2023年09月09日

金生山と湧水池

東海道線の車窓から見えるいい雰囲気の池

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車窓からの風景、垂井ー大垣間

東海道線は普通列車でもスピードが速い。
非電化路でほぼ単線の山陰本線沿線に育った筆者としては、時刻表ファンだった昭和後期の少年時代、キロ数から所要時間割ってみたところ東海道本線の新快速が、山陰線の特急よりも速いことを発見しておののいていた。
新快速でない普通列車でさえも平均時速60キロに迫る速さで走っており、それは当時の山陰線特急と同等のスピードだった。これが15分とか30分毎という頻繁さで運行している。
新快速や普通を乗り回して遠出をすれば、特急券を使わずに普通料金だけで(期間によっては青春18きっぷで)、山陰線の特急に乗っているような感覚で、安く遠出ができる。羨望のような思いを昔から抱いている。
だから東海道線の普通列車(新快速含む)で遠出することは、私にとってはお得感の高い行動なのである。

岐阜県方面へ行く。米原で大垣行きに乗り換える。8時4分発の電車は折り返しではなく車庫から出て来て、駅での待機時間が長かったのでホームに長い間立たなくてすんだ。
終点・大垣のひとつ手前、垂井を過ぎると、JR東海普通電車の曇ったガラス越しに、進行方向左側の田んぼの中に趣ある池が見える。ここに行ってみたいが、岐阜県の東海道線は駅間が長く、大垣、垂井どちらの駅からも3キロくらいは離れているように思われる。
これを今回、公共交通を駆使して訪ねてみようとした。

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大垣駅3番線の案内

もう9年も前、9月上旬に大垣を訪ね、金生山からの濃尾平野の眺めが素晴らしかったので、今回また、秋の始まりのこの時期に、足を運んでみることにしたのだった(2014年9月7日「水都と石灰岩の山(下)」参照)。
前回、大垣から美濃赤坂行に乗り損ねたことによるスケジュールの狂いから断念した、金生山上の古刹、明星輪寺にも行くことにする。運動不足により衰えた足腰を再び強化するきっかけにもしたい。8月までの異常な酷暑は去ったので、熱中症も多分大丈夫であろう。
前回、乗り場が分からず、大垣駅に着きながらみすみす逃がしてしまった美濃赤坂行の電車、今回は事前に大垣駅の構内図を調べておいた。

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美濃赤坂行きの乗り場と電車(右)

大垣駅3番ホームは、4番ホームの西端に切り欠きのようにして存在していた。
二駅だけの区間を走る東海道線の盲腸線(何というのだろう)。 これに乗り込んだ。

終点の宿場町美濃赤坂

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ホーム(手前)から離れて立っている美濃赤坂駅の駅舎

営業キロ5.0キロの道のりを、ワンマン2両編成電車は7分で走り切った。
美濃赤坂。降り立つと貨物線が荒野のように広がり、ホームからいやに離れた平地に立つ駅舎も趣深い雰囲気。

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駅舎ごしに電車を見る

1919(大正8)年開業時の建物という駅舎の、床タイルの反射光が印象的な駅舎越しの眺めも趣深い。

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野原と電車

駅舎を出てから振り返り、集落のすぐ裏に電車が待機している様子を見るのも風情が。
電車がこれくらい身近な乗り物であったら。

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ディーゼル機関車DE10(手前)

最近あまり見なくなったディーゼル機関車が停まっている。旧国鉄で量産されたDE10。
採掘された石灰石を運搬するため近年導入されたことを知る。塗装がピカピカで、周囲の施設の古さから浮き上がって見える。
山陰ではかつてディーゼル機関車は見慣れた存在だったので、この朱色っぽい赤には懐かしさを覚える。
この体色や形、表情が読み取れない顔がベニズワイガニを連想させる。

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踏切

駅周辺の風景を観察する。
貨物線「西濃鉄道」の踏切。「とまれみよ」と懐かしい、遮断機がない単線踏切。
警報機の高さや、頭部のバッテンの形が後ろの棕櫚の木とシンクロして味わい深い。

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建物の門や壁

駅から北上するとすぐ、中山道の宿場であった赤坂の中心部に行き当たる。
建物の規模が大きくて、繫栄していたことがうかがえる。

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赤坂港跡(旧中山道の橋から撮影)

中山道に達して東方面へ歩くと本陣跡があり、さらに3分ほどで「赤坂港跡」に達した。
16世紀前半までは、この杭瀬川が揖斐川の本流だったといい、港は線路が開通するまで使われていたといいう。
東西に中山道が走り、南北に揖斐川(杭瀬川)が流れる交点に立地する宿場では、町の東の入り口にある港で荷物の積み下ろしをし、船で下流に送ることができるのだ。道路交通と船運の要衝だったわけで、ここに赤坂繁栄の秘密があった。
さらに、町の北側にある金生山から出る石灰石が、石灰やコンクリートの原料などにもなり、赤坂のまちには石灰会社の看板や建物も見え、鉱山町のような様相も。二重にも三重にも栄える要因があったのだった。
など鉄道と宿場町の情緒に浸ったあと、金生山を目指す。

金生山・明星輪寺への道

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山の入り口の坂

赤坂宿の旧中山道から、「こくぞうさん(金生山の虚空蔵菩薩に由来する地元でのお寺の呼び名のようだ)」へ行く道は分岐し、最初から坂道となっている。
標高217メートルということだったが、勾配がきつく、最初から息切れでハアハアゼエゼエとなった。
地元の人が何人も下りてくる。健康づくりのために歩いているのだろうが軽やかだ。

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ピンク色のアマナ

道沿いにはピンク色をした大ぶりなアマナかと思ったんだけど、このようなピンク色のは見たことがない。
石灰岩地帯を好むのだろうか。
足を止めて息を整えた。

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金生山化石館前に置いてあった石灰岩

古生代のサンゴ礁だったといわれる金生山は石灰岩でできており、そこには数億年前の海の生物化石が見られる。
明星輪寺へ至る途中にある、金生山化石館前の岩には直径10センチぐらいの渦巻き模様が見える。巻貝の化石断面だろうか。

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急な坂

坂は金生山化石館を過ぎてからが特にきつく、歩き続けるのが困難になった。
足の衰えも相当なものだと実感。8月よりは暑さはかなりましになったが、気温は午前10時で30度近い。汗だくになる。

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明星輪寺の入り口

ようやく寺の入り口が見えてきた時はほっとした。約2キロの登山道を、40分くらいかけてようやく到達。
駅前の自販機で買った500ミリの水はすでに飲みほしていた。

石灰岩の奇岩広がる境内や本堂

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山門

持統天皇の勅願で役小角により686年創建と伝えられる古刹。
この金生山は石灰石だけでなく赤鉄鉱も産出したといい、鉄製武器が壬申の乱の大海人皇子軍勝利につながったとの説も。
山門では岐阜県の文化財である仁王像がお出迎え。
境内には石灰岩の奇岩が連なる壮観という。どんなだろう。

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ミネラル豊富? 手水

神仏習合の名残か、まず水で清める。

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本堂

重厚な入母屋造の瓦が印象的な本堂は幕末の建築。
山門よりも本堂が低い場所に建てられているのは不思議な気がしたが、入ってみると堂の内陣の奥は巨大な奇岩であった。
道内に入り左側から靴を脱いで内陣に入ることができる。
そこは岩のドームならぬ岩の堂(どう)であった。
奇岩をもとに本堂が建てられたことは一目瞭然で、それ故の境内の変則的なレイアウトとなったのだろう。

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堂の奥に奇岩

撮影しても良いか僧侶に尋ねると、「お参りした後なら撮影してもいいですよ」と、許可をいただき撮影。
暗くてうまく写らなかった。

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奇岩

そして本堂の前から石段を登っていくと、「岩巣」と呼ばれる奇岩出現。
石灰岩が長年の浸食を受け、形が複雑になっていったものが広がっている。

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そこにはウシや、

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トラ

トラなどの岩を削った彫刻が出現。
もとの岩の形を利用したとみられ量感あふれる。

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亀岩

巨亀も現る。これは自然の岩そのままの形が、首をもたげた亀のように見える。
そこは見晴らし台であり、亀は濃尾平野を眺めている。

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山頂からの眺め

山上からの濃尾平野の眺めは、もやがかかっていた。前回訪れた際のような透明感はない。遠くのほうはもやがかかる。
まだ秋の空気になりきっていなかった。
川をたどっていくと赤坂港が見える。
急な崖の山であるのと、広い濃尾平野の西端に位置するので雄大な見晴らしが広がる。
日の出を眺めるには絶好の場所でしょう。
奇岩とあいまって、ここが古代国家鎮護の仏教拠点にと注目されたこともなんだか納得できる。

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石灰石鉱山

いっぽう、登山路の西側をみると、石灰鉱山の採掘が進み、すでに半分は削り取られている。
採掘業者にとってはまさに金(カネ)を生む山である金生山。明星輪寺があったため、全山が削られるのを免れ、濃尾平野の雄大な眺めを見られるのは幸いなことだと思う。
山の景観の大幅な改変となったわけだが、一方で採掘によって古生代の化石が発見され、数億年前の生物の形態が知られることにもなった。

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古生代の二枚貝、シカマイア化石(縞模様の部分)

下山中に、金生山化石館に立ち寄り、館員の方から、建物の脇の斜面の岩に見られる縞模様が、古生代の奇妙な二枚貝「シカマイア」が積み重なった化石であることを教えてもらった。スリッパをつぶしたように平べったい楕円形の縦方向にスリットが入り、断面は「く」の字を鏡合わせにした形という、ちょっと現在の生物では見当たらない奇妙な形の殻を持っており、それが層状に積み重なっている。カキのように岩にへばりつく生態だったのだろうか。
化石館のすぐ脇を見やるだけでこのような露頭があるところを見ても、この山には相当な密度で化石が含まれているだろうという印象。

電車に間に合わず

こうして午前11時半ごろ、下山すると、へとへとになっていた。
すでにペットボトル2本を飲み干す。
午前中にもかかわらず腹が減り、美濃赤坂の「松岡屋スーパー」でちらし寿司、バナナを購入(まけてもらって併せて430円)、公園となっている本陣跡で食べる。

さてここから、行きがけの車窓から見た池を目指すわけだが、乗りたかった10時53分発の電車はすで出ちゃっていて、つぎの13時12分発までは1時間以上も待たないといけない。休日は本数が少ないのだった。
気ままな単独行なので電車に乗り遅れることに問題はないが、次の便を待たねばならないのがじれったい。
こうした際には、休息も兼ねて宿場町内にある資料館等を訪れ時間を過ごすというのも一つの手だが、疲労によって、じっくり資料を見ようという気が失せていた。

事前の計画では美濃赤坂から電車で1.7キロ南進(ほんとうに真南に線路は進む)、途中駅の「荒尾」で降りて、西方向へ2キロほどを歩くということを考えていた。この荒尾駅、あと300メートル東にあったら、本線の駅として、駅間が8.1キロもある垂井ー大垣間の中間駅に活用できそうな位置にあるのに、なぜか盲腸線の途中駅としてしか建設されなかった惜しい駅。この駅の位置が、垂井−大垣のほぼ中間地点にある特性をいかそうと作戦を考えていたが、本日、想定を上回る疲れでスケジュールに遅れが生じてしまったので、「荒尾作戦」は断念。
グーグルマップの表示では、赤坂宿本陣前から、南西方向に位置する池まで4.6キロ。
それなりの暑さの中、日差しを遮るものもない田園をこれだけ歩くのは無謀だ。
そこで、少しでも歩く距離を減らそうと、路線バスの時刻表を調べると、消防分署行が正午すぎに来ることが分かった(続く)。

posted by 進 敏朗 at 18:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 低山めぐり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

金生山と湧水池(下)

路線バス乗車、印象的な停留所名

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旧中山道の赤坂の町並み

休日に東海道線で岐阜県大垣市を訪れ、金生山を往復して汗だくになった後、美濃赤坂駅から電車に乗って、南西の方角数キロ先にある趣ある田園の池を目指そうとするが、3時間に1本しかない電車に乗り遅れ、待ち時間が惜しいことから路線バスに乗ることにする。
池に近づくには、大垣駅行きとは逆方向の「消防赤坂分署」行きに乗る。同署の詳しい位置をグーグルで見ようとしたら東京の赤坂消防が表示される。響きが都会的なバス停。
途中「昼飯(ひるい)」「昼飯南」のバス停を通過。ここで昼食を取れば、忘れられない思い出になりそうだったが、暑さによる疲労でそのような余興を試みる余裕もなし。

終点の消防赤坂分署からは、目的地の池にさらに近い場所まで運んでくれるコミュニティーバスが接続しているはずだが、時刻表を見ると1時間の待ち合わせ。さらなるバス利用はあきらめて歩くことにした。
グーグルマップによると、池まで3.3キロ。金生山を下山した地点からは4.6キロだったので、1.3キロ近づいたことになる。わずかだが昼の暑い時間帯、この違いは大きい。幸い、午後から雲も出てきて日差しが遮られてきた。

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頭を出す伊吹山

水田転作のエダマメ畑が広がる田園の道を歩く。
何の変哲もないように見える農道でも、訪れたことのない場所を歩くのは楽しい。
前方には西美濃の山並みから頭を出す伊吹山。

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採掘が進む金生山

北側を見やれば、採掘の進む金生山の姿。凹んでいる部分の右側を登ったことになる。
あれがまるごと、数億年前のサンゴ礁であったというのはにわかに想像しにくい。

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矢道川。

歩くこと約40分、一級河川「矢道川」に差し掛かる。
橋のたもとから、この夏公開されたジブリ映画で注目された鳥、アオサギが飛翔。
澄んだ水が勢いよく流れる。草が刈り取られた直後だが、行きがけの電車からは草刈り作業の様子が見られた。
川の看板の真後ろに、ヤナギの木が2本立っているのが見える。あそこが目指す池だ。

水量豊富 趣ある池だが

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池に到着

池に着いた。もともとの湧水池を整備し、ポンプで水をくみ上げていると説明があった。

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排水口

池から用水路へ、かなりの水量が排出されている。正確にはわからないがバケツ1杯分が2、3秒で満杯になりそうな量。
これだけの水量があれば気温の上昇による温度変化も少なく、ハリヨの生育には好条件ではないか。

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池の全景

さて池には魚はいるのか。
静かな水面にはアメンボ、黄色いイトトンボ。
岸近くに、カワムツ幼魚らしき群れ。
水中は髪の毛のような緑色の藻で大半が覆われている。

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水源付近

池の南西側に水源が2カ所。
ここに隠れているかも、と凝視するが見当たらない。
橋のところではいつくばって下をのぞき込むと、カワムツとともに、ザリガニ発見。
ハリヨの姿は確認できず。
私の低い観察眼のため、見つけられなかった可能性は大いにあるが、ポンプで復活させた各地のハリヨ池を訪ねて、ハリヨが見られなかったのはこれが初めてではない。

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脇を走る東海道線を電車が通過

せっかくの事業費を投じて整備されたハリヨ池であるが、趣ある湧水の中の光景は淋しい。
このような生き物の乏しさの原因は、やはりザリガニではないかと私は思う。

環境省によると近年、各地の水辺でオニバス等の在来水草が急減、それによってゲンゴロウなどの水生昆虫も姿を消しているが、同省は、ザリガニによる食害が原因と断定した。今年6月、アメリカザリガニを含む外来ザリガニ全種が「特定外来生物」に指定され、再放流禁止となった。
かつては私もザリガニ捕りなんかを楽しんでいたが、その生態系への影響の大きさが知られるようになり、認識をあらためた。
今となっては水辺からの根絶はかなり難しいかもしれないが、琵琶湖でのブルーギル・ブラックバスのように官民挙げて減らしていく取り組みが、特定外来生物指定を機に、趣ある水辺の復活に向けて求められると思う。
ハリヨの生態にも好影響となるだろう。

美濃路から垂井 不可侵な雰囲気の鉄路

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美濃路の松並木

さて帰路につく。
最も近いバス停からも距離があることから、西に3キロほどの垂井駅を目指す。
東海道線の関ヶ原−大垣間を北回りする「垂井線」の脇を南進。
そこから東海道と中山道を連絡する脇往還の「美濃路」に入り西進。
立派な松並木が沿道に続くが、歩道を圧迫した形に。心理的に車道から離れた側を歩きたいんだけど、並木の前で迂回するような格好になってしまう。昔のものが残っているのは貴重ではあるが、もうちょっと歩道幅に余裕があったら。車道を確保しなければならないので、歩道が制限されるのは仕方ないかもしれないが。なんかこう、景観がまとまらない感じがする。
できれば車通りの少ない静かな道を歩きたかったのだが、美濃路を並走する東海道本線を渡ったりくぐったりする道路がなくて、そのまま垂井駅の手前まで行くしかない。
沿線に市街地が広がっているにもかかわらず、駅間が8キロ以上もあったりして、かつ滋賀県では新設例も多い線路を跨ぐ道路はおろか、踏切すらないのは不思議な感じがする。地域<<<鉄道、というような、この地域における東海道本線の存在の絶大さというか、不可侵な雰囲気を感じ取った。


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旧中山道、垂井のまちなみ

そして池から歩くこと約40分、垂井のまちに着く。
美濃赤坂と同じく旧中山道の宿場町。上の写真の左奥の建物が酒店で、ここで缶ビールを買い、400メートルほど南にある垂井駅の広場に座り、ささやかな打ち上げとした。本日、金生山に行き、計約12キロを歩いたが、暑くて疲れた。
今回、東海道線の赤坂支線やバスを使い、半日歩き旅をしてみたわけだが、本日訪れた池にしても、車以外の交通手段を使って訪れることは想定されていないようだった。
まあ大体、行きたい場所は、そういったマイナーな場所が多いので仕方がない。
車で行くより、鉄道とかバスで行ったほうが、到達したときの感興が、がぜん大きい。
でも、車でしか行けなかったりする場所も多いし、何といっても短い時間で移動できるので、車が威力を発揮するケースも多々あるのだが。
歩きも含めて、ゆったりとその場所・時間を楽しむには、普通電車と公共交通が面白い。
半分行き当たりばったりであったが、地域の公共交通網を使い、意外性のあるルートを描いて回ってみたのだった。





posted by 進 敏朗 at 11:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 水辺を見る(滋賀以東) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする