2024年03月31日

洞窟と縄文人、支湖

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三ケ日人只木遺跡の洞窟(奥)

月初に引き続き浜名湖周辺を探訪

2024年3月の最終日は初夏を思わす陽気であった。
早朝より車で静岡県の浜名湖の東北部を探訪する。
今回、突発的に出発したため、あまり下調べはしていなかった。
東名高速三ケ日インターを出て、県道を北上し約10分、遺跡近くに到着。

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ミカン園

そこは収穫の終わったミカン園が広がっていた。
県道脇のスペースに停め、集落内の坂道を徒歩で上がるとすぐに洞窟の前に着いた。残念なことに、落石が危険とのことで立入禁止であった(冒頭の写真)。その洞窟は採石場の跡でもあった。
朝の光に、キツツキのドラミングが聞こえてのどかな情景だが、残念である。

今月初旬には浜名湖の東に隣接する佐鳴湖(さなるこ)を訪れ、湖の近くに大規模な貝塚があったのを見たのだが、三ケ日も訪れてみたい場所であった。
遺跡は浜名湖のそばではなく、湖の北端から、川筋を数キロさかのぼった丘陵地だった。

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みかんの産地。坂を下りた先に洞窟はあった

三ケ日人といえば旧石器時代人、と習った記憶があるが、その後の研究で、見つかった化石人骨はそこまでは古くなくて9000年前の縄文早期のものだったと訂正されたという。
あの旧石器ねつ造事件を機に、それまでの旧石器時代の人骨といわれるものが見直されたのだという。

でも9000年前といってもじゅうぶん古い。
旧石器人ではなく新石器時代の縄文人ではあるのだが、佐鳴湖近くで「蜆塚」を築いた縄文中期から後期の人たちとは数千年の隔たりがあるから、それとはまったく別時代のようでもある。
三ケ日の洞窟からは、絶滅した大型動物の骨も出ているが、それらは旧石器時代から続いてきた狩猟文化を伝えるものではないだろうか。
いっぽう、佐鳴湖の蜆塚の人たちはもっぱらシジミを採って暮らし、ときどき鹿やイノシシを狩ったようである。
数千年の間に、洞窟生活から台地の貝塚へと移るとともに、生活様式も大きく変わったかもしれない。

浜名湖の「支湖」、猪鼻湖

今回あまり計画性なく訪れたのだが、地図を見ると浜名湖の東北部が陸地で囲まれて独立した湖のようになっている。これを見に行くことにし、三ケ日の駅を目指す。そこは、旧三ケ日町の中心である湖畔の駅であった。

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ハンバーガー店のある三ケ日駅

地図をみると遠州浜名湖鉄道は浜名湖の北と西を取り巻くように走っていた。
三ケ日は浜名湖の北端に川が注ぐ地点にあり、東海道の脇往還の宿場でもあった。
こうした水辺の交通の要衝の街は私は好きである。
時間があればまたじっくり訪れてみたい。
この駅からすぐに、猪鼻湖の北端となる河口がある。

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鉄橋と列車、水鳥

川を眺めていたら、ちょうど新所原行きの列車が通過した。
潮が満ちているのか橋脚が頭しか見えない。遠州灘からだいぶ奥まった場所だが潮汐の影響を受けるのか。
水鳥が飛び立つ。
穏やかな水面に鏡写しとなって趣深い。

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猪鼻湖を望む

視線を川の下流に向けると猪鼻湖が広がっている。
面積は5.5平方キロ。
浜名湖(65平方キロ)の「支湖」と説明書きがあった。
「しこ」という言葉を私は初めて見た。
ふるさと鳥取県西部の方言では「〜だそうだ」と言うのを「〜だしこだ」と言うので、「支湖だしこだわ(支湖だそうだわ)」となる。
そんなフレーズが脳内に浮かぶ。
いまではそんな方言を使っている人も相当な年配の方だと思う。余談だった。

ただ、琵琶湖では、そこに接続する西の湖などの小さな湖を「内湖」と呼んでいる。
福井県・若狭の三方五湖では、水道でつながるなどして五つの湖があるが、どれも広さがそんなに変わらないためどれがメーンでサブといった扱いはなく「五湖」と呼ばれている。
湖の大きさ・形の違いによって、さまざまな呼称があるわけなのだが、猪鼻湖は地図で見ると、その南端は水道で、メーンの浜名湖と区切られていてひとつの独立した湖のようにも見える。

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浜名湖と猪鼻湖の水道に架かる橋

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カキ浜

そこで、猪鼻湖と浜名湖の境となっている水道まで行く。
車で約10分。
赤い橋と銀色の橋がかかっているが、赤い橋を渡るとそのまま水道を素通りして先まで行ってしまうので、大回りして戻った。
先端部に下りようと思ったら、トンネルを出てすぐに左折し、旧道の銀色の橋を渡らなければならない。

湖岸の有料駐車場に停める。
白砂の浜かと思ったらそれは積みあがったカキ殻だった。

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鳥居と湖、釣り

水道の先端部に行こうと遊歩道を歩くと、下に鳥居が見える。
釣りをしている人がいる。
水道の幅は100メートルくらいだろうか。流れがある。

釣り人に尋ねるとセイゴを狙っているという。
昔はカレイも釣りものであったが今はカレイは見かけないという。
この水道は水深があり、釣りのポインであるらしい。
「水温が上がったせいか、引きが強かった」
と40センチを釣り上げたという釣り人は語る。
セイゴ釣りの人は水道沿いの両岸に何人も竿を出しており、ここらの地域では重要な釣りもののようだった。

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猪鼻の崎

先端部には祠があるが、まるでプチ竜宮城。
ことしの初詣で行った近江八幡の藤ヶ崎龍神を思い起こさせる。
この岩の形が猪の鼻のようだということで猪鼻湖となったそうだ。
岩から生える松の木に趣を感じた。

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先端の岩。左端の飛び出た岩の形がイノシシ風

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橋上から猪鼻湖を望む

銀色の橋の上から岩の眺めが良かった。
ただ、幅が広くないので自動車やサイクリングの自転車に気を付けねばならない。

猪鼻湖は、いい感じでひなびた風光明媚な場所であった。
バイクメーカーの本場のせいか、浜松ナンバーのバイクが多く、爆音が少々うるさい。
この場所から徒歩数分のところには、浜名湖の本湖(?)が一望できる駐車場があったが、そこではライダーが集まって、堤防にもたれかかってご機嫌な様子だった。


嵩山蛇穴と水穴

まだ少々時間があったので、帰りがけにそこから北西にある「嵩山蛇穴(すせじゃあな)」を目指す。
いったん三ケ日まで戻り、国道362号を西へ約10分。愛知県境の暗いトンネルを抜けるとすぐに駐車場があった。

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蛇穴への階段

国道沿いに車を停めて徒歩約5分で、洞窟に行く石段があったがここにも駐車場があった。
ここから約30メートル登ると洞窟はあった。

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嵩山蛇穴

不気味な口を開ける鍾乳洞。
中から懐中電灯を持った親子連れが出てきた。
奥は70メートルくらいあり「広いですよ」と話していた。
しかし、危ないので中には入らず、入り口から見るにとどめる。

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入り口付近

鍾乳石が、まるでのどちんこのようにぶら下がっている。
この奥に縄文人はすんでいたのか。
冬は暖かく、夏は涼しい洞窟。
しかし内部は地下水で濡れているし、健康は保てたのだろうか。

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縄文人の想像図や洞窟内部の図解

この洞窟と、最初の三ケ日の洞窟とは10キロくらいしか離れていない。ともに縄文早期の遺跡というので、同時代に住んでいた可能性もあるかもしれない。そうすると、互いに行き来があったかもしれない。

この蛇穴のある場所は急な石段の上だったので、こんな不便な場所を選んで住むなんてと思ったが、三河と遠州を結ぶ「姫街道」にほど近い場所にあることを考えると、周辺地域との交流に便利な場所だったのかもしれない。

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洞窟近くに生えるバクチノキ

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水が湧き出る一角

洞窟から降りて、近くに湧水が出るところがあるというので、通りがかりの人に場所を訪ねるとそれはすぐ近くだった。
林道の脇から水が出ているのが見える。

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嵩山の水穴

近寄るとそこは、岩に穴があいており大量の水が湧き出ていた。

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流れ出る水

林道の反対側に勢いよく谷川となって流れ落ちている。
これだけ豊富な水が出ている湧水地点だが、案内看板も特になく不思議な感じも。

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水をくむ

いつものカップを忘れてきたので、コンビニでプラのコップを買った。
とても勢いある水。飲んでみたら、やはり地下水なので、そんな冷たくはない。夏だったら印象が違うかもしれない。
まあ、こんな水場もあるから縄文人には好都合だったに違いない。

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蛇穴近くのため池。水鳥の楽園

湖と岩、ローカル鉄道、湧水、縄文の遺跡。
浜名湖周辺はいろいろと訪れがいのある場所であった。
浜名湖といっても広いので、今回、その一部に焦点を当ててめぐったが、そのおかげかあまり人波にもまれることなく、ゆったり見て回ることができた。

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<おまけ>開花していたサクラ


posted by 進 敏朗 at 22:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 水辺を見る(滋賀以東) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年03月16日

春の彼岸

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春の海浜(午後1時ごろ)

春の彼岸、空家となっている祖母の家に帰省。
彼岸の墓参りといえば中日(3月20日)にするイメージがあったが、彼岸に入ったらさっそく花を供えるため、彼岸の入りに合わせて2泊3日の日程を組んだ。
浜を訪れると、1月には波打ち際がだいぶ陸地に迫っていた印象だったのだが、今回の印象は波打ち際はやや沖に回復して、浜の傾斜もなだらかになっていた。

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波でぎざぎざに削られた砂の崖

波が砂を削ってできるさまざまな造形、模様をみる。
早春はこうやって、砂を見るだけでもいろいろ楽しいのではないか。

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打ち寄せる波でつくられた砂のグラデーション

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繊細な模様

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砂川のコイ

ここは砂の惑星鳥取県。
コイだってまるで海の入り江を思わせる砂の川にすんでいる。

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砂利の上にも砂が

駐車場で草を抜くと、そこにも砂が積もりつつあった。
玄関前にも砂が来るし、潮風はアルミサッシを腐食させる。

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塩蔵ワカメづくり

午後は墓のそうじ、寺へのお供え。
農産物直売所や水産物直売所などで、出回っている農水産物をみた。
リニューアルされたタコ滑り台が子供らに大人気で駐車場は満員。
道路の表示では最高気温が20度以上のぽかぽか陽気。
本格的な春ももう遠くない。

海産物は、シーズン終わりのカニやカレイ類、ヤリイカなど。
農産物直売所ではブロッコリーやシイタケなどの野菜も新鮮で安かった。
イワシがたくさん出回っていたが、鮮度保持の関係上、帰りに買うことにし、生ワカメを2パック買い、これを湯通ししたのち塩をふり保存用の塩蔵ワカメをつくる。
生ワカメは先日滋賀県のスーパーでも売られていたが、私の苦手な太茎の部分が多かったのに対し、ここで売られていたワカメはその茎の部分が少なくて良品だった。

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晩ごはん

東郷池産シジミ、赤ガレイ、地元名産の平天、ブロッコリーなどを食べる。
と、毎度のことながらそのまま掘りごたつで寝込んでしまう。

翌朝、山陰自動車道を通って実家に戻り、母を連れて来て墓参し花を供え、ホームセンターで種芋購入、祖母の家でしばらく休み、実家に戻って夕食、泊まる。
とにかく帰省すると時間の流れが高速である。

明けて3日目、8時から実家の老母の家庭菜園を手伝い、前日買ったジャガイモを切らずにそのまま植える。
体を動かし、ちょっと疲れたが午前中には実家を出て、いったん祖母の空家に戻る。
冷蔵庫の中のものなどを片付けるとともに、近くの鮮魚を売る食堂でイワシを購入した。
一つのトレーに十数匹入っている。
ウロコがついていて見た目にも鮮度よさそう。「刺身にできますよ」とのこと。これが280円だなんて。
これを冷温保持したまま滋賀まで運ぶのだ。
ほかにイギスも購入。
それは農産物直売所にあった。
昨年、イギスづくりの地元業者がやめたと聞き残念に思っていたところ、直売所に個人の方が製造し出品がされていたのだった。

祖母の家からは上の写真のように直接、海が見えるのだった。
外は強風で、海は荒れてドドド―と響いてくる。

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波が押し寄せる浜

浜に出るとこのような感じである。
黒い筋のようなものは砂鉄である。
打ち寄せる波によって浜の砂は洗われ、磨かれているのであった。

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夜。イワシ塩焼きとイギス、ワカメ

帰りの車中、ハンドルを握りながらチューチューと飲んだ白バラ牛乳(200ミリパック)が甘い!
数時間かけ夜に帰宅。
イワシを焼いたら銀紙のようにパリパリに。
新鮮なイワシは、これで十分といった味だった。1匹20円!

posted by 進 敏朗 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 山陰往還記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年03月03日

佐鳴湖とシジミ

佐鳴湖

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高さ30メートルくらいの台地に囲まれた佐鳴湖(午後2時ごろ)

静岡県の佐鳴湖を訪れた。
浜名湖の東にある、南北2キロぐらい、東西約500メートルくらいの小さな湖で、面積は約1.2平方キロメートル。
水が流出する「新川」を通じて浜名湖とつながっており、わずかに塩分がまじる海抜ゼロメートルの汽水湖だ。

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昭和33年の発掘風景。貴重なカラー写真

佐鳴湖のすぐ東には「蜆塚(しじみづか)」と呼ばれる縄文時代の貝塚があった。
市の博物館が整備されていた一角に「貝層」と看板がある。

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「貝層」の案内

階段を下りると。ガラス越しに積みあがった貝を見ることができた。

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午後の光に照らされる「貝層」の断面

遺跡には貝塚が3か所あり、住居は貝塚に囲まれるようにして存在していた。
積みあがった厚さは1.5メートルくらいある。
説明によると1000年くらいの間、人が住み続けていたのではないかという。

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ほとんどがヤマトシジミという部分

蜆塚と呼ばれるだけあって、たくさんあったのはシジミであった。
ヤマトシジミと説明があった。宍道湖や、鳥取県の東郷池などにもいる汽水域にすむシジミだ。
そのほか、アサリ、ハマグリ、カキなど二枚貝や、アカニシといった巻貝もあったがこれらは潮干狩りでおなじみの海の貝。
どの貝もラージサイズや特大サイズだったが、干潟には大きいのも小さいのもいることを考えると、縄文人は大きいやつだけをとって、資源管理を図っていたように思えた。

縄文時代の温暖な時期は、海面が現在よりも高かったというので、浜名湖には海水が流入し、佐鳴湖も浜名湖とつながって奥の入江みたいな感じで、汽水域と海水のゾーンがあったのだろうか。

貝塚から湖に降りる緩いスロープ状の地形があり、湖に出るとそこは、家康が正妻の瀬名(築山殿)を殺害した現場であった。
観光ボート乗り場があったが、貝塚との位置関係からいって、縄文人もおそらく丸木舟をここらへんに停めていたのではないか。

貝塚と佐鳴湖との高低差は30メートル近くもあった。
そこは三方原と呼ばれる台地で、天竜川の扇状地が隆起してできた地形とされる。
佐鳴湖の東西は、高低差約30メートルの三方原台地によって囲まれる形となっていた。
このおかげで、この日は北風が強かったのだが、佐鳴湖の西岸側は風が遮られおだやかだった。
風よけをしながら、弁当をコンビニのシジミ汁とともにいただいた。
蜆塚を見て、佐鳴湖をみながらシジミ汁を食べようという趣向だ。

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コンビニみそ汁具材の殻付きシジミ(ピンぼけ)

セブンイレブンのシジミは、インド産で何と殻付きだったが、サイズはスーパーで売られているやつの半分くらいのスモールサイズだった。
そのサイズは貝塚でみたやつは殻の幅が3センチくらいはあったが、このインドシジミは1センチあるかどうかというサイズ。
いくらインドでも、こんな小さいやつを捕り続けていたら早晩枯渇してしまうのではないか。そんなことを思った。

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佐鳴湖の流れ込み

たくさんの市民が湖周を歩いたり、犬を連れて散歩したりしている。
1周が5.5キロというので、速足で歩けば1時間ほどで1周できるので、健康づくりにちょうどよさそうな感じがする。
数年前までは、「日本でいちばん汚い湖」ともいわれたそうだが、下水道の整備もすすんで水質は改善傾向にあるという。
崖からの住んだ湧水が流れ込み、湿地の周辺では鳥の鳴き声がうるさいくらい。

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ウ(中央やや下左の水鳥)

管理棟施設で佐鳴湖を描いたり撮ったりした絵画写真の作品展では、カワセミや、ミサゴ、オシドリ、などの鳥類が愛好家によって撮られていた。鳥類の豊富な湖であるようだった。


posted by 進 敏朗 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 水辺を見る(滋賀以東) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする