがたまった、という。
「下流の橋のところにはわき水があった」との情報も。

そして境川について、ここが三河と尾張の国境だと教えてくれたのだが、
「川の向こうとは仲が悪い」と話す。
なぜですか、と聞くと、
尾張徳川の威をかりて、無理なことを言ってきたからなのだという。

そうなのか。江戸時代の昔の遺恨が、今でも年配の人の口をついて出てくるのか。
川とは思った以上に人を隔てるものなのだなと思った。
そこから名鉄の富士松駅に向かった。

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お富士の松(3代目という)

源流は小規模だった

美術館のあと、名鉄豊田線で「三好ケ丘」下車。
この先に、境川の源流部があるのだ。
駅の脇にすぐ、境川があった。

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源流への道

川幅はかなり細くて、数メートルになっていた。あと2キロ足らずで源流なのだ。
住宅地が切れて、低い丘陵に挟まれた田んぼの真ん中を、鉄分で茶色くなった川底の流路がまっすぐに続く。
徒歩約20分、ため池についた。ここが水源である。
昨夜、雨が降ったためか、水が池から流れ下りている。

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ついに源流か

人工的な水源だ。
こんな風に川が始まっているのか。
あまり源流感がないというか。

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水源のため池。奥はゴルフ場のようだが入れず

滋賀県では、瀬田丘陵から流れてくる長沢川とか、野洲の希望が丘あたりが源流の家棟川とかに似ている。
だが、長さが22キロもある川の源流とはとうてい思えない。

境川の下流部は海抜ゼロメートル地帯が続く低湿地だ。
この川の東にある矢作川の中流は海抜が数十メートルあって、この高低差をうまく利用して明治用水がつくられたのだが、なぜ矢作川は低地の境川流域に流れ込まないのか。不思議な感じがした。











posted by 進 敏朗 at 20:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 水辺を見る(滋賀以東) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする