川と輪中の田園を行く
源氏大橋から下流側を見る
大垣を訪れ、レンタサイクルで杭瀬川沿いを巡る。
源氏大橋から下流側を見る。堤防の内部に、田んぼが広がっており墓地もあるのが変わった風景だと思った。
杭瀬川(左側の広い川)を南に下る
澄んだ水底には砂の色をしたカマツカ泳ぐ。
良型のカマツカ
アマナ咲く
ピンク色のユリ
ピンク色のヒガンバナ
草刈りが行き届いた堤防には、カラフルな草花が群生していた。
水防倉庫
堤防から川の反対側に降りると、輪中の水防倉庫があった。
なぜ堤防の内側に田んぼがあったのか。堤防で囲まれていたのは集落だったのだ。
堤防を締め切る門
河原に出る道には門があって、氾濫危険時には閉められるようである。
頑丈そうなつくりだ。
欄干のない低い橋
川には欄干のない低い橋がいくつも架けられている。
船運が衰滅した昭和初期以降の築造だろうか。
東海道新幹線が川を渡る
新幹線も走り、なんとものどかで美しい川辺の風景だ。
アユらしき魚も
川をみると、石についた苔をはむ鮎らしき魚やコイ、カマツカなどが見える。
コウホネ咲く
壮観のコウホネ群落
右岸の河川敷公園にはスイレン園があって、そこの一角にはコウホネ群落があった。
滋賀県では今でも用水路などで細々と生えているのを見かけることはあるが、花がそこまで見栄えがするわけでもないコウホネを、こんな大きな群落にして育てているのを見たのは初めてですごかった。
花は咲いていなかったがガガブタの群落もあり。
しかもメダカの群れもいてうれしかった。
輪中の暮らし、災害の歴史を知る
輪中の集落
スイレン園をみたあと、左岸側へと川を対岸に渡る。
用水路の水位が高い。水は澄んでいて、案外流れが速い。
輪中生活館(外観)。左側の建物が「水屋」
そこには旧地主の邸宅を使った「輪中生活館」があった。
この日は休館日であったが、通りかかった際、偶然にも職員の方がおられ、見学させてもらうことができた。
ただ撮影した画像は館の規則によりアップできない。
明治初期の建築で、母屋のほか、約2メートルほど土盛りをした高台には洪水時に居住できる「水屋」があり、蔵も高台に建てられていた。
庭の柿の木は船をつないでおく「船つなぎの木」で、土間の天井には船が吊るされている。
明治29年(1896年)の大水害では、水位は高台の上の石垣まで来たそうである。
水害対策の家のつくりが必要だったのである。
この年には琵琶湖でも大洪水があり水位3メートル76センチの最高記録となった。
さらに集落内には、旧小学校跡地に「輪中館」もあり、一帯の水害の歴史を知ることができた。
大垣を流れる杭瀬川、揖斐川をはじめ、長良川、木曽川下流一帯の「輪中」地域について学べる公共施設(無料)。
昭和51年(1976年)の9月12に長良川の決壊があり、広範囲に浸水。水没した大垣駅前の道路の様子などの展示を見学。
今年は明治の大水害から130年、昭和の大水害から50年という節目であった。
その日にはシンポジウムもあるようでチラシが張られていた。
千葉や福井など、大雨被害が各地で頻発するなか、これまで安全と思っていた地域でも、何があるかわからない。
輪中を見て水への備えへ思いを新たにした。
明治時代の杭瀬川決壊地点に建てられた碑と水防倉庫
館を出て、明治時代に決壊したという地点に建てられた碑を見る。
メダカの大群衆
いっぽう、小川をみるとメダカが大繁栄している。
滋賀県ではここまでの大群は見たことがない。またまたいいものが見られた。
水の豊かさと水害、どう害を防いで恩恵にあずかるかが問われる。
友江駅に入ってきた大垣行き電車(午後1時43分)
そして大垣駅前にバックするには、養老鉄道の「サイクルトレイン」活用。
同鉄道では、車両に自転車を持ち込んで運べるのであった。
ただし平日は午前9時〜午後3時に限定されるので注意が必要だ。
終点大垣に着いた
乗車した友江駅からわずか3駅、5.6キロだが、午後2時となりこの日も最高気温が34度と暑かったので、電車で移動できて非常に助かった。
駅前の泉で水を一杯
無事、自転車をもとのホテルに返却し、駅前の泉で湧水を一杯。
しみいる冷たさ。
初のレンタサイクル周遊となったが、電車を組み合わせて適度な距離で使うことで、快適で便利な水辺めぐりができてよかった。


